まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

ボヘミア公オルドジフ妃 ボジェナ

2017-09-28 21:10:56 | ボヘミア王妃
ドラマのような玉の輿
オルドジフ妃 ボジェナ


生年不詳〜1052/在位せず

異母兄ボレスラフ3世からプラハを取り戻したヤロミール&オルドジフ・ブラザーズ。
しかし、共通の敵がいなくなると、自分が優位に立ちたくなるものなのかな?
ヤロミールは1004〜1012年と1033〜34年、オルドジフは1012〜1033年と1034年
2回づつ即位しています。

で、ヤロミールは最後はオルドジフに投獄されて亡くなります。
結婚していたかどうかは不明なのですが、去勢されたって…
       
さて、オルドジフですが、最初は貴族の女性と結婚していたそうです。
しかし子供ができないので、愛妾だったボジェナと再婚しました。

ボジェナの素性はさっぱりわかりませんが、伝説によると
オルドジフがペルツへ狩りに出かけた時、美しい娘を見かけ天にも上る気分になったと…

ラブ・ハンターになったオルドジフは「動物なんか狩ってる場合じゃない!」と
さっさと切り上げ、彼女をプラハに連れ帰ったということです。
拉致ってるし… 親御さんは悲しんだことでしょう。
それとも自分からホイホイついて行ったのかしら?

“ 村で出会った ” ということで、ボジェナは身分が低かったと見られています。
オルドジフとボジェナは貴賤結婚ということになっていますが
ブジェチスラフという息子を生んだことで、プシェミスル家の救世主と呼ばれました。

有名な話しなんでしょうね? たくさん絵が残っているみたいです。
いかがでしょう? イヤがってるんでしょうか? 誘ってるんでしょうか?

   


              
           野性味溢れるJarmily Haldovéさん作ボジェナ

オルドジフの後は、息子のブジェチスラフ1世が即位しました。
ボジェナを母に持つブジェチスラフは、母親の身分の低さからずっと庶子扱いされていて
身分の高い女性との結婚の必要性にかられていました。
そんなわけで、バーベンベルク家のジェトカを拉致っちゃう、という行動にでます。
すぐ連れ去っちゃうのは親ゆずり?
              
             Jarmily Haldovéさん作ジェトカ

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
京セラドームも終わって、今年はこれで終わってしまうのかしら… と、虚無感とともにすぎていく毎日ですが
テミンが言ってくれた「今度はみんなで…」を心の支えに生きていきます


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ボヘミア公ボレスラフ2世妃 エンマ

2017-09-23 21:43:48 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作

王妃? 公妃? 掘り間違えちゃった?
ボレスラフ2世妃 エンマ


950〜1006/在位 989〜999

家系図、アディヴァの使い回しですみません…
          
素性ははっきりしていませんが、生没年は(不正確ながら)入ってますよ〜
ブルゴーニュ公家の公女らしいです。
西フランク王ロタール1世の未亡人と同一人物だという説もあるそうです。
そうだとするとイタリア(南フランク)王ロタリオ2世王女ということになります。

999年にボレスラフ2世が死去して、前妃アディヴァの息子ボレスラフ3世が
ボヘミア公になりました。
すると、怖れをなしたエンマは子供たちを連れてバイエルンの宮廷に逃げ込みました。
さては結婚する時に、アディヴァにひどい仕打ちでもしましたかね?

ちなみに、ボレスラフ3世は “ ボヘミア君主の中で最低 ” と言われてるらしい…

1001年にエンマの息子たち、ヤロミールとオルドジフが
神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世の援護をうけてボヘミアに戦いを挑みました。
これは神聖ローマ帝国支配からの、ボヘミア支配を決定的なものにします。

1004年にヤロミールはプラハを占領し、君主だと宣誓しました。
エンマはボヘミアに戻ってムニェルニークで過ごしたとされています。

エンマの存在を裏付けているのは、ビアゴタ同様コインに刻まれていたということで
コインには “ 公妃 ” ではなく “ 王妃 ” と彫られています。
ボヘミアで初めて王になるのはブラチスラフ2世(1085〜1092)なんだけどな…

ボレスラフ3世(999〜1002/1003)は、未婚じゃないようなんですが相手がわかりません。
ヤロミールとオルドジフがプラハ奪取のために戦っている間に
一瞬王になったブラジヴォイ(1002〜1003)は既婚だか未婚だか不明です。
ブラジヴォイは、ボレスラフ1世とビアゴタの娘ドゥブワヴカ
初代ポーランド公ミェシュコ1世の息子です。

国内にいる親戚縁者だけでも「俺がなる!」と大騒ぎなのに、嫁ぎ先まで絡んでくるとは…

その後は、ブラジヴォイの兄弟にあたるボレスラフ4世が一瞬ボヘミア公になりました。
ボレスラフ4世は、ポーランド王ボレスワフ1世で、ハウニルダ、ユディタ
エムニルダ、オダと、4回結婚しております。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことニュースコーナー
ユアタイムが終わっちゃう〜  報道ステーション → ニュース23 → 半からユアタイム というのが
家の夜の過ごし方だったのに… 10月からももニュース番組?  どなたがMCかしら?


