まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

イングランド王ヘンリー8世妃 アン

2008-10-26 22:20:13 | イングランド王妃・王女
エリザベス1世の母
ヘンリー8世妃 アン・ブリーン


1507~1536/在位 1533~1536

キャサリン・オブ・アラゴンを王妃の座から退け、その椅子に座ったのは
一介の騎士、トマス・ブリーンの次女アンでした。
       
アンの母エリザベスは名門ノーフォーク公トマス・ハワードの娘でした。
一時宮廷に出仕していたことがあり、ヘンリー8世の愛人だったようです。
(アンはヘンリー8世の娘ではないかという噂がささやかれたことがあったようですが
 これはエリザベス・ブラントが生んだ子供と混同されたみたいです)

ともあれ、父母ともにヘンリー8世に気に入られ
ヘンリー8世の妹メアリーがフランス王ルイ12世に嫁ぐ際には
アンは姉メアリーと共に侍女としてフランス宮廷に出仕します。
(ちなみにこのフランス王ルイ12世妃メアリーは、じいさまとの結婚が不満で
 連日連夜ダンスをさせて早く死なせちゃったらしい・・・)

数年の滞在の後、ひと足早く帰国しヘンリ-8世の愛人となっていたメアリーを頼って
イングランド宮廷に出仕し、王妃キャサリンの侍女になります。
(しかし母子そろってとんでもありませんな  
 トマス・ブリーンは何をボーッとしていたのかね?)

そこでさっそく目をつけられたアンですが
すでにパーシー卿との縁談があった彼女はケントに身を隠します。
それがまたまたヘンリー8世を燃え立たせたのか
あるいはアンが「結婚できないなら・・・」と拒んだためか
ヘンリー8世はアンと結婚の約束をし、キャサリンとの離婚前に秘密裏に結婚します。

でも一国の王たる者、しかも時は絶対王政の頃でしょう?
その上 “ 横暴でわがまま ” で鳴らしたヘンリー8世ですよ。
侍女との約束を律儀に守ろうとするあたりがちょっと可笑しいね

めでたしめでたし、かと思いきや、アンが産んだのが王女エリザベス(1世)で
二人目の王子を流産したことから、ヘンリー8世の愛は急速に冷め
新たに見つけたジェイン・シーモアへと移っていきます。
(メアリーとアン、姉妹二人と関係をもったことによる
 神の祟りを怖れてという説もあります)

流産から4ヶ月後、アンは兄などらとともに姦通の罪で逮捕され
(無実の罪だという説があります)4日後に処刑されます。
アンは処刑にはればれと臨んだというあたりから、最後の数ヶ月
ヘンリー8世がアンに対してどれだけ辛辣で過酷だったか伺い知れます。

キャサリンの場合はバックにスペインも神聖ローマ帝国もついてたけど
アンの場合はねぇ・・・
女の命なんて、王の一存でどうにでもなっちゃう時代だったんですね。

余談です
映画『ブーリン家の姉妹』見なきゃ。

『クレーヴの奥方』を再読中なんですが、その中でメアリー・スチュアート
フランス王フランソワ1世がアン・ブリーンを愛していて
ルイ12世妃メアリーが帰国するときもアンをフランスに残したというような
ことを言うんですが、どうなんでしょう?
『クレーヴの奥方』は一応小説ですから・・・

ブーリン、ブリーン、ブリン いろいろ表記があるんですが
今回は本の通りブリーンにしました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

    
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『ギッシング短篇集』妻の役目って・・・( ̄-  ̄ )

2008-10-26 12:44:35 | イギリス・アイルランドの作家

ジョージ・ロバート・ギッシング

この短篇集全体が、思いどおりにいかない人のもどかしさを抱え込んでいるような、
そんな気がするんですけど、その中で “ 妻の役目ってなんだろう? ” と
考えさせられるものがいくつかありました。

『境遇の犠牲者(A Victim of Circumstance)/1891年』
画家を夢みて家族を貧しい目に遭わせながら大作を描き続けるカスルダインと
健気に彼を支える妻でしたが、ある時、妻が描いた風景画の方が
大家やコレクターの賞賛を浴びて夫婦は困惑します。

『塔の明かり(The Light on the Tower)/1895年』
人がいいだけでなんの才覚ももたないフリートウッドは、政治家を目指すと言って
毎日ぶらぶらするだけ、彼のまわりにいるのは寄生虫のような調子のいい輩ばかりで
彼は財産を食いつぶしてしまいます。

『クリストファアーソン(Christpherson)/1902年』
若く美しい妻が働いて得た稼ぎを、次々と本につぎ込んでしまう老いたクリストファーソンは
本を愛するあまり、妻が弱り家計が追いつめられていく事も見えなくなっていました。

『境遇の犠牲者』と『塔の明かり』は望み薄き夢追い人である夫を
陰ながら支える妻の話しですが、これを良妻というのか愚妻というのか悩むところです
その才能を持ち合せていないのは明白なのに励まし助けるということが
本当に当人にとって良い事なのでしょうか?

