まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『王妃に別れをつげて』たった二日で世界は変わる

2018-01-20 19:52:17 | フランスの作家
LES ADUEUX A LA REINE 
2002年 シャンタル・トマ

ヴェルサイユを描いたもの、マリー・アントワネットの生涯を描いたもの、
フランス革命を描いたものは山のようにあって、到底全部は読みきれないですね?

わたしもハナから読破は諦めて、ぼんやり知ってるし… てな感じでやり過ごしてるのですが
この小説は、王妃の朗読係から見た革命前の二日間、という背景が面白そうだったので
読んでみることにしました。

感想なんですけど…
フランス革命がなかったら、ヨーロッパに独裁国家という概念は生まれなかったのかなぁ…
などと思ったりしています。
歴史とか思想とか、よく解んないまま書いてますけどね

たとえばね、1789年、7月15日の夜中に何者かがルイ16世を起こすという
前代未聞の出来事があり、バスティーユがパリ市民たちによって攻撃され陥落した、と
伝えられたというウワサがヴェルサイユ宮殿内に広がります。
貴族たちはもちろん「そんなバカな!」と思うんだけど
それはバスティーユが陥ちたということより、市民たちがなぜそんな事を考えるのか…
ということが理解できないようなのね。

神から選ばれて代々続いている王や貴族たちがいるのに、自分たちで指導者を選ぼうなんて
考えるわけないじゃないか、ということだったみたいです。

けれどもバスティーユ陥落は本当らしいということになり、宮殿内がざわつきはじめます。
そして驚いたことに、まず「宮殿の門は閉めるべきじゃない?」という意見が交わされます。

つまりね、戦争も反乱も予想してなかった王や貴族たちが暮らすヴェルサイユ宮殿は
門を開けっ放しにしていて、町人も、行商人も、物乞いも出入り自由だったんだって!

自分たちは権力で下々の民たちを押さえつけているという意識はないし
まさかそんなことで恨まれるなんて… と思っていたんでしょうね。

その後、君主を引きずり降ろす事ができるんだと知ってしまった各国の民たちは
チャンスを狙い始め、王制を倒して指導者になる人が現れます。
だけど、王や貴族と違って「当たり前」と思ってないから、その座を手放さないように
必死で守りに入りますよね、秘密警察作ったり、密告させたりして。

だから、絶対王政と独裁とは、ちょっと違うもんだったんじゃないのかな?
何言ってるかわからなくなってきたので、これ以上考えるのはやめときますけど…

さて、物語では、ヴェルサイユでは前日まで儀式に乗っ取った日常が送られていて
ルイ16世たちは豪勢で何時間も続く晩餐を食べて、選ばれし貴族たちが侍っていたのに
7月16日には様相が一変します。

ルイ16世は市民たちの前に徒歩で現れ、熱狂で迎えられたことに気を良くして
マリー・アントワネットや弟のアルトワ伯(後のシャルル10世)が
宮殿を発とうと説得しても、ヴェルサイユに残る決心をします。
それどころか、宮殿を警護していた海外の兵士たちも国に帰してしまいました。

王の就寝前の謁見は閑散としたものになり、フランス人の衛兵たちは横柄になります。
召使いたちは呼んでも来ないし、宮殿内で配られたビラには(貴族の)処刑者リストが
書かれていて、その筆頭は、マリー・アントワネットとアルトワ伯でした。

マリー・アントワネットは、お気に入りだった友人たちの部屋を訪ねますが
みな宮殿を発った後でした。
そして、誰よりも愛していたガブリエル・ド・ポリニャックも逃亡を決めました。

主人公のアガート・ラボルトという朗読係補佐の女性は、二日間の宮殿内の人々と
王妃の変化、そして自分自身の変化を驚きを持って見つめていましたが
最終的には王妃の命令で宮殿を後にします。
その命令の内容はふせときますが、一番泣けるシーンかもしれないです。

ストーリー自体は、そんなに驚くべきものでもなんでもないんだけど
窮地に陥った貴族の右往左往ぶりと無力さ、薄情さが興味深い物語でした。

でも自分もそうするなぁ、きっと。
「王妃は自分の意志で残るんだから…」と言い聞かせ、さっさと荷造りをするよね。
だから、逃げ出したガブリエルなども責められませんでした。

ちなみに、王妃に忠誠を示したために惨殺されたとされるランバル公妃は
この物語の中では、お気に入りだったようには描かれていませんでした。

フィクションなのでね…
でも、物語に登場する王妃の小間使い頭のカンパン夫人が後に回想録を出版してます。
荷造りシーンや食事シーンなどはそれを下敷きにしているかもしれないですね。
だとすると、マリー・アントワネットのパーソナリティが
少しは垣間見える貴重な一冊かもしれないです。

以前映画化されたみたいですね?
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね




ひとことK-POPコーナー
BIGBANG うたんぷ を手に入れ、さっそくみんなに送りつけたわけなんだが、かなり歌ってくださるので
ビックリしちゃいました  電車の中などでお年寄りやあかちゃんがドッキリしないように気をつけなければ…


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ボヘミア公ソビェスラフ2世妃 エリシュカ

2018-01-13 21:06:08 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
どうも前妃とくらべちゃってねぇ・・・
ソビェスラフ2世妃 エリシュカ・ポルスカー