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ボヘミア公ボレスラフ1世妃 ビアゴタ

2017-09-11 22:51:46 | ボヘミア王妃
                Jarmily Haldovéさん作

かなりふんわり・・・なアウトライン
ボレスラフ1世妃 ビアゴタ


生没年不明/在位 935〜972

聖ヴィート大聖堂を建て、チェコの聖人として奉られているヴァーツラフ1世は
未婚なのか、お妃の記述が見あたらん…
でも愛妾というか、内縁の妻はいたらしいです。 聖人で内縁…
どうも中世の敬虔さってよくわかりません。
                
             この方らしいです Jarmily Haldovéさん作

で、そのヴァーツラフを暗殺し君主になったボレスラフ1世なのですが
そのお妃のビアゴタも “ たぶん ” 妻だった…ということです。
何枚かビアゴタが刻まれたコインがあって、妻だろう、と信じられています。

ただ確証がなく、成人した四人のお子様の母親かどうかもはっきりしていません。
出生も生い立ちもわかりませんが、ビアゴタというのはブルガリア系の古い名前だそうです。
           

                    
さらにふんわり・・・な存在
ボレスラフ2世妃 アディヴァ


生没年不明/在位せず

ボレスラフ1世の公子で、ボヘミア公になったボレスラフ2世は
2回結婚したことになっているのですが、ひとり目のお妃さまのアディヴァは
ビアゴダを上回る “ いたのかな? ” 感が漂っています。

ただ、後にボヘミア公になる、ボレスラフ(3世)のお母さまとされています。
若くして亡くなったのか、正式に結婚していなかったけど、息子の即位によって
結婚してた…ということになったのかもしれないですね。
Jarmily Haldovéさんのお人形の中にもいないのよ… 謎が深まりますね。

アングロ-サクソン王エドワード・ザ・エルダーと二人目のお妃エルフレッドの
子孫にあたると言われていますが、それはアディヴァという名前が
アングロ-サクソン系だという一点にかかってます。
          
イングランドの貨幣鋳造の影響をボヘミアが受けていた、というのも
存在したという理由のひとつになっているそうです。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことドラマコーナー
だんなさんが、『ごめん、愛してる』とともに、なぜか『ウチの夫は仕事ができない』にハマっちゃって
欠かさず見ているのだが、必ず文句言うんだよね。 そんなにイヤなら見なければ良いと思うのですけど…


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『Front Row アナ・ウィンター』伝記だけど…褒めてんの?

2017-09-07 19:51:55 | アメリカの作家
FRONT ROW ANNA WINTOUR 
2005年 ジェリー・オッペンハイマー

わたしは自己啓発本とか、成功した人のバイオグラフィーとかはほとんど読まないのですが
旦那さんが仕事がらみで購入してたので、せっかくだから読んでみました。

アナ・ウィンターと聞いてピンとこない方も、『プラダを着た悪魔』の
編集長のモデルと聞けば、なんとなく想像がつくのではないでしょうか?
もっとも、アナモデル説は、作者(ローレン・ワイズバーガー)が否定してるらしいです。
でも作者はアナの下でしばらく働いたことがあるのよね〜

で、内容はというと、アナの生い立ちが、両親の出会いから書かれていて
編集者になるまでとなってから、ヴォーグのエディターになって編集長になるまで
あとは恋愛を含む私生活のこととか、スキャンダルのことなどなど…です。
しかし、本人はこの本の出版をOKしたのかしら? 謎だわ。

もちろん、アナ・ウィンターは成功しているわけで、どのように登りつめたかというのが
最大のテーマだと思うんだけど… うーん、よくわかんない、何が言いたいんだろうか?

アナは、有名なジャーナリストの娘さんで、子供の時からファッションと美容に熱心でした。
小学生の頃からお肌とヘアケアのエステに通って自分磨きをしてました。
高校生になると、最先端の服を着て、有名人が集うクラブ通いをしてました。
制服がイヤだからと転校したり、制服をオシャレにリフォームして退学になりました。
つまり、スジがね入りのファッション・フリークなのね。

だから高校中退で大学も専門学校にも通わなかったのですが
ではなぜ一流紙のエディターになれたのでしょうか?

