不倫転じて悲恋となる…
ペドロ1世妃 イネス・デ・カストロ
1325~1355/在位 1357~1367
上の生年月日と在位期間は間違っているわけではないんです。
今からその理由を書きますね。
イネスはガリシア貴族ペドロ・フェルナンデス・デ・カストロの娘で
15歳の時にペドロ妃コンスタンサの召使いとしてポルトガルへやって来ました。
20歳のペドロは即イネスに惹かれ愛するようになります。
愛妾イネスの方が王太子妃コンスタンサより影響力があるということで
宮廷ではカスティーリャの亡命貴族たちの力が増してきました。
すでに希薄だったポルトガルとカスティーリャの関係は厳しいものになります。
また、コンスタンサが生んだフェルナンド(後の1世)は弱々しい子だったのに
イネスが生んだ王子たちは心身共に優良児でした。
カスティーリャ貴族の影響力はさらに増大し、ポルトガル貴族は忌々しく感じていました。
ペドロの父王アフォンソ4世は、イネスの影響力を嫌って
早く別れればいいのに… と思っていました。
1345年にコンスタンサが亡くなると、アフォンソ4世はペドロに何度か再婚を勧めますが
ペドロはイネス以外の女性とは再婚しないと断ります。
アフォンソ4世は怒り爆発! イネスを宮廷から追放します。
しかしペドロが連れ戻す → 追放する → 連れ戻す、が何度か続いた末
アフォンソ4世はイネスの死を命じます。
1355年、コインブラのサンタ・クララ修道院に監禁されていたイネスのもとへ
3人の刺客が向かい、彼女は非業の死を遂げました。
ペドロの嘆きは大変なもので、刺客たちは復讐を与えられました。
アフォンソ4世に対して反乱までおこしています。
1357年、アフォンソ4世が亡くなりペドロが即位すると
新王は「イネスとは秘密裏に結婚していた」と言い出し、なんと!
彼女を棺から出してきて王妃の宣誓をしたそうですよ!
死後2年の遺体がどんな状態かはわかりませんけど、出してこられてもねぇ…
そんなわけで、イネスは死後王妃になっています。
1367年にペドロが亡くなると、アルコバッサ修道院のイネスの向かいに葬られました。
伝説では、最後の審判でお互いの棺から起き上がり見つめ合ったってことでございます。
二人の棺には “ 世界が終わる時まで供に ” 的な趣向をこらした彫刻が施されています。
結婚についてはペドロの宣言以外に証明できるものはありませんでしたが
遺された子供たちのうち、ジョアンとディニスが結婚の正当性を盾に取り
後のポルトガル内乱で王位を要求しています。
なにやら悲恋の香りがしますね
イネス本人は自分をめぐる騒動をどういうふうに考えていたのかしら?
追放された時、自分から宮廷に戻りたがったのか、嫌々戻っていたのかしら?
美しいお話しではありますが、愛妾時代の態度如何によっちゃあ
こちらのとらえ方も変わるってもんです、詳しく知りたいですね。
文献を探してみなくっちゃ…
(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)
ペドロ1世妃 イネス・デ・カストロ
1325~1355/在位 1357~1367
上の生年月日と在位期間は間違っているわけではないんです。
今からその理由を書きますね。
イネスはガリシア貴族ペドロ・フェルナンデス・デ・カストロの娘で
15歳の時にペドロ妃コンスタンサの召使いとしてポルトガルへやって来ました。
20歳のペドロは即イネスに惹かれ愛するようになります。
愛妾イネスの方が王太子妃コンスタンサより影響力があるということで
宮廷ではカスティーリャの亡命貴族たちの力が増してきました。
すでに希薄だったポルトガルとカスティーリャの関係は厳しいものになります。
また、コンスタンサが生んだフェルナンド(後の1世)は弱々しい子だったのに
イネスが生んだ王子たちは心身共に優良児でした。
カスティーリャ貴族の影響力はさらに増大し、ポルトガル貴族は忌々しく感じていました。
ペドロの父王アフォンソ4世は、イネスの影響力を嫌って
早く別れればいいのに… と思っていました。
1345年にコンスタンサが亡くなると、アフォンソ4世はペドロに何度か再婚を勧めますが
ペドロはイネス以外の女性とは再婚しないと断ります。
アフォンソ4世は怒り爆発! イネスを宮廷から追放します。
しかしペドロが連れ戻す → 追放する → 連れ戻す、が何度か続いた末
アフォンソ4世はイネスの死を命じます。
1355年、コインブラのサンタ・クララ修道院に監禁されていたイネスのもとへ
3人の刺客が向かい、彼女は非業の死を遂げました。
ペドロの嘆きは大変なもので、刺客たちは復讐を与えられました。
アフォンソ4世に対して反乱までおこしています。
1357年、アフォンソ4世が亡くなりペドロが即位すると
新王は「イネスとは秘密裏に結婚していた」と言い出し、なんと!
彼女を棺から出してきて王妃の宣誓をしたそうですよ!
