まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

フランス王フィリプ5世王女 ジャンヌ

2012-01-25 22:45:15 | フランス王妃・王女
父親のライバルの味方に嫁いだ王女
フィリプ5世王女 ジャンヌ3世・ド・ブルゴーニュ
ブルゴーニュ伯=ブルゴーニュ公ウード4世妃


1308~1349

とはいえ、敵方に嫁いだ王女たちは少なくないんですけどね…

フィリプ5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルゴーニュには7人のお子様が生まれましたが
成人まで成長したのは年長の3人の王女だけで、年少の4人は亡くなっています。
長男フィリプ、あるいは次男ルイが長生きしていたら
フランス王家の流れも変わっていたかもしれないですね。

ジャンヌは長女です。
10歳で23歳のブルゴーニュ公ウード4世に嫁ぎました。

        

当時ブルゴーニュ領は、フランスの王位継承を巡って二分されていました。
貴族の皆さん、それぞれにフランスの家々と姻戚を結んでいたから
有利な方に味方したでしょうね。
なんかすごく入り乱れてそう…

ウードは姪にあたるルイ10世王女ジャンヌを後押ししていました。
姉の娘ですからね… 摂政とか後見人とか、おいしい役どころがまわってきそうだもの。

ジャンヌはフィリプ5世の懐柔策で嫁がされちゃったのでしょうか?

ブルゴーニュ伯だった母ジャンヌ2世が1330年に亡くなったので
ジャンヌは3世として伯領を受け継ぎました。
ブルゴーニュ伯でブルゴーニュ公妃… ややこしいぞ…

ジャンヌは6人のお子さんを生んでいますが、5人は死産でした。
たったひとりの息子フィリプも両親に先立ち23歳で亡くなったので
ブルゴーニュ公領も伯領も孫のフィリプに渡りました。

息子のフィリプの未亡人ジャンヌ・ドーベルニュ
ヴァロワ家二代目のフランス王ジャン2世と再婚します。

孫のフィリプ1世も15歳で、嫡子無しで亡くなっちゃったもんで
ブルゴーニュ公の公領は、ジャン2世を経て王子フィリプに渡ります。
フィリプ2世ル・アルディ(豪胆公)として有名ですね。
これがヴァロワ=ブルゴーニュ家です。

ちなみにフィリプ2世のお母様はジャンヌ・ドーヴェルニュではなくて
先妃ジャンヌ・ド・ブルゴーニュです。

ジャンヌとフィリプがたくさんでてきてこんがらがりますね。
同じ名前が多すぎるよ~  解りづらかったらごめんなさい…

(参考文献 堀越孝一氏『ブルゴーニュ家』 Wikipedia英語版)
コメント (2)
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『小説のように』小説で良かった…というお話しの数々

2012-01-23 02:02:39 | カナダの作家
TOO MUCH HAPPINESS 
2009年 アリス・マンロー

『イラクサ』『林檎の樹の下で』に続くアリス・マンローの短篇集です。

前の2冊同様、なんとなく作者の過去とリンクしているような気がしないでもないですが
わざわざ『小説のように』と題しているだけあって、少し物語性が強い気はします。
あえていうなら陰鬱感とミステリアス感が微増してました。
まぁどっちでもいいですけどね… 読んでて楽しかったんですもの。

10篇の中から印象的だったお話しをあげてみます。

『小説のように(Fiction)』
ジョイスは、夫のジョンを大工見習いに来ていた子持ちのエディーにとられました。
数十年後、ジョイスと夫マットのホームパーティーに作家デビューしたという女性が来ます。
何気なく彼女の本を買ったジョイスは、彼女がエディーの娘だということに気づきました。

本題とあんまり関係ないけど、ジョイスもジョンもエディーもマットも
結婚・離婚の紆余曲折がすごくてビックリするわ。
とにかく、ジョンと別れた時のショックから立ち直れたジョイスに拍手。
できたら忘れた過去とは対面したくはないですね。

