可愛いだけじゃだめでした
ルイ11世妃 マルグリート・デコッセ
1424~1445/在位せず
まだまだイングランドとは不穏なフランスは、挟み込んでしまいましょうと
スコットランドのジェイムズ1世から皇太子ルイの妃を迎えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/5c/7ec084da29d8ce14220a4088d6330a90.jpg)
12歳で嫁いできたマルグリートはとても可憐で美しく、その上優雅で
父王シャルル7世の大のお気に入りになり、臣下の評判も上々でした。
しかしまだまだ子供っぽく、恋愛などに興味津々で、ポエムなどを書く少女に過ぎず
(だって12歳だもの)自分では疎外感を感じていたようです。
そんなマルグリートとルイの夫婦仲は最悪でしたが、その大きな要因のひとつは
ルイと父王が喧嘩を始めると、しばしばマルグリートが王の味方をすること…
うーん
子供の喧嘩ですね。
ルイもマルグリートのひとつ年上の十代まっただ中、反抗期ですかね。
思えばいくら広いとはいえ、宮廷内には父母、祖父母のみならず
叔父だ叔母だ、従兄弟だ従姉妹だ小姑だ…と一族郎党がいるわけで
そんなところへ外国からやてきて、誰を頼りにすればいいのか迷いますよね。
現代ならまだお母さんにご飯作ってもらってる年齢ですからねぇ。
不幸な結婚によってマルグリートは鬱症状に陥り、自分に対するゴシップは
夫ルイの仲間に流されていると思い込むようになりました。
(ちなみにそのゴシップとは、詩人を集めて不貞をはたらいているとか
子供が欲しくないのでコルセットで締め付けているとか…)
身も心もボロボロになったマルグリートは、21歳の時、出産で亡くなりました。
最後の言葉は「あぁ、人生なんて! その話しはしないで」ですって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/40/1862931b8c32bc88427ea56367e53847.jpg)
ひたすら待つ女
ルイ11世妃 シャルロット・ド・サヴォワ
1443~1483/在位 1461~1483
ルイはマルグリートの死から6年後、8歳のシャルロットと再婚します。
8歳・・・だんだん驚かなくなってきました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
で、シャルロットは15歳の時第一子を生んでますが、それも驚かなくなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f9/559c8b98b455d7a1f4e257def92201c1.jpg)
なんだか分からんが、シャルロットはいろいろな美徳を備えていたようなのです。
でもルイは彼女にかまわずほったらかし状態。
驚くべきは、1461年にルイが王に即位すると
シャルロットは即座にブルゴーニュへ追っ払われてしまったということです。
しかもなんの手当も与えず、シャルロットはブルゴーニュ公妃イザベラの助けがなければ
暮らしていけないような有様でした。
王妃が一領主の庇護を受けるなんて…
不思議なのはその後も5人ばかり子供が生まれているんですよねぇ。
気が向いたら行って…ってことですかね?
女嫌いかと思ったら愛人も何人かいるのよね。 ふざけた野郎だぜ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ルイ11世は名君の部類に入るそうで、百年戦争で荒廃したフランスを立て直したそうですし
「最もキリスト教的な王」と言われるほど敬虔に教えを守ったそうですが
偏屈で陰険だったらしいです。
人里離れた地方で寂しい人生を送っていたシャルロットは
ルイ11世の死から4ヶ月後、アンボワーズで亡くなりました。
王がやって来るのをひたすら待つだけの短い人生…羨ましくないですね。
(参考文献 柴田三千雄『フランス史10講』 Wikipedia英語版)
ルイ11世妃 マルグリート・デコッセ
1424~1445/在位せず
まだまだイングランドとは不穏なフランスは、挟み込んでしまいましょうと
スコットランドのジェイムズ1世から皇太子ルイの妃を迎えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/5c/7ec084da29d8ce14220a4088d6330a90.jpg)
12歳で嫁いできたマルグリートはとても可憐で美しく、その上優雅で
父王シャルル7世の大のお気に入りになり、臣下の評判も上々でした。
しかしまだまだ子供っぽく、恋愛などに興味津々で、ポエムなどを書く少女に過ぎず
(だって12歳だもの)自分では疎外感を感じていたようです。
そんなマルグリートとルイの夫婦仲は最悪でしたが、その大きな要因のひとつは
ルイと父王が喧嘩を始めると、しばしばマルグリートが王の味方をすること…
うーん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
ルイもマルグリートのひとつ年上の十代まっただ中、反抗期ですかね。
思えばいくら広いとはいえ、宮廷内には父母、祖父母のみならず
叔父だ叔母だ、従兄弟だ従姉妹だ小姑だ…と一族郎党がいるわけで
そんなところへ外国からやてきて、誰を頼りにすればいいのか迷いますよね。
現代ならまだお母さんにご飯作ってもらってる年齢ですからねぇ。
不幸な結婚によってマルグリートは鬱症状に陥り、自分に対するゴシップは
夫ルイの仲間に流されていると思い込むようになりました。
(ちなみにそのゴシップとは、詩人を集めて不貞をはたらいているとか
子供が欲しくないのでコルセットで締め付けているとか…)
身も心もボロボロになったマルグリートは、21歳の時、出産で亡くなりました。
最後の言葉は「あぁ、人生なんて! その話しはしないで」ですって。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/40/1862931b8c32bc88427ea56367e53847.jpg)
ひたすら待つ女
ルイ11世妃 シャルロット・ド・サヴォワ
1443~1483/在位 1461~1483
ルイはマルグリートの死から6年後、8歳のシャルロットと再婚します。
8歳・・・だんだん驚かなくなってきました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp02.gif)
で、シャルロットは15歳の時第一子を生んでますが、それも驚かなくなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/f9/559c8b98b455d7a1f4e257def92201c1.jpg)
なんだか分からんが、シャルロットはいろいろな美徳を備えていたようなのです。
でもルイは彼女にかまわずほったらかし状態。
驚くべきは、1461年にルイが王に即位すると
シャルロットは即座にブルゴーニュへ追っ払われてしまったということです。
しかもなんの手当も与えず、シャルロットはブルゴーニュ公妃イザベラの助けがなければ
暮らしていけないような有様でした。
王妃が一領主の庇護を受けるなんて…
不思議なのはその後も5人ばかり子供が生まれているんですよねぇ。
気が向いたら行って…ってことですかね?
女嫌いかと思ったら愛人も何人かいるのよね。 ふざけた野郎だぜ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ルイ11世は名君の部類に入るそうで、百年戦争で荒廃したフランスを立て直したそうですし
「最もキリスト教的な王」と言われるほど敬虔に教えを守ったそうですが
偏屈で陰険だったらしいです。
人里離れた地方で寂しい人生を送っていたシャルロットは
ルイ11世の死から4ヶ月後、アンボワーズで亡くなりました。
王がやって来るのをひたすら待つだけの短い人生…羨ましくないですね。
(参考文献 柴田三千雄『フランス史10講』 Wikipedia英語版)