![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/ad/d4e63633c49e75a3d750810b16918c2d.jpg)
愛人呼ばわりされた王妃
ヘンリー8世妃 キャサリン・オブ・アラゴン
1485~1536/在位(1509~1532)
6人の王妃を持った王として有名なヘンリー8世ですが
当時王や貴族が複数の王妃を持っていた事は珍しいことではありませんでした。
3人、4人は当たり前、北欧のどこかの王様も6人と結婚していました。
ただ彼の場合は死別でなかったり、ローマ法皇庁と喧嘩したりで悪名が高いんだと思います。
ヘンリー7世がスペインとの同盟条約を結ぶ条件として王太子アーサーと結婚したのが
有名なスペイン女王イサベルの娘キャサリンでした。
アーサー15歳、キャサリン16歳の若い夫婦でしたが
結婚の翌年アーサーは急死してしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/2f/6d5dc1b6dfac03ee0fbac5f7a074f0b3.jpg)
キャサリンの持参金を失いたくないヘンリー7世は次男ヘンリー(8世)との
再婚話をもちかけます。
(自分の後妻にしようともしましたが、これにはさすがにスペインが難色を示しました)
それでもなかなか結婚には至らなかったのですが、ヘンリ-7世の死後即位したヘンリー8世は
即座にキャサリンと結婚します。
よっぽど好きだったらしい・・・
ヘンリーは18歳、キャサリンは24歳のあねさん女房でした。
二人は仲も良く、キャサリンは王の不在時に摂政まで努めるほど優秀な王妃だったのですが
なぜか子供に恵まれず、5人が死産、6人目に産まれたのが王女メアリー(1世)でした。
このことがヘンリー8世に焦りを与え、加えてアン・ブリーンの出現があり
キャサリンとの離婚を考えるようになります。
しかし、これにはスペインが黙っちゃいません![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
スペインはキャサリンの甥カルロス1世が君臨していましたが
彼は神聖ローマ皇帝カール5世でもあり、ローマ法王庁に発言力を持っていました。
ローマ法王はヘンリー8世とキャサリンの離婚を認めず
ヘンリー8世はローマ・カトリックと決別、イギリス国教会を設立します。
いずれにしても離婚が進まぬ中、アンに子供ができて焦ったヘンリー8世は一計を案じて
『キャサリンとは結婚ではなく愛人関係だった』というむちゃくちゃな理由で
結婚無効の決定を下します。
13年も一緒にいて、摂政までやらしといて “ 愛人関係 ” とはっ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0158.gif)
しかもアンはキャサリンの侍女でした。
これは女としては忸怩たるものがあったでしょうねぇ。
また、キャサリンはカトリックを深く信仰していたので、自分が原因で
夫がカトリックと決別するなんて、いたたまれなかったでしょう。
キャサリンの心中を察すると・・・![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
きれいな侍女って連れて歩くにはいいんだろうけど、けっこう王の愛人になってんのよね
気をつけて人選しなければ。
その後キャサリンは、ベドフォードのキンボルトン城で暮らしましたが
近隣住民の評判はすこぶる良く、彼女の葬儀の際は王の言いつけにそむいて
大多数の村民が参加したらしいです。
しかしヘンリー8世の非道ぶりはこんなもんじゃない![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
隠居ですんで良かったかも・・・
余談です
ロンドンのマダム・タッソーに、6人の妃に囲まれたヘンリー8世がいるんですが
みんな肖像画どおりですごく怖いの!
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)
これさえあれば、あなたも英国王室通
読んでみたいな!という方は下の画像をクリックしてね
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ヘンリー8世妃 キャサリン・オブ・アラゴン
1485~1536/在位(1509~1532)
6人の王妃を持った王として有名なヘンリー8世ですが
当時王や貴族が複数の王妃を持っていた事は珍しいことではありませんでした。
3人、4人は当たり前、北欧のどこかの王様も6人と結婚していました。
ただ彼の場合は死別でなかったり、ローマ法皇庁と喧嘩したりで悪名が高いんだと思います。
ヘンリー7世がスペインとの同盟条約を結ぶ条件として王太子アーサーと結婚したのが
有名なスペイン女王イサベルの娘キャサリンでした。
アーサー15歳、キャサリン16歳の若い夫婦でしたが
結婚の翌年アーサーは急死してしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/2f/6d5dc1b6dfac03ee0fbac5f7a074f0b3.jpg)
キャサリンの持参金を失いたくないヘンリー7世は次男ヘンリー(8世)との
再婚話をもちかけます。
(自分の後妻にしようともしましたが、これにはさすがにスペインが難色を示しました)
それでもなかなか結婚には至らなかったのですが、ヘンリ-7世の死後即位したヘンリー8世は
即座にキャサリンと結婚します。
よっぽど好きだったらしい・・・
ヘンリーは18歳、キャサリンは24歳のあねさん女房でした。
二人は仲も良く、キャサリンは王の不在時に摂政まで努めるほど優秀な王妃だったのですが
なぜか子供に恵まれず、5人が死産、6人目に産まれたのが王女メアリー(1世)でした。
このことがヘンリー8世に焦りを与え、加えてアン・ブリーンの出現があり
キャサリンとの離婚を考えるようになります。
しかし、これにはスペインが黙っちゃいません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp25.gif)
スペインはキャサリンの甥カルロス1世が君臨していましたが
彼は神聖ローマ皇帝カール5世でもあり、ローマ法王庁に発言力を持っていました。
ローマ法王はヘンリー8世とキャサリンの離婚を認めず
ヘンリー8世はローマ・カトリックと決別、イギリス国教会を設立します。
いずれにしても離婚が進まぬ中、アンに子供ができて焦ったヘンリー8世は一計を案じて
『キャサリンとは結婚ではなく愛人関係だった』というむちゃくちゃな理由で
結婚無効の決定を下します。
13年も一緒にいて、摂政までやらしといて “ 愛人関係 ” とはっ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0158.gif)
しかもアンはキャサリンの侍女でした。
これは女としては忸怩たるものがあったでしょうねぇ。
また、キャサリンはカトリックを深く信仰していたので、自分が原因で
夫がカトリックと決別するなんて、いたたまれなかったでしょう。
キャサリンの心中を察すると・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp28.gif)
きれいな侍女って連れて歩くにはいいんだろうけど、けっこう王の愛人になってんのよね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
気をつけて人選しなければ。
その後キャサリンは、ベドフォードのキンボルトン城で暮らしましたが
近隣住民の評判はすこぶる良く、彼女の葬儀の際は王の言いつけにそむいて
大多数の村民が参加したらしいです。
しかしヘンリー8世の非道ぶりはこんなもんじゃない
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp27.gif)
隠居ですんで良かったかも・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/gp30.gif)
ロンドンのマダム・タッソーに、6人の妃に囲まれたヘンリー8世がいるんですが
みんな肖像画どおりですごく怖いの!
(参考文献 森譲氏『英国王室史話』『英国王妃物語』
デボラ・フィッシャー『プリンセス・オブ・ウェールズ』)
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