とりあえずは、父親のコネで雑誌業界に飛び込んだアナは「いつかはVOGUEに!」という
野望を胸につきすすんでいきます。

いいところはあるのよ。
効率よし・仕事熱心・ひらめきがすごい・人脈づくりが上手い… etc

その一方、とりあえず、お若い(下っ端の)頃からワガママです。
嫌いなヤツはいびり出す・ミーハーで・男性(特に上司)に取り入るのが上手らしい。
他人は怒り倒しても、自分が人前で怒られるとボロボロ泣く。
人のアイデアは盗むし、人の出世は邪魔するし、ってなわけで、やなヤツじゃない?

褒めといてけなす、持ち上げて落とす、褒めたたえる人のコメントがあってからの
「ヒドい目にあわされた」というコメント、の繰り返しで、だんだん飽きてきた。
けっこう分厚い本だったのよね。

どちらかというと、悪口の方が多かった気がします。
ふつう、こういう本って主役を褒めるもんじゃないの?

一番の驚きは、アナ・ウィンターって文才がないんですってさ!
あと、自分の企画や構想をプレゼンする能力がないんですと!! よく編集者になれたもんだ。

それでも雑誌業界・ファッション業界の女王になれたのは◯◯◯だからだ! という
説得力がないのよね。

美人でスタイルがよくて、オシャレへの関心は誰にも負けない!
でも文才とプレゼン能力がなく、高学歴でもないんだけど
どんな手を使ってもファッション雑誌の編集になりたい…という方には
なんらかの教訓が含まれているかもしれません。 おすすめはしませんけど…

おすすめはしないんだが・・・
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー
キソプ、大丈夫でしょうか? U-KISSペンのKちゃんもとても心配してましたが…
だいたい、なぜそんなに危険な撮影をアイドル本人にさせちゃうかしら? 美しい顔に傷が残ったらどうするのよ〜!!


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ボヘミア公ブラチスラフ1世妃 ドラホミーラ

2017-09-03 11:10:10 | ボヘミア王妃
でたよ!鬼嫁
ブラチスラフ1世妃 ドラホミーラ


877 o r880〜934 or 936/在位 915〜921

ボジヴァイ1世の後を継いだのは、息子のスピチフニェフ1世でした。
しかし2年で亡くなってしまいます。
妃の名前がわからないんですけど、少なくとも息子が二人います。

               
            この方らしいです Jarmily Haldovéさん作

その後を継いだのは、スピチフニェフ1世息子ではなく、弟のブラチスラフ1世でした。
妃は、ドイツ方面のHevelliというところのプリンスの王女ドラホミーラでした。
当時としては晩婚なのか、20代半ばでブラチスラフ1世と結婚しました。
         
二男四女のお子様が成人しました。

921年に夫ブラチスラフが亡くなり、息子のヴァーツラフが継承するのですが
ドラホミーラは、義母ルドミラに政治から外されてしまいます。
ルドミラは、ドラホミーラの息子二人に敬虔な教育を施していて
息子二人もルドミラを敬っていました。

特に兄のヴァーツラフは、多大な影響を受けていました。
ドラホミーラは「姑が長男を修道僧みたいに育てちまって!!」と怒り心頭です。
そして、それほど影響を受けていない次男のボレスラフに愛情を注ぎました。

            
               憎々しげに姑と息子を見る…の図

そして、ヴァーツラフ1世が即位した後、テティーンに隠遁したルドミラを
なんと!家臣に殺害させてしまいます。 引退したんだから、もういいじゃないの〜
ヴァーツラフはドラホミーラを追放しましたが、925年に呼び戻されました。

その後はプラハでおとなしくしていたんでしょうか?
934年死去説と、936年死去説があります。

935年にヴァーツラフが暗殺されるんですが、これは弟のボレスラフの画策らいいのよね。

934年死去だと、息子たちの争いを見ずにすんでたってことですね。
936年だと、弟が兄を殺したことへの心労がたたったということでしょうか?
でも、ドラホミーラは本当に何もからんでいなかったのかなぁ… と疑ったりもして…

                
               Jarmily Haldovéさん作ドラホーミラ

ドラホミーラは、オペラの題材にもなっているそうです。
姑殺しの悪女、息子を奪われた悲劇の母、どちらで描かれているのか気になりますね。

(参考文献 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー

SHINee WORLD 2017 -FIVE- Special Edition 東京ドーム に行ってきました



やっぱり泣けてきた… だけど、オニュの分まで頑張ってくれているジョンヒョン・キー・ミノ・テミンに
感謝の気持ちでいっぱいです。 今日も精一杯応援して、一緒に楽しんできます


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