まりっぺのお気楽読書

読書感想文と家系図のブログ。
ゆる~い気持ちでお読み下さい。

『夜と灯りと』国家統一・・・その後

2014-10-16 21:15:21 | ドイツの作家
DIE NACHT,DIE LICHTER 
2008年 クレメンス・マイヤー

本屋さんに行くと必ずチェックする新潮クレストのコーナーで
作家が旧東ドイツ出身という一点のみに興味を抱いて買った一冊です。

く、暗い… 私は暗い話しはキライじゃないけど、この本にはドーンと滅入ったね。

旧東ドイツ出身というところから、統一後のドイツの高経済についていけない、あるいは
民主主義そのものについていけない人々の悲哀を描いたものだという先入観があって
そういう観点から読んでいましたが、どうやらそれはあまり関係ないみたいです。

薬物中毒者・犯罪者・受刑者・無職・手当受給者などなど、負け組、かつて負け組、
負け組予備軍という人たちが主人公の12篇がおさめられていますが
舞台は別にドイツでなくても、どこにでもあてはまる物語でした。

暗いながらも印象に残った物語をいくつかあげてみます。

『南米を待つ(Wartan auf Sudamerika)』
電気を止められた母の家を出て自分の家に戻ると、一通の手紙が来ていた。
消印はキューバで、古い友人ヴォルフガングからのものだった。
彼は、昔家を出て行った父の遺産を手に入れて、ブラジルを目指して旅しているという。

男の友情ってこういうものなんですかね?
自分はどん底の手当生活なのに、ぜいたくな旅行の様子が書かれた手紙を読んで
友人の幸せを祝ってあげられるとは…
女はどうしても他の女性の幸せを手放しで祝ってあげることってできないからね…でしょ?

『通路にて(In den Gangen)』
大型スーパーの商品整理係の夜勤になって職場にもだいぶ慣れてきた。
菓子類担当の可愛いマリオンは人妻だが夫に問題があるらしい。
フォークリフトを教えてくれたブルーノは郊外で農場をやっていて、皆に慕われていた。

夜のスーパーに職を得た人たちの、そっけないけれど親しみのある付合いが描かれていて
暗い本の中にあって少し望みが持てる物語だと思っていたら…がーーーん
なぜなのぉ? なんの解決もみないまま終わってしまられては…

『君の髪はきれいだ(Du Hast Schones Haar)』
彼は研修にやってきた来た日に娼婦の少女ズィスィと出会い、妻と貯めた金を全額引出した。
その日以来、ズィスィに会いに行くことと、今後彼女と暮らすことしか考えられない。
彼は毎日リトアニア語が話せる男を探す。ズィスィに「君の髪はきれいだ」と言うために…

バカじゃなかろーか! それとも男のロマン?
クラブとかスナックに行って、愛想よくしてくれる女性に本気になっちゃう人がいるけど
本気なわけないじゃないよ~! 粋に遊びましょうよ。
この主人公は遊び慣れてなかったのね、きっと。 だから最後そうなっちゃうでしょうが…

私はさっき舞台はどこでもいいって書きました。
だけど、もしかしてこの独特感は旧東ドイツ出身の作者ならではなのかしら?

たとえば同じような話しをニューヨークの作家が書いたとするとかなり違っていたかも。
古くから競争主義と快楽の情報を知りつくしていた国の作家なら、それらを反映して
もう少しライトでユーモアが感じられる書き方をしていたかもしれません。
登場人物の会話に哀しげなジョークが織り交ぜられたりして
気の抜きどころがあったかもしれないですね。

新たにやってきた主義と情報を使いこなせないまま生きている人々を
正直に描写しようとするとこういう風に仕上がるのかもしれないですね。
勝手に言ってますけど…

なにしろ笑いどころゼロ! クスッとも笑えない生真面目さで書かれてます。
哀しい物語を書くならちゃんと哀しく書きましょう、という感じで
こちらも固い椅子に座って、心して読まねば… という気になりそうでした。

場面や時間が小刻みに行ったり来たり、急に変わったりするので
少し読みづらいところもありました。

内容は嫌いではないのですが、慣れないと楽しんで読むことはできないかな?
慣れるようにあと何冊か読んでみようとは、今は思えないですけど…

ただ、統一がなければ優秀な作家の作品が東ドイツ内だけの需要で終わり
しかも、国が認めた物だけしか書けないという悲劇に見舞われていたわけですよね。
作家たちが自分の書きたいことが書けて、世界で活躍できるということだけ考えても
統一は大きな意義があったのだと言えるのではないでしょうか?

優しすぎる男性の悲哀がにじみでてます
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね



ひとことK-POPコーナー
今年はSMTOWNに2日とも行けて浮かれていたのですが、EXOに続いてSUPER JUNIORのニュースに驚いたさ!
カワイコちゃんソンミンが誰よりも早く結婚とは!! 気が早いけどパパドル・ソンミンも見てみたいような…
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『婚約』生真面目さが漂ってます

2014-02-06 21:26:02 | ドイツの作家
DIE VERLOBUNG 
ヘルマン・ヘッセ

ヘッセは特に好きではないのですが、なぜか何冊か持っています。
だけど読んだ覚えがないので読んでみました。

3篇しかありませんので、全部紹介します。

『婚約(Die Verlobung)/1908年』
白リンネルを扱う地味な店の、無言の店主アンドレアス・オーンゲルの
35年前のある事件は、街の人々に広く知られています。
若きアンドレアスは背が小さいことに引け目を感じていましたが
ある日、美しいマルグレートに恋をし、行動をおこしました。

この物語はものすごく好きでした。
主な理由としては、舞台がリンネル屋さんというところなんですけどね。
それから、主人公がもの静かで恥ずかしがりやで真面目すぎる男性というところ。
読んでいて「頑張れ!」と応援したくなりました。

『世界改良家(Der Weltverbesserer)/1912年』
24歳のベルトルト・ライヒャルトは、学生時代をすごしたミュンヘンで
自称芸術家たちとつきあったりしながら無為の日々を過ごしていましたが
新しい倫理を追究する一団に感銘を受け、好意を寄せていた顧問官の娘アグネスが
止めるのも聞かず、チロールの山小屋を買ってミュンヘンを後にします。

宗教ではありませんが、今でいうカルトなんですかね?
主人公は芸術家たちや倫理家の言うことを素直に信じてしまう傾向があるのね。
すごく手玉にとりやすいタイプだと思うの。
もしアグネスと上手くいったとしたら、たぶんアグネスの言いなりになると思う。
夫としてはいいんだか、悪いんだか…

『マチアス神父(Pater Matthias)/1912年』
若いマチアス神父は、愛想がよく親切で、外見も美しく、布教活動も上手で
尊敬を集めていますが、実は情熱的な過去を持ち、現在もある秘密を抱えています。
田舎への布教を命じられて上首尾に終わったマチアス神父は
ある町に立ち寄り、僧衣を脱いで酒場へと向かいました。

最初の方は世渡り上手とか、要領がいい人としか思えないマチアス神父なのですが
この後、かなり手痛い目に遭うんですよね。
こんなにウマく生きてきたのに、ツメが甘いとしか言いようがありませんが
実は、前半の裏がある人物の時の方が、後半の改心した神父より魅力的に思えました。
イキイキして人間らしかった気がするのですが… もし教訓話だとしたら失敗?

ヘッセといえば、お馴染みの『車輪の下』がありますね。
ありますねって… ぜったい読んだはずなのに、びた一文覚えてない…
たぶん好きでなかったんでしょうね。

そういえば、以前『青春はうるわし』を読んでますね。
それもあまり好印象ではなかった気がする… まぁ、長閑でよかったんですけどね。
『青春は~』よりは、こちらの方が物語として面白かった気がします。

書いてて思ったんですけど、私がこの一冊が好きだとしたら
それは全て、一話目の『婚約』に因るものですね。
実は他2篇はそんなに面白く思えなかった…

ただ、ヘッセは真面目な人だったんじゃないかしら? と思えたた一冊でした。
黙々と書く、早寝早起き、手のかからない良い夫、という感じ。
あくまでも想像です。私は作家自身にはあんまり興味ないからさ。

読書好きには、時代や国や内容は違っても、それだけで読みたくなるという
お気に入りのシチュエーションがある人がいるんじゃないでしょうか?
私の場合は、下宿屋・安ホテル・布屋・大衆食堂なんかが舞台になっていると
それだけで2ランクぐらい好き度がアップするようです。

ヘッセが面白くないなんて、ばーか とお怒りの方もいらっしゃいましょうが
読者って勝手なものだと理解してほしい…

ひとことK-POPコーナー
EXOがすごいことになっているのね! もう埼玉スーパーアリーナって…
てことは、SMの序列からいってSHINeeは今年DOME? いいけど、代々木ぐらいが見やすくて好きなんだけどなぁ…
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『夏の嘘』ここからが知りたい

2013-10-12 22:15:44 | ドイツの作家
SOMMERLUGEN 
2010年 ベルンハルト・シュリンク

ラストがはっきりしない小説はよくあります。
この後はご自由にご想像下さいということなのか、はっきりさせない方が
ハッピーだったりとか… いずれにしても心地よい余韻が残る場合が多いわけで
私も深追いはしません。 読みっぱなしってことなんですけどね…

でもこの一冊におさめられている7篇のその後、いちいち気になるわ。
いくつかあげてみますね。

『シーズンオフ(Nachsaison)』
避暑地で初めて出会った時、彼はスーザンのことを自分と同じように
ハイシーズンには来られない、裕福でない境遇の女性だと思いました。
しかし、実はスーザンは資産家で、大きな別荘の持ち主でした。
13日間の幸せな時を過ごした後、2週間後にニューヨークのスーザンのマンションで
新生活をスタートする約束をして、二人はお互いの帰路につきます。

男性は住み慣れたニューヨークの下町のアパートに帰ってから悩むのね。
玉の輿、逆玉ってものすごくおいしい話しのように思えますが、正直今でも夢見てますが
貧しい方にかなりの適応力と順応性が求められるのではないかしら?
だって、どうしても貧しい方が大部分を捨て去ってリッチな方に行くでしょ。
捨てたくない物、人、場所、習慣… 乗りそうになってから悩めばいいですかね?

『森の中の家(Das Haus im Wald)』
彼は森の中の家に越してから、妻と娘の三人で満ち足りた毎日を送っています。
妻のケイトは執筆をし、彼は家事をし、娘のリタの世話をします。
ケイトの新作は傑作になりそうで、前作は数日後の文学賞の有力候補にあがります。
彼は昔の騒がしい生活に戻ってしまうことを恐れるようになります。

男性の恐れは脅迫観念みたいなもので、妻と娘を都会の喧噪から守らなければと
必死になるのですが、激しい空回りに終わります… というか最悪!
今をときめく妻と、下り坂の夫… 普段はお互いを励まし
尊重しあって暮らしているのですが、いざという時に本音が出ますね。
逆だとここまで問題にならないんでしょうけどね… たぶん。

『南への旅(Die Reise nach Suden)』
彼女は、子どもや孫たちに大事にされていると施設内でも評判でしたが
ある日突然彼らを愛せなくなり、誕生日の席ではせっかくの雰囲気を壊しました。
そんな中看病に来た孫のエミリアを誘って大学時代を過ごした街へ旅行をすることにします。
道すがら彼女は昔自分を捨てた男性の話しをしました。
翌日エミリアは男性を探しで出して来て、会う約束までしていました。

別れた人とは会いたくない派と友人でいたい派がいますよね。
今さら会ってどーするよ? というおばあちゃんを必死で説得する意味がわかりません。
結果的によい話しに落ち着いたのですが、逆だってあったはず。
会って愛再燃しても家庭があったら困るし、昔のことで喧嘩して嫌な思いするのもやだし…
嫌がる人はそっとしておいてほしい… 私は会いたくない派です。

ハッピーエンドではないけれど、希望が持てそうなラストのお話しは2篇。
それ意外は希望が無さそうな、あるいは上手くいかなそうなラストです。
ただ上手くいかなさそうな物語の主人公たちは、希望を捨ててないですよ!

