エリザベス1世の母
ヘンリー8世妃 アン・ブリーン
1507~1536/在位 1533~1536
キャサリン・オブ・アラゴンを王妃の座から退け、その椅子に座ったのは
一介の騎士、トマス・ブリーンの次女アンでした。
アンの母エリザベスは名門ノーフォーク公トマス・ハワードの娘でした。
一時宮廷に出仕していたことがあり、ヘンリー8世の愛人だったようです。
(アンはヘンリー8世の娘ではないかという噂がささやかれたことがあったようですが
これはエリザベス・ブラントが生んだ子供と混同されたみたいです)
ともあれ、父母ともにヘンリー8世に気に入られ
ヘンリー8世の妹メアリーがフランス王ルイ12世に嫁ぐ際には
アンは姉メアリーと共に侍女としてフランス宮廷に出仕します。
(ちなみにこのフランス王ルイ12世妃メアリーは、じいさまとの結婚が不満で
連日連夜ダンスをさせて早く死なせちゃったらしい・・・)
数年の滞在の後、ひと足早く帰国しヘンリ-8世の愛人となっていたメアリーを頼って
イングランド宮廷に出仕し、王妃キャサリンの侍女になります。
(しかし母子そろってとんでもありませんな
トマス・ブリーンは何をボーッとしていたのかね?)
そこでさっそく目をつけられたアンですが
すでにパーシー卿との縁談があった彼女はケントに身を隠します。
それがまたまたヘンリー8世を燃え立たせたのか
あるいはアンが「結婚できないなら・・・」と拒んだためか
ヘンリー8世はアンと結婚の約束をし、キャサリンとの離婚前に秘密裏に結婚します。
でも一国の王たる者、しかも時は絶対王政の頃でしょう?
その上 “ 横暴でわがまま ” で鳴らしたヘンリー8世ですよ。
侍女との約束を律儀に守ろうとするあたりがちょっと可笑しいね
めでたしめでたし、かと思いきや、アンが産んだのが王女エリザベス(1世)で
二人目の王子を流産したことから、ヘンリー8世の愛は急速に冷め
新たに見つけたジェイン・シーモアへと移っていきます。
(メアリーとアン、姉妹二人と関係をもったことによる
神の祟りを怖れてという説もあります)
流産から4ヶ月後、アンは兄などらとともに姦通の罪で逮捕され
(無実の罪だという説があります)4日後に処刑されます。
アンは処刑にはればれと臨んだというあたりから、最後の数ヶ月
ヘンリー8世がアンに対してどれだけ辛辣で過酷だったか伺い知れます。
キャサリンの場合はバックにスペインも神聖ローマ帝国もついてたけど
アンの場合はねぇ・・・
女の命なんて、王の一存でどうにでもなっちゃう時代だったんですね。
余談です
映画『ブーリン家の姉妹』見なきゃ。
『クレーヴの奥方』を再読中なんですが、その中でメアリー・スチュアートが
フランス王フランソワ1世がアン・ブリーンを愛していて
ルイ12世妃メアリーが帰国するときもアンをフランスに残したというような
ことを言うんですが、どうなんでしょう?
『クレーヴの奥方』は一応小説ですから・・・
ブーリン、ブリーン、ブリン いろいろ表記があるんですが
今回は本の通りブリーンにしました。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
ヘンリー8世妃 アン・ブリーン
1507~1536/在位 1533~1536
キャサリン・オブ・アラゴンを王妃の座から退け、その椅子に座ったのは
一介の騎士、トマス・ブリーンの次女アンでした。
アンの母エリザベスは名門ノーフォーク公トマス・ハワードの娘でした。
一時宮廷に出仕していたことがあり、ヘンリー8世の愛人だったようです。
(アンはヘンリー8世の娘ではないかという噂がささやかれたことがあったようですが
これはエリザベス・ブラントが生んだ子供と混同されたみたいです)
ともあれ、父母ともにヘンリー8世に気に入られ
ヘンリー8世の妹メアリーがフランス王ルイ12世に嫁ぐ際には
アンは姉メアリーと共に侍女としてフランス宮廷に出仕します。
(ちなみにこのフランス王ルイ12世妃メアリーは、じいさまとの結婚が不満で
連日連夜ダンスをさせて早く死なせちゃったらしい・・・)
数年の滞在の後、ひと足早く帰国しヘンリ-8世の愛人となっていたメアリーを頼って
イングランド宮廷に出仕し、王妃キャサリンの侍女になります。
(しかし母子そろってとんでもありませんな
トマス・ブリーンは何をボーッとしていたのかね?)
そこでさっそく目をつけられたアンですが
すでにパーシー卿との縁談があった彼女はケントに身を隠します。
それがまたまたヘンリー8世を燃え立たせたのか
あるいはアンが「結婚できないなら・・・」と拒んだためか
ヘンリー8世はアンと結婚の約束をし、キャサリンとの離婚前に秘密裏に結婚します。
でも一国の王たる者、しかも時は絶対王政の頃でしょう?
その上 “ 横暴でわがまま ” で鳴らしたヘンリー8世ですよ。
侍女との約束を律儀に守ろうとするあたりがちょっと可笑しいね
めでたしめでたし、かと思いきや、アンが産んだのが王女エリザベス(1世)で
二人目の王子を流産したことから、ヘンリー8世の愛は急速に冷め
新たに見つけたジェイン・シーモアへと移っていきます。
(メアリーとアン、姉妹二人と関係をもったことによる
神の祟りを怖れてという説もあります)
流産から4ヶ月後、アンは兄などらとともに姦通の罪で逮捕され
(無実の罪だという説があります)4日後に処刑されます。
アンは処刑にはればれと臨んだというあたりから、最後の数ヶ月
ヘンリー8世がアンに対してどれだけ辛辣で過酷だったか伺い知れます。
キャサリンの場合はバックにスペインも神聖ローマ帝国もついてたけど
アンの場合はねぇ・・・
女の命なんて、王の一存でどうにでもなっちゃう時代だったんですね。
余談です
映画『ブーリン家の姉妹』見なきゃ。
『クレーヴの奥方』を再読中なんですが、その中でメアリー・スチュアートが
フランス王フランソワ1世がアン・ブリーンを愛していて
ルイ12世妃メアリーが帰国するときもアンをフランスに残したというような
ことを言うんですが、どうなんでしょう?
『クレーヴの奥方』は一応小説ですから・・・
ブーリン、ブリーン、ブリン いろいろ表記があるんですが
今回は本の通りブリーンにしました。
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
Wikipedia英語版)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね