熾烈な争いに勝ったり負けたり
エタンプ公爵夫人 アンヌ・ド・ピスルー・デイリー
1508~1580?/愛妾 1526~1547
アンヌはプロヴァンスの貴族の娘で、1522年頃王太后ルイーズ・ド・サヴォワの
侍女として出仕しました。
14歳から働くの? 貴族なのに? でもレディの教育もしてもらえるし
いい結婚相手も見つけられそうなのでよいお仕事ですよね。
フランソワ1世は囚われていたスペインから帰国するとアンヌに心奪われて
8年来の愛妾フランソワーズ・ド・フォワ をお役御免にしました。
でもフランソワーズも2年ぐらい頑張って居座ったんですけどね。
アンヌは快活でお茶目で可愛らしく学識もありました。
“ 美しい人の中で一番賢く、賢い人の中では一番美しい ” などと言われていました。
アンヌはフランソワ1世が崩御するまで愛を受け続けていました。
でも茶目っ気も高慢になってくると意地悪になるからね。
フランソワ1世が再婚して新しい王妃アリエノールがパリにやってくると
すでに周知の愛妾だったアンヌは王の隣で迎えたらしい … ちょっと悪趣味よね。
1533年、フランソワ1世はアンヌをパンティエーブル伯ジャン4世と結婚させました。
これは完全に偽装のためなので、もちろんご褒美があります。
ジャンはエタンプ公爵に叙位されました。
アンヌは王の晩年影響力を発揮し始めます。
今のうちに家族をいい身分にしちゃおうと、叔父アントワーヌをオルレアン司教、枢機卿と
出世させ、3人の兄弟も司教に、2人の姉妹を女子修道院長にし、妹を良縁に嫁がせました。
またライバルの王太子愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエに対抗して
自分が押すフィリップ・ド・シャボーを提督につけました。
フランソワ1世の死後のことも考えて王の姉マルグリット・ダングレームを
抱え込もうなどと画策したものの、1547年にフランソワ1世が崩御し
アンリ2世が即位すると、ディアーヌの反撃開始です。
アンヌはありとあらゆる屈辱を受け宮廷を追われます。
夫のジャンも宮廷から長官になっていたブルターニュへ帰されました。
1559年にアンリ2世が亡くなると、夫の方はまた宮廷で力を取り戻しましたが
翌年に亡くなりました。
アンヌがどうしていたかははっきりしません。
亡くなったのも多分アンリ3世の治世の頃で1580年ぐらいらしいです。
厳しい世界ですよね、後ろ楯が無くなると転がり落ちてしまうなんて。
ディアーヌだって結局カトリーヌ・ド・メディシスに追い出されるわけだし。
いつまでも栄華を保ちたかったら、長生きしそうな相手を選ぶか
思いっきり年下をゲットするしかありませんな。
(参考文献 Wikipedia英語版)
エタンプ公爵夫人 アンヌ・ド・ピスルー・デイリー
1508~1580?/愛妾 1526~1547
アンヌはプロヴァンスの貴族の娘で、1522年頃王太后ルイーズ・ド・サヴォワの
侍女として出仕しました。
14歳から働くの? 貴族なのに? でもレディの教育もしてもらえるし
いい結婚相手も見つけられそうなのでよいお仕事ですよね。
フランソワ1世は囚われていたスペインから帰国するとアンヌに心奪われて
8年来の愛妾フランソワーズ・ド・フォワ をお役御免にしました。
でもフランソワーズも2年ぐらい頑張って居座ったんですけどね。
アンヌは快活でお茶目で可愛らしく学識もありました。
“ 美しい人の中で一番賢く、賢い人の中では一番美しい ” などと言われていました。
アンヌはフランソワ1世が崩御するまで愛を受け続けていました。
でも茶目っ気も高慢になってくると意地悪になるからね。
フランソワ1世が再婚して新しい王妃アリエノールがパリにやってくると
すでに周知の愛妾だったアンヌは王の隣で迎えたらしい … ちょっと悪趣味よね。
1533年、フランソワ1世はアンヌをパンティエーブル伯ジャン4世と結婚させました。
これは完全に偽装のためなので、もちろんご褒美があります。
ジャンはエタンプ公爵に叙位されました。
アンヌは王の晩年影響力を発揮し始めます。
今のうちに家族をいい身分にしちゃおうと、叔父アントワーヌをオルレアン司教、枢機卿と
出世させ、3人の兄弟も司教に、2人の姉妹を女子修道院長にし、妹を良縁に嫁がせました。
またライバルの王太子愛妾ディアーヌ・ド・ポワティエに対抗して
自分が押すフィリップ・ド・シャボーを提督につけました。
フランソワ1世の死後のことも考えて王の姉マルグリット・ダングレームを
抱え込もうなどと画策したものの、1547年にフランソワ1世が崩御し
アンリ2世が即位すると、ディアーヌの反撃開始です。
アンヌはありとあらゆる屈辱を受け宮廷を追われます。
夫のジャンも宮廷から長官になっていたブルターニュへ帰されました。
1559年にアンリ2世が亡くなると、夫の方はまた宮廷で力を取り戻しましたが
翌年に亡くなりました。
アンヌがどうしていたかははっきりしません。
亡くなったのも多分アンリ3世の治世の頃で1580年ぐらいらしいです。
厳しい世界ですよね、後ろ楯が無くなると転がり落ちてしまうなんて。
ディアーヌだって結局カトリーヌ・ド・メディシスに追い出されるわけだし。
いつまでも栄華を保ちたかったら、長生きしそうな相手を選ぶか
思いっきり年下をゲットするしかありませんな。
(参考文献 Wikipedia英語版)