まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

スウェーデン王グスタフ2世アドルフ愛妾 エバ

2018-08-28 20:18:59 | 王の寵姫・愛妾
語りつがれる愛の物語の主人公…からの、やり手ばーさま
ヤコブ・デ・ラ・ガルディエ伯夫人 エバ・ブラーエ


1596〜1674/愛妾 1613〜1632

たいへんご無沙汰しておりました。
7月末のスペシャルファンイベント&SMTOWN ライヴビューイング2Daysのあと
虚脱状態に陥って何もしたくない日が続いておりました。 あぁ…オニュ…
その後は暑さに負けて(パソコンがある部屋に冷房がないのですぅ…)
そして法事・帰郷があり、先週久々にパソコンを立ち上げたらネットが繋がらない状態に
“ キーーーーッ ” となって放置してしまいました。
おととい旦那さんが「どれどれ」と直してくれて、やっとアップにこぎつけます。
言い訳オンパレード…お許し下さい。

コメントもたくさんいただいていたのに、お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
この場をかりてお詫び申し上げます。

スウェーデン愛妾シリーズを続けてまいりますね。

“ 北方の獅子 ” と呼ばれたグスタフ2世アドルフには
マリア・エレオノーラ・アヴ・ブランデンブリという、強烈な王妃がおりましたが
実は結婚前から愛し合っていた女性エバ・ブラーエがおりました。

エバの父親はスウェーデンの貴族で議会員でもあったマグヌース・ブラーエです。
家柄はけっして悪くないので、母親が亡くなった後、15歳の時に
王大后クリスティーナ・アヴ・ホルステイン=ゴットルプの侍女として宮廷に入りました。
      
そして16歳の時、19歳の若き王グスタフ2世の恋人になりました。
二人がやりとりしたお手紙によると、二人の交際は真剣なものでした。

当時グスタフ2世には祖母とかおばとか、親戚中から縁談が持ち込まれていました。
しかし摂政をしていた王大后クリスティーナは、政治的に有利な縁談を考えて
持ち込まれた結婚話しを拒否していました。
一方、グスタフ2世とエバは、お互い結婚を望んでいました。

王大后とグスタフ2世とエバは、結婚について1615年まで議論していましたが
最終的にはエバが「私はいまのままでも幸せです」ってな感じで
グスタフ2世とは公式に結婚できないということを受け入れました。

ここまでだと、デンマーク王フレデリク2世の恋人アンナ・アフ・ハルデンベルグと同じように
お若い二人の身分違いによる悲恋の物語なんですけどね。

1618年、エバはヤコブ・デ・ラ・ガルディエ伯と結婚しました。
グスタフ2世は1620年にマリア・エレオノーラと結婚しました。
けれども二人の関係はグスタフ2世が亡くなる1632年まで続いていました。

それどころかグスタフ2世は、王妃マリア・エレオノーラの愛情攻撃にうんざりした時に
王妃と別れてエバと再婚しようかな? なんて考えてます。
ただ、エバとガルディエ伯は仲が良かったみたいです。

グスタフ2世亡き後は夫と平穏に暮らしていたみたいですが、夫が亡くなると
スウェーデン国内の重要な地方都市をいくつも抱える、精力的な領主になりました。
また、グスタフ2世の王女である女王クリスティーナから
フィンランドにヤコブスタードという都市を建設する許可をもらっています。

エバは多くの領地の管理だけでなく、さらに領地を増やしていきました。
特に有名なのは、1658年にスウェーデン領になって多くのデンマーク貴族が手放した
スコーネ一帯の土地がありました。

エバは宮廷でも一目置かれる存在で、女王にまで影響力がありました。
宮廷では “ Business woman ” と(影で?)呼ばれていたらしく、直訳したら実業家ですけど
「やり手だよね〜」ってな感じで語られていたんじゃないでしょうーか?(勝手な想像)

一時期、エバが魔術を使って女王を結婚させないようにしている!と唱えた人がいましたが
宮廷の貴婦人たちがこれを阻止し、相手を反逆罪に!と糾弾しました。
エバに心酔していたのか、恐れていたのかは不明… お金借りてたのかもね。

エバと旦那さんのヤコブは14人の子だくさんでしたが
この中にはグスタフ2世の子はいないということです。
この点は旦那さん一筋、と褒めてよいのかどうか…
ヤコブの死から22年後の1674年に亡くなりました。

              
        ヤコブが亡くなった当時の喪服のエバ このあたりからやり手さんに…?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

北欧といえば!の武田龍夫先生による一冊
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ひとことお土産コーナー
法事で京都に行きまして “ こたべ ” というのを見つけて、箱の可愛らしさに抹茶とにっきを買ってみた!
 

どうやら季節ごとに箱が変わるらしく、秋のもすごくカワイイの!
  
9月から販売なんだけど京都府内とネットでしか売ってないらしく、送料がけっこう高くて迷ってます


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スウェーデン王ヨハン3世愛妾 カリン

2018-07-23 22:22:51 | 王の寵姫・愛妾
意外と、おねだり上手(?)な愛妾
廷臣ラルス・ヘンリクソン夫人 カリン・ハンスドッテル


1539〜1596/愛妾 1556〜

異母兄エリク14世を廃位して、王になったヨハン3世がカタリーナ・ヤゲロニカ
結婚する前からお付き合いしていたのがカリン・ハンスドッテルです。

カリンは、ストックホルムの修道士ハンス・クラッソンと
貴族の庶子で修道女のインゲボルグの間に生まれた娘さんらしいです。
当時の修道士と修道女って結婚してよかったのかしら?
そもそも出会う場があったのかしら?
ちなみに、ハンス・クラッソンは浮気で職を失ったらしい… とんだ聖職者ですな。
   
カリンは10歳そこそこで、グスタフ1世の未亡人カタリーナ・ステンボックの城で
働くことになりました。

フィンランド公だったヨハンとはそこで何度か会って
17歳の時に愛妾になり、フィンランドのトゥルク城で暮らすようになりました。
カリンは城の女主人としておおっぴらに過ごしていましたが
1560年には、子供たちを連れてストックホルヘ向かいました。

1562年、ヨハンがカタリーナ・ヤゲロニカと結婚する前に
ヨハンの使用人のクラス・アンダーソンと結婚しました。 これは隠れ蓑ですよね?
夫はフィンランドのカンガサラに領地をいただきました。
けれども翌年、夫はエリク14世に殺されてしまいます。

ヨハンがエリク14世に反乱をおこしている間に、カリンは多くの財産を失ってしまいます。
でも大丈夫! ヨハンは王に即位すると、カリンと子供への援助を続けました。
やはり関係は続いていたということですよね? 奥さまがパワフルなのでね…
それともヨハンが義理堅かったのか? カリンがおねだり上手だったのか?

