
母エリザベスと姉妹たち
どれがアンだか私にはわかりません…
ハワード家、台頭の狼煙を上げる
エドワード4世王女 アン・オブ・ヨーク
サリー伯トマス夫人
1475~1511
エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの四女マーガレットは
生後8ヶ月で亡くなりました。 アンは五女です。

エドワード4世は、アンが4才の時に
オーストリア大公マクシミリアン(後の神聖ローマ皇帝)と契約書を交わしましたが
その中には公子フィリップとアンの結婚も含まれていました。
マクシミリアンは神聖ローマ皇帝になれる好機を掴んでいて
妃のマリーを通じてエドワード4世との同盟にこぎつけました。
(マリーの継母がエドワード4世の妹マーガレットで、義理とはいえ仲の良い母娘でした
相思相愛のマクシミリアンとマリーの成婚の危機を救ったのもマーガレットです)
しかしこの婚約もエドワード4世が亡くなったことで白紙になります。
お家の状況で容赦なく変わる結婚相手…少女にとっては辛い経験ですよね。
フィリップは “ 美公 ” とまで言われたハンサムさんでした。
アンだって心ときめかせていたかもしれないのに… 幼かったから大丈夫だったかしら?
その後フィリップが結婚したのが有名なファナ・ラ・ローカです。
1494年頃、アンはサリー伯(後のノーフォーク公)トマス・ハワードと結婚しました。
トマス・ハワードは後にヘンリー8世の王妃になるアン・ブリーンと
キャサリン・ハワードの伯父にあたります。
(アンの母エリザベスと、キャサリンの父エドマンドの兄)
息子トマスは十代で亡くなっています。
他にヘンリーとウィリアムと子供もいましたがすぐ亡くなったようです。
36歳で亡くなりテットフォード修道院に葬られました。
宗教改革後にハワード家の人々ともに聖ミカエル大天使教会に移されました。
サリー伯は1年後、バッキンガム公エドワード・スタッフォードの公女エリザベスと
(しぶしぶ)結婚しました。
ふたりの娘のメアリーが、ヘンリー8世が唯一認知した庶子
リッチモンド公ヘンリー・フィッツロイに嫁ぎます。
ハワード家は、エドワード4世亡き後リチャード3世に忠勤を尽くし
ノーフォーク公を叙爵されて、ヨーク家と争ったボズワースの戦いでは
テューダー家の敵側にいました。
戦後捕われていたサリー伯の父トマスがヘンリー7世に認められて
2代目ノーフォーク公になりました。
アンの夫トマスは2代目ノーフォーク公の息子で、3代目ノーフォーク公です。
ハワード家はここからがんがんテューダー家に入り込んでいったわけですね。
(参考文献 森護氏『英国の貴族』『英国王室史話』
江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)
どれがアンだか私にはわかりません…
ハワード家、台頭の狼煙を上げる
エドワード4世王女 アン・オブ・ヨーク
サリー伯トマス夫人
1475~1511
エドワード4世とエリザベス・ウッドヴィルの四女マーガレットは
生後8ヶ月で亡くなりました。 アンは五女です。

エドワード4世は、アンが4才の時に
オーストリア大公マクシミリアン(後の神聖ローマ皇帝)と契約書を交わしましたが
その中には公子フィリップとアンの結婚も含まれていました。
マクシミリアンは神聖ローマ皇帝になれる好機を掴んでいて
妃のマリーを通じてエドワード4世との同盟にこぎつけました。
(マリーの継母がエドワード4世の妹マーガレットで、義理とはいえ仲の良い母娘でした
相思相愛のマクシミリアンとマリーの成婚の危機を救ったのもマーガレットです)
しかしこの婚約もエドワード4世が亡くなったことで白紙になります。
お家の状況で容赦なく変わる結婚相手…少女にとっては辛い経験ですよね。
フィリップは “ 美公 ” とまで言われたハンサムさんでした。
アンだって心ときめかせていたかもしれないのに… 幼かったから大丈夫だったかしら?
その後フィリップが結婚したのが有名なファナ・ラ・ローカです。
1494年頃、アンはサリー伯(後のノーフォーク公)トマス・ハワードと結婚しました。
トマス・ハワードは後にヘンリー8世の王妃になるアン・ブリーンと
キャサリン・ハワードの伯父にあたります。
(アンの母エリザベスと、キャサリンの父エドマンドの兄)
息子トマスは十代で亡くなっています。
他にヘンリーとウィリアムと子供もいましたがすぐ亡くなったようです。
36歳で亡くなりテットフォード修道院に葬られました。
宗教改革後にハワード家の人々ともに聖ミカエル大天使教会に移されました。
サリー伯は1年後、バッキンガム公エドワード・スタッフォードの公女エリザベスと
(しぶしぶ)結婚しました。
ふたりの娘のメアリーが、ヘンリー8世が唯一認知した庶子
リッチモンド公ヘンリー・フィッツロイに嫁ぎます。
ハワード家は、エドワード4世亡き後リチャード3世に忠勤を尽くし
ノーフォーク公を叙爵されて、ヨーク家と争ったボズワースの戦いでは
テューダー家の敵側にいました。
戦後捕われていたサリー伯の父トマスがヘンリー7世に認められて
2代目ノーフォーク公になりました。
アンの夫トマスは2代目ノーフォーク公の息子で、3代目ノーフォーク公です。
ハワード家はここからがんがんテューダー家に入り込んでいったわけですね。
(参考文献 森護氏『英国の貴族』『英国王室史話』
江村洋氏『ハプスブルク家の女たち』 Wikipedia英語版)
ノーフォーク公ってエリザベス1世のときに謀反に加担しますよね?
↑メアリ・スチュワートがエリザベスを暗殺しようとするヤツ
なんだか頭の中がゴチャゴチャになってきてます^^;
キャサリン・ハワードは若い奥さんの方ですよね
パーが年増のほうですよね?
言い方がひどくてすみません><(汗
森護先生の『英国の貴族』によるとハワード家の前にはモウブレイ家が何代かノーフォーク公になっていて、その後エドワード4世の次男リチャードに与えられ、リチャード殺害後、リチャード3世によってハワード家に与えられています。
一度は剥奪されたんですがヘンリ-7世によって復活しました。
ヘンリー8世時代には3代目が反逆罪で処刑寸前までいってますし、エリザベス1世時代には4代目が処刑までされていますが、復活を果たしてきています。
14代目からフィッツアラン=ハワード家になって今に至っています。
キャサリン・ハワードは若くして処刑された5人目の妻です。
キャサリン・パーが6人目で、ヘンリー8世を看取った妻です。
テューダー王朝はなんだかドロドロしてて、掘り下げていくと楽しそうですよね