まりっぺのお気楽読書

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スコットランド王デイヴィッド2世妃 ジョアン

2009-01-18 19:43:04 | スコットランド王妃・王女
囚われの女王
デイヴィッド2世妃 ジョアン・オブ・イングランド


1321~1362/在位 1329~1332、1346~1362

イングランド王エドワード2世の娘ジョアンは
8歳の時、ノーサンプトン条約によって5歳のデイヴィッドと結婚します。

この結婚は、破竹の勢いでイングランドに勝ち進んでいたロバート1世の申し入れを
エドワード3世の摂政イザベル・オブ・フランスと愛人マーチ伯ロジャーが受け入れたもので
イングランド側では屈辱的な結婚として物議を醸しました。

       
結婚後ほどなくして、デイヴィッドは父王の死によりデイヴィッド2世として即位しますが
1年ほどで、親政にのりだしたイングランド王エドワード3世の巻き返しにあい
彼が推したエドワード・ベイリャルに王位を追われました。
6歳の王と9歳の王妃はフランスに逃れます。
ちゃんと訳が分かっていたのでしょうか? 「お泊まりだ!」なんてはしゃいだりして…

1339年にフランス王フィリップ6世の後押しを受けてスコットランドに戻り
1346年、イングランドから戻って来ないエドワード・ベイリャルに替わって復位します。
しかし同じ年にイングランドに攻め入って逮捕され
王妃ともどもロンドン塔に囚われの身になります。 忙しいですね

ジョアンは実の兄に囚われたことになりますね。
彼女は “ ジョアン・オブ・ザ・タワー ” と呼ばれます。

2人は厚遇されたらしく、一歩先行くイングランドでおもしろ可笑しく暮らしていたので
11年後にスコットランドに帰国すると「退屈だ」と言いだします。
デイヴィッド2世は、なんたることか! 1363年には自らロンドンに戻ってしまい
以後スコットランドには帰国しませんでした。

ジョアンは先立って戻っていたのか、1362年イングランドで亡くなり
ロンドンに埋葬されました。



離婚宣告と戦った王妃
デイヴィッド2世妃 マーガレット・ドゥラモンド


1340~1375/在位 1364~1370

マーガレットは最初にサー・ジョン・ロッジと結婚しますが
ジョアンを亡くしてやもめになったデイヴィッド2世の愛人になり
1年半後に正式な妻になりました。
しかし世継ぎが生まれなかったことから、1369年に離婚を宣言されてしまします。

ところがマーガレットは大人しく聞き入れるような女性ではありませんでした。
アヴィニヨンに出向き、教皇に離婚の無効を訴える決心をします。
これはうまくいかず、1370年に離婚されます。
王より4年長生きして亡くなりました。

ちなみに、マーガレットから4代数えた姪のマーガレット・ドゥラモンドは
スコットランド王ジェイムズ4世の愛妾になりました。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王室史話』 Wikipedia英語版)

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