夫が会社をやめて、農業や民宿をやりたいというのであれば助けてあげられるけど
歌手になりたいとか馬術でオリンピックに出たいなんてことを言い出したらどうします?
もちろん、夫がめでたく開花すれば影で支える妻は美談の主役です。
でもねぇ・・・若くはないのよ、子供もいるのよ、大金持ちじゃないのよ、って場合。

中には応援し、支える奥さんもいるでしょうが、私はごめんこうむる!!
もっと地に足をつけて生きようね!って諭すわ、きっと。
早くあきらめさせてあげるのも、妻の大事な役目じゃないでしょうか?

『クリストファーソン』は本好きには耳が痛いお話です。
私もよく予算オーバーしちゃうもんなぁ。

でも、家庭がたちゆかなくなるまで自分の娯楽につぎ込んでしまう夫を
妻は優しい眼差しで見ているだけでいいんでしょうか?
譲り合いの心は大切ですけど、妻が夫に何もかも捧げ尽くすっていうのは納得いかないな
でも逆なら良かったりして・・・

ギッシングは、二度目の結婚で妻にした女性がヒステリックで落ち着いてものが書けず
その上、家計に不安を抱えてしまって大作をあきらめ
手っ取り早くお金になる短篇に切り替えたそうです。

彼も境遇の犠牲者だったんでしょうけど、そのおかげで
彼の短篇が多数生み出されたということでいえば、読者にとってはラッキーでした。
悪妻にはそういう役目があるということでしょうか?
モーツァルトなんかもそうでしたよね?

ギッシング短篇集 岩波書店


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イングランド王ヘンリー8世妃 キャサリン

2008-10-26 01:31:31 | イングランド王妃・王女
愛人呼ばわりされた王妃
ヘンリー8世妃 キャサリン・オブ・アラゴン


1485~1536/在位(1509~1532)

6人の王妃を持った王として有名なヘンリー8世ですが
当時王や貴族が複数の王妃を持っていた事は珍しいことではありませんでした。
3人、4人は当たり前、北欧のどこかの王様も6人と結婚していました。
ただ彼の場合は死別でなかったり、ローマ法皇庁と喧嘩したりで悪名が高いんだと思います。

ヘンリー7世がスペインとの同盟条約を結ぶ条件として王太子アーサーと結婚したのが
有名なスペイン女王イサベルの娘キャサリンでした。
アーサー15歳、キャサリン16歳の若い夫婦でしたが
結婚の翌年アーサーは急死してしまいます。

      

キャサリンの持参金を失いたくないヘンリー7世は次男ヘンリー(8世)との
再婚話をもちかけます。
(自分の後妻にしようともしましたが、これにはさすがにスペインが難色を示しました)

それでもなかなか結婚には至らなかったのですが、ヘンリ-7世の死後即位したヘンリー8世は
即座にキャサリンと結婚します。
よっぽど好きだったらしい・・・
ヘンリーは18歳、キャサリンは24歳のあねさん女房でした。

二人は仲も良く、キャサリンは王の不在時に摂政まで努めるほど優秀な王妃だったのですが
なぜか子供に恵まれず、5人が死産、6人目に産まれたのが王女メアリー(1世)でした。
このことがヘンリー8世に焦りを与え、加えてアン・ブリーンの出現があり
キャサリンとの離婚を考えるようになります。

しかし、これにはスペインが黙っちゃいません
スペインはキャサリンの甥カルロス1世が君臨していましたが
彼は神聖ローマ皇帝カール5世でもあり、ローマ法王庁に発言力を持っていました。
ローマ法王はヘンリー8世とキャサリンの離婚を認めず
ヘンリー8世はローマ・カトリックと決別、イギリス国教会を設立します。

いずれにしても離婚が進まぬ中、アンに子供ができて焦ったヘンリー8世は一計を案じて
『キャサリンとは結婚ではなく愛人関係だった』というむちゃくちゃな理由で
結婚無効の決定を下します。

13年も一緒にいて、摂政までやらしといて “ 愛人関係 ” とはっ
しかもアンはキャサリンの侍女でした。 
これは女としては忸怩たるものがあったでしょうねぇ。
また、キャサリンはカトリックを深く信仰していたので、自分が原因で
夫がカトリックと決別するなんて、いたたまれなかったでしょう。
キャサリンの心中を察すると・・・

きれいな侍女って連れて歩くにはいいんだろうけど、けっこう王の愛人になってんのよね
気をつけて人選しなければ。

その後キャサリンは、ベドフォードのキンボルトン城で暮らしましたが
近隣住民の評判はすこぶる良く、彼女の葬儀の際は王の言いつけにそむいて
大多数の村民が参加したらしいです。

しかしヘンリー8世の非道ぶりはこんなもんじゃない
隠居ですんで良かったかも・・・

余談です
ロンドンのマダム・タッソーに、6人の妃に囲まれたヘンリー8世がいるんですが
みんな肖像画どおりですごく怖いの!