カリンは1572年にラルス・ヘンリクソンと再婚しました。
3年後、ヨハンはラルスを、自分とカリンの子供たちの面倒をみるという条件で領主にし
息子ユリアスはトゥルク城の城主にしました。
長女ソフラはヨハンの妹エリザベットの侍女になりました。
もうそろそろ面倒みなくてもいいかな… ということかしら?

1580年からはトゥルク城で多くの時間を過ごしていました。
ヨハン3世は1585年に「若い子がいいから…」とグニラ・ヨハンスドッテルと再婚します。
完全にお役御免ってことですよね。

1591年に未亡人になると、エリク14世の未亡人カリン・マンスドッテルのご近所にある
自分の領地にリタイアしました。

1596年、カリン・ハンスドッテルの領地では農民の反乱がおこっていました。
結局領地は農民に略奪されてしまうのですが、カリンはその直前に亡くなりました。
自分の領地が奪われていくところを見ずにすんでよかったですね。
でもご近所のカリン・マンスドッテルの領地は何事もなかったようですが…
なぜ反乱がおきちゃったのでしょうね?

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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ひとことお洗濯コーナー
暑いですね! 掃除する気にならなくて、なんだか洗濯に励んでいます
先日テレビで知った “ 白ものの黄ばみ・シミとり ” があまりにも楽しくて何回も洗濯機をまわす始末

わたしはいただきもののアタック(粉)とハイドロハイターを使ってますが、本当に真っ白になりますです


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スウェーデン王エリク14世愛妾 アガタ

2018-07-12 21:24:50 | 王の寵姫・愛妾
ハレム王最初の恋人?
貴族クリストファー・オラフソン夫人 アガタ・ペルスドッテル


生没年不詳/愛妾 〜1565

エリク14世は、結婚前からハレムのようなものを持っていたという女性大好き王ですが
結婚後は妻一筋なので、お相手はみな愛妾ではなく恋人ということになりますね?

エリク14世が王太子時代に出会い、(記録では)最初の恋人になったのがアガタです。
でもアガタの全盛期は1558年で、当時エリクは25歳だから、初恋ってことはないと思う…

アガタはストックホルムの裕福な商人ペデル・クレメントソンの娘といわれていますが
定かではありません。
        
ものすごい美人で、ピーク時にはカルマル城の主役でした。
“ アガタの間 ” というのがつくられて、アガタがいなくなってからもそう呼ばれました。

1660年、エリク14世が即位します。
1661年、アガタは貴族のヨアキム・フレミングと結婚しました。
この時エリクとの関係は終わりを告げるのですが、1663年にアガタが未亡人になると愛再燃。

エリク14世には恋人がワラワラいたわけですが、アガタは上位をキープしていました。

アガタとエリクの間にはヴィルジニアとコンスタンティアという女の子がいましたが
エリクは娘たちの面倒を妹のセシリアにまかせていました。

なぜかっていうと「アガタには、子供たちによいしつけをして、ちゃんと育てるってことは
できないからね〜」ということでした。
で、セシリアがバーデン=ローデマヒェルン辺境伯に嫁いだ後は
妹のエリザベットにお願いしました。
エリザベットの侍女で、姉妹の世話をしていたのがカリン・マンスドッテルです。

アガタにしてみれば、娘の世話をしてくれるありがたい人だったと思うのですが
結局カリンはエリクの恋人になり、さらに結婚までしてしまって
ハレムの恋人たちはお城を追い出されることになってしまいました。
こんなことなら自分で育てりゃよかった!! と悔んだことでしょう。

アガタはその後貴族のクリストファー・オラフソンと再婚しました。
以降のことは不明です。
もし安泰に暮らしていたのなら、カリンのその後の波瀾万丈ぶりのことを考えると
追い出されてラッキーだったかもしれませんね。

(参考文献 武田龍夫氏『物語スウェーデン史』 Wikipedia英語版)

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ひとことサッカーコーナー
驚いたよね!やっぱりフェルナンド・トーレスがサガン鳥栖に来るってか? 川崎か横浜に応援にいこうかしら?
そしてワールドカップの準決勝と決勝にEXOとBTSがかかるってね! おめでとうございます EXO-L & A.R.M.Y


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スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 マーガレット

2018-06-28 19:30:50 | 王の寵姫・愛妾
悲しい恋物語のヒロインになった恋人
マーガレット・ドゥラモンド


1475〜1501/愛妾 1495〜1497

ジェイムズ4世の、数ある愛妾の中で本命と言われているのが
マーガレット・ドゥラモンドです。
すごーく遠い親戚なので書きませんが、というか辿りきれませんでしたが
デイヴィッド2世妃マーガレット・ドゥラモンドの何代か離れた姪にあたるらしい。

ジェイムズ4世とは密かに結婚し、マーガレット・チューダーとの結婚が決まると
身を引くために妹二人と服毒自殺したという… まさに悲恋物語。

水を差すようで申し訳ないのだが、事実はちょっと違うかもしれません。
でも歴史には諸説あるので、どれを信じるかはあなた次第…ってことで。

マーガレットは、初代ドゥラモンド卿の娘さんでした。
二十歳そこそこでジェイムズ4世の恋人になり、リンリスゴウ宮殿で暮らしていました。
マーガレットという娘さんも生まれています。
     
でも、どうやら真剣にお付き合いしたのは約2年ぐらいだったようで
マーガレット・チューダーとの結婚のかなり前に別れていた様子。
そうすると正確には愛妾ではなくて恋人ですね。