男の人は女の人を誤解していると思うんだけど
自分に長年暮らしてきた情があるから相手にもあると思っちゃいけないね。
自分は相手のここが許せるから相手も許してくれると思うのは大間違いです。

だからか、無謀なことを考える男性陣が希望を抱いて終わる物語がいくつかあって
絶対ダメだと思うんだけど、もしかしたら上手くいくのかなぁなんて思えたりして
もうすこし今後のヒントがほしくなっちゃったわけです。
明日にはもうどーでもよくなってると思いますけど…

ひとことK-POPコーナー
B.A.P 日本デビューおめでとう!! 渋谷がすごいことになっていたのね。見に行きゃよかった…
めでたいのですが『WARRIOR』は日本語じゃなくてもいいと思ふの… ごく個人的に
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『メトロポリス』徹底的な格差に背筋が凍る

2011-06-16 22:57:49 | ドイツの作家
METROPOLIS 
1926年 テア・フォン・ハルボウ

『メトロポリス』と聞いて思い出すのはQUEENの挿入歌と『Radio Ga Ga』のPVで
フリッツ・ラングの映画は見に行ってないんですけどね…
小説でこんなに面白いなら映画はどんなに素晴らしいんでしょうね?

映画用の脚本が先にあったというこの物語、そのせいか文章で読むと
随所で動機付けが希薄な気がしないでもないですが、それはおいといて…
目くるめくスピード感でぐいぐい引っ張られていきます。
ちょっと忙しいけど…

詳しくは書きませんが、メトロポリスという未来都市を舞台にして
4:3:3ぐらいの割合で、社会派小説:SF:ラブストーリーが描かれています。
あくまでも私の印象ですけどね。

労働者たちが機械労働に食いつくされ消耗していくメトロポリスの主であり頭脳であって
神の域にまで達している人物が、ヨー・フレーデンセンという
愛と人の心を無くした男性です。

フレーデンセンの息子フレーダーは、富裕層の息子たちの溜まり場に
汚い子供たちを連れて現れたマリアという女性が忘れられなくなります。
マリアはで労働者たちに戦い以外で自由を得ようと訴える指導者のような女性でした。

フレーダーとマリアは再会して愛し合うようになります。
しかし恐ろしい計画を持っていたフレーデンセンは、発明家ロートヴァングに依頼した
機会人間(ロボットという言葉はまだ無かったそうでございます)の顔を
マリアと同じにして、本物のマリアを閉じ込めてしまいました。

愛するマリアと同じ顔を持つ淫らなマリアを前にしたフレーダーも
平静さを失って軟禁されてしまうのでした。

フレーダーの唯一の仲間と言えるフレーデンセンの元秘書ヨザファートも
裏切るようしむけられ、メトロポリスを発つことになります。

そしてある日、機会人間のマリアに導かれた労働者たちは暴徒となって
メトロポリスの中心を襲い、都市は崩壊していきます。
ところが、この状況を望んでいたのは、実はフレーデンセンでした。

さてさて、フレーダーとマリアはどうなってしまうのか?
メトロポリスはどうなっていくんでしょう?

どきどきするテンションを保ち続けた物語のエンディングが
いきなりそうなっちゃう? と気が抜けたりもしましたが
テレビが無い時代の娯楽である映画がもとになっていますんでね… 良しとしよう。

私が読んだ中公文庫版は、訳注も大量にあり、解説も多かったので
本の厚さのわりにはけっこう早く読めると思いますよ。

当時の最先端テクノロジー(ラジオ、バス、ネオンなど)がちりばめられていますけど
今見ればとってもアナログです。
化学が進むスピードって空恐ろしいですね。

それよりも内容がやけに現代にマッチしているような気がしています。

もしかしたら、貴族社会と庶民の格差を書いていたのかもしれませんが
近年の、所謂セレブと下流におきかえてもピッタリはまります。

徹底的に富を享受して、下々の苦労は知るかいな…と、さらに富を作る人々と
上を見たって仕方ないさ、生まれが違うんですもの…と脱力した人々のコントラスト…
最初の方の、フレーデンセンが単純労働者を見下した言葉なんか
今でも言ってる人がいそうなんですよね。

作者にどえらい先見の明があったんでしょうかね?
どんな時代も人間の本質は変わらない…ということなんでしょうか?
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『ブッデンブローク家の人びと』没落の典型を読んでみた

2011-03-28 00:45:47 | ドイツの作家
BUDDENBROOKS 
1901年 トーマス・マン

読み応え充分!!です。
以前イーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』で「没落があまい!」と書きましたが
ブッテンブローク家はしっかり没落してしてくれてよかったっす。
こういう人がいて、こういう出来事が重なると家は滅びる…という
カタログみたいな物語です。
「そりゃぁそうなっちゃうよね~」という展開に心躍りましたよ。
ただブッテンブローク家は貴族ではなくて “ 貴族的な ” 都市の名士であるので
ちょっとスケールはダウンするんですけれどもね。

家を大きくして都市で一目置かれる存在になった最盛期から没落に至るまでの
家族四代を綴った物語です。
あらすじは盛りだくさんすぎて長くなるのでやめときますが、さらさらと流れを…

ヨハン・ブッテンブロークは、ブッテンブローク商会の代表で都市のコンズル(参事会員)、
広大な屋敷を持ち、妻アントアネットは名家ドュシャン家から嫁いできました。

息子はふたりいますが、前妻の子ゴットホルトは小売店を始めたため勘当されています。
ヨハンの後を継ぐのは次男ジャンで、彼の妻は名家クレーガー家出身のエリーザベトです。
トマス、クリスチアンという男の子と、アントーニエ、クララという女の子がいます。