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

これさえあれば、あなたも英国王室通
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シーズン到来です d(⌒o⌒)b

2008-10-25 22:08:31 | もろもろ
涼しくなってきましたね

100均にも毛糸が並び始め、
いよいよアクリルたわし制作シーズンがやってきました。
やはり夏は暑くて毛糸さわる気にならないからねぇ。

いいですよね!アクリルたわし
食器、洗面台、お風呂・・・どこでもOKだし
洗剤もあんまりいらないし。

束ねるだけでもいいんですけど、素っ気ないので
編むようにしました。
ちょっっっとしたプレゼントにも喜ばれてます。
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『ギャスケル短篇集』たまには善い人気分で (⌒-⌒)

2008-10-25 01:30:34 | イギリス・アイルランドの作家

エリザベス・ギャスケル

好きだなぁ・・・こういうの
皆が素直に神様を信じていた時代の、素朴な物語。

私なんかは困った時にだけ「 神様、仏様~ 」なんて言ってる罰当たりな人ですが
こういう本を読むと信心もいいものかもね、なんて思っちゃうわ。
でも、壷とか水晶玉とかはいらないんだけれども・・・

8篇の優しく清らかな物語が収載されています。
きれいごとに見えるかもしれませんし、退屈に感じられるかもしれませんが
こんなに騒々しく世知辛い世の中ですもの、
罪のない話しで一息つくのもいいんじゃないでしょうか?

好きだった3篇です。

『家庭の苦労(Bessy's Trouble at Home)/1852年』
病気の治療のために家を離れた母に家事を任されたベッシーは
兄弟妹たちに喜んでもらおうとプランをたてますが
なぜか皆ありがたく思ってくれません。

「 愛情に見返りを求めちゃいけません 」とはよく聞くセリフですが
なんたってベッシーは学校を出たばかりの十代の少女です。
5人の兄弟妹の面倒をみるなんて・・・よくやってると思うけどな。

『婆やの話(The Old Nurse's Story)/1852年』
婆やが子供たちに語る、皆のママが幼かった頃の不思議な体験。
両親を亡くした小さなママと若き乳母だった婆やは、大きな館に引き取られましたが
そこには入ってはならない一郭がありました。

子供が喜びそうな怖いお話ですが、実は哀しい物語。
夏になるとよく語られる怪談とはベクトルが違うようです。

『リジー・リー(Lizzie Leigh)/1850年』
道をあやまり亡き父親に勘当された娘リジーを探しに
マンチェスターへやって来た母親の未亡人と二人の息子。
兄はそこで清らかな女性スーザンに恋をし苦悩します。
リー夫人は彼女を訪ね、娘のことを打ち明けます。

“できちゃった婚” ももはやスタンダードとなりつつある今日この頃、
結婚前の妊娠や未婚の母が、こんなに責められなきゃいけない時代があったなんて
想像つきませんね。
男は責められないのよ! ちょっと不公平じゃない?

道徳の教科書みたいだといって敬遠しないで下さい
たまにはこんな物語もいいんじゃないでしょうか?

ギャスケル短篇集 (岩波文庫)



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イングランド王ヘンリー7世妃 エリザベス

2008-10-24 22:35:14 | イングランド王妃・王女
英国王室女性随一のサラブレッド
ヘンリー7世妃 エリザベス・オブ・ヨーク


1465~1503/在位 1486~1503

テューダー王家初の王ヘンリー7世の妃エリザベスは
英国王室の女性の中でただ一人、イングランド王の娘であり、姉妹であり、姪であり
妻であり、母であった女性  セレブ中のセレブです。

         

そんな畏れ多い身分の彼女ですが、父王は戦いにあけくれ
父王の死後は教会の庇護を受け、弟のエドワード5世とヨーク公を
頼みの綱の叔父に殺され、その叔父も戦死してしまい
母親の生家に力は無く、明日はどうなるか(ってことは無いと思うけど)という
なんとも穏やかでない日々を送りました。

エリザベスは5歳の時にノーサンバランド伯の息子と婚約しましたが
相手方が寝返ったために破談に、次いでフランス皇太子シャルルと縁談がありましたが
父王ルイ11世が同意せずうまくいきませんでした。
自分の意志でないとはいえ、縁談がうまくいかないってへこむでしょうね?
(でも、じいさまの王様の後妻とかだったらダメになって嬉しいかも・・・

ヘンリー7世との結婚は、王の母マーガレット・ボーフォートが強く望んで実現したもので
王位の正当性を強固にするため、そしてヨーク家の蜂起を防ぐための結婚でした。
ヘンリー7世はナポリ王女との結婚を考えていましたが母親に押し切られてしまったようです。

       

