まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ポーランド王ボレスワフ1世妃 エムニルダ

2012-11-26 22:16:49 | ポーランド王妃
               どうにもこうにも肖像画が無いので
           オダ・マイシェニエンスカの母方の祖母ヒルデガルディスの画を載せときます


寵愛された王妃でも・・・
ボレスワフ1世妃 エムニルダ・スウォヴィアンスカ


970~1017/在位 992~1017

ボレスワフ1世は二人目の妃ユディタ・ヴェギレリスカと離婚するやいなや
ラウジッツ領主ドブロミルの娘エムニルダと再婚しました。
        
ラウジッツとはドイツにある都市でして、確かに神聖ローマ帝国への足がかりには
なりそうですね。

エムニルダはとてもチャーミングな女性だったそうなので
ボレスワフは早くから目をつけていたのかもね!
しかもエムニルダは賢かったらしく、結婚後ボレスワフは妻に頭が上がらなかったらしい…

権勢欲が強かったんでしょうかね?
自分の息子ミェシュコをローマ神聖ローマ皇帝の重臣に加えてもらい
モラヴィアの統治者にしようと猛アピールもしていますし
前妃ユディタが生んだ長男ベズプリムから継承権も奪っています。
ペズプリムがイタリアに飛ばされたのもエムニルダの影響じゃないかと思うんだが…

ミェシュコの他に公子が一人、公女が三人生まれています。
公女のうち一人はマイセン辺境伯妃、一人はキエフ大公妃になりました。

しかし、そんなに溺愛されたエムニルダの没年は不明です。
1016年か1017年に亡くなったと言われています。
なぜなら、ボレスワフ1世が再婚しているのでね。

それに肖像画も見つからないのよね。
愛されていなかった妃の記録や肖像画が見つからないのはわかるんだけど、なぜ?


完全に政治の道具
ボレスワフ1世妃 オダ・マイシェニエンスカ


996~没年不明/在位 (公妃)1018~1025 (王妃)1025

ボレスワフ1世はエムニルダの死から1年か2年後に
マイセン辺境伯エッケハルト1世の娘オダと再婚しました。
エッケハルト1世の父親ギュンターはミェシュコ1世の妃ドゥブワヴァ
最初の夫と言われている人です。
それが正しい説だとすると、家系図はこういうことになります。
        
1018年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世とボレスワフ1世の間で
バウツェン和平条約が調印されました。
ボレスワフ1世はドイツ貴族との繋がりを深めるため再婚を決心。
オダが選ばれ、なんと! 調印から4日後に結婚しました。

30歳近い年齢差がある上に、ボレスワフは浮気癖が治まらなかったらしく
キエフ大公ウラディーミル1世の公女プラディスラヴァとの関係を続けていました。

詳細は不明ですけど、オダも結婚前に自堕落な生活を送っていたそうで
ボレスワフが嫌悪したか、オダが「また遊びたい」と考えたかはわかりませんが
とにかく、二人の結婚生活は不幸なものでした。

「相手は誰でもいい!」と急いだ結婚… 上手くいくとは思えないものねぇ
ま、上手くいけばものすごくラッキーだったということで…

1025年4月にボレスワフ1世が王に即位した時、一緒に戴冠したという説もありますが
推測の域をでないそうです。

しかもボレスワフ没後(1025年7月以降)のオダのその後は不明、墓所も不明。
いったいどんな生涯を送っていたのやら…

政治の渦に巻き込まれ、人知れず没するなんて…
表舞台では名が残らずとも、個人的にはハッピーな人生を送っていたことを祈ります。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
K-POP friend Nちゃんの尽力により、12月5日の東京ドームがアリーナ席だって~!
初のBIGBANGライブに備えてただ今猛勉強中です
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ポーランド王ボレスワフ1世妃 ユディタ