『遊離基(Free Radicals)』
夫のリッチが亡くなりニータ独りになった家に、ヒューズ点検の男がやってきます。
しかし家に入れると男が豹変し、朝食やワインを出せと言います。
食べ終わってお茶を飲むと、男は自分が犯して来た殺人の話を始めました。
そこでニータも自分の話を披露することにします。

何気なくドアを開けたことから味わう恐怖…怖いですね。
ニータの話は機転なんだろうか? それとも封印された事実なんだろうか?
読後ヒヤッとする話です。
なんとなく『リスタデール卿の謎』の中の『ナイチンゲール荘』を思い出してしまいました。

『女たち(Some Womans)』
13歳の夏休みに末期の患者の世話をする仕事をしました。
患者の妻の留守中、患者の母親のマッサージ師である女性が仲間入りするようになりました。
妻が仕事を辞める日、患者からあることを言いつけられ部屋の鍵を渡されました。

細かいことは書かないでおきますけど “ あること ” っていうのがね…
13歳の女の子には酷だと思ったしだいです。
きっと戸惑うでしょうし、逆に察しがいいのも困ったものですし…
大人の事情に子供を巻き込むなって言いたいわ。

小説ですから当然のことなんですけど、この短篇集の登場人物たちも
それぞれに事を起こしたり何ごとかに巻き込まれたりしています。
ただ、これといった動機や目的のようなものがはっきりしないまま物語が進んで
そのまま終了します。

でも日常で起きることなんて、けっこうそんなものよね?
他人はおろか、「なぜこんなことをしてしまったんでしょう?」と
自分でも訳がわからないまま行動してしまう時があります。

上手く言えないけど「私はどうして?」と思いつつ衝動に駆られる…みたいなところを
女性特有の洞察力と冷徹さで、絶妙に書き表しているような感じの一冊でした。

アリス・マンローは “ チェーホフの後継者 ” と言われているらしいです。
私には、ふたりの作品のどこらへんに共通点があるのか見出せていません。
もっと物語の本質的な部分が読めるようにならねば… なんちゃって
実はどうでもいいんですけどね 二人とも好きな作家なので…

普通に暮らしていればいるほど共感できると思います
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね


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『女生徒 他八篇』題名買いして良かったです

2012-01-22 22:03:53 | フランスの作家
L'ECOLIERE 
1905年 レオン・フラピエ

この作家は知らなかったのですが、太宰治の短篇集と同じ題名だったってことだけで
古本市で購入しました。

珍しく解説が無い本で、作家の背景はわかりませんけど
モーパッサンを読んで育ったでしょ? って感じでしょうか?
素朴な話のなかに笑いあり涙あり美しさあり… ちょっとしたドラマが潜んでします。
好きなラインですね~

9篇の物語は、どれもが短いながらも程よく印象に残る話だったのですが
中でも特に気になったものをあげてみます。

『嫁選び』
遺産を受け継いだゴントランは結婚しようと考えます。
娘持ちのシャルルヴァン氏の邸宅に滞在し、美しい妹娘ジェルメーヌとの結婚を決めました。
しかし、次第に心優しい姉娘ルイーズに惹かれていきます。

心美しい姉(妹)と容姿端麗な妹(姉)との間で揺れ動いちゃう男性の話って
昔からけっこうあります(たいがいは心美しい方が身を引くんですよね)
そうじゃないと韓流的ドロドロになってしまふ… キライじゃないけど…
この物語も最初はそんな感じで展開するんですが、ラストで急展開! この後が知りたい!!