確かに家系図でみると、ヘンリー7世の王位の根拠は希薄ですね。
せいぜい母方を遡っていけばエドワード3世(ジョン・オブ・ゴーントの父)に
いきつくぐらいです。

ヘンリー7世は、年代記作家を総動員して、リチャード3世を極悪非道で醜く
逆に自分を美化して書かせたという説があります。
また、自分の王位を脅かす者を極端に怖れ、ヨーク家の末裔たちを処分し
エリザベスの母エリザベス・ウッドヴィルも権利を剥奪され隠居させられます。

自分と血のつながりがある人々を次々と奪っていった男性と結婚して
エリザベスは幸せだったんでしょうか?
ところが、なんだか二人はとても仲睦まじかったらしいです
戦国の世は不可解ですなぁ・・・

しかしその幸せも長くは続かず、エリザベスは7人目の子供の出産で命を落とします。
38歳で結婚17年目のことでした。
その前年長男アーサーが急死してしまったことがひびいたようです。

ヘンリー7世は新設したチャペルにエリザベスを埋葬し、再婚もせず
死後は王妃の側に埋葬されました。
政略結婚も悪いことばかりじゃないのかもね

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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『女だけの町』不覚にも号泣 ゜゜・(>_<;)・゜

2008-10-23 22:44:40 | イギリス・アイルランドの作家
CRANFORD
1853年 エリザベス・ギャスケル

登場人物のほとんどが婆さまで、こんなにも起伏のない物語に泣かされるとはっ…

なぜか未亡人やオールド・ミスばかりになってしまう社交界を持つ
田舎町クランフォードを舞台に、婆さまの井戸端会議的会話と
ささやかな出来事が書き綴られた物語です。

ね! すごく退屈そうでしょう?
でも、つい微笑みが浮かんじゃうって感じで楽しく読み進めました。

物語の中では、泥棒が出た(らしい)というだけで大騒ぎになり
奇術師がやってきただけで町中が浮き足立つという、のどかでのんきな暮らしぶりや
若い頃の恋や古い手紙から読み取れる
オールド・ミスのマチルダの家族や人生が綴られています。

ある年、町では大事件が3っつおこります。
義妹を訪れていたグレンマイア男爵夫人(未亡人)と家柄の良くない町の医者の結婚
亡き牧師の娘マチルダの破産、そしてマチルダの行方不明の弟で
軍人になっていたピーターの帰還です。

男爵夫人の結婚に関しては、今後どうゆうふうにお付き合いしたらよいか
悩みに悩む婆さまたちの姿が滑稽でもありますが、
マチルダの破産に対して町の人たちがとった行動が…

もうラスト30ページ、女中マーサの “ プディングのくだり ” から号泣ですよ。
しかも電車の中で。(普段は通勤時間にしか本が読めませんでね…)
最後は弟ピーターが帰ってきてめでたしめでたし、です。

田舎町が舞台の上流階級の話しといえば、ジェーン・オースティンが断然有名ですが
彼女が少し辛辣で皮肉を含んでいるのに対し
この物語には、多少からかうようなところがあるとしても
善良で穏やかな感じが満ちあふれています。

絵空事のような話しに鼻白む方もいるでしょうが
この物語はギャスケルが少女時代を過ごした町や住人がモデルになっていて、
ここまで平和ではないにしても、こんな町が存在していたのかと思うと
あながち全てが作り事ではないような気がします。
「昔は良かった」と言う気はサラサラありませんが、少し羨ましいですよね。

こんなに善い人ばかりのユートピアのような町はないでしょうけど
婆さまになったら、こんなところで暮らしたいわ

ここだけの話し、爺さま抜きで女ばっかりでワイワイやってる方が気楽じゃない?
ごはんの時間とか掃除とか気にしなくてもいいしさ。


あくまでも婆さまになってからの話しですけどね

女だけの町 岩波書店


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イングランド王リチャード3世妃 アン

2008-10-23 22:43:01 | イングランド王妃・王女
“キングメイカー”の娘
リチャード3世妃 アン・オブ・ウォーリック


1456~1485/在位 1483~1485

ヨーク家最後の王リチャード3世が結婚したのは、エドワード4世に
半旗を翻して倒されたウォーリック伯リチャードの次女アンでした。

      

ウォーリック伯はエドワード4世擁立に尽力した人物でしたが、
エドワードが王になってから軽んじられたため、王弟クラーランス公を王にしようとしたり
潜伏中のヘンリー6世を復権させようと目論みます。

ウォーリック伯は、二人の娘のうち長女イザベルはクラーランス公に
妹アンをヘンリー6世の皇太子エドワードに嫁がせます。
(この時アンは正式に結婚式をあげていません)

結局、ウォーリック伯の画策は失敗し、アンは父も夫のエドワードも失いますが
広大なウォーリック伯領を手に入れたかったグロースター公リチャード(後の3世)と
結婚します。

当然ながらこの結婚には、アンの姉イザベルを妻にもつクラーランス公から
大反対がおこりますが、兄王エドワード4世の許可を得て結婚しました。

アンとリチャードは小さな頃、同じ城にいた時期があります。
もし、お互いが初恋相手だったんだとしたらロマンティックですよね
いずれにしてもリチャードはアンにぞっこんだったそうです。

少年王エドワード5世の殺害(の疑い)の件もあって残虐なイメージが強いリチャード3世。
アンが28歳の若さで亡くなった時にも、
リチャードが姪のエリザベス・オブ・ヨークと結婚するために毒殺した、という
噂がたったといいますが、どうやらアンの死因は結核だったようです。

でも、二人が結婚して暮らしたヨークシャーのミドゥラム(旧ウォーリック伯領)では
よくできた領主様と評判が良かったらしいですよ
権力欲しさに人って変わってしまうものなのかしら?
しかもかなりのハンサムさんで『醜い』という説は間違いだって噂も・・・

アンの死後5ヶ月、リチャード3世はヘンリー・テューダーに敗れ戦場で殺害されます。
今はお墓も残っていません。

ヨーク家も、兄弟や親類同士で争ってばかりいないで家族一丸となっていたら
三代で終わることはなかったかもね・・・

              
           こちら、おちゃめなタッチのアン・オブ・ウォーリック

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版
      デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)

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イングランド王エドワード4世妃 エリザベス

2008-10-23 22:32:03 | イングランド王妃・王女
身分違いの再婚で王妃へ
エドワード4世妃 エリザベス・ウッドヴィル


1437年~1492/在位 1464~1470、1471~1483

ヨーク家で最初の王になったエドワード4世が結婚したのは
なんと 敵であるランカスター軍の騎士ジョン・グレイの未亡人エリザベスでした。

      

彼女の夫も父も敵方の一介の騎士に過ぎませんでした。
ただ母親は伯爵家の出で、最初の夫はヘンリー4世の四男ベドフォード公ジョンでした。

5歳年上の未亡人であれば、本来なら愛人にしちゃうのが道理というもの。
しかも、王位に就いたとはいえ、まだ前王妃マーガレットがヘンリー6世の復位をねらって
戦っている最中です。
後ろ盾となってくれそうなフランス王家がらみの娘にするとか
どちらの味方かはっきりしない大貴族の娘なんかと結婚するのが正解でしょ?

ところが、エリザベスはエドワード4世の求愛を、本心からか作戦か
「結婚しないならば・・・」と拒み続け、とうとうエドワードは彼女と秘密裏に結婚します。

なんでもエドワード4世はハンサムだったらしいけど、なにしろ好色で、しかも人妻好きで
王が視察に来るというと金持ちは妻を連れて田舎などへ逃げ出したらしいです

もう、エリザベスと夜をともに過ごすためなら
政治的な策略なんてどうでもよくなっちゃったんでしょうね。
しかし(当然というか)この結婚は不幸な結末を招きます。

41歳でエドワード4世が他界すると、13歳の息子がエドワード5世として即位しますが
ロンドンへ向かう途中で前王の弟にあたるグロースター公リチャードに
ロンドン塔に連れ去られてしまいます。
さらに11歳になる弟のヨーク公リチャードまで、王の遊び相手として連れていかれます。

そしてグロースター公がリチャード3世として即位。
二人の兄弟はぱったり姿を見せなくなってしまいます。

             
             ロンドン塔の二人の王子です。

エドワード5世は仕方ないとして、どうしてヨーク公を渡しちゃったかなぁ?
せっかく手元にいて、教会の庇護下にあったのに・・・
たぶん、兄であるリヴァーズ伯も処刑され、なんら後ろ盾をもたないエリザベスは
あきらめてしまったんでしょうね?
他の子(全て女の子)が助かるなら仕方がないと・・・

その後、長女エリザベスがテューダー家の王ヘンリー7世に嫁ぎますが
王位をおびやかす家柄を極端に怖れたヘンリー7世は
妻の母であるエリザベスも例外でなく修道院に隠退させました。
彼女はそこで5年後に寂しく亡くなります。

王太后であり、王の妻の母であったのに、家柄のせいで誰からも救いの手が差しのべられず
不幸な後半生を送ることになったエリザベス。
普通の騎士と再婚していたら幸せだったかもしれませんね。

玉の輿も考えものです・・・

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』)

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『ザ・ベスト・オブ・サキ』英国流ユーモア?

2008-10-23 02:12:38 | イギリス・アイルランドの作家
THE BEST OB SAKI
1912年 ~  サキ(ヘクター・ヒュー・マンロー)

なーんというブラック! なんというアイロニー!!