2012-11-23 23:02:14 | ポーランド王妃
推測ずくしの王妃
ボレスワフ1世妃 ユディタ・ヴェギレリスカ


969~1030/在位せず

ポーランド公からポーランド王になったボレスワフ1世には4人の妃がいます。
一人目の妃はマイセン辺境伯リクダックの娘ハウニルダ(?)ですが離婚しています。

ユディタは二人目の妃で、985年にまだ公子だったボレスワフと結婚しました。
ハンガリー大公ゲーザとシャルロトの大公女、ということですが
近年では「誰の子かわからんが、とりあえずハンガリーの貴族の娘だったのでは?」 と
唱える学者もいるそうです。

       
この結婚は、 “ たぶん ” ボレスワフ1世の母方の伯父ボヘミア公ボレスラフ2世が
ネゴシエイトしたと言われています。
さてはボレスラフ2世が存在力を示すために、どっかの娘さんを大公女と偽って
嫁がせましたかね?
昔ならバレなかったかも… いや、さすがにバレるか?

二人の間には986年頃にベズプリムという王子が生まれていますが
ユディタは987年に離婚されています。 さてはバレた?
これは “ たぶん ” ポーランドとハンガリーの関係が悪化したからだと言われています。
結婚生活が長ければ、国同士が争っても別れずにいたのかもしれませんが
3年弱じゃね… まだ信頼関係が築かれていなかったのでしょうね。

ボレスワフ1世はすぐにエムニルダ・スウォヴィアンスカと再婚しました。
うって変わって妻を熱愛したボレスワフは、ユディタが生んだ長男ベズプリムに冷たく
継承権もエムニルダが生んだ次男ミェシュコ(2世)に与えてしまいました。
しかもペズプリムは16歳になるとイタリアに送られ、修道士にされてしまいました。
ひどいわね! 母親はどうであれ息子じゃないのさ!!

ユディタはハンガリーには戻らず “ たぶん ” ポーランド内に留まっていて
離婚後しばらくして亡くなったとされています。
なんどけど、1030年頃亡くなった説もあるんですよねぇ…

1031年にはペズプリムがミェシュコ2世を倒して(一瞬)王になっているので
その時まで生きていられれば辛い人生を華やかに終えられたのに…

1000年以上昔の話なのではっきりしないことが多いのもしかたないけど
たぶん、たぶん、って、両親も生没年も定かでないとは
王様の奥方にしては曖昧なことが多いですよね。

王の愛情が少ないお妃は記録も少ないということだろうか?

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
U-KISSは今までちゃんと聞いたことが無かったんだけど、同じ職場のSさんが貸してくれた
ミニアルバム Stop Girl があまりにも良くて、以前の歌を探しまくって聞いている今日このごろです。
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『リトル・チルドレン』大アメリカの小さな話し

2012-11-20 22:54:34 | アメリカの作家
LITTLE CHILDREN 
1937年 ウィリアム・サローヤン

ウィリアム・サローヤンて私は3冊しか持っていないのですが
けっこう翻訳が出てますね。

アメリカががんがん成長していた時代に、移民の子として過ごした作者の
自伝的短篇集だそうでございます。

少年が主人公のもの、まわりの大人に焦点をあてているもの、様々なお話しがありますが
概ね “ 涙ホロリ ” なお話しのような気がします。

17篇の中から好きだったお話しをご紹介します。

『メキシコ人(The Mexicans)』
ホアン・カブラルは、ある日妻と5人の子供と、脚の悪いいとこと4匹の犬を連れて
おじの畑にやって来ると「仕事をくれ」といいました。
雇わないと言うおじに対しホアンは安い賃金では嫌だと言って一歩も引きません。

結局、メキシコ人「働いてやる」、おじさん「光栄です(嫌味)」ってところに
おさまるんですが、かみあわない会話が読者をニヤッとさせます。
後半、メキシコ人移民と日本人移民の比較論が展開されます。
まぁ “ ジャップ ” て言われちゃってるんだけどねぇ… 昔の話だし…

