豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

メグレは二つに見える

2016年01月04日 | 映画

 今年の初DVD(DVDはじめ)は、フランスのテレビ映画のメグレ警視シリーズから“メグレは二つに見える”を。
 1999年制作とケースに書いてある。

 最近はBSのミステリー・チャンネル(? 560ch)でも放映されないし、近所のツタヤにも置いてないので、AMAZONで新古品(?)を購入してみた。

         

 マイナーな作品で、題名を聞いた記憶も、見た記憶もまったくない。
 選んだ理由は、単に値段が安かったから。980円だった。
 期待もしていなかったが、中身は悪くなかった。いかにもメグレものらしいストーリーだった。
 パリとその郊外が舞台になっているのもいい。

 ただし、邦題は疑問。
 「メグレは二つに見える」では、メグレが二重人格者か、二面性を持った人間である、というニュアンスだが、実際は、メグレが被害者の二重性を見抜くという話である。
 せめて“メグレには二つが見える”、もっと内容に即していえば“メグレと二重生活者”とでも名付けたいところだが、ネタ割れしそうなので、こんな邦題になったのだろう。

 被害者の二面性が解決のカギになる話は、エド・マクベイン「87分署シリーズ」の“被害者の顔”が同趣向だった。
 どちらが先の作品かわからないが、マクベインのほうの被害者は5重性くらい持った女性だったと記憶する。

 おまけに、“メグレには二つに見える”の途中で登場する1930年代(?)のシトロエンをアップしておく。

         
 

 2016/1/4 記

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“ドクトル・ジバゴ” オマー・シャリフ追悼

2015年10月03日 | 映画

 旧聞ながら・・・。

 夏の軽井沢では、テレビなしの生活を送っているため、時折、映像が懐かしくなって、DVDを見ることがある。
 ある夏は、ミスター・ビーン(豆豆先生!)をせっせと見たし、ある夏は小津安二郎をせっせと見た。

 この夏は原稿を抱えていたので、あまりDVDは持参しなかったが、夏前にオマー・シャリフの死亡の報に接したので、デビッド・リーン監督“ドクトル・ジバゴ”を持って行って、見た。

 勉強の後で、風呂が沸くまでの時間に見たので、8月19日夜に60分、20日夜にDisk1の最後まで、そして21日夜にDisk2の最後まで見た。

 
 この映画を最初に見たのは1970年代だと思うが、30年以上たって久しぶりに見ると、覚えているシーンはごく僅かで、はじめて見るに近かった。

 とくに、オマー・シャリフが凍てついた窓越しにララを見送ったところで、エンディングかと思っていたが、なんとその後に、ジバゴがモスクワかどこかの街角で路面電車の窓からララと思しき女性を見つけるシーンや、ジバゴの兄が、ジバゴの忘れ形見と思われる娘を呼びつけるシーンまであった。
 まったく記憶になかった。ぼくにとっては不要のシーンだった。

 2、3年前に近所のホームセンターで、キーラ・ナイトレイがララを演じる“ドクトル・ジバゴ”(2003年、イギリス)を500円で買って、見た。
 デビッド・リーンのものと誤解して買ったのだが、悪くはなかった。こちらの方が原作に忠実そうだった。
 ぼくはパステルナークの原作(ぼくの学生時代には原子林二郎訳のペーパーバックだけだったが、今では何種類か翻訳があるらしい)を読んでいないので、本当はどちらがより原作に忠実かどうかわからないのだが、デビッド・リーンのほうがいかにも「作ってる」感じがした。

 ただし、飽きさせないという点ではデビッド・リーンがいい。
 ロッド・スタイガーが演じる悪徳弁護士コマロフスキーなどはなかなかいい。


 Disk2についているメイキング・ビデオも面白い。YouTubeにも“ドクトル・ジバゴ”の舞台裏をオマー・シャリフらが語っているのを見つけた。これも面白い。

 製作者のカルロ・ポンティは女房のソフィア・ローレンにララ役をやらせたかったのだが、デビッド・リーンは、「ララは映画の冒頭では絶対に“処女”に見えなければならない、お前の女房が処女に見えるか」と言って断ったという。
 笑ってしまった。どう考えても、ジュリー・クリスティーだろう。
 でも確かに“ひまわり”のようなシーンは時折見られた。

 最後に、オマー・シャリフという役者を、ぼくは死亡記事を見るまで、ロシア人と思っていたが、なんと彼はエジプト人だった。
 しかも、エジプトで俳優をやっているときにデビッド・リーンに見い出されて、この映画に抜擢されたという。
 “ドクトル・ジバゴ”で色がつきすぎて、その後はいい役に恵まれなかったが、この1作だけでも十分だろう。
 少なくともぼくには、オマー・シャリフはあの窓越しにララを見送るジバゴが永遠である。


 2015/10/3 記

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アパートの鍵貸します

2014年12月30日 | 映画

 一昨日だったかの夜、BSで高倉健主演の“あなたへ”をやっていた。
 高倉健の追悼なのだろうが、残念ながら映画の出来はよくなかった。

 富山刑務所の刑務官が、亡くなった妻の遺骨を故郷の平戸に散骨に行くまでの物語。
 高倉健にひとり旅をさせればよいものを、ビートたけしが出てきたり、草薙剛が出てきたり、佐藤浩一が出てきたり、・・・と煩わしい限りである。
 いくら興行収益を考えなくてはならないとしても、このドラマの脇役なら他にいくらでもいただろう。途中はまるで“寅さん”シリーズを見ている錯覚すら覚えた。

 平戸の坂道の途中にある古びた写真館のショーウィンドウの中に、亡き妻の少女時代の写真が飾ってあって、高倉がガラスをこつんと叩いて別れを告げて、それでエンドマークかと思ったら、まだ続くのである。
 映画は終わるべきところでさっと終わらなければならない。小津安二郎の言う「砂を噛まされた思い」である。