機智に富んだ悪戯好きの、クローヴィスという青年が度々登場しますが
作者自身がこんな人だったんじゃないのかしら?
ものすごく茶目っ気がある人か、根っからの冷笑家か悩むとことろです。

(1) (2) 併せて86篇のショートショートが収められていますが
ほとんどがちょっとしたイタズラに翻弄される人の話しや
慌てふためく人の滑稽さを描いたものです。
イタズラといっても悪意はなく、愉快なものが多いのですが
やられてる方はそう言っていられないでしょうね

なにしろ86篇なので、よく似た内容のものもありましたが
概ね楽しい気分で読み通せました。

(1) (2) から3篇づつ抜粋します。

『女性は買い物をするか』
男性から見ると、非常に不可解で不条理な女性の買い物。
女性の判断基準はいったい何でしょう?

『トバモリー』
人間の言葉を話すようになった猫がパーティーを掻き回します。
なにしろ猫はどこにでも入り込めるんですから・・・

『あけたままの窓』
神経質な青年に、少女が亡くなった叔父たちの話しを聞かせている最中
開いた窓の向こうに当人たちが姿を現します。 
陽気に口笛を吹きながら・・・

『ルーイス』
飼い犬のルーイスを盾に、どこまでもわがままを通そうとする妻。
夫とその妹は、犬を殺してしまおうと思いますができませんでした。
それはどうしてかというと・・・

『クリスピナ・アムバリーの失踪』
家庭内で絶大な力を持つアムバリー夫人が失踪します。
しばらくして金を要求する手紙が届けられます。
一家が打った手とその顛末はいかに。

『ミセス・ペンザビーは例外』
長期滞在用の気持ちよい館で、ミセス・ペンザビーは
相手構わず失礼なことを言って女性陣から嫌われます。
でも経営者のレジーはまったく気にかけません。

しゃべる猫欲しいなぁ。
意地悪なことを微笑しながら言いそうですよね。
旦那さんとかにビシッと言ってほしかったりして・・・

上にあげたお話以外にも、選挙権を欲しがる女性に対して王がとった奇策の話しとか
小銭をかすめ取ろうとする人とだまし取られたくない人の攻防とか
クリスマスの礼状書きにうんざりする夫婦の戯れごととか
“ フッ ”と笑いが口元に浮かんでしまう話しが満載です。

この、真面目な顔で冗談を言われてる感じ、英国流でしょうか?

サキ短編集 新潮社


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こちらはさらに抜粋された短篇集
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イングランド王ヘンリー6世妃 マーガレット

2008-10-22 08:01:47 | イングランド王妃・王女
“女王”であった王妃
ヘンリー6世妃 マーガレット・オブ・アンジュー


1429~1482/在位 1444~1461、1470~1471

生後9ヶ月で王になったヘンリー6世は、不幸にも母方の祖父である
フランス王シャルル6世の血を受け継いでしまい、精神異常の傾向がありました。
軍事的、政治的に全く無能だったことから、主導権争いがおこり、薔薇戦争へと
イングランド内乱の時代を招きます。

そんな王を助けたというよりは、主導権を奪い取ったという女傑、王妃マーガレットは
フランス王シャルル7世妃マリー・ダンジューの姪にあたります。

      

フランスとの戦争に次々と敗れ、領土の大半を失いつつあったイングランドは
休戦に持ち込むためヘンリー6世とフランス王女の結婚を申し入れます。
しかしシャルル7世はこれを断り、マーガレットとの結婚を休戦の条件にします。

なぜかしら?
すでにヘンリー6世の狂気や無能ぶりが伝わっていたんですかね?
それともマーガレットに手を焼いていたんでしょうか?

マーガレットは15歳で輿入れすると、信頼する和平派サフォーク公の意を受けて夫を説き
主戦派グロースター公を逮捕、処刑し、ヨーク公(後のエドワード4世の父)を
追放処分にします。
この後マーガレットとヨーク公の衝突は続きますが
1455年、議席を剥奪されるに及んでヨーク公が蹶起します。

本来ヨーク公の権利が戻って落ち着くはずだった戦いは
マーガレットの、ヨーク公を叩きのめしたいという欲望から泥沼化します。

結局、1971年まで続いたランカスター VS ヨークの戦いの中でヘンリー6世は廃位され
一度は奪回したものの最後はヨーク家に敗れます。
その間、王であるヘンリー6世はどうしていたかというと、捕えられ、逃げ出し、発狂し、
とまるきり役立たずで 、マーガレットが兵を集めたりヘンリーの救出を指揮したりと
東奔西走していました。

マーガレットはヘンリー6世を愛していたのではないと思います。
たぶん、息子エドワードを王にしたいために戦っていたのでしょう。
しかし皇太子エドワードは殺され、ヘンリー6世は獄中で死亡し
ランカスター家の王位は3代で終わりを告げます。

マーガレットは、5年の牢獄生活の後フランスに帰されますが
フランス王ルイ11世は彼女を手厚く庇護しようとはしなかったらしく
7年後貧困の中で亡くなります。

本来は平和の使者であったマーガレットが、国内に戦乱をひき起こしたことになりますが
政治的に浅はかではあっても、責任感がと意志は強い
背負った使命を全うする人だったんじゃないでしょうか?
男だったら良かったかも