『農夫の幸せ(The Peasant)』
アルメニアのグルティクという村からやってきたサルキスは
知人のいない異国での孤独を乗り越え、農場を手に入れ、成功し結婚しました。
時は経ち、子供たちは巣立ちし、生活は贅沢と言っても良いほど豊かになりましたが
サルキスは故郷のグルティクが恋しいままでした。

一昔前、アメリカンドリームを手に入れた異国人は、故国では羨ましがられる人でしたよね。
大国の威信は薄れたとは言え、今でもアメリカでヒットしたという物事は
ニュースになるほどです。
それでも貧しさのあまり後にしたという故国が懐かしいという思いが涙を誘います。

『撲は礼儀知らずなんかじゃない
        (Where I Come from People Are Polite)』
ある朝事務所に行くと、簿記係のミセス・ギルプリーが泣いていました。
ミセス・ギルプリーは自ら辞めたのだと言いましたが、会社が給料の安い自分を選び
彼女をクビにしたということがすぐにわかりました。
せっかく得た良い仕事でしたが、ミセス・ギルプリーを犠牲にするわけにはいきません。

仕事に対するアメリカ人のドライぶりが印象に残っている私としては
おとぎ話し、あるいは昔ながらの話としか思えませんが、まぁ、いい話ではあります。
皆自分の生活、家族の生活がかかっていますのでなかなかできることではありませんが
アメリカっぽい、O・ヘンリ的正義感が感じられる話ではありました。

もともと移民の国でありながら、後々やって来る移民には冷たいイメージがあるアメリカ。
そんな国の片隅で新興移民としてやって来た人々の小さな苦労や幸せをちりばめた
心温まるとはいきませんが、心を冷まさない一冊でした。

すごく面白いとは言いませんけど、読んで良かったとは思います。
他の2冊も読まもうと思っていますが、さしあたって増やす予定はありませんけどね…

ひとことK-POPコーナー
今日のBGMはBEASTのナイスミニアルバム Midnight Sunです。
MidnightのPVは韓国語バージョンも日本語バージョンも、どちらも良いですね
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マリーアントワネット展に行って来ました

2012-11-16 21:33:56 | フランス王妃・王女
横浜そごうで開催中のマリーアントワネット物語展が終わっちゃう!ってことで
かけこみで見に行ってまいりました。

仕事を終えてからダッシュで行ったのですが、30分ぐらいしか見れなかった
でも会場も小ぶりでしたし、閉館間近で空いていましたので
けっこうじっくりゆっくり見ることができました。

入口から出口に向かって、マリー・アントワネットの輿入れから新婚時代、母親時代
革命、投獄から処刑までみたいな流れになっておりました。

展示してあったのはマリー・アントワネットやルイ16世を中心に関係のあった人々の肖像画と
当時のヴェルサイユ付近の風景画、マリー・アントワネットが使用していた小物
寝室や椅子の絹織物の一部(複製)などなど…
絹織物に施された刺繍は現在のヴェルサイユの展示でも使われているそうで見事でしたよ~

一区画だけ写真撮影OKのスポットがありました。
それがこちら

  

マリー・アントワネットのドレス(複製)がいくつか展示されていました。
左から普段着、宮廷内のドレス、公の場での正装って感じです。
普段着といってもゴロゴロ寝転がれるラクチンな服じゃないですよね、もちろん。
一度は着てみたいけど、毎日着るのはしんどそうですな。

             

本当は船が乗っかったカツラ(複製)もあったんですけど、上手く撮れなかったので
当時のヘアスタイル画を… 重そう…
でもこれは小ぶりなスタイルみたいです。
船が乗っかったのは目の前で見ると迫力でしたよ。
しかも笑える… ファッションを追求するって大変よね。

首飾り事件のネックレス(複製)もありました。
キレイでしたけどね…
誰も買い手がいないほど高価なネックレスを作っちゃう職人もどうかと思うよ。

最後に処刑場に向かうマリー・アントワネットの画がありました。
派手なドレスで微笑んでいる肖像画より、真っ白いさっぱりしたドレスで上を向いている姿が
凛として美しかったけど、年齢より老けてしまっているのが涙をさそいます。

複製が多かったけど、美しくて高価なものに囲まれたおかげで仕事中のバタバタも忘れ
良い気分になれました。
大々的な展示もいいけど、こじんまりした小規模な展示も落ち着けますね。

1月にはエリーザベト展があるようです。
そちらも行かねば!!