家族三代が貴族のような暮らしを送っている中、まずアントアネットが亡くなり
次いでヨハンが亡くなります。

後を継いだジャンは堅実に商売を行い、コンズルになり、父と同じ道を歩みます。
ただ子供たちがね…
長男トマスは問題ありません。 真面目な若者で、しっかり家を継いでくれそうです。
しかし次男クリスチアンはお調子者で、学校の成績も芳しくありません。
長女アントーニエは王女様のように育てられたせいかわがまま放題で、貴族至上主義者です。
次女クララはからだの弱い静かな子で、成長するにつれ宗教生活に没頭していきます。

登場人物が山のようにいるのでブッテンブローク家の主要人物に絞って書いてますが
もうひとつ、忘れちゃならない家族がいます。
ハーゲンシュトレーム家… 先代ヨハンの頃には成り上がりもの扱いだった商人ですが
会社を大きくし、都市でも次第に注目を集める一家になりつつありました。

さてブッテンブローク家はというと、ジャンの時代はまだ安泰でした。
しかしアントーニエの結婚とクリスチアンの放蕩ぶりが少し不安を感じさせます。
ジャンは金詰まりを感じ始めた矢先に亡くなりました。

ジャンの後を継いだトマスは、アムステルダムの大富豪の娘ゲルダと結婚し
ヨハン(ハンノ)という息子を授かりました。
ゲルダは芸術好きで人嫌い、すぐ疲れるタイプの女性です。
ハンノは虚弱体質で、母親の音楽好きを受け継ぎ、極端に父を怖がります。

トマスも堅実に商売を行います、が、堅実すぎて縮小傾向になってしましました。
それでも一時期は資金も潤沢で、実家を上回る壮麗さの屋敷を買いました。
そこからブッテンブローク家の雲行きは怪しくなります。

アントーニエの二度目の結婚、アントーニエの娘エーリカの結婚、クララの結婚が
ことごとく失敗に終わりました。 持参金どころか遺産の一部も泡と消えます。
クリスチアンは病気を理由に働かず、借金は膨れ上がります。

母親のエリーザベトが亡くなると、資金繰りのために実家の屋敷を売る事にしますが
その屋敷を購入したのがハーゲンシュトレーム家でした。

ハーゲンシュトレーム家の当主はトマスと同じ年代の精力的なヘルマンで
息子たちもひとりは商売に精を出し、ひとりは検事として活躍していました。
ヘルマンの妹でアントーニエの宿敵ユールヘンは名家に嫁いで立派な奥様になっています。

物語はこのあたりから没落に向かってスピードアップします。
どうなるか書きたいけどやめときます… こうなるしかないでしょ、というラストです。
あれれれ…と言ってる間に一家は分解しちゃいます。

膨大なエピソードの中から、特に二代目、三代目の懊悩煩悶が心に残りました。
なにもかもを背負って生きる名家の当主の苦労たるや、並大抵ではありませんね。
特にこの一家は当主に依存しすぎてると思うのよ。

対照的に描かれているハーゲンシュトレーム家も、いつか同じ目に遭うのかもしれません。
上りつめたら落ちるだけだものね。

強固な階級制度が守ってくれた時代なら二代目や三代目が多少頓馬でも
浪費家や遊び人を抱え込んでも、名家は生き延びてこられたのかもしれません。
しかし(一応)制度が崩壊した今、やっぱり強靭な精神力と優れた手腕を持つ後継ぎが
とっても大切なのね…ってことでしょうか?
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『天と地との間』マーラーの5番的な・・・

2010-05-01 00:42:53 | ドイツの作家
ZWISCHEN HIMMEL UND ERDE 
オット・ルートヴィヒ

それも第4楽章ね! 読んでいたらものすごく頭に浮かんできてしまいました。
でも内容の関連性はまったく無いと思います。

静かに始まって、静かに進むうちに少しずつ、少しずつ盛り上がりを見せて
盛り上がりきったと思ったら、デクレッシェンド…静かに終わる物語でした。

市の名士であるネッテンマイル親方は、一風変わった暮らしをしています。
緑の鎧扉がある大きな家には、親方の兄の未亡人と息子たちが暮らし
親方は不便な廊下部屋で起居しています。

しかし、この家を支え動かしているのは紛れも無く親方で
母子三人は実の父親のように、それ以上に親方を尊敬し崇拝しています。
四人は緑の鎧扉の家で30年もそんな生活を続けています。

ここで物語は30年前の回想になります。

登場人物は、若き日のネッテンマイル親方、アポローニウス。
実直で誠実でおくてなアポローニウスが静かに想いを寄せるのは
花のように可憐な娘クリスチァーネ。
弟アポローニウスのためにひと肌脱ごうと言ってくれる頼もしい兄フリッツ。

はしょるけど…
結局フリッツが一生懸命になっても、クリスチァーネは脈がないみたいなので
アポローニウスは遠くへ奉公に出たのだけど
その間にフリッツとクリスチァーネが結婚してしまうのね。
ここまではよくある話よ…

6年後、頑固な父親に言われて帰郷することになったアポローニウスは
クリスチァーネを兄の嫁として好きになろうと誓いました。

でも帰ってみると雰囲気が変です。
クリスチァーネはアポローニウスを避けているようだし
フリッツはなるべくふたりを会わせないようにしようと必死みたいです。

もうわかりますよね? その先は概ね想像通りに進みます。
あくまでも善人で謙虚で崇高なアポローニウスと
虚栄の塊で軽薄で悪意に満ちたフリッツという
あまりにも解り易い対比が潔くて、読むペースが上がっていきました。

クリスチァーネの娘が亡くなるシーン、老父とフリッツの息詰まるシーン
アポローニウスとフリッツの対決などなど、読みどころも満載です。

フリッツ亡き後、なぜアポローニウスとクリスチァーネが結婚しないで
義理の姉と弟として暮らしいるのか…という説明にあたる後半部分は
ちょっと疲れを感じましたが、最後に山場の嵐のシーンが描かれます。

隅から隅まで勧善懲悪で、敬虔さと正直さが善であるというお話でして
現代にはそぐわないかもしれませんが、とにかく、行ったことも無い場所の、
見たことも無い人々の,目くるめく情景が鮮明に浮かぶ文章でした。
読書はこうでなきゃ!と思えた一冊です。