イングランドでの彼女の評価は散々ですが、王に変わって政争に巻き込まれ、
矢面にたたされてしまった不幸な王妃だと、私は思います。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      石井美樹子氏 『イギリス・ルネサンスの女たち』)

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イングランド王ヘンリー5世妃 キャサリン

2008-10-22 01:21:49 | イングランド王妃・王女
王家の流れを変えた再婚
ヘンリー5世妃 キャサリン・オブ・ヴァロア


1401~1437/在位 1420~1422

早すぎる死を迎えたヘンリー5世の妃キャサリンは
フランス王女でありながら、不幸な少女時代をおくりました。

      

彼女の父シャルル6世は精神異常があり、度々発狂していました。
そこで国政の主導権を巡って、フランスは内乱状態に陥ります。

母であるイザボー・ド・ヴァビエールは有名な悪妻で、愛欲と浪費にあけくれ
キャサリンら子供たちは食べ物に困って修道院にあずけられたこともあったそうです。
(王様の子よ

キャサリンが13歳の時、ヘンリー5世との縁談が持ち上がりますが
これはイングランドの助力を得るため、アルマニャック派から
ヘンリーに申し入れたものでした。
ブルゴーニュ派も、ブルゴーニュ公の娘キャサリンの縁談をもちかけていましたが
ヘンリーは(王女)キャサリンを選びます。

持参金や領土などを巡って交渉が決裂したことで、ヘンリー5世がフランスへ侵攻し
圧勝するなどの紆余曲折がありましたが、両国の間で講和が結ばれた1420年
19歳になっていたキャサリンは屈辱的な条件とともにイングランドへ嫁ぎます。

自分の国を打ち負かした王の妻になるなんて・・・
戦利品みたいに扱われ、姉リチャード2世妃イザベルがヘンリー4世に受けた
酷い仕打ちの思い出もあります。
幸せいっぱいの花嫁ではなかったと思うなぁ・・・

1年後に皇太子が産まれますが、その9ヶ月後
ヘンリー5世はフランスに出征中急死してしまい
1歳にもならない息子がヘンリー6世として即位します。

キャサリンは摂政にはなりませんでしたが、幼い王の王太后としてフランスへも帰されず
再婚禁止の決議まで出されてしまいます

しかし、ヘンリー5世の死後3年ほどで、キャサリンは“王太后付納戸係秘書”である
オウエン・テューダーと愛し合うようになり、秘密裏に結婚、4人の子供をもうけました。

納戸係ってなに?
衣装とか帽子、宝石に靴、これだけですごくたくさんの部屋がありそうですよね

これが後々、ランカスター家 VS ヨーク家の争いに、テューダー家まで加わり
王位継承がしっちゃかめっちゃかになる要因になります。

キャサリンはオウエンと愛し合うようになってから
息子のことはほったらかしだったそうです。
彼女が本当に愛したのはオウエンてことですかね?
自分を物のように扱った王より、身近で守ってくれる納戸係の方が
彼女に幸福を与えられたのかもしれません。

 おまけ
キャサリンの墓銘は、息子ヘンリー6世(ランカスター家)の頃には
『ヘンリー5世妃』としか入っていなかったのに
孫であるヘンリー7世(テューダー家)の頃に
『オウエン・テューダーと結婚』と加えられました。

死んでからもゴタゴタに巻き込まれて・・・
おちおち休んでいられないですね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』)

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イングランド王ヘンリー4世妃 メアリー

2008-10-21 08:11:32 | イングランド王妃・王女
王位簒奪者の妻
ヘンリー4世妃 メアリー・ドゥ・ブーン


1370~1394/在位せず

リチャード2世を廃位に追いやり王位に就いたヘンリー4世ですが
他にも王位を主張するクラランス公家やヨーク公家などがあり
彼の王位は盤石ではありませんでした。

彼は王になる前に、莫大な財産の相続人メアリーと結婚し彼女を亡くしています。

     

メアリーの姉エリナーはヘンリーの叔父にあたるグロースター公トマスと結婚していて
財産を独り占めしたかったトマスはメアリーを尼僧院に閉じ込めてしまいましたが
ヘンリーは叔母の入れ知恵でうまいことメアリーを連れ出して結婚します。

この時ヘンリー13歳、メアリー11歳なんですが
13歳で財産を狙って結婚を考えるとは・・・末恐ろしい少年ですね。
ちょっとちょっと!! 翌年子供が産まれてますよ
じいややばあやは何やってんのよぉ? 誰がそんなこと教えてんのよぉ?
夫婦とはいえ子供同士じゃないかね。

メアリーは7人目の子供を出産後24歳で亡くなります。
若すぎる出産の連続がひびいたんじゃないかしら?



