![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/df/d2b5a14b38279b4d3e3c4a8070f70559.jpg)
横暴な夫に耐えて34年
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃 ゾフィア・ドロテア
フォン・ハノーファー
1687~1757/在位 1713~1740
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世はプロイセンを軍事的に強化した王で
彼がいなければ息子フリードリヒ大王の繁栄も無かったかもしれないんです。
立派な君主です。
でも女の目から見れば横暴としか言いようがないね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ゾフィア・ドロテアは大英帝国王ジョージ1世の王女です。
母は悲劇の王妃ゾフィア・ドロテア 。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/8a/83da11a7294e3361de4bdd745dca058f.jpg)
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は “ 軍人王 ” と呼ばれたほどで
軍事一本やり、芸術や学問にまったく興味がない男性でした。
一方ゾフィアは芸術に学問に造詣が深い女性でした。
1706年に結婚したいとこ同士のふたりでしたがあらゆる面で意見が一致せず
ゾフィアの結婚生活は不幸なものでした。
細かい事にまで口うるさく、万事を支配せずにはいられなくて
命令に背く者には容赦ない罰を浴びせたというフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は
家族にも同じように接していました。
家にいたら嫌だわ、こんな人![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
ゾフィアや子供たちは、絶えず王に怯えながら暮らしていました。
王太子フリードリヒ(後の2世)などは、ゾフィアと同じように芸術が好きだったため
虐待のような扱いを受けていたということです。
ゾフィアと王太子は図書室で何時間も語り合うのが好きで、仲の良い母子でしたが
これも王の怒りに火をつけたみたいですね。
あまりの仕打ちに王太子はゾフィアの生家英国に逃亡することを企てたことがあり
ゾフィアも手を貸すことにしたのですが、計画は結局失敗に終わります。
王太子は身柄を拘束されてしまいました。
一国の王太子が国を捨てようと決心するって… よっぽどのことですよね。
ゾフィアは天然痘の痕があり、決して美しいとは言えなかったそうですが
スタイルは良く、子供を14人
生んだ後も維持していました。
う、うらやましいですね
どうしたらそんなミラクルな事が?
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は浮気をしなかったという珍しい王で
子供も14人生まれていますが、これはゾフィアを愛していたからではありません。
王は、女性は男性に支配されるのが当たり前で、子供さえ生めばいいという
柳沢元大臣な考えの持ち主でした。
だから、ゾフィアは志も高く学問も積んでいた女性だったのに
決して彼女に意見を求めようとはしませんでした。
すごい男尊女卑! いくら中世でもひどい。
1740年、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は旅行中に持病が悪化して亡くなります。
ゾフィアもやれやれ… だったでしょうね![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp13.gif)
大好きな息子フリードリヒ2世も即位して、晩年は幸せだったのではないかしら?
横暴な亭主が死んだ後の未亡人てけっこう長生きするものなんですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/62/f1422998b03d401e2edfe58bc2728d93.jpg)
なんとなく幸せそうに見えたりして…
ゾフィアは王の死から17年後、70歳で亡くなりました。
フリードリヒ2世は大好きな母親の死に、深い哀悼の意を表しました。
(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』 Wikipedia英語版)
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世妃 ゾフィア・ドロテア
フォン・ハノーファー
1687~1757/在位 1713~1740
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世はプロイセンを軍事的に強化した王で
彼がいなければ息子フリードリヒ大王の繁栄も無かったかもしれないんです。
立派な君主です。
でも女の目から見れば横暴としか言いようがないね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
ゾフィア・ドロテアは大英帝国王ジョージ1世の王女です。
母は悲劇の王妃ゾフィア・ドロテア 。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/8a/83da11a7294e3361de4bdd745dca058f.jpg)