 こんな映画が2014年に見た最後の映画では後味が悪いと思って、チャンネルを回したら、BS452チャンネルかどこかで、“アパートの鍵貸します”をやっていた。

            

 
 ビリー・ワイルダー監督の1960年の作品である。モノクロだった。

 実は、同監督の“お熱いのがお好き”を以前に見たが、好きになれなかった。題名からして、“アパートの鍵貸します”も同工異曲だろうと思って、きょうまで見ないでいたのだが、期待もしないで見たら、これが良かった。

 ストーリーは何ということはないニュー・ヨークを舞台にした、サラリーマン(ジャック・レモン)が主人公のラブコメディーである。相手役のエレベーター・ガール(!)がシャーリー・マクレーンというのもいい。もちろんマリリン・モンローに演じられる役どころではない。
 美人でもない彼女が、最後には可愛らしく見えてくる。

 場面はほとんどアパートの一室と高層ビルのオフィスだけ。たいしたドラマも起きることなく、気のきいたセリフと、彼、彼女らの演技だけでストーリーは進んでいく。
 ジャック・レモンの恋敵は、あの“パパ大好き”のお父さん、フレッド・マクマレイではないか。

 同年のアカデミー賞を4部門(監督賞、作品賞など)で獲得した作品だと後で知った。それだけのことはある。
 早速アマゾンでDVDを注文した。アマゾンは正月(3が日)でも届くのだろうか。

 人が何と言おうと、ぼくはこういう映画が好きである。1年の最後に、偶然いい映画を見た。

 2014/12/30 記

* 最初の写真はブルーレイ版の、後者はDVD版のジャケット。いずれもamazonのページから借用しました。


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映画 “小さいおうち”

2014年02月20日 | 映画

 久しぶりに近所の映画館(最近では「シネコン」というらしい。“ニューシネマ・パラダイス”の「映画館」とは似ても似つかない雑居ビルの一室である)で、山田洋次監督の“小さいおうち”を見てきた。
 60歳以上の老人割引で1000円。観客の9割以上が、ぼくと同じ老人割引の恩恵を受けた者だった。まるで老人会の映画観賞会のような雰囲気。
 自分も周りのくすんだ空気になじんでいるのだろうと思うと、気持ちが落ち込む。

 映画自体は、まずまずの作品。

 小津安二郎へのオマージュが随所に見られた。

 冒頭の<松竹映画>というキャプションは当然として、火葬場の煙突から煙が上るシーンは、“小早川家の秋”だろう。
 主人公の女中が奉公する家(「小さいおうち」)のテーブルの上、画面の真ん中には真っ赤な琺瑯のやかんが置いてあった。これは“彼岸花”か何か、初期のカラー作品で小津が好んだ小道具である。
 同じく「小さいおうち」の垣根の脇には、昭和の東京ならどこにでもあった木製のゴミ箱が置いてある。これも様々な小津映画に出てきたものである。

 取り込んだ洗濯物にアイロンをかけるシーンも、“風の中の雌鶏”から“秋刀魚の味”まで、小津の定番である。
 できることなら、小津映画のカーテンショットの定番である物干し竿に下がった洗濯物が揺れるシーンがあればなお良かった。(あったかも・・・?)

 そもそも「女中」が主人公ということ自体、小津映画を思わせる。

 小津は「女中」を主人公にした映画は作らなかったはずだが、小津の映画にはしばしば「女中」さんが登場した。
 戦前、敗戦直後までは住み込みの女中さんが登場し(“戸田家の兄妹”や“お茶漬けの味”など)、戦後しばらくになると通いのお手伝いさんになる(“晩春”や“秋刀魚の味”)。
 “秋刀魚の味”では、男やもめの笠智衆の家には通いのお手伝いさんがいるらしいが、妻帯者の中村伸郎の家にはお手伝いさんはいなさそうだった。
 戦後日本の実社会で、女中さんとかお手伝いさんといった存在が消滅したことを反映している。

 ぼくは、“父ありき”や“戸田家の兄妹”に出ていた女中役の文谷千代子が好きだった。
 黒木華も悪くはなかったが、昭和の「女中」役としては、やはり同時代を生きた文谷千代子たちの方ができがよい。
 女中の言葉(女中言葉?)も文谷たち(ということは脚本を書いた小津たち)のほうがそれらしかった。

 黒木華はベルリン映画祭で「主演」女優賞を受賞したというが、“小さいおうち”の脚本は「小さいおうち」の女主人である松たか子の不倫が主題になっていて、女中さんの日常生活はそれほど描かれていない。
 その松たか子の不倫なのだが、どうして彼女が夫の部下の吉岡秀隆に一目惚れをし、恋をしてしまうのかが、まったく説得的に描かれていなかった。軟弱な現代風言葉づかいで喋り、時おり髪を掻きあげる吉岡のどこに魅力を感じたというのだろう。

 そのため、松と吉岡との密会に心を痛める女中にも感情を移入できなかった。

 狂言回し役の妻夫木聡も必要だったのか。バイク事故で足を骨折したりして、だから何なのだ!と言いたくなった。倍賞千恵子のナレーションで足りたのではないか。
 倍賞のメイクが若すぎるのも気になった。北林谷栄くらいにしないと、かつてお仕えした「坊ちゃん」だったはずの米倉斉加年のあの老け方とバランスがとれない。

 ラストの15分はもっと短くてよかったのではないか。
 板倉正治の描いた赤い屋根の「小さいおうち」の絵が倍賞の遺品の中から出てくるくらいで十分で、板倉の戦後のエピソードなど必要なかった。
 そう言えば、倍賞の亡くなった部屋の壁には「小さいおうち」の絵(?)が掛けてあったが、あれは一体何だったのか。