ひとことK-POPコーナー
こないだ新大久保に行ったら、2PMが着たお衣装の展示がしてあって撮影OKでした、ってことを
ドレスの部屋で思い出しちゃった…
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『スティーヴンソン怪奇短編集』神を恐れる時代の恐怖物語

2012-11-13 23:26:58 | イギリス・アイルランドの作家

ロバート・スティーヴンソン

スティーヴンソンと言えば『宝島』『ジキル博士とハイド氏』が有名ですね。
私はどちらも読んだ覚えがないんですけどね。

昔の小説を読んでいると、子供時代に宝島に憧れたエピソードが数多く登場します。
よっぽど広汎に読まれていたことが推測できますね。 ベストセラーですよね。

そんなスティーヴンソンの短篇集です。
やはりすんなり馴染めるジャンルではありませんでした。

7篇のお話しが収載されています。
いくつかご紹介します。

『びんの小鬼(The Bottle Imp)/1891年』
ハワイ生まれのケアーウェは、何でも望みが叶うという小鬼入りの瓶を買い
望み通り故郷に立派な邸宅を構え美しい妻を手に入れました。
ケアーウェが買った瓶は手に入れた時より安価で売らなければなりません。
そして、誰かに売らずに死ねば永遠に地獄の炎に焼かれることになります。

この後ケアーウェには恐ろしいことがおこり、一度手放した瓶を買い戻すのですが
底値で手に入れてしまうのね。 もう売れやしない…どうする?
いい話ではありますが、楽して望みを叶えようとする者への警告とも言える…
元祖『笑うセェルスマン』的なお話しかもしれません。

『宿なし女(The Waif Woman)/1914年』
アイスランドにキリスト教が渡来した年のお話しです。
南国の船がアイスランド沖で進めなくなってしまいました。
その船にはとても豪華な品々を持つソルグンナという女性が乗っていました。
裕福なキールファレルの妻オードはその品々に目が眩み、彼女をわが家に招待します。

この後、死を前にしたソルグンナは次々と呪いの言葉を遺すわけですけど
贅沢品が好きなオードはまったく気にしません。
呪いの言葉とか予言て、どこまで信じるか迷うところですよね。
占いだって風水だって信じだしたらキリがないじゃない?
言う通りにしても宝くじは当たんないだし…

『マーカイム(Markheim)/1885年』
クリスマスの日に行きつけの骨董品屋を訪れたマーカイムは
計画していた通りに店の主人を刺し殺しました。
誰もいないはずの店内を物色していたマーカイムでしたが
見知らぬ男が現れマーカイムにあれこれと話しかけます。

見知らぬ男は罪の意識が創りだした幻想のようなものだと思うのですが
書き方が上手いのか、マーカイムの恐怖心の高まりとともにこちらまでドキドキしてきます。
『イギリス怪奇傑作集』の中にもそういう話がありましたが
できるだけ多くの殺人犯人がこのような思いをしてくれればいいと思うわ。
自首する人も増えましょう。

19世紀後半の信仰心がどれほどのものかはわかりませんが、中世時代ほどではなくても
やはり神を恐れ、迷信に惑わされる時代であったことが伺い知れます。
読者の恐怖心を煽っているのは、大部分が神の罰や地獄への恐れや魔力的な物への恐れです。

それはそれで怖い気もするのだけれど、信仰心がないとあまりピンときませんね。
犯罪が多様化していつ何時巻き込まれるかわからないような現代にくらべれば
素朴なテーマで恐怖物語が書けた時代だったのかもしれません。
それはそれで、ストーリーを広げるのが大変だったかもしれませんけどね。