けれども1501年に、妹ユーフェミア、シビラとともに食事をしたすぐ後に
亡くなったのは事実です。
若くして亡くなった三姉妹は、ダンブレーン大聖堂に埋葬されました。 涙を誘いますね。

マーガレットの死後ジェイムズ4世がミサを行い、娘マーガレットの保護を続けたことで
二人の愛は続いていて、深いものだったと思われたのかもしれません。
マーガレットの死は、ジェイムズ4世とマーガレット・チューダーの結婚を推し進める
貴族たちによる毒殺と囁かれるようになりました。

物語としてはその方が面白いですよね。

わたしも何かの本で読んだことがあるのですが、中世から近代初期の食事環境は
貴族といえどもひどかったらしく、特にイングランドは遅れていたみたいです。
床がゴミだらけとか、食器使い回しとか、腐る寸前の肉生焼けとかね… すごいね!
てことは、もちろんスコットランドもひどかったわけで「食中毒でしょ」と
当時はたいした捜査もおこなわれませんでした。 親の家で食べた後だしね。
現代でも食中毒説が強いようです。

だけど食中毒ですぐ死ぬものかしら? やはり毒殺なんじゃないの?
でも何度も言うけど両親の邸宅で食べた後よ、親もからんでいるとか?

ジェイムズ4世とマーガレットの結婚が本当で、マーガレット・チューダーとの結婚がなければ
スコットランドとイングランドは連合国になっていないかもしれないわけで
かなり歴史がかわっていたかもしれません。
スコットランド独立を願う方は、おおいに肩入れしたくなる女性なのかもしれませんね。

娘のマーガレットは、最初にゴードン卿ジョンと結婚し
次にInnerpeffray領主ジョン・ドゥラモンドと再婚しました。
         
ジョン・ドゥラモンドとはどこかで繋がってると思うんだけど探せませんでした。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

スコットランドの歴史を楽しくわかりやすく!
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ひとことK-POPコーナー



やってきました SHINee WORLD THE BEST 2018 ~FROM NOW ON~ in TOKYO DOME のBlu-ray
ジャケットを見ただけでいろいろな場面を思い出してしまって泣いたさ…
ちゃんと落ち着いて、通して見ようと思ってまだ見れずにおります 次の休みの日に見るとしましょう


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スコットランド王ジェイムズ4世愛妾 ジャネット

2018-06-20 21:34:45 | 王の寵姫・愛妾
とても長いおつきあいだった
アンガス伯アーチボルト・ダグラス夫人 ジャネット・ケネディ


1480〜1545/愛妾 1497〜

スコットランド王ジェイムズ4世は結婚前も結婚後も、たくさんの恋人がいたそうです。

イングランドのヘンリー8世は数多くの愛人を手近なところで選んでいたような印象が
ありますが、同年代のジェイムズ4世も近場で見つけていたみたいです。

まずはジャネット・ケネディです。
上のポートレートは本の表紙ですね? スコットランドでは有名なのでしょうか?

ケネディ家というのはスコットランド由来だと聞いたことがありましたが
ジャネットは名家ケネディ卿ジョンの娘さんでした。
何代か遡るとロバート3世に繋がっています。
       
母のエリザベスは、初代ハントリー伯アレグザンダー・ゴードンの娘です。

なんだかこの当時、スコットランドはこのゴードン家系と
アンガス伯とかダグラス伯のダグラス家系がワラワラいる印象を受けています。

で、ジャネットは、17歳ぐらいでアンガス伯アーチボルト・ダグラスの愛妾になります。
(13歳ぐらいで結婚した説があります。 相手はゴードン家系の方らしい)
それで宮廷でジェイムズ4世の目にとまり、愛妾になったってことなんですが…

アンガス伯の愛妾になって、けっこうすぐにジェイムズ4世にのりかえているのよね。
いくら家臣とはいえ、自分の可愛い人をもってかれちゃうというのはどうなの?
アンガス伯は数年前にジェイムズ4世に謀反をおこそうとしたことがあります。
いくら許してもらえて忠誠を誓ったからってねぇ…

ジェイムズ4世の数ある愛妾の中で。ジャネットが一番長く続いた相手で
マーガレット・チューダーとの結婚後も続いていたと言われています。
お子様も三人生まれていて、そのうちのひとりが初代マリー伯になりました。

ジャネットは、ジェイムズ4世の愛妾をしながら他にも二人の男性と付き合っていて
そのうちのひとり、初代ボスウェル卿ジョン・ラムゼイと1505年に結婚しました。
夫は1513年にフロドゥンの戦いで亡くなるのですが、ジェイムズ4世も
もう一人の恋人もフロドゥンの戦いで亡くなっています。
しかも同じ年にアーチボルト・ダグラスも亡くなりました。

後ろ盾が一気に… その後の詳しいことはわかりませんが
認知してもらった子供もいたし、まだ35歳前後だから再婚したかもね。

       
家系図が楽しかったので…
モートン伯ジェイムズ・ダグラス夫人 マリオン・ボイド


生没年不詳/愛妾 1490〜

マリオン・ボイドはなにもエピソードがないのですが、家系図が楽しかったので…
アンガス伯アーチボルト・ダグラスの二人目の奥さんの姪にあたります。

ジェイムズ4世との間には二人子供がいて、長男アレグザンダーは
セント・アンドルーズ大司教になり、フロドゥンの戦いで亡くなりました。
         

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことワールドカップコーナー
勝つとはね〜! お仕事が休みだったのでオンタイムで観てまして大興奮でしたよぉ!!
今回はフェルナンド・トーレスが出てないので日本一筋でいこうと思ってますけど
ステキな選手を見つけたらそちらも応援しちゃうかも…  ところでトーレスが鳥栖に来るって本当ですの??


