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イングランド王エドワード1世王女 メアリー

2011-02-10 01:55:16 | イングランド王妃・王女
             十女ともなると肖像画が無いっていうじゃない…
                    そんなわけで当時のドレスをどうぞ


ものすごい特別待遇の修道院生活!!
エドワード1世王女 メアリー・オブ・ウッドストック


1279~1332

メアリーはエドワード1世とエリナー・オブ・カステイルの十女!!です。
八女、九女は夭逝しました。

          

メアリーが7歳の時、祖母エリナー・オブ・プロヴァンスは、どれどれ引退しようかね…と
修道院に行くことを決心しました。
で、ひとりで行けばいいものを、なぜか孫娘もふたり連れて行こうと考えます。
選ばれたのはエドワード1世王女メアリーと
次女ベアトリスの末娘アリエノール・ド・ブルターニュでした。

やっぱり早く婚約さしときゃよかった!!

母エリナーは必死で反対しますが姑にはかなわず、ふたりはフォントヴロー修道院の分院
ウィルトシャーのエイムズベリー小修道院に入れられてしまいました。

不憫に思ったのか、メアリーは両親から毎年100ポンド(現在の50,000ポンド相当)の
手当と、ドレスも好きな物を買ってよく、ワインを飲んでもいいという許可を
特別に与えられました。 お部屋も特別居心地がいいところにしてもらったそうです。
4歳年上の従姉アリエノールの方はどうだったかわかりません。

エドワード1世は、わざわざ修道院に娘たちを訪ねています、それも5回も。

1291年に祖母が亡くなると、フォントヴロー修道院に移ることも考えられましたが
メアリーはエイムズベリーに留まりました。
アリエノールは行ったのかしら?
彼女は後にフォントヴロー修道院の修道院長になってます。

メアリーの手当は200ポンドに増額され、毎年20個の大樽!!のワインも
もらえるようになりました。
それに、修道女でありながら、好き勝手に旅行に行くようになります。
ローマ教皇の「修道女は修道院にとどまるべし」という勅書もなんのその、
巡礼という名の下に従者を大勢引きつれてカンタベリーへ出かけました。
カンタベリーならまだいいが、宮廷にもちょくちょく顔を出し
だんだん長居をするようになります。

従姉の公女アリエノールが王女の自分を差し置いて、本山ともいえるフォントヴローの
修道院長になったのは悔しかったみたいですが…自業自得とも言えますな。
とはいえ、晩年まで居心地よく好き勝手に暮らしていたようです。
1332年に亡くなって、そのままエイムズベリーに葬られたとみられています。

しかし、メアリーは死後も騒動に巻き込まれます。
サリー伯ジャン・ド・ワーレンはメアリーの姪ジャンヌ・ド・バーと結婚していましたが
メアリーとジャンヌが結婚前に女同士で愛し合っていた、と離婚を申し立てました。
この件は結局立証されず、ジャンヌも離婚もされなかったようです。

修道院をホテルのように考えていたのかしらね?
私は修道院に入った王侯貴族の子女たちのほとんどは
メアリーみたいな暮らしをしていたんじゃないかと睨んでいるのよね

それはそれでいいとして、まわりで厳しい修行をしていらっしゃる
他の修道士・修道女の方はどう思ったのでしょう?
「ちっ! これだから王族には来てほしくなのよねっ」と思ったのでしょうか?
それとも「これも試練」と穏やかにお世話したんでしょうか? 私ならひがむけど…

(参考文献 Wikipedia英語版)

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