 
 最近の日本映画の中では悪くはなかったけれど、「小津の時代は遠くに行ってしまったな」との思いを深くさせる映画であった。

 なんでこんなに“小さいおうち”を小津と比べてしまうのか、自分でも分からなかったが、ふと気づいた。
 小津の映画にも、時おり「不貞」が垣間見られたのだ。“風の中の雌鶏”の田中絹代や、“東京暮色”の山田五十鈴など。
 小津は、兵隊時代も、慰安婦のいるようなところには決して近づかなかったと、浜野保樹「小津安二郎」に書いてあったが、それほど潔癖だった小津だけに、なにゆえ「不貞」にこだわりを持っていたのか興味がわくところである。
 ひょっとしたら「小さいおうち」の華さんのような事情があったのだろうか。

 ただし、松たか子に田中絹代や山田五十鈴の抜きさしならぬ演技はなかった。松たか子には「ヤマザキ春のパン祭り」の笑顔の方が似合っている。

 2014/2/20 記

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“男はつらいよ 望郷篇”、“柴又慕情”、“葛飾立志編”

2012年07月05日 | 映画

 うえの写真は、“望郷篇”のラストシーン。
 「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら身体に悪いじゃないか」という寅さんの台詞が登場する場面である。

 『男はつらいよ寅さんDVDマガジン』鑑賞のつづき。

 観た順番は忘れてしまったけれど、公開年の順で行くと、まずは“男はつらいよ望郷篇”(1970年、第5作)。

        

 マドンナは長山藍子。役名は「節子」で、これが小津安二郎“東京物語”の原節子だと島田裕巳『映画は父を殺すためにある』(ちくま文庫)はいうが、そうとは思えない。
 あえて小津映画で言えば、“彼岸花”の有馬稲子だろうか。
 いずれにしろ、長山藍子は好きな女優だった。この映画の頃よりもう少し歳がいってからのほうが良かったけれど。

        

 舞台は浦安で、節子の前に井川比佐志が現れ、そして長山藍子が愁いをおびた表情になったときには、山本周五郎の「青べか物語」のような展開にでもなるのかと思ったが、そのようなことにはならなかった。
 “寅さん”なら当然の展開か。
 
 惚れた節子に振られ、結局は堅気になれず再び旅に出た寅さんは、旅先で舎弟の登に再会する。
 「額に汗して、油まみれになって働かなくちゃいけない」と言って、舎弟の登を田舎に追い返した寅さんだったが、結局二人とも元通りのままである。
 「ちっとも変ってないじゃないか」と詰る登に、寅さんは「徐々に変わるんだよ。いっぺんに変わったら身体に悪いじゃないか」と答える。

 このセリフはいい。今までの“寅さん”シリーズの中で一番いい。
 1970年には寅さんなんかにまったく興味のなかったぼくも、いつのまにか、そして徐々に変わったのだろう。だからこうして1か月たらずの間に10本近くも“寅さん”シリーズを観たのだ。
  
 島田裕巳は、「変わらない」寅さん、通過儀礼に失敗し続け、成長しない寅さんの映画がなぜ日本人にこれほど人気があるのかを考える(203頁)。
 そして、江藤淳の≪寅さん=坊ちゃん説≫なるものを紹介している。
 ぼくには寅さんと坊ちゃんは、山の手と下町という点だけでも決定的に違うような気がするのだが。


 次は“柴又慕情”(1972年、第9作)。

        

 マドンナは、吉永小百合で、舞台は金沢、ぼくの母方の祖父の故郷である。
 祖父は曽祖父の仕事の関係で、台湾の台北市で生まれたが、本籍は石川県金沢市穴水町にあった。
 金沢の東馬場小学校、満州の大連、撫順、遼陽小学校と転々とし、金沢に戻って長町小学校を卒業している。
 裕福とはいえない家庭で育ったため、加賀百万石、金持ち商人の保守的、封建的な町である金沢には複雑な思いを抱いていたと聞かされた。

        

 一昨年の秋、金沢での学会の帰りに、長町小学校にもほど近い武家屋敷街を歩いたが、その街並みは今でも住む人たちの経済的な豊かさを感じさせた。
 その武家屋敷街を歩く吉永小百合は、1972年当時は、まだ“キューポラのある町”の吉永小百合である(左端)。

        


 最後が、“葛飾立志編”(1975年、第16作)。

         

 マドンナは樫山文枝だが、寅さんの「落とし胤」(?と間違われた)山形から来た田舎娘の役で、わが桜田淳子が出てくる。
 まだ15、6歳だろうか。初々しい姿である。

        

 いつの間にか、そして徐々に映画の好みも変わったので、今このようにして“寅さん”シリーズをせっせと観ている。
 ただし、スクリーンの中で(当然ながら昔のまま)変わらずにほほ笑んでいる大原麗子や桜田淳子や吉永小百合や長山藍子をみて懐かしむというのはどういう心境なのだろうか。

 2012/7/2 記

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“男はつらいよ”、“続・男はつらいよ”

2012年06月24日 | 映画

 まさか、いまだに書店で売られているとは知らずに、AMAZONの古本で買ってしまった『男はつらいよ寅さんDVDマガジン』の第1号(第1作“男はつらいよ”)と、第11号(第2作“続・男はつらいよ”)。
 第1号に至っては書店では今でも創刊号特別価格の790円で売られていた(第2号以降は1590円)。

             

 以前にも、『鉄腕投手 稲尾和久物語』だったかを、AMAZONで定価以上で買った後で、発行元の西日本新聞社のHPを調べたら、まだ定価で販売していたことがあった。
 でもまあ、今さら仕方がない。

             
 
 第1作“男はつらいよ”を観た。1969年、ぼくが大学に入った年の公開である。まったく別の世界にいたので、記憶は一切ない。
 これを観て、従来からの「謎」が一つ解決した。
 寅さんのテーマソングの歌詞に「おれがいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ 分かっているんだ 妹よ ~」というのがあるが、妹のさくら(正式には漢字で「櫻」らしい)は結婚して、博という旦那がいる。
 何でだろうと思っていたのだが、第1作では、まださくらは結婚していなかったのだ。