『女房』
中年のデュプールは役所で、女房の尻に敷かれていると有名で“坊や”と呼ばれていました。
同僚たちはそんなデュプールにハメを外させようと画策します。
まんまと酔ったデュプールを送っていったルフローは、意外な事実を知って心打たれました。

どんな奥さまが待っていたと思いますぅ?
ルフローならずとも、こんな女性が相手では言うことを聞かざるを得まいと納得です。
デュプール一家にさらなる幸あれ… なんて思えたラストでした。

『最後の光』
老いた夫婦がいます。
お爺さんはボケてしまい、お情けで工場で仕事をさせてもらっています。
夫婦の部屋からは次々と家財道具が持ち出されていきます。
とうとう夫婦の宝物だった鏡まで持ち出されることになり、お婆さんは涙に暮れます。

人生を終えようとする時に貧しさに喘いでいるという悲劇に加えて
お婆さんは長年連れ添ったお爺さんの悲しい現実を目の当りにしてしまうのね…
若い方にはわからないでしょうが、この年になるとけっこう身につまされる話なのです。
貯蓄・利回り・資産運用… なんて言葉がつい頭をよぎるわ… 元手が無いけど…

もちろん物語なので、素朴なばっかりでなく脚色や演出がされているのですけれど
良いさじ加減で容易く感情移入できます。
時代は違うけど、今でも充分共感できるお話しです。

大作は読んでいてとっても楽しいんだけど、やはり時代とか背景が大仰だから
「わかる、わかる!」とはいかないじゃないですか?

小品の楽しみとはこういうところにあるのかな? と再確認できる一冊でした。

とりあえず、太宰治の『女生徒』とはまったく違う話でした、とおことわりしておきます。
(当たり前です )
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フランス王ルイ10世王女 ジャンヌ

2012-01-13 02:43:17 | フランス王妃・王女
サリカ法でフランス女王にはなれず
ルイ10世王女 ジャンヌ・ド・ナヴァラ
ナヴァラ女王ファナ2世=ナヴァラ王フェリペ3世妃


1312~1349/在位 1328~1349

フィリプ3世を継いだフィリプ4世とジャンヌ・ド・ナヴァラには
7人のお子様が生まれていまして、王子たちは4人中3人までが王に即位しています。
皆さん短い間でしたけど…
四男ロベールも10歳そこそこで亡くならなければ、たぶん王になってたんじゃないかしら?

王女は3人で、長女マルグリートと次女ブランシュは幼くして亡くなっています。
三女は“ フランスの女豹 ” と呼ばれたイングランド王エドワード2世妃イザベルです。

さて、フィリプ4世の長男のルイ10世は2回結婚して、一男一女がおりました。

ジャンヌのお母様は、ルイ10世の最初の妃で、悲劇の王妃として語り継がれる
マルグリート・ド・ブルゴーニュです。
0歳で王になってすぐに亡くなったジャン1世のお母様は
二人目の王妃クレマンス・ダンジューです。
          
ルイ10世も、その後を継いだ弟のジャン1世も亡くなってしまうと
フランス王位はルイ10世の弟フィリプ5世が継承することになりました。

当時フランスはナヴァール(スペインの一部)の国王も兼ねてましておりました。

フランスには “ サリカ法 ” というものがあって女性は国王になれなかったのね。
でもナヴァールは女王OK!というわけで、ジャンヌには立派に継承権がありました。
が、この王位をフィリプ5世は阻止してます。

まずは「ジャンヌは若すぎる!」と訴えてみました。
ジャンヌはこの時4歳、確かに若いっすね… でもその前の王は0歳で即位してるんだしね…

次にサリカ法を持ち出してみたものの、ジャンヌの祖母にあたるジャンヌ・ド・ナヴァラは
問題なく女王に即位できたのですから、説得力はないですね。

しかしフィリプ5世は、なぜか最大の武器とも言える
「ジャンヌはマルグリートと浮気相手の庶子だ!」という発言は控えています。
なぜかっていうと、ブルゴーニュ公家を敵にまわしたくなかったからです。

ブルゴーニュ公ウード4世はマルグリートの弟で
いつまでも姉のスキャンダルが囁かれることに不快感を示していました。

結局、フィリプ5世&シャルル4世が嫡子無しで亡くなり
ヴァロア家のフィリプ6世が即位すると
「ナヴァール王家と関係ないじゃんか」ということになり、同君連合はなくなりました。