               
人妻時代に見初められた王妃
ヘンリー4世妃 ジョアン・オブ・ナヴァール


1370~1437/在位 1403~1413

メアリーを亡くしたヘンリーは9年後にナヴァール王女で
ブルターニュ公の未亡人ジョアンと再婚します。

      

どうやらヘンリーは前王に追放されていた1398年頃、追放先のブルターニュで
ジョアンに恋をしたらしく、5年越しの思いを成就させて結婚しました。

ヘンリーとの間には子供が産まれませんでしたが前妻メアリーの子供たちとの関係は良好で
よく父王とぶつかる皇太子ヘンリーの肩を持ってあげていたようです。

しかしヘンリー4世の死後皇太子が王位に就くと、なぜか妖術に凝りだし
こともあろうに、ヘンリー5世に妖術を用いたとして幽閉されます。
4年後幽閉を解かれたジョアンは、その後は静かに暮らしたそうです。

マーガレット・オブ・フランスとかもそうだけど
継母になった王妃はだいたい前妻が産んだ皇太子の肩を持ちますね。
優しくしなきゃという思いがそうさせるのか、夫亡き後の保身なのか?
けっこう不幸な老後をおくる王妃っていますからねぇ・・・

余談です
メアリー・ドゥ・ブーンの肖像画・・・
これしか見つけられなかったんだけど、愛嬌があっていいですね。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』)

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『アドルフ』重い!重すぎる愛 (>_<;)

2008-10-20 22:52:34 | その他の国の作家
ADOLPHE 
1816年 バンジャマン・コンスタン

激しい愛は疲れるね・・・

作者が旅先で出会った男性の手記という形で紹介される
ある男女の愛のお話しですが、ほとんど甘い語らいはありません。

あるのは、嫉妬、憐憫、焦燥、諍い、絶望・・・
こんな思いするなら一人で平穏に暮らしたいわ と思っちゃうわ。

裕福で前途有望でいながら、厭世的で皮肉やのアドルフが「愛されたい」と思い
旅先で出会ったエレノールと激しい恋に落ちます。
エレノールはある伯爵に囲われている、国を追われた高貴な婦人でしたが
伯爵に尽くし、自分の境遇をおとしめないように努めている女性でした。

しかしアドルフと愛し合うようになると、子供も伯爵も捨ててアドルフを追いかけ
前途を保障してくれる全てをアドルフといたいがために断ります。

アドルフは、自由を望みながらもエレノールの幸福を奪ってしまったという自責の念から
彼女と離れられず、無為の日々を過ごし、断ち切られそうな未来を恨みます。

アドルフの思いは愛か? 同情か?
エレノールの思いは愛か? 執念か?

別れちゃえばいいのに~ って思う私は凡人です。
でも一緒にいたっていいことない二人に見えるんですもの。
お互いがお互いを、自分を縛りつけている、あるいは陥れた張本人だと思って暮らす毎日が
楽しいと思います?(でも夫婦なら多かれ少なかれそういうことってあるのよね)

作者は最後に、一方的にアドルフが悪いと結論づけています。
彼の“虚栄”と“弱さ”が一人の女を滅茶苦茶にしたと・・・

でもなぁ、エレノールも涙という女の武器をふんだんに使い
「死んでしまう」「生きていけない」って、離れないんだもんなぁ
少しでも姿が見えないと探しに来ちゃうのよ。
ちょっと重くないですかね?

作中、父の友人T男爵が諭すようにアドルフに言った
「恋人に “あなたなしでは生きていけない” と言わない女はいないし
 実際にそうした女もいない」
というのが少し納得で笑えました

余談
コンスタンはスイス出身ですが、ドイツに亡命してたみたいです。
逆の方がありそうだけどね・・・
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ピサロ展に行ってきました

2008-10-20 01:29:18 | もろもろ
日曜日、1週間ほど滞在していた主人のお母さんを見送りがてら
東京大丸でやっていたピサロ展を見に行きました。

印象派好きの私ですが、ピサロのような点描の絵はあまり・・・と
思ってたんですけど、目の前で見るとけっこう良かったですね

点描画はカミーユ・ピサロ後期の作品みたいで、息子のリュシアン・ピサロの方が
激しく点描でした。

しかしピサロは子だくさん!!
そして半数が画家になってます。
才能って遺伝するのか、環境がそうさせるのか分かりませんが
やはり親の影響って大きいんですね。

大丸のギャラリーはそのほどよい広さといい、すき具合といい
見やすくって心地良かったです。

ついでに・・・
          

お母さんのリクエストで、土曜日に巣鴨の地蔵通り商店街に
行ってまいりました。 いやはや・・・

赤い下着のある店、つくだに屋、そば屋、甘味屋の多さに加え
すぐ座れるように椅子が置いてあって、お年寄りにやさしいですね。
しかしあんなに長い商店街だとは思わなかった・・・疲れた
全部歩いたら結構いい運動になりますな。(私たちは途中で引き返しました)

とげぬき地蔵様もちゃんと洗ってきました。
御利益がありますように・・・
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