        

 その、さくらと博の結婚披露宴で、長年音信のなかった博の父・志村喬が挨拶するシーンが、この映画の中で一番よかった。 
 島田裕巳ならば結婚式も「通過儀礼」の一つと言うかもしれないが、そうではなく、小津や木下や黒澤らの映画を彷彿させる意味で、志村喬がよかった。
 そもそも島田は「父殺し」を通過儀礼と考えているようだが、父との「和解」も「父殺し」なのだろうか。

        

 さらに言えば、その結婚披露宴に先立って両家の関係者が記念写真を取るシーンも、記念写真のシーンを好んだ小津の映画を思わせる。

 2012/6/24

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“男はつらいよ 寅次郎真実一路”

2012年06月23日 | 映画

 島田裕巳『映画は父を殺すためにある--通過儀礼という見方--』(ちくま文庫)の影響下にまだある。
 ただし、島田がいう「通過儀礼」(父殺し)という見方ではなく、小津安二郎や木下恵介らとのつながりを求めて、それと「昭和のマドンナ」の残像を求めて、“寅さん”シリーズをせっせと観ている。

 全作品をDVDで網羅した『男はつらいよ 寅さんDVDマガジン』(講談社刊)というやつは、最近号ならまだ書店で売られていることを発見した。
 そして、つい最近(2012年5月29日)出たばかりの第36巻、“男はつらいよ 寅次郎真実一路”を買ってきて、さっそく観た。

 『真実一路』は山本有三の小説の題名だが、“寅次郎真実一路”は、阪東妻三郎のというか岩下俊作のというか、いずれにしろ“無法松の一生”である。

 人妻(大原麗子)に恋をした寅さんが、その夫(米倉斉加年)の死を願っている自分に気づいて、「おれは汚い」と苦悶するあたりは、“無法松”の台詞そのままである。
 無法松は、軍人の夫を失った未亡人と幼い息子に仕える車挽きの松五郎が、ひそかに未亡人に恋心をいだく話であるが、寅さんのほうは大原麗子に恋するあまり、失踪した夫の死を願う自分を「汚い」(「醜い」だったかも)と思うのだから、松五郎より罪一等重いというべきか。
 
             

 岩下の原作(角川文庫版、昭和33年)を引っぱり出してきて、斜め読みしたが、原作には松五郎が「自分は汚い」と悩む場面は見つからなかった。映画(稲垣浩監督)のオリジナルだろうか。
 ただし、原作では松五郎が奥さんの手を握るシーンがある。その日以後、松五郎は二度と奥さんの家を訪ねることはなかった(角川文庫版91頁)。
 
 本の中に、映画“無法松の一生”の検閲に関する白井佳夫の記事が挟んであった(朝日新聞1993年11月2日付)。
 この映画の公開当時(昭和18年)、「軍人の未亡人に車引きが恋するのはけしからん」といった理由で、十数分にわたってフィルムがカットされたという。そのためこのストーリーの肝心の部分はまったく観客に伝わらなかったという。

            

 今回の“寅次郎真実一路”のほうは、そんな心配はまったくなく、しっかりと“寅さんシリーズ”のテーマである寅さんの人妻に対する「恋心」と葛藤がちゃんと伝わる。
 おいちゃんかタコ社長のセリフにもあったけれど、あんな美人の人妻では寅が恋してしまうのも当然だろう。
 酔いつぶれて米倉の家に転がり込み、翌朝目覚めると家には大原と自分しかいないことに気づいた寅さんが、慌てて家を飛び出すシーンが一番よかった。

         

 そして、寅さんに連れられて家に戻ってきた夫を迎える大原もよかった。
 往年のサントリー・オールドのCMを思い出した。どっちが先かは分からないけれど。
 そんな大原麗子ももういない。美人薄命とは言うけれど。

         

 2012/6/23 記

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“男はつらいよ 寅次郎子守唄”、“寅次郎純情詩集”

2012年06月16日 | 映画
 
 島田裕巳『映画は父を殺すためにある』を読んで “男はつらいよ 寅さん”シリーズに興味をもった。今まで“寅さん”などまったく観たいと思ったことはなかったし、実際に観たのは、テレビで放映された2、3本程度である。
 そのうちの1本では、平田満が司法試験受験生役で、橋本公旦の憲法の教科書を読んでいたのが記憶に残っている(調べてみると、“寅次郎恋愛塾”(1985年)という作品のようである)。

 映画を通過儀礼(父殺し)という見方によって解釈するという島田の主張は、“寅さん”シリーズには当てはまらないと思うが、“寅さん”が小津安二郎、木下恵介、(さらには黒澤明、夏目漱石!)などとつながっているという指摘に興味をひかれた。
 熱しやすく、さめやすい性分のため、さっそくAMAZONで≪男はつらいよ 寅さんDVDマガジン≫(講談社)の古本を数冊注文したが、到着まで待ちきれない。そこで、「旧作7泊8日100円」のツタヤに出かけてレンタルDVDを借りてきた。

 小津映画につながる笠智衆、東野英治郎、志村喬、田中絹代、岡田嘉子らの出ているものはAMAZONで注文済みなので、佐藤オリエ、吉永小百合、松坂慶子、大原麗子、桜田淳子、かたせ梨乃など、懐かしい昭和のマドンナを基準に選ぼうと思って出かけた。ところが、彼女たちの出ている作品はみんな貸し出し中だった。
 仕方ないので、僕にゆかりのある場所を舞台にした作品を選んだ。

        