ひとことK-POPコーナー(ご要望など無いのに新設)
今はSecretというガールズグループのPoisonという曲がものすごく好きで聞きまくってます。
KARAのPandoraもT-ARAのSexy Loveも好調… ガールズもいいんですよん
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『ハイウェイとゴミ溜め』読んじゃってすみません

2012-11-05 22:57:35 | アメリカの作家
DROWN 
1996年 ジュノ・ディアズ

最近、移民の作家が書いた短篇集をけっこう読んでいまして
どれもそれなりに異国で暮らすことの苦悩や故国に抱く複雑な想いを
ほんの少し、それこそ雀の涙ぐらいは理解できた気でたのですが
この一冊はちょっと苦手…

たしかにつらかったろう… 言葉には言い尽くせない苦労があったでしょう。
それを筆にぶつけて見事に書き上げた才能もすごいと思います。

でも私の頭の中には荒々しさしか残っていないんですよね。
ちゃんとした人が読めば、文章に込められた悲しさが読み取れるのかもしれません。
しかしながら、私は共感して読む前に心が折れてしまいました。

自叙伝的小説だそうで、一人称で書かれている主人公ユニオールが作者自身と思われます。
アメリカに渡るにあたっては父親の奔放ぶりが原因だったようで
そこには同情の余地があるかも… と思っております。

『フィエスタ、1980(Fiesta,1980)』
子供の頃、車に乗せられてパピーのプエルトリコ女の家に連れて行かれた。
兄のラファと一緒の時もあって、何回かはテーブルを一緒に囲んだりした。
ある日、マミーと二人きりの時、マミーは撲を追いつめた。

前半はアメリカに渡って来た親戚の家で開かれたパーティーのことが書かれていますが
なんか教育上よろしくない一家だなぁ… なんて思っていたら後半を読んでどうかと思ったさ!
人柄・下半身ともども荒々しい父親とは対照的に描かれている母親が
せめてもの救いって感じの話でした。

『待ちくたびれて(Aguantando)』
暮らしはそれはそれは貧しくて、マミーは12時間シフトで働いていた。
4歳の時にアメリカに渡っていたパピーのことは、9歳までいないものと思っていた。
パピーからは何度も迎えに行くという手紙が届き、マミーは馬鹿みたいに信じていた。

結局父親は迎えに来たのですが「良かったね!」と言える話なのかどうかわかりません。
貧しい兄弟は、国では制服が買えず汚れていてもからかわれることはなかったそうです。
アメリカの都会っ子が二人をどう受け入れたのかはわかりませんが
後半の荒れっぷりを読むと、故郷と同じではなかったのではないでしょうか?

『ビジネス(Negocios)』
父は浮気が母にばれた後、女とは別れたが一人でアメリカへ発った。
まずはマイアミへ、そしてニューヨークへ。
そこでアメリカの女と結婚し、撲にそっくりな子供もいた。
その後何年もしてからアメリカ妻ニルダに会ったが、父は何年も前に出て行っていた。

最後に収められていたお話しです。
父がニルダの家を出た足で自分たちを迎えに来たと信じたい…というように
締めくくられているのですが、この父親ならどうだかわかんないよね。
でもニルダに会いに行った青年は礼儀正しく接してまして
更正してくれて良かったよ~、と少しハッピーな気持で読み終えることができました。

年代は前後していますが、収められている順になっています。

全編に漂ういや~な感じは、乱暴な言葉遣いや下ネタだけが原因じゃないと思うのよね…
結局私が好きなラインの作家じゃないってことですね。
私なんかに読まれた上に、好きじゃないなんて書かれちゃう作家もいい迷惑!

子供時代の話しは、庇護を必要とする子供には残酷すぎるような気がするし
青年時代の荒れっぷりも「移民だから」ってことと関係あるのかどうか知らないけど
読まされてもさぁ… とにかく読んだ私が悪うございました。
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