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MAMMA ちょっと 元気になれる かもしれない処

箱根西麓の山の上で 自然な生き方を模索する日々

両手に菜の花

2010-04-25 20:30:16 | 富士山
尼崎JR脱線事故は 私にとっても忘れられない日です。
5年前 父が亡くなった後の問題で 某金融機関と交渉している時でした。
「何で私が こんな目に会う?」 「私は 何も知らなかったのだよ。」
あまりの理不尽さに腹を立てていた私は この事故を知って
「このくらいのことで 理不尽だと怒っては 事故で亡くなった人達に申し訳ない。」
事故の犠牲になってしまった方々に 心から手を合わせました。
理不尽 数日間 この言葉が頭の中でぐるぐるまわっていたと思います。

あの事故から丸5年の今日 親戚の人達が 例の頼まれ仕事のお礼を持ってきてくれました。
こちらも予想外の展開となり いろんな面で理不尽で 決して後味は良くありません。


11:06

この富士山は ばあちゃんの家に行く途中で撮りました。
やっと見えた青い空 景色を見ようと車を止めたら 菜の花の向こうに富士が・・・。
手前の竹やぶに ヤマザクラがきれいに咲いていたのですが 今年は終了です。

今週末は 5月。
連休が終わったら 久し振りに一人旅をしようかと思います。
現実をしっかり見て けじめをつけたい気分です。

 

コメント (2)
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大変身

2010-04-24 21:27:28 | おもしろい
4月3日に紹介した長屋の2階は 完了まであと少しとなりました。
今日は雨で 外仕事ができないため じゅんちゃん たかちゃんと 床掃除。
たかちゃんが 「働かざる者食うべからず」と言ったので 笑っちゃいました。

全体では22畳の広さがあり 西側に6畳の部屋を作ってもらいました。
部屋の中は淡いベージュにしたので 1階とはまたちょっと違う雰囲気です。



不要な物のたまり場だった場所が こんなに大変身!
西側の窓から 夕日を見ることができるので 夕日の部屋にしようかな。
全部で 4部屋+1広場できたので これから部屋の名前を考えねば・・・。



16畳の広い方は 昔わらを保存しておく場所だったのですが
私には ほとんど登って来た記憶がありません。
北側にこんな窓があったとは 全く知りませんでした。
この窓からの眺めは とてもとても嬉しい!
ここが 私の定位置になりそうな予感がします。

来週は 小さい台所の部屋作りに入ります。
この場所 ここの空気 雰囲気 景色を必要としている人が 
利用できるしくみ?方法?を 模索中です。
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アケビとムべ

2010-04-23 22:28:12 | 自然
昔々から アケビの花が好きでした。
洗面台の外に アケビとムべを植えたのは 仕事を辞めた翌年くらいだったかな。
毎年 アケビが咲くのは 春の大きな楽しみです。


アケビ科アケビ属                              ミツバアケビ

アケビの新芽と果皮は 山菜として食べられ 茎は 木通という生薬になるそうです。
実はもちろんそのままおやつになり 種からは高級な油がとれる ということを初めて知りました。
蔓はかごを作ったり リースの材料にもなりますね。

花の小さいところと色に惹かれ 虜になりましたが 全てがこんなに役に立つとは・・・。
アケビさん 尊敬しちゃいます。


ムべ (郁子 野木瓜やもっか)

ムべもアケビ科だと知ったのは 数年前です。
実を見て なるほどと思いました。
ほのかな甘味があるそうですが まだ食べたことはありません。
「むべなるかな」 (いかにももっともなことであるなあ) が
天智天皇の言葉から生まれたとは おもしろい発見でした。

どちらも生命力旺盛で 時には嫌われ者になるようです。
でも私は この先もずっと好きでいたいです。
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日の丸

2010-04-22 21:40:28 | komako
20日のNHKニュースウオッチ9で 「激戦地の日の丸・アメリカ人が遺族の元へ」を見た。
集まっていた人達は どんな思いなのだろう。
敵前で自殺した若い兵士には どんな未来があったのだろう。

昨日 曽祖父の古いタンスを処分した時 引き出しから出てきた袋の中にあったのが 何と日の丸。
頭でしか知らない戦争を 初めて自分のこととして考えた瞬間であった。
 




父とは なぜか埋められない深い溝ができたまま 7年前に別れが来てしまった。
私には反面教師の父で ほとんど会話の無い親子関係で 楽しい思い出は無い。
何がきっかけだったか 一度だけ父が昔話をしたことがある。
もっと いろんな話を聞きたかった気もするが
1ヶ月の入院で あっという間に話もできぬまま 76年の幕を下ろしてしまった。

テレビで見た若者のように 父も戦死していたら 私は今存在しない。
「誕生日は生まれたことを感謝する日」 そう考えている私に
しわになった日の丸は 貴重な掘り出し物となった。 

そういえば 今年は満開の桜を見た時 こんなことを考えた。
戦争に行った(行かされた)若者にとって 日本に桜があって良かった。
死んでゆかねばならぬ運命に 「同期の桜」を口ずさんで 意を決したのだろうか。
覚せい剤も 特攻隊のために開発されたという話を聞いたことがある。

たくさんの犠牲の上に 生きているということ 忘れちゃいけない。
 


伯母さんに残りの風呂敷包みを届けての帰り 駐車場から のっぽのサクラを眺めた。
冷たい雨に打たれているが 若葉はいっぱい。
来年もここから 見るからね。
 


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富士見の桃

2010-04-21 21:27:01 | おもしろい
今日は鉄板類を 資源回収会社に持って行きました。
いつか何かに使えるかも・・・と ばあちゃんがとっておいたものです。
錆びてきたし 多分この先使い道も無さそうということで 処分決定。
やたら何でも入れてあった場所は まあちゃんのおかげで すっかり生まれ変わりました。

これは いつか紹介したいと ずっと思っていたものです。
ばあちゃんの家に行くと 毎日会ってしまいます。


ギョロリとした目と牙

何に見えますか?
私には この世で私の一番苦手なヘビの神様のように 見えてしまいます。
いやなのだけれど 何となく守り神のようにも見えるのです。
どこにあるかというと・・・。



ばあちゃんが実家から持ってきた しだれ桃の古い木なのです。
ずっと竹やぶの隅にあったので 日も当たらず ほとんど枯れてしまっています。
ばあちゃんは 見苦しいから伐ってしまおうと言ったのですが
一枝だけ生きていて 毎年花を咲かせてくれます。
「頑張れるだけ 頑張ってもらおうよ。」ということで 今年も生きています。

私は 富士見(不死身)の桃と呼んでいます。
ちなみに ばあちゃんは富士江という名前なのですよ。
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