フランス王妃だったかもしれない
アフォンソ2世妃 ウラッカ・デ・カステーラ
1186~1220/在位 1212~1220
アラゴンとは手を結んだものの、やはりお隣にも予防策を、というわけで
アフォンソの妃はカスティーリャ王アフォンソ8世の王女から迎えることになりました。
母レオノールはイングランド王ヘンリー2世王女です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/80/a99a9ad18d259cb71908fd11a330b57c.jpg)
ウラッカは、フランス王ルイ8世のお妃候補に挙がっていたのですが
祖母であるヘンリー2世妃エリナー・オブ・アキテーヌが直々に検分して
妹ブランカの方がフランス王妃に相応しいと言ったとかで、妹が嫁ぐことになりました。
ウラッカという名前がフランスに受け入れられないと言ったという説もあります。
欧州の中心みたいなフランス王妃になれず落胆したのか
近くに嫁げて良かったと安堵したのか、ウラッカの心境が知りたいですね。
20歳の時、1歳年上のアフォンソと結婚しました。
後にアフォンソの妹マファルダが、ウラッカの弟エンリケ(1世)と結婚します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ba/9c28d4aa3f09fcf8c615a8b46e2d984d.jpg)
実はすごくエピソードがありそう・・・
サンショ2世妃 メシア・ロペズ・デ・ハーロ
1215~1270/在位 1246~1248
メシアは、サンショ1世とドゥルセの王女テレサが嫁いだ
レオン王アフォンソ9世の庶子ウラッカの娘です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d2/f987811c3d653abc461acec40ed31e7b.jpg)
1215年頃に生まれたことになってるんですけど、だとすると結婚した時31歳。
初婚じゃないんじゃないかしら?
ちなみにサンショ2世は37歳なので、年齢的には釣り合います。
今ならなんの問題も無く適齢期と言えましょう。
しかし、メシアがサンショと結婚した時ポルトガルでは
聖職者による王権強化のせいで貴族が反発し内乱が起きていました。
1427年、サンショ2世は廃位され、トレドに亡命して1248年に亡くなりました。
その後のメシアのことがWikipedia英語版だとさっぱりわからんのですが
ポルトガル語版はかなりボリュームがあります。
[このページを訳す]で見てみたけど、やっぱり理解不能でした![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
やはり初婚じゃなかったみたいです。
そして死についてはバレンシアが関係しているらしい…
でも「婚姻無効の宣告を」とか「クイーン誘拐 蒸着の王」とか
気になるフレーズが並んでいてものすごく面白そうですよ!
どなたか英語版か日本語版に書きこんで下さらないでしょうか?
* Cucciolaさんがイタリア語を訳して下さいました![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp05.gif)
コメント欄を見て下さいね。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)
アフォンソ2世妃 ウラッカ・デ・カステーラ
1186~1220/在位 1212~1220
アラゴンとは手を結んだものの、やはりお隣にも予防策を、というわけで
アフォンソの妃はカスティーリャ王アフォンソ8世の王女から迎えることになりました。
母レオノールはイングランド王ヘンリー2世王女です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/80/a99a9ad18d259cb71908fd11a330b57c.jpg)
ウラッカは、フランス王ルイ8世のお妃候補に挙がっていたのですが
祖母であるヘンリー2世妃エリナー・オブ・アキテーヌが直々に検分して
妹ブランカの方がフランス王妃に相応しいと言ったとかで、妹が嫁ぐことになりました。
ウラッカという名前がフランスに受け入れられないと言ったという説もあります。
欧州の中心みたいなフランス王妃になれず落胆したのか
近くに嫁げて良かったと安堵したのか、ウラッカの心境が知りたいですね。
20歳の時、1歳年上のアフォンソと結婚しました。
後にアフォンソの妹マファルダが、ウラッカの弟エンリケ(1世)と結婚します。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/ba/9c28d4aa3f09fcf8c615a8b46e2d984d.jpg)
実はすごくエピソードがありそう・・・
サンショ2世妃 メシア・ロペズ・デ・ハーロ
1215~1270/在位 1246~1248
メシアは、サンショ1世とドゥルセの王女テレサが嫁いだ
レオン王アフォンソ9世の庶子ウラッカの娘です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/d2/f987811c3d653abc461acec40ed31e7b.jpg)
1215年頃に生まれたことになってるんですけど、だとすると結婚した時31歳。
初婚じゃないんじゃないかしら?
ちなみにサンショ2世は37歳なので、年齢的には釣り合います。
今ならなんの問題も無く適齢期と言えましょう。
しかし、メシアがサンショと結婚した時ポルトガルでは
聖職者による王権強化のせいで貴族が反発し内乱が起きていました。
1427年、サンショ2世は廃位され、トレドに亡命して1248年に亡くなりました。
その後のメシアのことがWikipedia英語版だとさっぱりわからんのですが
ポルトガル語版はかなりボリュームがあります。
[このページを訳す]で見てみたけど、やっぱり理解不能でした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
やはり初婚じゃなかったみたいです。
そして死についてはバレンシアが関係しているらしい…
でも「婚姻無効の宣告を」とか「クイーン誘拐 蒸着の王」とか
気になるフレーズが並んでいてものすごく面白そうですよ!
どなたか英語版か日本語版に書きこんで下さらないでしょうか?
* Cucciolaさんがイタリア語を訳して下さいました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp05.gif)
コメント欄を見て下さいね。
(参考文献 デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』 Wikipedia英語版)