1152?〜1209/在位 1173〜1178

1173年に、一度ベジドフを敗ってボヘミア王になったソビェスラフ2世の妃は
ポーランド公ミェシュコ3世とエルジェビエタの公女エリシュカです。

実はエリシュカは、生年がはっきりしていないばかりか
本当に王女だったのかどうかも定かではないんです。

だけど名前が一緒だからエルジェビエタの娘だと信じられているらしい…
今ツっこみましたよね? 名前みんなおんなじじゃん!! と

1173年に結婚しました。
     
1178年、ベジドフがプラハを包囲した時、エリシュカは城にいて逮捕されました。
けれどもすぐ解放されました。

ソビェスラフは1179年に再度蜂起するんだけれども、ベジドフに完敗します。
夫婦はポーランドではなく、ハンガリーに亡命しました。

1180年にソビェスラフ2世が亡くなるのですが、ポーランドへは帰らず
すぐにラウジッツ辺境伯コンラト2世と再婚しました。
あやしーね… なにかを勘ぐりたくなってしまうわたし…

その後の記録はないのですが、1209年に夫コンラト2世が、エリシュカの義兄
ポーランド大公ヴワディスワフ3世をレブスの戦いで敗っていまして
これは、エリシュカの死に捧げれたものだと言われています。

夫コンラト2世は1210年に死去しました。
エリシュカはドーベルルーク修道院、夫はヴェクセルブルク小修道院に埋葬されています。
なぜかしら? 一緒じゃないんだね。


               
                Jarmily Haldovéさん作
なにもわからない若妻
コンラト2世妃 ヘリチャ・ズ・ヴィッテルスバハ


1160〜1198/在位 1189〜1191

コンラト2世は、ヴラジスラフ2世が一生懸命つながりを求めた
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世の引き立てで、まずは初代モラヴィア辺境伯に叙されます。

そして1189年に、フリードリヒ1世と地方貴族たちの後押しでベジドフを敗って
ボヘミア公になりました。

コンラト2世の妃は、プファルツ伯オットー7世の娘ヘリチャです。
           
1176年、16歳ぐらいで、25歳ぐらい年上のコンラトと結婚しました。

コンラトはナポリ包囲中の1191年に亡くなるんですが
その後ヘリチャがどうしていたのかわかりません。
30歳前後なので、再婚しようと思えばじゅうぶんできる年なんですけどね。

子供がいないと記録もないとは… 王妃の人生って寂しいものですね。
1198年に亡くなっています。

(参考文献 Wikipedia英語版)

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ボヘミア公ベジドフ妃 アルジェビタ

2018-01-03 09:53:57 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作
戦場で旗を振る王妃
ベジドフ妃 アルジェビタ・ウェルスカー


1145〜1189/在位 1172〜1173 1178〜1189

あけましておめでとうございます
今年1年が皆様にとって夢と希望と妄想にあふれた1年でありますように…

ボヘミアの継承問題は混沌を増していきますよぉ
退位・復位の繰り返しで、順番がよくわかんないよーーー!!

とりあえず、父王ヴラジスラフ2世から指名されてボヘミア公になったベジドフ。

ベジドフの妃は、ハンガリー王ゲーザ2世とエウフロジーナの王女アルジェビタです。
1157年か、1159年に結婚しました。

アルジェビタは2回、ベドジフの不在中摂政を務めました。
一度はソビェスラフ(後の2世)からプラハを守ることに成功しています。
ソビェスラフとの関係はこんな感じ
          
この争いの最中、アルジェビタは戦場に現れたらしいよ! それも旗持って!!
白旗じゃないですよ、旗を振って戦士たちを鼓舞したんですよ。
君主の妃みずから… 士気があがりますよね。

1184年には、同じような状況でコンラト(2世)に勝利しました。

コンラトとのつながりはこんな感じ
            
しかし、1189年にはコンラトに降伏しました。
その時に捕らえられて亡くなったのか、その後亡くなったのかはわかりませんが
1189年に45歳ぐらいで亡くなっています。 処刑じゃなければよいのだが…

いくら旗を振って励ましても、こんなに攻めてくるんじゃね… しかも親戚ばっかり。
戦わされる兵士たちもいい迷惑ですよね! 親族会議で決めてほしいよ。

お子様は一男六女ですが、男の子はたぶん成人していません。
成人していたら、今後の一族の争いに加わっていたかもしれないですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
去年の12月18日にとても悲しい事があって、仕事にはなんとか行って、考えると泣けてくるので仕事に集中して
でもやはり夜になると泣けてきて… という感じで、なにも手につかない年末を送りました
まだ辛くて歌声は聞けないし、映像も見られません
でも新しい年がやってきたし、現実をうけとめていかなくてはね…

ジョンヒョン、6年間、辛い時や悲しい時、支えになってくれてありがとうございました
あなたがくれた歓びは忘れません  ご冥福をお祈りします


ひとこと年越しコーナー

で、本当は行こうかどうしようか迷ったんだけど。せっかく当たったし、旦那さんも楽しみにしてたし…というわけで
今年も東急ジルベスターコンサートで年越ししてきました
『展覧会の絵』のカウントダウンはピタッとキマって気持ちがよかったです 少し前むきになれました


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