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スペイン王フェリペ4世愛妾 マリア

2018-06-04 20:55:42 | 王の寵姫・愛妾
熱しやすく冷めやすい…にふりまわされた一生
マリア・イネス・カルデロン


1611〜1646/愛妾 1627〜1629

ボヘミア王妃編が終って、後のことをなんにも考えてませんでした… というわけで
寵姫・愛妾シリーズいってみます。

どこの国にも恋多き王様はいるものですね。
情熱的な印象を受けるスペインの王室ではフェリペ4世が有名です。

とにかく好きになったらまっしぐら、手に入るものは拒まずという感じで
情事を繰り返していたらしいのですが、一番有名なのがマリア・カルデロンです。
ラ・カルデローナという名前で女優をしていました。

なぜ彼女が有名かというと、お子様はたくさんできたんだけど、なぜか王子が生まれない
あるいは長生きしなくて後継ぎが定まらないスペイン王家に
ファン・ホセという立派な男子をもたらしたからということでしょうか?
それが後々混乱を呼ぶのですが…

スペイン語がわかればたぶん書いてあるのでしょうけど、両親のことはわかりません。
16歳の時には女優として舞台に立っていたということです。

二人の出会いには諸説ありますが、コラル・デ・ラ・クルスという劇場での
デビュー公演でフェリペが見初めたという説と、旧王宮に招いた劇団にいたマリアに
フェリペが言いよった、という説が有力みたいです。

二人はすぐに恋に落ちたということなのですが、実はマリアにはすでに夫がいまして
その上、妻を亡くしたメディナ公ラミロ・ペレス・ゴンザレスと愛し合っていました。
     
すったもんだの末、フェリペはメディナ公を追放し、マリアに女優をやめさせ
とうとうマドリード宮殿で暮らすことを承諾させました。
(メディナ公は当時のスペインの有力者の娘婿でした。
 追放にはもしかしたら政治的な理由もあったかもしれませんね)

ここからはしょうるけど…
決闘まがいの事件や恋敵の追放までして、なかば強制的にマリアを手に入れたフェリペは
1629年にマリアが男の子を生むと、宮殿から追い出すことにしました。
息子のファン・ホセは、どうやらメディナ公の子供だというウワサもたっていたようです。
マリアはいやがったようですが、結局二人の関係は終わりました。

マリアはその後も女優を続けていましたが、夫とはどうなったのか
メディナ公とはどうなったのか、詳しいことはわかりません。

1642年、マリアは修道院行きを強制されました。(本人が熱望してという説もあります)
この年になにがあったかしら?

王妃イサベル・デ・ボルボーンが亡くなるのも
マリアナ・デ・アウストリアとの再婚もまだ先だし…
息子ファン・ホセの台頭はもっともっと後だし…

いずれにしてもマリアはサン・ファン・バウティスタの修道院で尼僧になり
翌年に修道院長になりました。

たった2年のお付き合いで王と別れて13年、もうほっといてあげたらどうか?
権力者に気に入られるというのも、ただただラッキーというわけではなさそうですね。

(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活』 Wikipedia英語版)

だからって浮気のことばかりではない真面目な一冊です
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ひとことK-POPコーナー



잘 돌아왔어요 SHINee 앞으로도 사랑해요 SHINee


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イギリス王エドワード7世愛妾 アグネス

2017-08-16 09:34:38 | 王の寵姫・愛妾
王妃(正妻)のお気に入り
アグネス・カイザー


1852〜1941/愛妾 1899〜1910

101人の愛人がいたというエドワード7世!!
以前アリス・ケペルデイジー・ウォーリックジェニー・チャーチルなど
何人か有名どころをご紹介しましたが、まだまだいますよ!!

今回は、王妃アレクザンドラ・オブ・デンマークが一番気に入っていたという
アグネス・カイザーをご紹介しますね。

アグネスは、裕福な株式会社の共同経営者チャールズ・カイザーの娘として
ミドルセックスで生まれました。
なぜ裕福な家の娘がそうなるのか不思議なんだけど、お年頃になると
クルティザンヌ(高級娼婦)になっちゃったのね。
親が株の取引に失敗しましたか? それとも勘当されちゃったとか?        
         
アグネスはクルティザンヌのかたわら博愛主義者でもあって、結婚はせず
公の慈善活動に精をだしていました。

第二次ボーア戦争の際、アグネスと妹のファニーは、自宅を帰還兵のための病院にします。
エドワードはこの病院の、最初のパトロンでした。
どちらが先かわからないんですけど、アグネスはこの頃エドワードの愛妾になっています。
この病院は、2000年にエドワード7世病院という名称になり、現在では王室御用達です。

アグネスは戦争が終結した後も、傷を負った兵士たちの世話を続けました。
彼女の病院のゆきとどいた世話と親切さは人々に知れ渡り
経営者であるアグネスは、その手腕で名声を高めました。

アグネスは、1901年2月に、デイム(男性のサーにあたる)称号を与えられました。
また、同年8月にはファニーとともに赤十字から表彰されました。
アグネスは博愛精神に、ファニーは南アフリカでの看護活動に対しての表彰でした。

こう言っちゃなんだけど、もとは(高級だけど)娼婦なんですよ。
そして(いくら相手が王様とはいえ)世の妻を脅かす愛人です。
おおらかというかなんというか… 今なら “ 衝撃! アグネスの黒い過去 ” なんて見出しで
週刊誌とかに書かれちゃいそうですよね。

アグネスの熱烈な慈善精神は、王室にも気に入られ、ジェニー・ジェロームを除いては
最も王家に受け入れられた愛妾でした。

また、エドワードと精神的に一番結ばれていたとも言われ
エドワードが亡くなるまでお付き合いがありました。

引退後は荘園で暮らしていたのでしょうか?
1941年に88歳で亡くなりました。



               
君主たちのお気に入り
オルタンス・シュナイデル


1833〜1920/愛妾 不明

オルタンスはアグネスとは違って、長くお付き合いしたお相手ではありません。
エドワード7世は、偉大なオペラ歌手オルタンスの、数多い崇拝者のひとりという感じ?
サラ・ベルナールとかリリー・ラングトリーなどと同じカテゴリーに入りますかね?

