まりっぺのお気楽読書

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イングランド王ヘンリー8世妃 アン

2008-10-26 22:20:13 | イングランド王妃・王女
エリザベス1世の母
ヘンリー8世妃 アン・ブリーン


1507~1536/在位 1533~1536

キャサリン・オブ・アラゴンを王妃の座から退け、その椅子に座ったのは
一介の騎士、トマス・ブリーンの次女アンでした。
       
アンの母エリザベスは名門ノーフォーク公トマス・ハワードの娘でした。
一時宮廷に出仕していたことがあり、ヘンリー8世の愛人だったようです。
(アンはヘンリー8世の娘ではないかという噂がささやかれたことがあったようですが
 これはエリザベス・ブラントが生んだ子供と混同されたみたいです)

ともあれ、父母ともにヘンリー8世に気に入られ
ヘンリー8世の妹メアリーがフランス王ルイ12世に嫁ぐ際には
アンは姉メアリーと共に侍女としてフランス宮廷に出仕します。
(ちなみにこのフランス王ルイ12世妃メアリーは、じいさまとの結婚が不満で
 連日連夜ダンスをさせて早く死なせちゃったらしい・・・)

数年の滞在の後、ひと足早く帰国しヘンリ-8世の愛人となっていたメアリーを頼って
イングランド宮廷に出仕し、王妃キャサリンの侍女になります。
(しかし母子そろってとんでもありませんな  
 トマス・ブリーンは何をボーッとしていたのかね?)

そこでさっそく目をつけられたアンですが
すでにパーシー卿との縁談があった彼女はケントに身を隠します。
それがまたまたヘンリー8世を燃え立たせたのか
あるいはアンが「結婚できないなら・・・」と拒んだためか
ヘンリー8世はアンと結婚の約束をし、キャサリンとの離婚前に秘密裏に結婚します。

でも一国の王たる者、しかも時は絶対王政の頃でしょう?
その上 “ 横暴でわがまま ” で鳴らしたヘンリー8世ですよ。
侍女との約束を律儀に守ろうとするあたりがちょっと可笑しいね

めでたしめでたし、かと思いきや、アンが産んだのが王女エリザベス(1世)で
二人目の王子を流産したことから、ヘンリー8世の愛は急速に冷め
新たに見つけたジェイン・シーモアへと移っていきます。
(メアリーとアン、姉妹二人と関係をもったことによる
 神の祟りを怖れてという説もあります)

流産から4ヶ月後、アンは兄などらとともに姦通の罪で逮捕され
(無実の罪だという説があります)4日後に処刑されます。
アンは処刑にはればれと臨んだというあたりから、最後の数ヶ月
ヘンリー8世がアンに対してどれだけ辛辣で過酷だったか伺い知れます。

キャサリンの場合はバックにスペインも神聖ローマ帝国もついてたけど
アンの場合はねぇ・・・
女の命なんて、王の一存でどうにでもなっちゃう時代だったんですね。

余談です
映画『ブーリン家の姉妹』見なきゃ。

『クレーヴの奥方』を再読中なんですが、その中でメアリー・スチュアート
フランス王フランソワ1世がアン・ブリーンを愛していて
ルイ12世妃メアリーが帰国するときもアンをフランスに残したというような
ことを言うんですが、どうなんでしょう?
『クレーヴの奥方』は一応小説ですから・・・

ブーリン、ブリーン、ブリン いろいろ表記があるんですが
今回は本の通りブリーンにしました。

(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
      Wikipedia英語版)

これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね

    

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アン・ブーリンの栄光と挫折 (メリエンダ)
2018-11-10 17:24:28
アン・ブーリンは、ヘンリー8世が、“国の宝”とされた重臣を処刑し、ローマ法王との関係を断ち切ってまで、(尤も、理由はそれだけではないらしいですが)王妃に!と切望した程に愛した女性で、エリザベス女王の母、という輝かしい経歴の女性ですが、アン・ブーリンは、さして美貌ではなかったみたいで、美貌の誉れ高いのは、姉メアリー・ブーリンで、アンはどちらかと言えば、日影の存在だったらしいですね。アンは、一説には、負けん気が強い性格だったらしいですね。フランスに王女の侍女として留学し、フランス式作法、男を虜にするコケットリー、恋の駆引き的なものを身に付け、イングランドに戻った時には、洗練された淑女となり、その笑い声は、“鈴を転がす”ように愛らしく、コケティッシュだったらしいですね。その着こなしも洗練されていて(噂では、アンは、指の間に大きな突起があり、手を広げると、指が6本に見えたのを、気にしていて、それを巧みに隠す為に、袖で覆い隠していたらしいですが…)そんなアンに、ヘンリー8世は、露骨に関係を迫ったらしいですが、アンは姉の件で、王の飽きっぽさを知っていて、彼女は、フランスで身に付けた恋の駆引きを駆使し、ヘンリーを、自分に夢中にさせ、直属の主だった王妃と離婚させ、王妃に上り詰め、後は、世継ぎを産み、王妃として生き、王母として誇り高く死んでいく、 未来を望んだけど、産まれたのは、女児、王は、あれほどの犠牲を払ったのに、何故、男児を産まなかったのだ、と落胆し、アンは次の妊娠に希望を託したが、男児を流産、ヘンリーの心はあからさまに離れていき、世継ぎに恵まれないのは、アンが、自分を唆して離婚させ、ローマ法王との仲を台無しにしたからだ、と責任転嫁…しかも、アンは、前妻と違って、政治の能力はなく、国民に不人気、前途多難だ、と思ったかはわかりませんが、“愛憎紙一重”とはこの事で、アンとの関係を断ち切りたい、と切望するほどに嫌い、無実の罪を着せ、処刑することに…前妻は、高貴な身分であったため、離婚ですんだが、アンは、大した家柄でもないただの貴族の娘で、いくらでも処刑の理由などでっち上げれたのですね。自分を惑わし、善からぬ結果を招いた女、として火炙りにしようとしたらしいですが、さすがに良心の咎めを感じたのか、斬首刑に処し、その上、他国から極めて腕の良い、一度で切り落とすことができる役人に執行させたらしいですね。アンの快進撃は、“王妃”に上り詰めた迄で、その後は、地位を不動のものにするために努力しましたが、その期待に応えられず、“王妃”でなく“罪人”として愛した男に処刑されたのですね…処刑される迄、考えていたのは、やはり、エリザベスの今後の心配だったのでしょうか?
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