 1つは、佐賀県唐津が舞台の“男はつらいよ 寅次郎子守唄”(1974年、マドンナは十朱幸代)。僕の父方の先祖は佐賀県の出である。本籍は佐賀県藤津郡吉田村(現在は嬉野町)にあったが、実際には武雄や唐津に居住していたらしい。
 そんなわけで、唐津が舞台の“子守唄”を選んだ。唐津(正確には隣りの呼子港)で出会った月亭八方が置き去りにした赤子を寅さんが柴又に連れ帰ることから始まるドタバタ劇である。
 マドンナは十朱幸代だが、唐津の場末のストリッパー役で、我が(赤い殺意!)春川ますみが出ていた。

        

          *  
 
 もう1つは、去年の夏に女房と出かけた長野県別所温泉が舞台の“寅次郎純情詩集”(1976年、京マチ子、檀ふみ)。

        

 別所温泉にやってきた旅芸人の一座が演じていたのが、徳富蘆花の「不如帰」なのだが、これが寅さんの悲恋(?)の伏線になる。
 去年訪れた別所温泉のあちこちが出て来て、懐かしかった。
 下の写真は、上田の農村地帯を走る上田電鉄の電車。去年行った時は2両編成だった。

        

 そして、変わらない別所温泉駅の駅舎。

        

 島田は触れていないが、“子守唄”で、八方が赤子を引き取りに来るところは、小津の“長屋紳士録”を思わせるし、“純情詩集”で寅さんが泊った宿屋は、小津“父ありき”で笠智衆、佐野周二父子が泊った宿を思わせる。

 ちょうど今日は、芹沢俊介の『家族という意志』(岩波新書)を読んだ。3・11を契機に、家族というより、自殺や中絶、無縁死など、「いのち」を考える本である。
 偶然だが、きょう見た“子守唄”はいのちの誕生を、“純情詩集”はいのちの終焉をテーマにした映画だった。

 そう言えば、きのうは樺美智子さんの命日だった。

 2012/6/16 

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小津安二郎 “秋刀魚の味”

2011年08月06日 | 映画

 去年の暮れ頃から、小学館で“小津安二郎名作映画集10+10”という本(DVD+Book)を出している。

 小津の戦後の代表作と戦前のサイレント時代の作品を各1作づつ抱き合わせにした全10巻を、毎月1巻ずつ発売している。1巻3300円(+税)。
 えげつない商売だとは思うけれど、いくら小津とはいえ、戦前のサイレント作品だけを収録してもそんなには売れないだろうから、致しかたないか。幸いぼくの大学図書館のAVセンターには小津の映画は戦前の物も含めてすべてビデオが置いてある。戦前作品はこれで見ることができるので、ほとんど見た。

 問題は戦後の作品である。
 ぼくは神田神保町の書泉で買った Cosmo Contents 社の“日本名作映画集”というやつで、小津の戦後の作品は9本見ている。“東京物語”“晩春”“麦秋”“お茶漬の味”はすでに持っているので、スルーした。
 問題は、残りの6巻である。
 “秋日和”“彼岸花”“秋刀魚の味”“お早よう”“東京暮色”“早春”は、“お早よう”以外はぜひ手元に持っていたい。
 現在、松竹から出ている“小津安二郎 名作セレクションⅡ”という5枚組のDVDで、『東京暮色』(1957年) 、『彼岸花』(1958年) 、『お早よう』(1959年) 、『秋日和』(1960年) 、『秋刀魚の味』(1962年)は揃えることができる。定価は1万2000円くらいだった。不要の“お早よう”を除くと、1巻あたり約3000円である。

 小学館版なら不要の“お早よう”はスルーして、“秋日和”“彼岸花”“秋刀魚の味”“東京暮色”“早春”を各3300円で購入できる。
 迷いながら、多忙にまぎれて第5巻“秋日和”、第6巻“彼岸花”はスルーしてしまったが、先日第7巻“秋刀魚の味”を買ってしまった。小学館版についている解説本に岩下志麻のインタビューが載っていたから。

 買ったまま放置してあったが、期末試験の採点の合間にちょっと時間があいて、勉強する気にもなれなかったので、きのうの夕方、見ることにした。
 “秋刀魚の味”は3回目である。

 今回は先日アマゾンでかった“小津安二郎監督作品サウンドトラックコレクション”を聞いていたので、とくにBGMに耳を傾けながら見た。
 なかなかよかった。あまり大したこともない場面で流れる“燕来軒のポルカ”や、池上線の石川台駅のホームで流れる“郊外の駅で”などもよかった。
 そして戦争も軍人も描かなかった小津が最後に選んだ“軍艦マーチ”と、あの心に滲みるエンディング曲。
 “晩春”のラストシーンの批評に懲りた笠智衆が、今回のラストでは彼らしくない妙な演技をしているようにも見えるのだが、音楽で救われた。

 基本的には、“ Mixture as Before ”なのだが、それがいい。
 笠智衆は笠智衆のまま、中村伸郎も変わらず皮肉っぽく、北竜二はどこか影が薄く、高橋豊子もそのまんま、菅原通済もいつもながらに目障り。 佐田啓二と笠智衆父子は、“父ありき”以来の小津が描きつづけた昭和の親子の姿の延長線上にある。今ではもう廃れてしまった父子像である。

 いつもと違うといえば、若くてきれいな岩下志麻が登場し、“秋日和”につづいて岡田茉莉子のおキャンさがいい。
 そして今回は生徒から軽侮される元中学校教師役の東野英治郎の演技がうまいのに気づいた。小津が東宝で作った映画に出てくる森繁久弥などと違って、ちゃんと小津映画の中に溶け込んでいて、それでいていかにも東野英治郎らしい。

 最初に見たときは、かつての教え子たち、とくに中村伸郎が東野英治郎を小馬鹿にする場面に不快感を覚えたが、誰かの映画評に、実は教え子たちにも「老い」が忍び寄っていることを彼ら自身も感じているのだという指摘があって、合点がいった。
 娘(岩下志麻)を急かして嫁がせた笠智衆だけでなく、頻繁に精力剤を話題にする中村や北にも老いは迫っている。設定からして彼らは50歳代半ばだと思うが、昭和30年代のあの頃は50代半ばのサラリーマンは、もう「上がり」の一歩手前だったのだ。

