まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 マーガレット

2018-06-28 19:30:50 | 王の寵姫・愛妾
悲しい恋物語のヒロインになった恋人
マーガレット・ドゥラモンド


1475〜1501/愛妾 1495〜1497

ジェイムズ4世の、数ある愛妾の中で本命と言われているのが
マーガレット・ドゥラモンドです。
すごーく遠い親戚なので書きませんが、というか辿りきれませんでしたが
デイヴィッド2世妃マーガレット・ドゥラモンドの何代か離れた姪にあたるらしい。

ジェイムズ4世とは密かに結婚し、マーガレット・チューダーとの結婚が決まると
身を引くために妹二人と服毒自殺したという… まさに悲恋物語。

水を差すようで申し訳ないのだが、事実はちょっと違うかもしれません。
でも歴史には諸説あるので、どれを信じるかはあなた次第…ってことで。

マーガレットは、初代ドゥラモンド卿の娘さんでした。
二十歳そこそこでジェイムズ4世の恋人になり、リンリスゴウ宮殿で暮らしていました。
マーガレットという娘さんも生まれています。
     
でも、どうやら真剣にお付き合いしたのは約2年ぐらいだったようで
マーガレット・チューダーとの結婚のかなり前に別れていた様子。
そうすると正確には愛妾ではなくて恋人ですね。

けれども1501年に、妹ユーフェミア、シビラとともに食事をしたすぐ後に
亡くなったのは事実です。
若くして亡くなった三姉妹は、ダンブレーン大聖堂に埋葬されました。 涙を誘いますね。

マーガレットの死後ジェイムズ4世がミサを行い、娘マーガレットの保護を続けたことで
二人の愛は続いていて、深いものだったと思われたのかもしれません。
マーガレットの死は、ジェイムズ4世とマーガレット・チューダーの結婚を推し進める
貴族たちによる毒殺と囁かれるようになりました。

物語としてはその方が面白いですよね。

わたしも何かの本で読んだことがあるのですが、中世から近代初期の食事環境は
貴族といえどもひどかったらしく、特にイングランドは遅れていたみたいです。
床がゴミだらけとか、食器使い回しとか、腐る寸前の肉生焼けとかね… すごいね!
てことは、もちろんスコットランドもひどかったわけで「食中毒でしょ」と
当時はたいした捜査もおこなわれませんでした。 親の家で食べた後だしね。
現代でも食中毒説が強いようです。

だけど食中毒ですぐ死ぬものかしら? やはり毒殺なんじゃないの?
でも何度も言うけど両親の邸宅で食べた後よ、親もからんでいるとか?

ジェイムズ4世とマーガレットの結婚が本当で、マーガレット・チューダーとの結婚がなければ
スコットランドとイングランドは連合国になっていないかもしれないわけで
かなり歴史がかわっていたかもしれません。
スコットランド独立を願う方は、おおいに肩入れしたくなる女性なのかもしれませんね。

娘のマーガレットは、最初にゴードン卿ジョンと結婚し
次にInnerpeffray領主ジョン・ドゥラモンドと再婚しました。
         
ジョン・ドゥラモンドとはどこかで繋がってると思うんだけど探せませんでした。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

スコットランドの歴史を楽しくわかりやすく!
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね





ひとことK-POPコーナー



やってきました SHINee WORLD THE BEST 2018 ~FROM NOW ON~ in TOKYO DOME のBlu-ray
ジャケットを見ただけでいろいろな場面を思い出してしまって泣いたさ…
ちゃんと落ち着いて、通して見ようと思ってまだ見れずにおります 次の休みの日に見るとしましょう


セブンネットショッピング
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『なんでもない一日』ローリー大活躍

2018-06-22 22:15:52 | アメリカの作家
THE SMOKING ROOM AND OTHER STORIES:A COLLECTION 
シャーリィ・ジャクスン

まだ長篇を読む勇気は出ないんだが『くじ』が面白かったので手を出してみました。

なんでもシャーリィ・ジャクスン没後に、息子さんと娘さんが納屋で見つけた
未発表原稿や、単行本未収載など54篇をおさめてアメリカで出版された
短篇集『Just on Ordinary Day』から、30篇を選び出したものらしいです。

未発表ということは本人が気に入っていなかったということかしら?
それとも、若くして亡くなっているので短篇集を編纂する時間がなかったのかしら?
いすれにしても『くじ』と比較しても遜色を感じませんでした。

30篇のお話しは、ものすごーくざっくり3パターンにわけることができると思います。
ちょっと背筋が寒い感じの恐ろしさを孕んだストーリー。
日常的な人々の会話や行動が、読み進むにつれてもやもやもや…としてくるストーリー。
(ブラックめな)ユーモアを描いたストーリー。