ジャンヌは16歳の時に、夫のフィリップ(フェリペ3世)とともに即位しました。
          
フェリペは何にあたるの? 叔父さんかしら? いとこかしら?
とにかく親戚ですね 6歳ぐらいで結婚していたようです。

フェリペ3世が亡くなるまでは二人で統治し、その後も亡くなるまで君臨しました。
夫婦仲のエピソードとかはないんですけど、7人のお子さんが生まれています。

次女ブランカはヴァロア家初の王フィリプ6世の二人目の妃になっています。
フィリプ6世はすっごい年上なの…
なんたって、兄カルロス2世の妃ジャンヌはフィリプ6世の孫にあたるんですもの…
          
ジャンヌはフランスの君主の座を逃しましたが
カペー家の血はフランス王家に連綿と続き、後のアンリ4世を誕生させています。

家系図を三つのせてみましたが、まさに政略結婚!! って感じですね!
スペースがないので割愛してますが、ブルゴーニュ公家をはじめとする
錚々たる家々が入り乱れてます。
歴史的には面倒くさいけど、家系図的には楽しい時代なんですよね~

(参考文献 Wikipedia英語版)
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フランス王フィリプ3世王女 ブランシュ

2012-01-06 21:43:14 | フランス王妃・王女
美しすぎて英仏が戦争になっちゃった
フィリプ3世王女 ブランシュ・ド・フランス
ボヘミア王ルドルフ1世妃


1278~1305/在位せず

去年の12月後半、パソコンの調子が悪くなったんですけど
バタバタしてて後回しにしてまして、やっと復活しました。

そんなわけで久々のアップです。
今年もよろしくお願いします。

今年が皆様にとりまして良い年となりますように。
遅ればせながら、新年のご挨拶とさせていただきます。

フィリプ3世と最初の妃イザベル・ダラゴンには王子ばかり4人が生まれました。
ブランシュと後のイングランド王妃マルグリート
二人目の妃マリー・ド・ブラバンの王女です。

     

ブランシュは4回婚約をしています。

まずは8歳の時に19歳のナミュール候子ジャン(1世)と婚約しました。
で、この婚約を破棄した気配は無いままに、翌年イングランド王太子エドワード(2世)と
婚約しました。

1287年に王妃エリナー・オブ・カステイルを亡くしたエドワード1世は
ブランシュの美しさを耳にすると「自分の奥さんにしちゃおうっと !」と考え
王子の婚約を取り消すと、ブランシュの義兄フィリプ4世に密使を送りました。

フィリプ4世もどうかと思うが… これを承諾。
もちろんイングランド VS フランスの停戦とガスコーニュの引き渡しという条件を
出してますけどね。

エドワード1世は喜び勇んで条件を受け入れると使者ランカスター伯をフランスに送ります。
これも婚約にカウントね。
ところが、ブランシュがすでにジャンと婚約していたことが発覚しました。
エドワード1世、怒るわね…
フィリプ4世はすぐに「妹のマルグリートはどうかしら?」と薦めてみましたが
エドワード1世は戦争を選びました。
結局5年後にマルグリートが嫁ぐことになりますが…

ブランシュとジャンの婚約も流れまして、14歳の時に4度目の婚約をすることになりました。
お相手はホラント伯子ヨハンでした。

で、最終的にハプスブルク家のルドルフと結婚しました。

27歳の時に男の子を死産して、その合併症で亡くなったと言われています。
ルドルフはその後ボヘミア王になりましたが、1年で亡くなっています。

その美しさが原因で戦いがおこるなんて、中世における “ トロイのヘレン ” みたい。
婚約以外にエピソードが無いのが寂しいですね。

それよりさぁ、エドワード1世…賢王のイメージ満載だったのに…
エリナー・オブ・カステイルの時は愛妻家としか思えなかったし
マルグリートの時には年の差婚を乗り越えた素敵な夫婦としてブログを書いたんですけど
こんな一面が隠されていたとは… ちょっとガッカリさ

(参考文献 Wikipedia英語版)
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