 ちなみに、同窓会の打ち合わせをする小料理屋のテレビで、大洋対阪神戦を中継していた。阪神のピッチャーがバッキーで、大洋は「4番 サード 桑田」というアナウンスが流れていた。桑田武である。
 その試合が行われている川崎球場のカクテル光線の柱には、でかでかと「サッポロビール」と書いてあり、ラストシーンの笠智衆の家の台所の棚の上にも「サッポロビール」の贈答箱が置いてある。
 笠智衆の行きつけのバーは「トリスバー」で、東野英治郎が大事そうに持ち帰る飲み残しのウィスキーは「サントリー・オールド」である。
 小津はしっかりとサッポロビール、サントリー両社から協賛金をせしめたのだろう。
 
 さて、以前は“秋刀魚の味”が小津の遺作でも悪くないと思ったが、できれば“秋刀魚の味”の翌年に予定されていた“大根と人参”も見たかった。

 * 小津安二郎“秋刀魚の味”(小学館刊“小津安二郎名作映画集10+10”第7巻、2011年)。
 
 2011/8/6 記

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小津安二郎 “麦秋”

2011年07月10日 | 映画

 苦し紛れに書き込んだものの、いつまでも“青い体験”のラウラ・アントネッリがフロント・ページではわがコラムの「品格」にも差し障るので、これまた苦しまぎれに、先日見直した小津安二郎の“麦秋”から。

 まず、始まりのタイトルに「松竹映画 1951」とクレジット(?)が入っている。当時の映画は公開年を表示する慣行だったのだろうか。
 ぼくの専門分野でも、中川善之助教授の著作に『日本親族法--昭和十七年』(日本評論社)というのがある。「昭和十七年」に教授の様々な思いが込められていることが感じ取れる副題である。
 “麦秋”の「1951年」にも感慨を感じる。ぼくが生まれた翌年である。1950年ならもっと良かったが、自分が生まれた頃の、あれこれの風物を知ることができる有り難いフィルムである。

         

 最初に出てくる懐かしいものは、『チボー家の人々』である。
 会社に出勤する原節子が、(映画の最後には結婚することになる)近所に住む勤務医であり、戦死した兄の友人でもある二本柳寛と北鎌倉駅のホームで出会って、言葉を交わす。二本柳は片手に読みかけの本を持っており、『チボー家の人々』、面白いですね。お読みになりましたか、と原に話しかける。原がどこまでお読みになりましたかと聞き返すと、まだ四巻です、と答える。
 『チボー家の人々』を読むことは、ぼくらの世代では、まだ大学生の通過儀礼だった。ぼくが大学に入った1969年頃には、すでに白水社のハードカバーの5巻本になっていたが、わが家では、親父の蔵書の中に戦争直後に出た全10巻か11巻のフランス装のやつがあったので、ぼくはそれで読んだ。
 二本柳が北鎌倉駅で手にしていたのも、たぶんフランス装のだろう。前にも書いたように、ぼくはこの本に大きな影響を受けた。「日本のチボー家のジャック」になりたい、などと考えたのである。親父の書庫から持ち出して、自分の本箱に飾っておいたのだが、やがて気づいた親父に返せと言われて、やむなく返した。その後、結婚した女房の持ち物の中に5巻本があったので、取り上げて今もぼくの部屋の本箱に並べてある。

         

 そして、主人公一家の間宮家の板塀の前では、子どもたちが縄跳びをして遊んでいる。昭和30年頃には東京中のどこの路地裏でも見かけることのできた風景である。

         

 夜中、といっても実はそんなに遅い時間ではない。実際には夜の9時かせいぜい10時だろう。
 子どもがおしっこに目を覚ますと、居間の卓袱台を囲んで大人たちが何やらあやしげな雰囲気を醸し出している。子ども心にあやしい気配を感じるのだが、正体を見破ることができないまま用を足して布団に戻らざるを得ない。
 “麦秋”では、原が仕事帰りに銀座で買ってきたケーキを、兄嫁やたまたま立ち寄った二本柳らと食べていたのである。

         

 原の兄の笠智衆も勤務医だが、彼が勤務する病院の中庭には、大きな薬瓶風の甕と並んで、百葉箱が立っている。
 白いペンキで塗られていて、風を通す鎧戸のついた百葉箱も、どこの小学校の校庭にもあった。世田谷区立赤堤小学校の校庭にも、正門を入ったすぐ左手に百葉箱があった。同級に富岡君という大変に絵のうまい生徒がいて、写生の時間にこの百葉箱を描いた。
 鎧戸の桟の一枚一枚までが丁寧に描かれていて、ぼくは自分が描いた下手で雑な絵とのあまりの違いにびっくりした。

         

 ある時、原節子はお茶の水駅近くの喫茶店で二本柳とデート(?)をする。その帰り道の道沿いにニコライ堂が映っている。ニコライ堂は今も健在で、ぼくもその前をたびたび通る。何年か前に緑内障と診断されてしまい、真ん前の井上眼科に通っているのである。
 駿台予備校時代に、近くの駿台予備校東校舎で模擬試験を受けていると、正午になると必ずニコライ堂の鐘が結構長いこと鳴り響くので参ったことがある。1968年のことだから、“麦秋”から17年後である。それからもう40年以上が経った。
 
 ぼくの遠近法では、“麦秋”の1951年も、駿台予備校生だった1968年も、同じようについこの間のような気がする。そして、1951年と1968年との間は連続しているが、1968年と現在との間には断絶があると感じる。

          

 最後に、佐野周二の秘書役の原節子がタイプライターを打っていたオフィスの窓から見下ろした東京都心の街並み。
 ローアングルの小津監督にとって、こういう伏角はどのような意味を読みとるべきなのか。このような光景を見ると、ぼくは、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の冒頭、コぺル君がデパートの屋上から道路を見下ろして、「社会」というものを考えるシーンを思い出す。