実はこの作家は知りませんでした。
ありがとう!岩波文庫のリクエスト復刊

天と地との間  岩波書店


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『トオマス・マン短篇集』ガチガチのゴテゴテ

2010-03-11 23:24:24 | ドイツの作家

1892~1912年 トオマス・マン

物語の中にも頻繁に “ アンピィル様式 ” の家具が登場するんですけど
この短篇集の文章もまさにそんな感じ…堅牢で重厚で壮厳で装飾過多気味。

それに 「 われわれ 」「 ◯◯してみたまえ 」「 ◯◯となるであろう 」 という調子に
まるで偉い方の難しい講義でも聞いているような気になり
最後まで読み通せないんじゃないかしら? と思いましたが
読み進むうちにそんな堅苦しさと勿体ぶった感が心地よくなってきました。

内容が好きとか表現が興味深いとかいう問題でなく
文学しております… という気になってきます。

“ 芸術とは ” “ 芸術家たる者は ” という命題のもと創作活動を続けた作家ですが
物語に醸し出される作家の意図の奥深さは解説を読んでいただくとして
そんなことに関係なく読み物として楽しめたものをあげてみます。

『道化者(Der Bajazzo)/1896年』
裕福な両親のもとで、安穏な将来を約束されたような気になり
怠けがちに過ごした主人公が、遺産を手にして故郷を後にします。
一生何もせず暮らせますが贅沢はできません。
居場所のない街で日がな一日が終わるという生活の中、上流の娘に恋をします。

何もしないで暮らすって、結構つらいことなんですよね。
特に(昔の)男性の方は、家事をするわけでもなかったようですし。
浮き草のような自分を嘆く前に働いてみたらどうなんだろうか? と言いたくなりました。

『ある幸福(Ein Gluck)』
田舎町の将校たちが、流れの合唱団の女性たちを招いた宴会の夜
ハリイ男爵は、夫人アンナを伴っていながら一番美しい娘にべったり寄り添います。
穏やかに社交の場を乗り切っていたアンナ夫人でしたが
男爵の行き過ぎた戯れに突然席を立ち…

女性にモテモテの夫を誇る一方、浮気の心配もしなきゃならないという…
ハンサムなだんなさんを持つと何かと面倒よね。
ラストをどうとらえようか迷いました。
スーッとしましたけど、もし当事者だったら相手の女をどう思うかしら?

『神童(Das Wunderkind)』
8歳なのに7歳のふれこみの作曲家ビビイのピアノ演奏会が開かれます。
年相応の無邪気な様子も見せるビビイでしたが
演奏も構成も、そして即興も見事としか言いようがありません。
批評家はビビイのことを「いっぱしの芸術家にでき上がっている」と考えます。

ある部分で完全に大人と張り合える、あるいは上をいくお子供の心境は
凡人には理解しかねます。
さらに如才なさがあるとか、場の空気が読めるなんてなったら… ちょっと怖いですね。
でも、幼いことが売りだった人たちの厳しいその後もかなり見たような気がします。
大人は彼らとどういうふうに向き合えばいいんでしょうね?

初期に書かれた17篇が収められています。
若い頃から、断固とした信念のもとに作品を書き上げているような印象を受けます。
時の流れとともに多少の心境の変化はあったとしても
筋が一本通っているような清々しさを感じました。
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『三色すみれ・水に沈む』清き乙女のための小説

2009-09-30 01:26:43 | ドイツの作家
VIOLA TRICOLOR.AQUIS SUBMERSUS 
テオドール・シュトルム

シュトルムも岩波文庫『大学時代・広場のほとり』新潮文庫『みずうみ』 に続き
3冊目ですが、内容はともかく文章は美しいなぁ、やっぱり。
収められているのは2篇です。

『三色すみれ(Viola Tricolor)/1873年』
幼い娘ネージーがいるルードルフへ後妻として嫁いだ若いイーネスは
ネージーが死んだ母親の影を引きずっていることにショックを受けました。
それどころかルードルフまでが前の妻の肖像画を見つめたりして…
イーネスは自分の居場所がないと嘆きます。

そりゃあ仕方がないでしょうよ、と思ってしまいますが
若き後妻としてはなんとか自分の立場を確立したいものかもしれませんね。
会社でも、あまりにも輝かしい実績がある前任者の後がまというのは
ちょっとつらいもの… 頑張りすぎがかえってマイナスになっちゃったりしてね。

『水に沈む(Aquis Submersus)/1875年』
少年の頃友人宅の教会で見かけて気になっていた牧師と溺死した子供の肖像画。
長い時を経て、田舎の下宿屋でその絵と画家の覚え書きが見つかりました。
画家ヨハネスは恩人の娘カタリーナに恋心を抱いていましたが
彼女は横暴な兄ヴルフから大嫌いな男との結婚をせまられていました。
ヨハネスとカタリーナは密かに結ばれ、ヴルフから逃げようとしたのですが…

今まで読んだシュトルムの中では情熱的でドラマティックな物語でした。
物語の題材としてはありがちなものがちりばめられているのですが
ベテランならではの落ち着いた筆運びで安心して読めました。
新鮮さはありませんけどね…

シュトルムはリアリズム作家のひとりに数えられるそうなのですが
私はものすごくロマンティストだったんじゃないかと思っています。
女性の方が見落としがちなセンチメンタリズムと
夢のようにメロドラマティックな恋心の描き方。
これは男性ならではの、愛し合う男女の偶像なのではないかと…

シュトルムには、木陰で恋物語を胸にため息をつき涙を浮かべるお嬢さんが似合うわ。
ボンネットと白い衿のドレスが似合うって感じね。
修道院系の女学校を出たばかりで、使用人の息子なんかにときめいたりしているとGood!