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は “ 軍人王 ” と呼ばれたほどで
軍事一本やり、芸術や学問にまったく興味がない男性でした。
一方ゾフィアは芸術に学問に造詣が深い女性でした。
1706年に結婚したいとこ同士のふたりでしたがあらゆる面で意見が一致せず
ゾフィアの結婚生活は不幸なものでした。
細かい事にまで口うるさく、万事を支配せずにはいられなくて
命令に背く者には容赦ない罰を浴びせたというフリードリヒ・ヴィルヘルム1世は
家族にも同じように接していました。
家にいたら嫌だわ、こんな人
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
ゾフィアや子供たちは、絶えず王に怯えながら暮らしていました。
王太子フリードリヒ(後の2世)などは、ゾフィアと同じように芸術が好きだったため
虐待のような扱いを受けていたということです。
ゾフィアと王太子は図書室で何時間も語り合うのが好きで、仲の良い母子でしたが
これも王の怒りに火をつけたみたいですね。
あまりの仕打ちに王太子はゾフィアの生家英国に逃亡することを企てたことがあり
ゾフィアも手を貸すことにしたのですが、計画は結局失敗に終わります。
王太子は身柄を拘束されてしまいました。
一国の王太子が国を捨てようと決心するって… よっぽどのことですよね。
ゾフィアは天然痘の痕があり、決して美しいとは言えなかったそうですが
スタイルは良く、子供を14人
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0158.gif)
う、うらやましいですね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は浮気をしなかったという珍しい王で
子供も14人生まれていますが、これはゾフィアを愛していたからではありません。
王は、女性は男性に支配されるのが当たり前で、子供さえ生めばいいという
柳沢元大臣な考えの持ち主でした。
だから、ゾフィアは志も高く学問も積んでいた女性だったのに
決して彼女に意見を求めようとはしませんでした。
すごい男尊女卑! いくら中世でもひどい。
1740年、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は旅行中に持病が悪化して亡くなります。
ゾフィアもやれやれ… だったでしょうね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp13.gif)
大好きな息子フリードリヒ2世も即位して、晩年は幸せだったのではないかしら?
横暴な亭主が死んだ後の未亡人てけっこう長生きするものなんですよね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/62/f1422998b03d401e2edfe58bc2728d93.jpg)
なんとなく幸せそうに見えたりして…
ゾフィアは王の死から17年後、70歳で亡くなりました。
フリードリヒ2世は大好きな母親の死に、深い哀悼の意を表しました。
(参考文献 鈴木晟氏『面白いほどよくわかる世界の王室』 Wikipedia英語版)
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この当時はゾフィア、あるいはエリーザベト(エリザヴェータ)が人気だったみたいです。
たぶんですけど、中世では上流階級向けの名前と下層階級向けの名前があったようです。
それから母親の名前をもらったり、祖母・伯母・叔母が名付け親になってつけたことで同名が溢れかえることになったみたいです。紛らわしいですよね
“ ◯◯家の~ ” “ ◯◯国 ” とかいうのがついているのですが、それでも同姓同名の人がいるんですよね。
Wikipediaで調べる時は生没年で区別していますが、肖像画の方は生没年で区別がつかないので困りものです。
だって、どれが本人に似ているか分からないんですものね
画家もできるだけ美人に書いていると思いますし…
詳しい情報ありがとうございましたm(_ _)m
ハワイの銅像の王様ですよね?
ハワイは一度手を出してみたのですが、島やごとに王様がいて、しかも神話みたいな話しが多くてやめた覚えがあります。
カメハメハ王は実在したんでしょうか?
こんばんは。
本当に晩年の肖像画、穏やかそうで幸せそう。夫はともかく長男とは気が合い、他にも子供がいて、お母さんのゾフィ・ドロテアに比べたら平穏な晩年だったのかもしれません。
それにしてもドイツの男ってなんでこんな無神経なんでしょう。好きでもない男に14人も子供を産まされるのも苦痛でしょうねえ。
ー詳しくは知りませんが、ハワイ諸島を統一した王(カメハメハ1世)とあり、実在したとばかり
ドイツ系の王様は、なんだか高度成長期の日本のお父さんみたいな気がします。
仕事戦士で家を顧みず、女子供は黙ってついてこ~い! という…
たまたまそういう人が王になっているのかもしれませんけれど。
確かにジョージ1世妃ゾフィアに比べれば、孤独ではなかったかもしれませんよね、
まわりが敵ばかりという状況でもなさそうですものね。
でも14人の出産は過酷ですよね、 マリア・テレジアみたいに大好きな夫ならまだしも…
ぱんださん
カメハメハの歌は「南の島の大王は????カメハメハ」ぐらいしか覚えていないんです。
でも確かにハワイの王様でしたね。
やはり子供を同じ名前にしてカメハメハ2世で即位したりしたんでしょうね?