印象的だったお話しをいくつかご紹介しますね。

『悪の可能性(The Possibility of Evil)/1966年』
祖父の代から町で暮らしているストレンジワース家の、71歳になるミス・アデラは
町の人々に目を配り、人々からも一目おかれている。
その日も買物に出かけ人々と会話を交わし、帰宅するといつものように手紙を書き始めた。

ミス・アデラ… すごく立派な婦人なんですよ、見習いたいです、と言いたいところですが
善行がいきすぎて困った人になってしまってます。
こういう人はわりといそうな気がするけどね…

『レディとの旅(Journey with a Lady)/1952年』
心配性の母を振り切り、ひとりで列車に乗っておじいちゃんの家に向かう9歳のジョセフ。
せっかくの旅が、隣に座った若い女性のせいで台無し… と思っていたら
列車に警官が乗り込んで来た。

内容はありがちですぐ展開が見えてくるんですけど、面白かったなぁ。
ジョセフと女性の会話がね、 “ どっかで読んだ感 ” を補ってあまりある、って感じかしら。
そして爽快な読後感… 褒められた話しじゃないんですけれどもね。

『車のせいかも(Maybe It was the Car)』
いろいろな事が原因かもしれないが、夫の生徒が言った一言も気にかかり
車に乗ると40マイルほど走り、コロニアル風のホテルに泊まった。
翌日ホテルを出ると、町外れで売りに出されている田舎家に目をとめた。

結局奥さんは一泊して家に帰るんですけど、どうやら家族は慣れっこみたいです。
主人公は作家ということで、もしかしたら本人たちがモデルになってたりするのかな?

他にいくつか印象に残っているお話しがあるのですが、どう説明してよいのやら…
とにかく “ 延々と ” というイメージのストーリーで、例えばね
『メルヴィル夫人の買い物(Mrs.Melville Makes Purchase)』というのは
クレーマーっぽい夫人が百貨店でずーっとイライラさせられて文句タラタラ、ていうのを
『S・B・フェアチャイルドの思い出(My Recollection of S.B.Fairchild)』は
買い物した商品が不良品で、代金払わん! 代金払え!! というのを
なんのひねりもなく書き続けているんですよ、最後はオチるけどね。

つまらなそうでしょ? それが面白いんですよね。
リアルバラエティで誰かを追っかけてる感じかなぁ? 
でも映像にしたらつまらない気もしますけど… 不思議なんだけど読むと面白い。

それから最後の方は、ローリーという少年が大活躍です、あまり良くない感じで。
ローリーというのは、作者の息子さん(ローレンス)と同じ名前なのよね。
思春期の息子を抱えたママの不安と不満を見事に表しているんだろうか?

いろいろな意味で読み応えがある一冊でした。

私が勝手に描いてたシャーリー・ジャクスンのイメージをぶち壊す!
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね




ひとことテレビコーナー
『孤独のグルメ 韓国出張編』おいしそうだったですね〜 あぁぁ…行って食べたい! 小皿ワールドに埋もれたい!! 
ソン・シギョンさんの人柄の好さが炸裂! 今ちょうどKstyle LIVEで見えるラジオやってらっしゃいますね


セブンネットショッピング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 ジャネット

2018-06-20 21:34:45 | 王の寵姫・愛妾
とても長いおつきあいだった
アンガス伯アーチボルト・ダグラス夫人 ジャネット・ケネディ


1480〜1545/愛妾 1497〜

スコットランド王ジェイムズ4世は結婚前も結婚後も、たくさんの恋人がいたそうです。

イングランドのヘンリー8世は数多くの愛人を手近なところで選んでいたような印象が
ありますが、同年代のジェイムズ4世も近場で見つけていたみたいです。

まずはジャネット・ケネディです。
上のポートレートは本の表紙ですね? スコットランドでは有名なのでしょうか?

ケネディ家というのはスコットランド由来だと聞いたことがありましたが
ジャネットは名家ケネディ卿ジョンの娘さんでした。
何代か遡るとロバート3世に繋がっています。
       
母のエリザベスは、初代ハントリー伯アレグザンダー・ゴードンの娘です。

なんだかこの当時、スコットランドはこのゴードン家系と
アンガス伯とかダグラス伯のダグラス家系がワラワラいる印象を受けています。

で、ジャネットは、17歳ぐらいでアンガス伯アーチボルト・ダグラスの愛妾になります。
(13歳ぐらいで結婚した説があります。 相手はゴードン家系の方らしい)
それで宮廷でジェイムズ4世の目にとまり、愛妾になったってことなんですが…

アンガス伯の愛妾になって、けっこうすぐにジェイムズ4世にのりかえているのよね。
いくら家臣とはいえ、自分の可愛い人をもってかれちゃうというのはどうなの?
アンガス伯は数年前にジェイムズ4世に謀反をおこそうとしたことがあります。
いくら許してもらえて忠誠を誓ったからってねぇ…