ボルドーで生まれ、アジャンで1853年にデビューしました。
パリのヴァリエテ座に立つようになって、作曲家オッフェンバッハの目にとまり
1855年に彼の誘いでブッフ・パリジャン劇場に出演してからは、人気急上昇!
その後はロンドンやサンクトペテルブルクなどでも公演を行い喝采を浴びました。

オルタンスがロンドンで貴族の社交界への出入りを許された、ということから
エドワードの愛人になったとウワサされたそうです。
わかりやすいですね…

オルタンスの崇拝者にはルイ・ナポレオンもいまして、皇室一家のお気に入りでした。

1878年、45歳の時に結婚して引退し、1920年に87歳でパリで亡くなりました。

オルタンスの、舞台上での気迫というのはすごかったそうで、おおいに賞讃されたそうです。
君主たちの愛人というより、偉大なオペラ歌手として後世に伝えられていた方が
本人としては幸せだったんじゃないでしょうか?
オペラに詳しい方はご存知なのかしらね?

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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ひとこと王室コーナー
ヘンリー王子が婚約ですってね?
エリザベス2世はOKするのでしょうか? ドキドキですね


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イギリス王エドワード4世愛妾 エリナー

2017-07-29 09:28:37 | 王の寵姫・愛妾
少年王の悲劇を招いた(かもしれない)愛妾
エリナー・タルボット


生年不詳〜1498/1461〜1464

エリナーは、愛人盛りだくさんのエドワード4世の愛妾のひとりです。
シュルーズベリー伯ジョン・タルボットの娘です。
13歳ぐらいでスードリー男爵ラルフ・バトラーの息子トマス・バトラーと結婚しました。

1461年にトマスが亡くなると、スードリー男爵は、結婚した時に息子に譲った領地を
エリナーから取り上げてしまったんだけど、結局継承させる人がいなくて
エドワード4世に没収されてしまいました。

エドワードが女たらしと評判になっているのを知ってか知らずか
エリナーは「領地を返してくださいませ」とお願いしに訪ねて行きました。

エドワードはさっそく自分のお相手をするようにと言ってみたんだけど、エリナーは拒否。
それで「結婚するから…」と口説いたわけですね。
やっぱりエリナーの作戦に思えない?
           
ところが、エドワードはこっそりエリザベス・ウッドヴィルと結婚しちゃいます。
エリザベスも「結婚してくれないなら…」作戦だったけど、何が勝敗をわけましたかね?

エドワードはエリザベスと結婚予告もなしに結婚しています。
エリナーに知られる前に、と結婚を急いだかららしい… 恐ろしい女性だったんですかね?

しかしこれは事実ではなくて、エドワードは当時の権力者で従兄弟の
ウォーリック伯リチャード・ネヴィルをはじめとする相談役の激怒を恐れていたからでした。
少しはエリナーを恐れていたのかもしれないけど…

結局、エドワードの極秘結婚はウォーリック伯にバレちゃうんだけど
エリナーはその後も「私はエドワードと結婚したんだってば!」と主張していました。
そう言い続けたまま1468年に亡くなり、ノリッチの修道院に葬られました。
エドワードもエリザベスも胸をなでおろしたことでしょう。

ところが、事はそう簡単には終わりませんでした。
はしょるけど、エドワードがエリナーと結婚を約束して関係を結んじゃったことが
王室の行方を大きく変えることになります。

1483年、エドワード4世の死から数週間後、ひとりの聖職者が
エドワードはエリザベスの前にエリナーと挙式していた、と証言しました。
これはグロースター公リチャード(3世)の策略だとも言われてますが
この証言でエドワードとエリザベスの結婚は無効になり
したがって、少年王エドワード5世は廃位され悲劇的な結果をまねきます。

ちなみに、チューダー王朝に入ってからの記録は、エドワードが挙式したのは
他の愛人エリザベス・ルーシーだったとなっています。
彼女にはエドワードのとの間に庶子ライル男爵アーサー・プランタジネットがいました。
結婚が正式なものなら後継者は彼だから、リチャード(3世)は正式な王ではない!と
いうことになって、ヘンリー7世がリチャード3世を倒した大義名分になるわけね。

ほいほい愛人作ったことが、その後の王家の流れを変えてしまったわけですね。
王様ともなると、よーく考えて行動せねばなりませんね。

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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ひとことK-POPコーナー
今年もSMTOWNに行って来ました〜! 1日だけだったけど。 しゃをる棒… 会場で急いで制作してみました

3ヶ月ぶりのSHINee、最後の最後に5人を近くで見られて嬉しかったです
EXOのD.Oも至近距離で見られた! かわいかった〜  とにかく楽しい4時間超でした
やっぱり、ドンへとウニョクが登場した時は少し涙がでちゃったよね、おかえり! ユノとシンドンもおかえりなさい


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イギリス王エドワード4世愛妾 ジェーン

2017-07-24 20:51:21 | 王の寵姫・愛妾
エンタメ界もだまってない “ 性悪女 ”
ライモン夫人 ジェーン ・ショア


1445〜1528/愛妾 1475〜1483

ヨーク家初の王、エドワード4世は、人妻大好き!の浮気者で
数多くの愛妾をかかえていて、ジェーンもそのひとりでした。

しかし、王自身が「この王国で最も軽薄で狡猾で手におえない売春婦だ!」と
言い放ったお相手でした。
いったいどんな女性だったんでしょうね?

ジェーンは、ロンドンで成功していた商人ジョン・ランバートの娘でした。
エリザベスと名付けられましたが、ミドルネームのジェーンの方が知られているようです。
     
ジェーンは父親の店のおかげで上流の人々と会える機会が多く、マナーも覚えていきました。
とても知的だと言われ、美しさも “ ロンドンの薔薇 ” と讃えられるほどでした。

そりゃあモテモテだったでしょうよ!
ジェーンの数多い讃美者の中には、エドワード4世の親友ヘイスティング男爵もいて
結婚するまでお付き合いをしていたようです。

かなり若い頃、15歳ぐらい年上の商人ウィリアム・ショアと結婚しました。
ウィリアムはかなり裕福でハンサムだったのですが、ジェーンは夫を愛せなかったようです。
夫の申し立てで離婚する1476年の1年ぐらい前から、エドワード4世の愛妾になっていました。

しかし、王様の愛妾になっただけでは満足しなかったみたい。
エドワード4世妃エリザベス・ウッドヴィルと前夫との長男ドーセット候トマス・グレイと
付き合ったり、ヘイスティング男爵と再燃したりしてます。
  
ちなみに登場人物の相関図はこんな感じ… すごいっすね!

ところが、手におえないと言ってみたり、こんなに奔放なところを見せられても
エドワード4世はジェーンを捨てることはなく、死ぬまで愛妾にしてました。

1483年にトマス・グレイとヘイスティング男爵は反逆罪で処刑されます。
その際、ジェーンが逃走中のトマス・グレイを匿ったという罪で
リチャード3世から公開懺悔を命じられ、日曜日の町をひきまわされました。
下がその時の様子です。 よっぽど有名な話なのか、他にも何枚か絵が残ってます。

           

もし当時ワイドショーとかタブロイドとかあったら、毎日大にぎわいだったでしょうね!

でもこれで終わらないのが “ THE 女 ” として生きる女性のすごいとこ!
石で打ち殺された というのは嘘で、姦通罪で監獄に入っている間に
王室弁護士トマス・ライモンを誘惑して恩赦で出所すると、まんまと結婚しちゃいました。
ちなみに、ライモンは周囲の人に結婚を止めるようかなり説得されたそうですけど…

そんなライモンに恥をかかせちゃいけない!と思ったのでしょうか?
それとも娘さんの誕生を機に改心したのかしらね?
結婚後は立派な中産階級婦人として生きたみたいです。

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

  

ひとことドラマコーナー
『ごめん、愛してる』が始まりましたね。 わたしは韓国版はギブアップしちゃったんですけど日本版はどうでしょう?
と思ってたけど、日曜日が休みじゃないことが多いので2話しか見てない… 今のところダンナさんが見続けてます


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イギリス王ジェイムズ2世愛妾 キャサリン

2017-07-03 10:42:16 | 王の寵姫・愛妾
ジェームズ2世好み その2
ポートモア伯夫人 ドーチェスター伯 キャサリン・シドリー


1657〜1717/愛妾 1673〜1704

かなり長い間ジェイムズ2世の愛妾だったキャサリンは
劇作家の男爵チャールズ・シドリーの娘でした。
ジェイムズがまだヨーク公時代、メアリー・オブ・モデナの侍女をしていて
愛妾になりました。

ジェイムズがキャサリンを選んだ時、彼女自身も「え? なんで?」って感じだったそうですが
美形ではなかったみたいです。
ただ、(でました!)ウィットには富んでいて、才媛として知られていました。
        
1686年、キャサリンはドーチェスター伯に叙位されました。
これは世間のものすごい怒りを買ってしまい、キャサリンは一時アイルランドに避難します。
でもこれはキャサリンだけのせいではないかもね。
すでにプロテスタント派からの、ジェイムズ2世に対する反感は高まっていましたから。

1696年、39歳のキャサリンは、デヴィッド・コリアー卿と結婚しましたが
ジェイムズと切れたわけではなさそうです。
コリアーは1703年にポーツマス伯に叙位されました。

1688年にジェイムズ2世が亡命する際に、自分の領地を下院に取り上げられた時は
自ら下院に乗り込み阻止したり、メアリ−2世がキャサリンの宮廷への出入りを拒んだ時は
異議を唱えたり…と、勇ましい一面があったようです。
でも宮廷からは追い払われたけどね。

ジョージ1世の時代になってから…ということは、もう50歳後半ですけど
宮廷への出入りを許されたみたいで、そこでルイーズ・ケロワール
エリザベス・ヴィリアーズと出会ってます。
こうみると女性って長生きね。 それとも王様が若い愛人ばっかりつくってたから?

嬉しい宮廷復帰から3年後、バースで亡くなりました。
原因はわかりませんが、温泉地だから療養でもしてたのかしらね?

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

  

ひとことK-POPコーナー



テミンペンRちゃん待望の TAEMIN The 1ST STAGE NIPPON BUDOKAN に行って来ました
SHINeeとは違う独特の世界観があってステキでした。 短かったけど… 全力投球だったんだね、きっと
でも、オニュとジョンが同じ会場にいたのに〜〜 席がVIP席の真上でひとっつも見られなかった〜〜 おーひおひおひ


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イギリス王ジェイムズ2世愛妾 アラベラ

2017-06-19 22:06:44 | 王の寵姫・愛妾
ジェームズ2世好み その1
チャールズ・ゴドフリー夫人 アラベラ・チャーチル


1648〜1730/愛妾 1665〜1674

国を追われ、実の娘に王座を譲らなければならなかったジェイムズ2世は
1660年、ヨーク公時代に、姉の侍女だったアン・ハイドと結婚しましたが
1665年頃から初代モールバラ公ジョン・チャーチルの姉アラベラを愛妾にしていて
最終的には公妾にしました。
     
アラベラは、お顔はそんなに美しくはなく、スタイルもどちらかというと痩せぎすで
あまり良くなかったのですが、脚がキレイだったんですって。

でも当時は長いドレス着てますよね?
アラベラは、ジェイムズも参加した狩猟の時落馬して脚を見られてしまったのね。
その後愛妾になったということです。

ジェイムズ2世は、奥さまのアン・ハイドといい、他の愛妾といい
見た目の美しさというよりは会話が面白いとか機智に富んでいるとか
そういう理由でお相手を選んでいたみたいですね。
女性にとっては嬉しい王様です。
同時代のフランス宮廷ではそうはいかなかったかもしれないが…

アラベラは、アン・ハイド存命中からトータルで二男二女を生んでいます。
お子様たちが名乗った姓がフィッツジェイムズでした。

10年ほどの愛種生活の後、1674年にチャールズ・ゴドフリーという廷臣と結婚しました。
40年にわたる結婚生活はものすごく幸せだったそうですよ。
夫ゴドフリーの死から16年後の1730年に82歳で亡くなりました。

アラベラが愛妾になったことで、弟ジョンがジェイムズの小姓として召し抱えられ
チャーチル家躍進の第一歩になりました。
ジョンの奥さんセアラ・ジェニングスが女王アンに「レズビアンじゃなくて?」ってくらい
偏愛されて、ジョンが初代モールバラ公になります。
こんなことがあるから、皆さん躍起になって娘や姉妹を差し出したってわけね…

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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ひとことK-POPコーナー
日本ではSMAPがいろいろ議論になってるようですが、知らない間にSUPER JUNIORが大変な事になっているのね?
いったいSMTOWNには何人で登場するのかしら? ドキドキ…


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フランス王アンリ4世愛妾 シャルロッテ=マルグリート

2017-06-02 21:54:09 | 王の寵姫・愛妾
アンリ4世最後の恋?
コンデ公妃 モンモランシー公 
         シャルロッテ=マルグリート・ド・モンモランシー


1594〜1650/愛妾 不明

シャルロッテは、モンモランシー公アンリの娘さんで
“ たぶん ” アンリ4世の愛妾だった、と言われています。
なんでも、妊娠した時に「王と結婚する!」と言いふらしたので、王妃マルゴが激怒して
追い出そうとした…というエピソードがありますが、マルゴは1599年に離婚されてるんで
マリー・ド・メディスシスの間違いか、後から盛られた話だと思います。

       
アンリ4世は(人妻じゃないと姦通になるので)シャルロッテとコンデ公アンリ2世の結婚を
自らアレンジしました。
こうしてシャルロッテが15歳の時に結婚したわけなんだが
コンデ公はその後、シャルロッテを連れて自分の領地に逃げこんじゃって
1610年にアンリ4世が亡くなるまで宮廷に顔を出すことはありませんでした。
アンリ4世の面子丸つぶれ! 怒ったでしょうねぇ…

ということは、さきほどの「王と結婚する!」説はいつの話しなんでしょうね?
まさか15歳になる前? やっぱり誰かの作り話か?

夫のコンデ公は、枢機卿アンクレに冷遇された他の貴族たちと同調して
アンリ4世が生前進めてきた政策を破棄しようとして
1616年にヴァンセンヌに投獄されました。
この時、シャルロッテも一緒に投獄されて、長女アンヌはそこで3年後に生まれました。
投獄といっても夫婦で入っていられたわけね? 牢屋じゃなくてお部屋だったのかしら?

1632年に、兄のモンモランシー公が、枢機卿リシュリューへの反逆罪で処刑されたので
モンンモランシー公領を継承しました。

激動の青春時代の後は穏やかな生活を送っていたのか、あまりエピソードがありません。
夫コンデ公アンリ2世の死から4年後の1650年に、56歳で亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー


BIGBANGのファンミに行って、ジヨン・ヨンベ・テソンの今後の嬉しいニュースや
スンリの会社概要などを聞いて楽しく過ごしましたが、昨日悲しいニュースが…
でも「また5人でドームの舞台に立つ」という言葉を100%信じてます!


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フランス王アンリ4世愛妾 カトリーヌ

2017-05-23 23:47:18 | 王の寵姫・愛妾
母親と正反対… 宮廷を追われた愛妾
ヴェルヌイユ侯爵 
カトリーヌ・アンリエット・ド・バルザック・ダントレグ


1579〜1633/愛妾 1595〜1610

カトリーヌは、シャルル9世の唯一の愛妾マリー・トゥーシェ
アントレグ候シャルル・ド・バルザックの娘さんです。

侯爵の娘だから宮廷に出入りできただろうし、とても美しかったそうなのですが
さらに、なんとかアンリ4世の愛妾になろうというガッツも人一倍あったらしく
晴れてその座につくことができました。

なお、愛妾になるに際して、カトリーヌはアンリ4世に10万フランを払わせた上
結婚の誓約書まで書かせています。
アンリ4世は、カトリーヌを “ 性悪女 ” と呼んでいましたが、でも、愛妾にはするんだ?
        
結婚直前だったガブリエル・デストレが急死した時、アンリ4世はカトリーヌに
結婚すると約束したのですが、マリー・ド・メディシスと結婚してしまい
カトリーヌを激怒させました。
アンリ4世は彼女の怒りを鎮めるため、侯爵に叙位し城まで与えています。

でもカトリーヌはいつまでも根に持って、なんとかアンリ4世に腹いせをしようと
結婚誓約書を公表する!と脅しましたが、アンリ4世はまったく相手にしませんでした。
愛妾みんなに書いてたんじゃないかしらね?

それでも愛妾として宮廷にはいたんですね?
愛妾が宮廷内にいるだけでもムカつくのに、カトリーヌときたら
王妃マリーの歩き方とか訛りを真似してまわりを爆笑させていました。

マリーは、カトリーヌがアンリ4世をバカにしている手紙を手に入れ反撃に出ますが
アンリ4世から「ニセモノ見せやがって!」と叱られ、夫婦仲は最悪に…

1610年にアンリ4世が暗殺されて王妃マリーがルイ13世の摂政になると
他の愛妾共々宮廷から追い出されてしまいました。
そりゃそうでしょうよ!

その後はどうしていたのかしら?
1633年に亡くなりましたが、誰も喪に服さなかったようです。
アンリ4世との間に息子もいたんだけど、会っていなかったのかしら?

お相手の王様が亡くなってからも、華やかな宮廷ライフを送れる寵姫も
けっこういるんですけどね…
まわりに嫌われないようにするか、強力なバックを見つけておかなければね!!
何事にも戦略って大事ですね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことマツココーナー
さっき『マツコの知らない世界』見てたら駅メロが面白くなっちゃって、東横線の駅メロをYouTube で探したんだけど
渋谷・自由が丘・新丸子・武蔵小杉しか無いんだよぉ! なんだか寂しい…


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フランス王アンリ4世愛妾 シャルロッテ

2017-05-11 19:51:33 | 王の寵姫・愛妾
女スパイ団から派遣された愛妾
ソーヴェ男爵夫人 シャルロッテ・ド・ソーヴェ


1551〜1617/愛妾 1572〜1574

愛妾が50人以上いたという、アンリ4世。
以前ガブリエル・デストレをご紹介したのですが、他にもまだまだいるんだから!
ほんの一握りですがご紹介したいと思います。

まずはシャルロッテ・ド・ソーヴェです。
サンブラン男爵ジャック・ド・ボーヌの娘さんで、ものすごく美しかったらしい。
美しいので、カトリーヌ・ド・メディシスが主催する野外劇やバレエに参加したばかりか
悪名高い “ 遊撃隊(直訳)” というグループに属しておりました。

このグループは、カトリーヌ・ド・メディシスが美女ばかりを集めて結成しました。
スパイをしたり重要人物から情報を集めたり…というようなことをしていたらしい。
すごーい! フランス宮廷の美女スパイ軍団… 映画になりそうじゃない?