死後2年の遺体がどんな状態かはわかりませんけど、出してこられてもねぇ…
そんなわけで、イネスは死後王妃になっています。
1367年にペドロが亡くなると、アルコバッサ修道院のイネスの向かいに葬られました。
伝説では、最後の審判でお互いの棺から起き上がり見つめ合ったってことでございます。
二人の棺には “ 世界が終わる時まで供に ” 的な趣向をこらした彫刻が施されています。
結婚についてはペドロの宣言以外に証明できるものはありませんでしたが
遺された子供たちのうち、ジョアンとディニスが結婚の正当性を盾に取り
後のポルトガル内乱で王位を要求しています。
なにやら悲恋の香りがしますね
イネス本人は自分をめぐる騒動をどういうふうに考えていたのかしら?
追放された時、自分から宮廷に戻りたがったのか、嫌々戻っていたのかしら?
美しいお話しではありますが、愛妾時代の態度如何によっちゃあ
こちらのとらえ方も変わるってもんです、詳しく知りたいですね。
文献を探してみなくっちゃ…
(参考文献 エレノア・ハーマン『王たちのセックス』 Wikipedia英語版)
私もポルトガル王家についてはエンリケ航海王子ぐらいしか知らないんです。このひとは、世界史の教科書にもでてきてますよね。
でも、実際海に自らのりだしたわけじゃないと、大人になってから知りました。
英、仏の王家に比べると、イベリア半島の王家は、庶子の生まれで王位につく場合が多いみたいな気がします。英、仏の場合は傍系子孫が王の妻になる感じですか・・・
青池保子さんの「アルカサル」はイベリア半島の王たちについてわかりやすくかいてくれてるのですが、ともかく同じ名前が多いうえにしょっちゅう裏切ったり、仲直りしたり、そこに英、仏の王がからんできてほんと複雑です。
エンリケ航海王子の母フイリッパ王妃もとりあげてください。お願いします。
このイネスという名前、あまり見かけないのだけど、一時期のファッションアイコン、イネスというスーパーモデルを思い出しましたよ。イネスも旦那さんと死別した悲劇の人だったらしいから、このイネス、という名前、非常に印象的です。
イネスはフランスのファッションモデルだったから元々は南欧の名前なんでしょうかね。
兎に角、ポルトガルシリーズ、楽しんでいます。
確かにポルトガルは、他の欧州諸国に比べて庶子が王になるが多い気がしますね。
他の国も王家創成期には嫡子、庶子入り乱れーの争いも多かったようですが、落ち着きをみせている頃ですよね。王家が始まって浅いせいでしょうか?
王位を奪うための裏切りや暗殺といえば、ダントツは初期スコットランド王国かもしれませんけど、北欧もすごいし、迷うところです。
今後イベリア半島、イタリア方面はハプスブルク家とブルボン家の陣取り合戦みたいになっていくんですけど、ポルトガルはよく耐えたと思います。
一応順番に書いているので、あと3、4人目でフィリパ王妃が登場する予定です。
マリアンヌ様、こんばんわ
イネス…いましたねぇ
スーパーモデル全盛期だった頃でしょうか? ブランドがありましたよね?今もあるのかしら?
私はヘレナ・クリスチャンセンが好きでした。
イネスという名は、昔だと、英国ではアグネス、フランスではアニェス、北欧ではアグネサ、アギネスなんかに変化したみたいです。
私は以下のサイトに書かれている刺客の処刑の方法や遺体を引っ張り出して王妃宣言の点からして狂気の愛だと思いますが。何とまあ、恐ろしいこと。
http://homepage2.nifty.com/~castanha/legend10.htm
ご無沙汰をしております。
このお二人の話しを物語として読んだことがないのですが、大悲恋小説に仕上がっているんでしょうね?
愛に一途になるあまり他はほったらかし…というひと昔前の韓流っぽさは好きですが、処刑とか遺体に口づけ…なんて要素が入ってくると少しベクトルが変わってきちゃう気が…
たぶん幾度となくドラマ化されているのでしょうが、お二人はどういう描き方になってるんでしょうね?
こちらの西洋王侯史関連のサイトで質問されたらいかがでしょうか?有名どころからマイナーどころまで充実しています。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/
今ちょっとじっくり見る時間がないんですけど、今度ゆっくり拝見しますね。
(娘ベアトリスの玄孫のひとりが上記のマヌエル一世妃マリアで、その息子の一人ドゥアルテが現在のポルトガル王家・ブラガンサ家の先祖となります)
コンスタンサとの子孫が孫の代で絶えているのに対し、イネスとの血筋がポルトガル王家に(あとマリアの姉・カスティーリャ女王ファナを通して現在のスペイン王家やハプスブルク家にも)現代まで脈々と受け継がれているのには、これもペドロ1世のある種の執念か? となんとも複雑な思いがします。
(マヌエルの祖母・ドゥアルテ1世王妃レオノールがイネスの曾孫)
あとマヌエルの姉の一人を通してブラガンサ家にもイネスの血が入っていますので、こうやって見ると改めて欧州の王族の血縁関係の複雑さを思い知らされます。
こんばんは
いつもいろいろ探っていただきありがとうございます。
本当にどこかで繋がっているものですねぇ・・・
恐るべし、欧州貴族の世界
わたしはいち早く諦めてしまうのに、Hopeさんはすごいですね!
もしかして専門にご研究とかされていらっしゃるのですか?