 * 小津安二郎監督“麦秋”(Cosmo Contents、日本名作映画集22巻)

 2011/7/9 記

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“青い体験”

2011年07月03日 | 映画

 きのう7月2日(土)の午前中に、BSのどこかのチャンネルで“青い体験”をやっていた。
 
 何十年振りかで見たのだが、この程度の表現だったのかと拍子抜けした。

 思春期の息子が、父親の留守中に、父親の後妻になるラウラ・アントネッリを全裸にして追いかけまわすのだが、彼女のヘアーのあたりを隠す楕円形のモザイクが蝶が舞うようについて回る。
 この映画のなかで、若い男の子相手の娼婦が登場する。フェーリーニの“アマルコルド”にもその手の女性が出てきたが、イタリアではそんな社会制度が黙認されているのだろうか。さすがベルルスコーニを首相に戴くだけあって、うらやましい国である。

 ところで、父親は彼女との結婚の許可を母親から得るために故郷に帰っているのだが、イタリアでは成人の結婚にも父母の同意が法律的に必要だったのか、たんに慣習上の同意なのか。

 結婚式のシーンで、背景に旧型のフィアット500(チンクエチェント)が映っていたので、慌ててカメラを取りに行ったが間に合わなかったので、結婚式後のラストシーンを。

 七月も何かと忙しいので、こんな記事でもアップしておかないと、投稿ゼロになってしまいそうなので・・・

 * 写真は、“青い体験”(1973年、イタリア映画)のラスト・シーン。

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小津安二郎監督作品サントラ盤

2011年06月15日 | 映画

 “小津安二郎監督作品 サウンドトラック・コレクション”(松竹映画サウンドメモリアル、1995年6月)という中古CDをアマゾンで買った。

 YOUTUBEで聴く小津映画音楽集の“秋刀魚の味”の音楽がよかったので。
 小津の映画のDVDをせっせと観ているときには、あまりバックに流れている音楽に注意が向かなかったのだが、ただ一つ、“一人息子”のオープニングとエンディングに流れていた“Old Black Joe”はなぜか印象に残った。映像とストーリーによく似あっていた。
 今回買ったCDの最初の曲が、これだった。 

 晩年の作品の音楽は、映画を見たときにはあまり印象に残らなかったのだが、買ったばかりのこのCDで音楽だけ聞いていても、映画のあれやこれやのシーンが思い浮かぶ。
 とくに“秋日和”や“秋刀魚の味”がいい。“晩春”“麦秋”“彼岸花”などもいいし、意外に“早春”もストーリーは好きになれなかったが、音楽はよかった。

 “秋刀魚の味”は、中村伸郎たちが中学校時代の教師(東野英治郎)に毒づくあたりが不愉快だったのだが、実は教え子たちにも老いが忍び寄っているのだという誰かの批評を読んでからは、あのシーンも許せるようになった。
 あの哀感を帯びたメインメロディーは、娘を嫁がせる父親(笠智衆)一人だけの気持ちではなく、笠智衆、中村伸郎、北竜二らに共通の哀感であり、それはまさに彼らの年代に達した(超えたかもしれない)ぼく自身の哀感でもある。

 小津の映画の中では、ぼくは笠智衆と同じで、“父ありき”が一番好きなのだが、最近は“秋刀魚の味”もよくなってきた。
 同じ言葉を繰り返したり、佐田啓二が、たびたび「~がネ」などと喋る台詞も鼻につくが、それでも“秋刀魚の味”とその音楽は悪くない。

 節電とやらで、東京の地下鉄の連絡路などの照明が薄暗くなって、その薄暗さが昭和30年代を思い起こさせてくれる。そんなせいかもしれないが、なぜか最近、妙に昭和30年代が懐かしい。

 そういえば、きょうは6月15日。樺美智子さんの命日だった。

 * “小津安二郎監督作品 サウンドトラック・コレクション”(松竹映画サウンドメモリアル、1995年6月)のジャケット。

 2011/6/15

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“二重結婚者”,“ドクトル・ジバゴ”

2011年05月30日 | 映画

 この5月に見た映画は、きのうラスト・シーンだけを見た“猟奇的な彼女”と“シベールの日曜日”を除くと、“二重結婚者”と“ドクトル・ジバゴ”の2本だけだった。

 “二重結婚者”(原題は“The Bigamist”)。
 重婚は、わが国でも、そして現在でも、婚姻の取り消し原因であると同時に、刑法上の犯罪でもある。重婚罪は六法を探してもなかなか見つからなかったが、刑法184条にあった。なんと、「わいせつ、姦淫」の罪の後に置かれていた。そういう位置づけだったのか。
 ぼくは、いまだに刑法各論の犯罪の並べ方のルールが分からない。

 サンフランシスコに住む妻のあるセールスマンが、ウイークデーはロスアンゼルスに単身赴任するが、そこで貧しいけれど心やさしい女性と恋に落ち、子までもうける。シスコで待っている妻には何の不足もなかったのだが、そういうことになってしまう。
 やがて、この関係が発覚し、男は裁判にかけられる。結末は描かれてないが、ラスト・シーンの妻の表情は夫を許しているように見えた。

 不思議だったのは、男がロスの女とは法律上の結婚はしていないことだ。それでも当時(1953年作品)のキャリフォルニア州の刑法では重婚罪が成立したのだろうか。
 わが国の判例ではこのような関係は重婚的内縁といって、重婚とは区別されている。もちろん重婚罪にはならないのだが。


               