シャルロッテは18歳の時に、15歳以上年上のソーヴェ男爵と結婚しました。
彼はシャルル9世とアンリ3世の秘書を務めていて、シャルロッテは21歳の時には
政治の全てを把握していたということです。
         
シャルロッテは、マルゴがアンリ(4世)と結婚する時、カトリーヌ・ド・メディシスから
スカウトされて例のグループに正式入団(?)し、マルゴの侍女に任命されます。
これは、アンリ(4世)の愛妾になって、彼に影響力を及ぼすためでした。
まんまとひっかかっちゃうアンリ…

だけどさぁ、マルゴはカトリーヌ・ド・メディシスの娘だよ。
自分の娘の婿に愛人を送り込むとは… 娘の幸せより自分の権力維持かぁ…
マルゴは、他の女性との浮気は許せてもシャルロッテは許せん!と
「ママとソーヴェはグルになって夫を陥れようとしてる」と記しています。

マルゴの愛人ボニファスとココナスが、シャルル9世への反逆罪で処刑された時
シャルロッテが一枚かんでる、という評判がたちました。

アンリ(4世)は、マルゴのことを信用していたわけではないと思うけど
この件に関しては説得を受け入れたみたいで、シャルロッテに不信感を持ちました。

それからそれから…
将来共謀して権力の座を脅かしそうな二人の若者を敵対させとこう、と考えた
カトリーヌ・ド・メディシスの指令で、アランソン公フランソワの愛人になりました。
アランソン公はアンリ(4世)の親友だったのですが、恋のライバルとなってしまいました。

シャルロッテのことを妖婦よばわりしていたマルゴは
“ あの女が二人の嫉妬心を煽るから、二人はは大志も計画も忘れて
彼女のことに一生懸命になっちゃって… ” と日記に書いてますし
アンリ(4世)も友人への手紙に ”宮廷では妙な雰囲気で、誰もが私がアランソン公に
殺されればいいと思っている。今にも切り合いになりそうだ” と書いてます。 
カトリーヌ・ド・メディシスの作戦、大成功!

この活躍の間、シャルロッテはソーヴェ男爵と死別し、ノワールムティエ候と再婚してます。
他にもギーズ公アンリやエペルノン公の愛人になっています。
カトリーヌ・ド・メディシスの差し金でしょうか?
ギーズ公の暗殺の直前までブロワ城にいたらしい… これも作戦なのか?

1599年、アンリ4世がマルゴとの結婚の無効を訴えた時、シャルロッテも証人になりました。
これによってアンリ4世は晴れて独身に戻れたそうで、マルゴにしてみればどんな愛妾より
シャルロッテが憎たらしかったでしょうね。

おおいにカトリーヌ・ド・メディシスのお役にたったと思われるシャルロッテは
1617年、66歳の誕生日の日に亡くなりました。

(参考文献 Wikipedia英語版)

シャルロッテの大活躍が描いてある(かもしれない)
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

 

映像で見たい方はこちら


ひとことロボットコーナー
欲しいなぁ TOYOTAのKIROBO mini  このあいだROBOHON持ってる人を見たんだけど可愛かった〜
39,800円か… うぅぅむ  まずは最近動かしてない家のRobiを動かしてみようっと


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フランス王シャルル9世愛妾 マリー

2017-05-02 21:48:02 | 王の寵姫・愛妾
愛妻家唯一の愛妾
アントレーグ候夫人 マリー・トゥーシェ


1549~1638//愛妾 1565〜1574

シャルル9世は、王妃エリザベート・ドートリッシュと仲睦まじかったと言われていますが
彼の唯一の愛妾と言われているのがマリー・トゥーシェです。
しかも、エリザベートと結婚する前からシャルル9世が亡くなるまでの
長い間関係がありました。

オルレアンのブルジョワの娘で、父親のジャンはユグノーの副官でした。
貴族ではないんだが、ジャンはマリーを他の上流階級の娘たちと同じように
宮廷に送りこむことに成功しました。

ひとことメモ
ブルジョワって、いいイメージがあるかもしれないんだけど、商工業を営む中産階級のことで
特にフランス革命後は “ 成り上がり ” 的な意味で使われることが多かったようです


マリーは十代後半にはシャルルの恋人になり、1573年には息子シャルルを生みました。
この子がシャルル9世の唯一の息子で、後にアングレーム公になります。
       
シャルル9世は息子誕生から1年後に亡くなるのですが、弟アンリ3世に
「マリーと息子シャルルのことを頼むね」と託していました。

アンリ3世は兄の言いつけを誠実に守り、シャルルの教育にあたりました。
また、マリーもシャルル9世への奉仕の見返りとして邸宅を与えられ
その後も宮廷に顔を出していました。
アンリ3世は、兄の未亡人エリザベートとも結婚しようとしてんのよね! 断られたけど…
すごい兄思い!

シャルル9世の死から5年後、30歳のマリーはアントレグ候シャルル・バルザックと
結婚しました。

娘のカトリーヌは、母の後を継いで… というか、アンリ4世の愛妾になります。
ただ母マリーとはちょっとちがうタイプだったみたい… 詳しくは次回に。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

photos from Kstyle

終わっちゃった…
 SHINee WORLD 2017 ~FIVE~ ツアー
追加の代々木も1日しか行けなかったし… 東京ドームはやらないのぉ? 今年の後半をどう乗り切ればよいのかしら?
まずは5/4公開の、ONEW&Rocoのコラボ “ 睡眠薬 ” を、クビを長ーーーーーくして待ってるところ…


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