まりっぺのお気楽読書

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イングランド王エドワード3世妃 フィリッパ

2008-10-16 01:48:15 | イングランド王妃・王女
死が王を変えた
エドワード3世妃 フィルッパ・オブ・エノー


1314~1369/在位 1328~1369

既に王となっていた16歳のエドワード3世に嫁いだ時、フィリッパは14歳。

     

またいとこだったため法王の許可をもらって結婚しました。

エドワード3世が18歳になるまでは、皇太后であるイザベル・オブ・フランス
のさばっていたためおとなしくしていたのかもしれませんが
かなりアグレッシヴな王妃だったようで、王とともに戦場へ出向いた上
激励のため兵士に一席ぶったりしたらしいです。勇ましいね

また産業の振興にも熱心で、実家のあるフランドルから羊毛の技術者を呼び寄せたり
石炭の発掘を奨励したりしています。
羊毛と石炭といえば、後々までイングランドで栄えた産業ですよね。

その上、とても教養があったということで、いったい非のうちどころはないのかね?
と思っていたら、後年かなりコロコロに太ったらしいです。
でもそこがまた、母性的で友好的で家庭的に見えたというから
素敵な太り方(?)ですね   肝っ玉かあさんみたいな・・・

エドワード3世は、有名な “ ガーター騎士団 ” を創設したりして
騎士道精神に溢れた王で、そりゃあもてたでしょうし、愛人もいました。
中には“ フェア・メイド・オブ・ケント ” と呼ばれた絶世の美女
ソールズベリー伯夫人ジョアンの愛人説もありますが
妻フィリッパのお気に入りでもあり、後に息子エドワードと再婚もするので
噂に過ぎないんじゃないかしら? でも中世だしなぁ・・・

ともあれ、フィリッパが存命中はさすがのエドワード3世も
妻を気遣って(怖れて?)おおっぴらな浮気はなかったようですが
41年の結婚生活の末フィリッパが亡くなると、妖婦アリス・ペラーズに溺れ
政治も含め、何もかもあやつられてしまいます。

エドワード3世は愛想をつかした子供や家臣に看取られることなく
懺悔僧が寄り添う中、ひとり寂しく亡くなりました。 哀しいのぅ
(アリス・ペラーズは王の死期が迫ると宝石を持って出ていってしまいました)

フィリッパが生きていれば、家族に看取られて幸せな最期が迎えられたかもしれませんね。

夫より妻が長生きした方が、老後は幸せだってよく聞くけどやはりそうなのかしら?
男性陣はどう思われますか?

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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1 コメント

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Unknown (メリエンダ)
2019-11-03 22:46:54
慈悲深く、賢きフィリッパ王妃

イギリス史上、賢王妃と名高い女性。
エドワード3世とも仲睦まじく、多くの王子、王女をもうけ、その子供たちを乳母任せにせず、自ら母乳を与え、育てたことでも有名らしいですね。彼女をモデルにした聖母子の絵画もあるそうですね。
また、フィリッパ王妃は、慈悲深く、長男エドワード出産後、ある行事で、高い椅子に腰かけたところ、椅子は崩れ落ち、フィリッパは、無事だったものの、エドワード3世は、怒り、椅子を作った業者らを処刑してやる、と怒鳴っていたところ、フィリッパ王妃が、業者らの助命を請い、業者達を助けたらしいですね。
また、フランスとの戦争中、捕虜となったフランス王子に対しても、敵国王子として扱うことは、せず、息子エドワードとフランス王子がいさかいを起こした時も、エドワードを叱りつけ、フランス王子を庇ったともされているらしいですね。 夫よりも先だったのは、本当に残念です。 しかし、晩年の夫王や、後の息子達の行為を知らずにできたのは、幸運かもしれませんが…
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