 もう1本は“ドクトル・ジバゴ”。

 近所のホームセンターのレジの横に並べられたDVDやCDの中から見つけて買った。500円だった。
 当然、オマー・シャリフとジュリー・クリスティーの、あの“ドクトル・ジバゴ”だと思って買ったのだが、リメーク版だった。ケースのスチール写真を見れば分かることだったのだが、迂闊だった。 
 知らない俳優ばかりだが、ヒロインのララ役のキーラ・ナイトレイという女優は“パイレーツ・オブ・カリビアン”に出演したとある。興味のないジャンルなので知らないが、そこそこの役者なのだろうか。

 リメーク版と知ってがっかりして、ほったらかしにしていたが、ある時、いよいよ見る物がなくて見はじめたら、学生時代に見たオマー・シャリフのものとは違って、善意だが空想的なジバゴと対比して、あの悪徳弁護士の生命力(?)にも何がしかの感慨をもった。
 こちらが歳をとったのか、旧版とリメーク版とで描き方が違っているのか。いつか旧版も見てみよう。

 * “二重結婚者”(1953年)Classic Movies Collection シリーズ、ファーストトレーディング。“ドクトル・ジバゴ”(2003年、イギリス、Granada)、ウエストブリッジ。

 2011/5/30

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ラスト・シーンをもう一度

2011年05月28日 | 映画

 きょうの昼前、なんとなくテレビをつけると、“猟奇的な彼女”をやっていた。
 11時半に近かったので、もう終わる直前だった。あの、村はずれに一本だけ立っている思い出の木の下にチャ・テヒョンがやって来て、手紙を読むあたりだった。
 でも、二人が数奇な再会を果たして、テーブルの陰で手をつなぐあのラストシーンを見ておこうと思って、最後まで見た。
 
       

 ぼくは彼女の義母役の女優さんのほうが好きだったが、きょう見ると、チョン・ジヒョンもわるくない。
 2001年の作品だった。もう10年も経ったのだ。
 ぼくがカラオケで歌いたいと言ったら、“I Believe”を何度も聴いてカタカナの歌詞カードを作ってくれたゼミ学生も、もうとっくに卒業してしまった。元気にやっているだろうか。

 “猟奇的な彼女”が終わったので、チャンネルを回すと、452チャンネル“ザ・シネマ”で、なんと“シベールの日曜日”をやっていた。こちらも12時までで、もうハーディー・クリューガーが撃たれてしまった後だった。
 それでも、シベールが「もう名前なんてない」と言って泣くラストシーンまで数分間だけ見た。

 そう言えば、何日か前に“シベール~”をやるという予告を見た。忙しくてメモも取らなかったので見逃してしまった。
 “シベール~”は1962年の作品。ぼくが見たのは1960年代の末か1970年代の初めだった。それでも40年以上前に見た映画である。

 ラストシーンで聖歌が流れるあたりは、“汚れなき悪戯”を思わせる。そう言えば、どちらも修道院が舞台だった。
 “汚れなき悪戯”は1957年日本公開らしい。小さい頃に見た記憶がある。同じパブリート・カルボが主役の“広場の天使”も見た。戦後の貧しさは、日本もスペインもイタリアも同じだった。
 小森和子も大好きだったというパブリート・カルボは若くして亡くなってしまった。朝日新聞に死亡記事が載った。

             

 * 何か書かないと、2006年2月以来、毎月何かは書き続けてきた“豆豆研究室”の投稿が2011年5月で途絶えてしまう。これでなんとか今月も1本は書くことができた。
 タイトルの写真は、大学時代の友人で写真部に属していたやつが作ってくれた“シベールの日曜日”のスチール写真。40年以上ぼくの部屋の壁に下がっている。もう1枚は“汚れなき悪戯”の主題歌“マルセリーノの歌”のレコード・ジャケット。1970年代にリバイバル上映された時に発売されたものだったと思う。

 2011/5/28

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“邪魔者は殺せ”

2011年04月24日 | 映画

 4月23日午前3時すぎ、目が覚めてしまった。雨が激しく降っている。
 
 寝床でテレビをつけるが地上波はつまらない。しかたなくリビングに降りてBSを見る。

 あちこちチャンネルを回していると、モノクロの古い映画が面白そうなので、見ることにした。
 番組表を見ると、“邪魔者は殺せ”(けせ!と読むらしい)だった。

 「第三の男」のキャロル・リード監督の作品(1947年)。原作は、F・L・グリーンの小説、“Odd Man Out”(1945年)。
 舞台は北アイルランドの小さな都市。冷たい雨が降り、時おり雪が舞う暗い冬である。
 アイルランド革命軍の三人の兵士が、軍資金調達のために強盗を犯し、その中の一人が傷を負って追われる身となる。彼を愛する女(キャサリン・ライアン)が助けようとするが、彼の居場所が分からない。
 逃げまどう町の人々が、アイルランド革命軍とも警察とも関わりたくないという微妙な立場にあるところが、逃走劇を面白くしている。
 
 Odd Man Out というのはどういう意味か。直訳すれば「奇数の男(人間)は排除」だが、イギリス人なら分かる慣用句なのだろう。
 映画の内容から判断すれば、要するに主人公のジェームス・メイソンがまさに「奇数男」で、はみ出してしまう。幼少時の神父の教えからはみ出し、逃走中のクルマからも転げ落ちてしまい逃亡のみとなることなどの暗喩だと思う。

 教会の神父が登場し、テロリスト(ジェームス・メイソン)を愛する女(キャサリン・ライアン)が心中をほのめかすと神父が強く諌めるなどカトリック的な場面があったので、原作者のF・L・グリーンというのはグレアム・グリーンの兄弟か何かかと思って、ウィキペディアを調べてみたが、そのような記述はなかった。
 ラストシーンの処理も、やっぱりカトリック的である。ぼくから見れば、あれも一種の「自殺」、法律でいえば「故意ある道具」による自殺なのだが、カトリックの教義では救済されるのだろうか。

 * 写真は、ぼくの映画に関する情報の知恵袋である、キネマ旬報『ヨーロッパ映画作品全集』(キネマ旬報昭和47年12月10日号)

 2011/4/24 記

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