あぁ、美しい恋物語を読んでハラハラと涙が流せたあの頃にもどりたいわ
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『ユダヤ人のブナの木』週刊◯◯という感じ

2009-04-23 01:01:51 | ドイツの作家
DIE JUDENBUCHE 
1842年 アネッテ・フォン・ドロステ=ヒュルスホフ

実際にあった殺人事件がベースになっているらしいのですが
女性が書いたとは思えないほど堅苦しく、情緒もへったくれもありませんでした。

情景の描写に使われている修飾語がかろうじて小説っぽさを醸し出していますが
まるで記者の思い入れが強いルポルタージュみたいになっちゃってます。

もう少し容疑者となった少年フリードリヒの年老いた母親の嘆きが
クローズアップされていたり、フリードリヒを密かに慕う少女などがいたりしたら
小説らしくなったのでは? と思うのですけど、出来事を時系列に並べているだけ…

ある村で盗伐が相次いでいたのですが、見回りをしていた山林官が殺害されます。
その時一瞬疑われたのが、すこぶる評判の悪い男の息子フリードリヒ少年でした。
結局罪は晴れますが、実は彼は盗伐団のために見張りをしていたのでした。

数年後、今度は古売商をしていたユダヤ人アーロンがブナの木の下で殺されました。
その前日、フリードリヒは皆の前でアーロンに借金の取り立てをされて
大恥をかいていたので、真っ先に彼が疑われました。
領主のS男爵はフリードリヒの家に向かいますが、彼は逃げた後でした。

事件が迷宮入りになってしまった頃、ユダヤ人たちがブナの木の一帯を買い取り
アーロンが殺されていた木に碑文を彫りつけます。
それからその木は “ ユダヤ人のブナの木 ” と呼ばれるようになったのです。

さてさてフリードリヒですが、その後どうなったのでしょう?
実はアーロン殺しの真犯人は見つかったのですが、フリードリヒは帰って来ません。
そもそも何故フリードリヒは逃げ出したのでしょう? 村人は不思議がります。

28年後、フリードリヒと一緒に逃げた私生児ヨハネスがひょっこり戻って来ます。
トルコの奴隷となって苦労し、老人のようになっていました。
彼の帰還で謎が明らかになるかと思いきや…

この28年間の出来事も、ヨハネスの口から数行語られるだけでして
フリードリヒやヨハネスが何を考えているかも分からない…
しかも! 真犯人が逮捕されたことが分かる場面もあっけないんですよ。
ミステリーでもなく冒険小説でもなく、ましてや恋愛もない。
小説と呼ぶにはあまりにもイマジネーションが欠如していると思います。

作者はグリム兄弟と親交があったということですが、童話とまではいかなくても
もうちょっと想像力を駆使して脚色をしてもよかったのではないかしら?
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『スキュデリー嬢』実話ですか?

2009-04-11 12:57:36 | ドイツの作家
DAS FRAULEIN VON SCUDERI 
1818年 エルンスト・テオドール・ホフマン

スキュデリー嬢とはいっても、70歳の老婦人なんですのよ。
実在の詩人だったそうです。

ある夜スキュデリー嬢の家に若い男が押し入り小箱を置いて立ち去りました。
その小箱の中には世にも見事なネックレスとブレスレット、そして
スキュデリー孃に対する感謝と賞賛が書かれた手紙が入っていました。

当時パリでは宝石強盗殺人事件が頻発していて、夜道を愛人のもとへ急ぐ貴族たちが
多数被害にあっていました。
「安心して愛人に会いに行けない」という “さすがフランス貴族” な訴えを聞いていた
ルイ14世は、たまたま部屋にいたスキュデリー嬢にどう思うか尋ねました。
彼女が何気なく口にした詩のおかげで、ルイ14世が捜査を強化する必要はなしという
判断をくだしたため、殺人犯に感謝されてしまったようです。

それまで清廉潔白に生きてきたスキュデリー嬢は事件に巻き込まれていきます。
彼女は犯人として逮捕された青年を救ってあげようとするのですが
状況証拠から見て、覆すのは難しそうでした。
最終的には宝石強盗殺人の真犯人に辿り着くわけですが・・・

ミステリーになるのかしら?
犯人はほぼ最初から分かっているような状況ですし、彼女が探り当てたというより
関係者が勝手に喋ってくれた、という感じです。
だからスキュデリー嬢が名探偵で、あっ!と驚くどんでん返しという話しでは
まったく、ありません。

この物語にはルイ14世やマントノン夫人なども脇役として登場していますし
ブランヴィリエ侯爵夫人の毒殺事件など実際におきた事件も書かれています。
スキュデリー嬢も、類いまれな宝石職人カルディラックも実在していたようなので
実際にあった事件にインスピレーションを受けて小説にしたんじゃないか?
という気がして調べてみたのですが分かりませんでした。

推理小説だとしたらあまり面白くないのですが、宮廷文学と思えば少しは…
実在の貴族が登場する物語は嫌いではないので☆3つにしてみました。

スキュデリー嬢 岩波書店

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『みずうみ』恋愛小説スーパーライト

2009-03-11 22:16:22 | ドイツの作家

テオドール・シュトルム

岩波文庫の『大学時代・広場のほとり』を読んだ時もちょっと感じたのですが
シュトルムは失恋や悲恋をきれいにきれいに書いていて、愛憎とか修羅場という
恋愛にはつきものの醜い部分は黙殺しているのですよね~
だから、ロマンティックな印象はあるのだけれども、いろいろな経験をしてきた
いい大人が書くものにしてはセンチメンタルすぎるかな…と思ったりしています。

2冊まとめて読んでみると、心変わりをしてしまったり、心を惑わされた女性を
献身的に想い続ける男性の物語ばかりなのですが
なんだか自己満足というか、自己陶酔しているような感じです。
物語に登場する男性の方々が、一途なわりには女性をほったらかしにしてるんですよね…
ご紹介します。

『みずうみ(Immensee)/1849年』
厳格な老人が夕闇の部屋で思い出す、幼い頃に育んだ愛と別れ。
ラインハルトとエリーザベトは一緒に育ち、大きくなったら結婚しようと約束していました。
けれどもラインハルトが勉学のため故郷を離れている間に
エリーザベトはラインハルトの友人で裕福なエーリヒと結婚してしまいます。

ラインハルトは結局独り身のまま老人になってしまったようなのですが
学生時代に一度帰省して、エーリヒがエリーザベトに想いを寄せているらしいところを
目にしているんですよ。
だけどその後2年間故郷に帰っていないばかりか手紙も出していないのです。
それで母親の手紙でふたりの結婚を知ったという…本当に恋してたの?
その後、エーリヒに招かれてホイホイ訪ねて行くんですけど
そこでエリーザベトの本当の気持ちを知ってしまうのでした。

『ヴェローニカ(Veronika)/1861年』
人望ある弁護士の妻ヴェローニカは、夫のいとこが執拗な視線を向けてくることに
戸惑いを感じていましたが、ある日水車小屋でふたりきりになった時
男に腕をにぎらせたまま恍惚となってしまう自分に驚きます。
彼女は神に救いを求めようとしますが、急に考えを変えました。

それでヴェローニカは誰に救いを求めると思います?
夫なんですよね… 別に何かしたってわけでもないんですけど。
いとこの方もわりとあっさりしているんです。

『大学時代(Auf der Universitat)/1862年』
これは岩波文庫の時に書いたので省きますけど、この物語も語り手がローレという娘に
熱い想いを寄せていたと思ったら、いきなり傍観者になっちゃって驚きました。

どれもフランス人ならもっと熱烈でドロドロに展開しそうな話しなんですけど
さらさら~とあきらめて思い出しておしまい、というふうに終わってしまいます。
熱い想いの吐露もなく、お互いをとことん傷つけあうような激しさもなくて
恋愛小説だとしたらちょっと物足りないんじゃないかと、私は思うのですけれど…

でもね、文章はとってもきれいなの。
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『大学時代・広場のほとり 他四篇』想い出に生きる

2009-03-04 01:04:43 | ドイツの作家

テオドール・シュトルム

初恋とか初めて憧れた人のことって、男性の方が後生大事にしていそうな気が
前々からしていました。
一概には言えませんけど、女性の方が一時の嘆きは激しくても
「過去は過去よね~」という割り切りは意外に早いように思います。
(でも24年ぶりの復縁とかあるからなぁ…
 あのふたりの場合どちらの想いが強かったのかしら? )

この本の中に登場する男性たちは、たいしたセンチメンタリストです。

『大学時代(Auf der Universitat)/1862年』
語り手が少年時代に心を寄せた仕立て屋の娘ローレと
一途な職人クリストフの恋と破滅を見守った大学時代を綴った物語。
お金持ちの子供たちが、軽い気持ちでローレをダンス教室に誘ったことが
彼女の人生を変えてしまったのかもしれません。

最初は語り手とローレの悲恋もの? それとも身分違いを越えて愛が実るのかしら?
などと思いつつ読んでいましたが、途中から語り手はその役割に徹するようになり
クリストフとローレの物語になっていました。
話しの展開がフラフラしているという印象は否めませんが
職人クリストフの一途な男心に免じて 3つにしてあげましょう。

『レナ・ヴィース(Lena Wies)/1870年』
少年時代のかけがえのない友人、パン屋の娘レナ・ヴィース。
彼女は病気で醜い顔になってしまった30代の未婚女性でしたが
シェヘラザードのように話しの尽きない陽気で素敵な人でした。
そんなレナの半生は、愛に包まれた幸せなものでした。

この短篇集の中で唯一恋愛を題材にしていない物語ですが
レナというひとりの女性を尊び、慕い、見守っているひとりの男性の
素敵なエピソードだと思います。

『広場のほとり(Druben am Markt)/1860年』
老境の入口にたつドクトルは、ある晩姪と暮らす家の開かずの間にひとり佇み
過去のできごとに思いを巡らせます。
広場の向かいの家に暮らす娘とは、なぜ愛を実らせることができなかったのか?
彼女のために調度を揃えた部屋からドクトルは向いの窓に灯が点るを見つめます。

うぅぅむ… 私の印象としては、少しシリアスすぎるのよね、このドクトル。
でも相談にのってもらっていた友人と恋しい人が結婚しちゃったというのも
ショックだというのは分かります。 そういうことって、よくあるんですよね。
現代なら会わずに生きていくことも、そんなに難しいことじゃないけれども。

シュトルムという人は、働きながら創作活動を続けていたそうです。
それも判事とか州知事とか…63歳まで兼業作家だったんですって!

お固い仕事の反動なのでしょうか? 
作品は、特にドラマティックではないけれど穏やかで優しい感じがします。
それとも、判事という仕事柄事件の嫌な面ばかりをみたせいで
純粋な恋心という理想の世界に逃避していたのでしょうか?

シュトルム自身もとても献身的な人でしたが、その反面嫉妬深かったらしく
作品にもちょこちょこっとそういう部分が顔をだします。

もし、作者が石原慎太郎ばりのお役所的&強権的ルックスだったら
物語とのギャップにびっくりするだろうな、きっと。

大学時代,広場のほとり 他四篇 岩波書店


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『O侯爵夫人 他六篇』悲劇につぐ惨劇 ・(>_<;)・

2009-02-23 00:06:30 | ドイツの作家

ハインリヒ・フォン・クライスト

クライストも劇作家だそうで、当時流行のオペラや演劇のことを考えれば悲劇
それもちょっとやそっとじゃない悲劇を書きたくなるのは分かるのですが
救いのない話しって、読んでてブルーになるのよね
凡人の私はやっぱりハッピーエンドが好きですよ。

ドイツの作家はそんなに読んでないんですけど、ヘッベルだっけ?
彼もこのクライストも脳髄や脳漿飛び散るって話しが何編かあるんですが…
ドイツの方って腕力強いんでしょうか?

敢えて、特に救いがないものを選んでみました。

『チリの地震(Das Erdbeben in Chili)/1807年』
罪深い痴行で処刑されることになった貴族の娘ヨゼーファと家庭教師イェロニモ。
しかしまさに刑が執行されようとした時、大地震がおこり2人は命拾いしました。
避難先で大ミサが行われることを知った2人は知人が止めるのも聞かず出かけ
怒り狂った町の人びとに見つかり、取り囲まれてしまいます。

出かけなきゃよかったのにね…
それにしても未婚で子供ができたからって死刑ですか?
今の芸能人なんか半分ぐらい死刑になっちゃいますけど。

『聖ドミンゴ島の婚約(Die Verlobung in St.Domingo)/1811年』
使用人だった黒人たちに制圧されたドミンゴ島の白人たち。
指導者的人物コンゴ・ホアンゴーは、自分の混血の妻と娘トーニーをつかって
逃れ出た白人たちを殺戮していました。
ある日スイス人グスターフが助けを求めて訪れ、ふとしたことから
トーニーと愛し合うことに…トーニーはグスターフを助けようとします、が…

この物語の黒人たちはたしかに残虐です。
でも彼らもいきなりやってきた者たちに生活を破壊された人びとです。
悲恋の姿をして人種の問題をなげかけた1篇だと思います。

『拾い子(Der Findling)/1811年』
亡くなった息子の代わりに孤児となった貧しい少年ニコロを連れ帰った富豪ピアキ。
本当の息子のように愛し、なにもかもを譲ったのですが
ニコロの邪悪さは成長するにつれに増していきます。
とうとう母がわりの美しい妻に手をかけようとするニコロを見つけたピアキは…

愛を注いでも孝行息子に育つわけではないのですねぇ。
実の親子でもうまくいくわけではない親子関係、養子縁組というのも難しいものです。

けっこう暗い話しでもちょっとしたシニックとかユーモアが潜んでいるという
物語は多いのですが、この短篇集の中には鐚一文そういう話しはありません。
まっくろけです。

作者自身も34歳で人妻と心中したそうで…根っからの悲観論者でしょうか?
根が真面目すぎたんですかね?
他にクライスト作品を見かけたことがないのですが、長篇の方が持ち味が
表れているんじゃないでしょうか? あったら読んでみたいです。
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『ヘッベル短篇集』なぜか父の言葉が・・・

2009-01-10 01:15:34 | ドイツの作家

フリードリヒ・ヘッベル

ヘッベルという作家は知らなかったのですが
劇作家としては有名な方だそうですね?
たぶん、壮大な劇作の合間に身近な日常を書いたのではないかしら?
主人公は皆、これといって特徴のない普通の人びとです。
しかしそこは劇作家、ちょっと非日常的なひねりが加えられています。

気になった3篇を書き出してみます。

『山小屋の一夜/1837年』
道に迷った2人の学生が、泊めてもらった山小屋で味わう恐怖の一夜です。
人里離れたその小屋には、不気味な老婆と狡猾そうな猟師が暮らしていました。
彼らの不可解な言動に、学生たちは眠らずにいようとしましたが・・・

人は見かけで判断してはダメ! と言われますが
初対面の人ってやはり見た目が頼りですものねぇ?
しかし、実は猟師は、茶目っ気があるナイスガイだったりします。
この物語の教訓は「 口は災いのもと 」ということでしょうか。

『理髪師チッターライン/1839年』
異常なまでに溺愛するあまり、娘に一切の自由を与えずに暮らすチッターライン。
ある日、チッターライン父娘の家に若い職人が住み込むことになり
父のあらゆる防御策をよそに、愛し合うようになります。

若い二人は結婚するんですけど、めでたしめでたし、ではないんですよ。
こんなお父さん、今だったら絶対娘に相手にされないでしょうね。

『仕立て屋シュレーゲル/1837年』
世の中の全てを憎まずにはいられないシュレーゲルは
人の不幸を嘲笑い自分の身を哀れむために、毎日街をさまよいます。
シュレーゲルは常々、妻の美しい髪を売って2人で愉快な思いをしたいと考えますが
従順な妻もそれだけは承知しません。

読んでてイライラする話しなんですが、そういえばこういう人いるなぁ・・・と
思ったりもします。
もちろん、そういう方には近づかないようにしています。

若い頃、ハードロックが大好きで外国人と結婚したいと言う私に( バカだね
父が「 ドイツ人以外はダメ 」と言いました。
その理由は「 ドイツ人は日本人と同じぐらい真面目で几帳面だから 」でした。
でも私はブリティッシュ派だったんですけどね・・・

その説が正しいかどうかは不明ですが、この短篇集には浮わついたところがあまりなくて
なんとなく父の言葉を思い出してしまいました。
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『青春はうるわし 他三篇』美しいけど、だから?

2008-12-07 00:13:02 | ドイツの作家
SCHON IST DIE JUGENT 
ヘルマン・ヘッセ

昔ながらの喫茶店で小さな音でかかっている、ピアノとか弦楽器のBGMが
ありますよね? あんな感じでしょうか?
耳ざわりも良くて美しいメロディだけどそれだけ・・・っていう。

収められている4篇は、少年時代、青年時代の回想のような物語なのですが
これといった葛藤も重苦しい心の痛みもない、健全な青春時代が書かれているだけで
毒も無いが面白くもない、というのが正直な感想です。

表題の『青春はうるわし』は、休暇で数年ぶりに故郷に帰った青年の
ひと夏の出来事ですが、若く、立派な家の出で、有望な仕事についていて
理解ある優しい両親や無邪気な弟妹にかこまれて暮らしてりゃ
そりゃあ青春もうるわしかろう
失恋だって爽やかで、たいした心の傷は残りそうもないしね。

『少年時代から』は友人だった少年の思い出と死のお話。
『ラテン語学校生』は少年の失恋物語。
『秋の徒歩旅行』は青年時代に過ごした思い出の土地を巡った旅行記。

すべてサラサラ読めたけど、何も残ってないなぁ・・・
美しい自然のことはいっぱい書いてあったけど、そういうのが得意な作家は
他にもいるし、人物も一般的にいい人ばかりだけど印象的でないし・・・。

きれいにまとまっててすごく読み易かったですけど、ホントに感想ってないのよね
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