お若いのにしっかりしていらっしゃる
カール4世妃 エリーザベト・フォン・ポンメルン
1347~1393/在位 (神聖ローマ皇后)1363~1378 (ボヘミア王妃)1363~1378
二人目、三人目の妃を若くして亡くしたカール4世は、またまた若い妃を迎えました。
お相手はポメラニア公ボギスワフ5世の公女エリーザベトです。
母親はポーランド王カジミェシュ3世の王女エルジェーベトです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f1/2e70107d1dde0456eb89305f732d9484.jpg)
前妃アンナの死から10ヶ月後にクラクフで式を挙げました。
けっこう素早い再婚でしたね。
三度の結婚で皇子が一人しか残っていないということに焦っていたと思われます。
エリーザベトは16歳、カールは47歳でした。
カール4世はただの若い娘好き…というわけではないんですよ(と思ふ)
この結婚は、オーストリア公ルドルフ4世・ハンガリー王ラヨシュ1世と
カジミェシュ3世による反チェコ連合に亀裂を与えるための政略結婚でした。
ちなみにルドルフ4世は次女カトリーヌのお婿さんですけどね…
祖父の敵陣に乗り込んで来たエリーザベトは、年は若かったですけれども
精力的で自信に充ち満ちた女性だったようです。
夫婦の仲は睦まじかったということで、カール4世が重い病にかかった時には
大聖堂まで徒歩で赴き、供え物をしたり祈りを捧げたりしたそうです。
エリーザベトはカール4世に四男二女を授けました(皇子二人は1歳で夭逝)
でもカール4世は前妃たちが生んだ子供たちの方を好んでいたみたいで
つらい思いをしたようです。
1378年、カール4世が亡くなりました。
エリーザベトは12歳を筆頭にまだまだ幼い4人の子の育児に専念します。
特に長男ジギスムントがハンガリー王になれるように心血を注ぎました。
ジギスムントはハンガリー女王マリアと結婚してハンガリー王になり
兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王になり、ついに神聖ローマ皇帝になります。
エリーザベトは1393年に亡くなり、ヴィート大聖堂のカール4世の隣に葬られました。
前も書いたけど、ここには4人の妃がカール4世と眠っているのよね。
どうやって並び順が決まったのか気にかかるんだわ。
ジギスムントのボヘミア王、神聖ローマ皇帝即位には立ち会えませんでしたが
ハンガリー王即位だけでも目にすることができてよかったですね。
しかし、せっかくふたつの王座と皇帝の座まで手に入れたジギスムントだったのに
子供が王女エリーザベトしか生まれず(皇子は死産)紆余曲折の末
娘婿アルブレヒトの実家ハプスブルク家に何もかも持っていかれることになります。
ハンガリーの続きはこちらから
神聖ローマ帝国の続きはこちらから見てみて下さいな![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/rabi_right.gif)
(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)
カール4世妃 エリーザベト・フォン・ポンメルン
1347~1393/在位 (神聖ローマ皇后)1363~1378 (ボヘミア王妃)1363~1378
二人目、三人目の妃を若くして亡くしたカール4世は、またまた若い妃を迎えました。
お相手はポメラニア公ボギスワフ5世の公女エリーザベトです。
母親はポーランド王カジミェシュ3世の王女エルジェーベトです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/f1/2e70107d1dde0456eb89305f732d9484.jpg)
前妃アンナの死から10ヶ月後にクラクフで式を挙げました。
けっこう素早い再婚でしたね。
三度の結婚で皇子が一人しか残っていないということに焦っていたと思われます。
エリーザベトは16歳、カールは47歳でした。
カール4世はただの若い娘好き…というわけではないんですよ(と思ふ)
この結婚は、オーストリア公ルドルフ4世・ハンガリー王ラヨシュ1世と
カジミェシュ3世による反チェコ連合に亀裂を与えるための政略結婚でした。
ちなみにルドルフ4世は次女カトリーヌのお婿さんですけどね…
祖父の敵陣に乗り込んで来たエリーザベトは、年は若かったですけれども
精力的で自信に充ち満ちた女性だったようです。
夫婦の仲は睦まじかったということで、カール4世が重い病にかかった時には
大聖堂まで徒歩で赴き、供え物をしたり祈りを捧げたりしたそうです。
エリーザベトはカール4世に四男二女を授けました(皇子二人は1歳で夭逝)
でもカール4世は前妃たちが生んだ子供たちの方を好んでいたみたいで
つらい思いをしたようです。
1378年、カール4世が亡くなりました。
エリーザベトは12歳を筆頭にまだまだ幼い4人の子の育児に専念します。
特に長男ジギスムントがハンガリー王になれるように心血を注ぎました。
ジギスムントはハンガリー女王マリアと結婚してハンガリー王になり
兄ヴェンツェルの後を継いでボヘミア王になり、ついに神聖ローマ皇帝になります。
エリーザベトは1393年に亡くなり、ヴィート大聖堂のカール4世の隣に葬られました。
前も書いたけど、ここには4人の妃がカール4世と眠っているのよね。
どうやって並び順が決まったのか気にかかるんだわ。
ジギスムントのボヘミア王、神聖ローマ皇帝即位には立ち会えませんでしたが
ハンガリー王即位だけでも目にすることができてよかったですね。
しかし、せっかくふたつの王座と皇帝の座まで手に入れたジギスムントだったのに
子供が王女エリーザベトしか生まれず(皇子は死産)紆余曲折の末
娘婿アルブレヒトの実家ハプスブルク家に何もかも持っていかれることになります。
ハンガリーの続きはこちらから
神聖ローマ帝国の続きはこちらから見てみて下さいな
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(参考文献 菊池良生氏『神聖ローマ帝国』 Wikipedia英語版)