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フランス王ルイ12世妃 マリー

2009-03-03 02:01:58 | フランス王妃・王女
お望みどおりの短い結婚生活
ルイ12世妃 マリー・ダングルテール


1496~1533/在位 1514~1515

イングランド名はメアリー・テューダーです。
マリーは、当時ヨーロッパで最も美しい王女のひとりと言われていました。
11歳の時にはスペイン王カルロス1世と婚約もしたのですが
政治的な理由で結婚には至りませんでした。

マリーが18歳になると兄であるイングランド王ヘンリー8世は目先を変え
フランスとの和解のため、妹をルイ12世に嫁がせることにします。

        

その時ルイ12世は52歳、マリーは激しく抵抗します。
彼女はサフォーク公チャールズ・ブランドンと密かに愛し合っていたのです。
チャールズは既に2人の妃と死別していました。
けれども相手は暴君ヘンリー8世ですもの、聞き入れてくれるわけありません。
結局、ルイ12世が死んだら好きな人を選んでもいいという約束をとりつけ
しぶしぶ結婚に承諾します。
(この時マリーの侍女としてフランスへ渡ったのが、あのブーリン家の姉妹です)

ところが結婚から3ヶ月もたたない1515年1月1日、ルイ12世は急死します。
マリーが王に早く死んでほしくて、毎晩へとへとになるまでダンスをさせたり
外へ連れ出したりしたと言われていますが、巷間では毎晩お床で頑張りすぎたとも囁かれ…
マドンナの『BODY』みたいですな。
王には跡継ぎの王子がいませんでしたから、身体に鞭打ったのかもしれないですね。

晴れて未亡人となったマリーでしたが、ヘンリー8世が約束を守る気など更々ないことを知って
フランスでさっさと再婚してしまいました。
相手はマリーを連れ戻すためにフランスに遣わされたサフォーク公でした。
ヘンリー8世は彼に、マリーに求婚などしないと誓わせたそうですが…そんなのねぇ
会ったら忘れちゃうに決まってるじゃない! ヘンリー8世もあまいね!

ヘンリー8世の怒りをかったふたりは、しばらく故国に戻れませんでしたが
24,000ポンドを支払ってやっと許してもらえました。
イングランドに戻ったマリーは、宮廷に顔をだすとサフォーク公妃としてより
フランス王妃として扱われていたみたいです。

このマリーとサフォーク公の娘フランシーズの娘が、九日女王として有名な
ジェイン・グレイです。

1520年代後半、ヘンリー8世が王妃キャサリン・オブ・アラゴンと離婚し
アン・ブーリンと再婚しようと画策していることを知ったマリーは再び兄と対立します。
マリーはアンが大っっっ嫌いでした。
侍女が義理の姉になるっていうのも誇り高い彼女には許せなかったのかもね。

1533年、マリーはその憎たらしいアンと兄の結婚から1ヶ月後に亡くなります、が
なんてこと 夫チャールズはマリーが亡くなってから約1年後、50歳で
息子の婚約者である14歳のキャサリン・ウィロビーと4度目の結婚をします。
息子と結婚させりゃいいじゃないの…と思ったら半年前に亡くなっていました。
寂しい者同士ってことで許してあげましょう。

ところで、死んでほしいからって激しい運動をさせたら死ぬものなの?
もともと心臓か何処かが悪かったのですかね? そうじゃなければ…
自分が望むもののためならなんでもしちゃう人っていますからねぇ。

(参考文献 森護氏『英国王室史話』 Wikipedia英語版)

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