ジェイムズ4世の数ある愛妾の中で。ジャネットが一番長く続いた相手で
マーガレット・チューダーとの結婚後も続いていたと言われています。
お子様も三人生まれていて、そのうちのひとりが初代マリー伯になりました。

ジャネットは、ジェイムズ4世の愛妾をしながら他にも二人の男性と付き合っていて
そのうちのひとり、初代ボスウェル卿ジョン・ラムゼイと1505年に結婚しました。
夫は1513年にフロドゥンの戦いで亡くなるのですが、ジェイムズ4世も
もう一人の恋人もフロドゥンの戦いで亡くなっています。
しかも同じ年にアーチボルト・ダグラスも亡くなりました。

後ろ盾が一気に… その後の詳しいことはわかりませんが
認知してもらった子供もいたし、まだ35歳前後だから再婚したかもね。

       
家系図が楽しかったので…
モートン伯ジェイムズ・ダグラス夫人 マリオン・ボイド


生没年不詳/愛妾 1490〜

マリオン・ボイドはなにもエピソードがないのですが、家系図が楽しかったので…
アンガス伯アーチボルト・ダグラスの二人目の奥さんの姪にあたります。

ジェイムズ4世との間には二人子供がいて、長男アレグザンダーは
セント・アンドルーズ大司教になり、フロドゥンの戦いで亡くなりました。
         

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことワールドカップコーナー
勝つとはね〜! お仕事が休みだったのでオンタイムで観てまして大興奮でしたよぉ!!
今回はフェルナンド・トーレスが出てないので日本一筋でいこうと思ってますけど
ステキな選手を見つけたらそちらも応援しちゃうかも…  ところでトーレスが鳥栖に来るって本当ですの??


セブンネットショッピング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン王フェリペ4世愛妾 マリア

2018-06-04 20:55:42 | 王の寵姫・愛妾
熱しやすく冷めやすい…にふりまわされた一生
マリア・イネス・カルデロン


1611〜1646/愛妾 1627〜1629

ボヘミア王妃編が終って、後のことをなんにも考えてませんでした… というわけで
寵姫・愛妾シリーズいってみます。

どこの国にも恋多き王様はいるものですね。
情熱的な印象を受けるスペインの王室ではフェリペ4世が有名です。

とにかく好きになったらまっしぐら、手に入るものは拒まずという感じで
情事を繰り返していたらしいのですが、一番有名なのがマリア・カルデロンです。
ラ・カルデローナという名前で女優をしていました。

なぜ彼女が有名かというと、お子様はたくさんできたんだけど、なぜか王子が生まれない
あるいは長生きしなくて後継ぎが定まらないスペイン王家に
ファン・ホセという立派な男子をもたらしたからということでしょうか?
それが後々混乱を呼ぶのですが…

スペイン語がわかればたぶん書いてあるのでしょうけど、両親のことはわかりません。
16歳の時には女優として舞台に立っていたということです。

二人の出会いには諸説ありますが、コラル・デ・ラ・クルスという劇場での
デビュー公演でフェリペが見初めたという説と、旧王宮に招いた劇団にいたマリアに
フェリペが言いよった、という説が有力みたいです。

二人はすぐに恋に落ちたということなのですが、実はマリアにはすでに夫がいまして
その上、妻を亡くしたメディナ公ラミロ・ペレス・ゴンザレスと愛し合っていました。
     
すったもんだの末、フェリペはメディナ公を追放し、マリアに女優をやめさせ
とうとうマドリード宮殿で暮らすことを承諾させました。
(メディナ公は当時のスペインの有力者の娘婿でした。
 追放にはもしかしたら政治的な理由もあったかもしれませんね)

ここからはしょうるけど…
決闘まがいの事件や恋敵の追放までして、なかば強制的にマリアを手に入れたフェリペは
1629年にマリアが男の子を生むと、宮殿から追い出すことにしました。
息子のファン・ホセは、どうやらメディナ公の子供だというウワサもたっていたようです。
マリアはいやがったようですが、結局二人の関係は終わりました。

マリアはその後も女優を続けていましたが、夫とはどうなったのか
メディナ公とはどうなったのか、詳しいことはわかりません。

1642年、マリアは修道院行きを強制されました。(本人が熱望してという説もあります)
この年になにがあったかしら?

王妃イサベル・デ・ボルボーンが亡くなるのも
マリアナ・デ・アウストリアとの再婚もまだ先だし…
息子ファン・ホセの台頭はもっともっと後だし…

いずれにしてもマリアはサン・ファン・バウティスタの修道院で尼僧になり
翌年に修道院長になりました。

たった2年のお付き合いで王と別れて13年、もうほっといてあげたらどうか?
権力者に気に入られるというのも、ただただラッキーというわけではなさそうですね。

(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』 Wikipedia英語版)

だからって浮気のことばかりではない真面目な一冊です
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね





ひとことK-POPコーナー



잘 돌아왔어요 SHINee 앞으로도 사랑해요 SHINee


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする