あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。
わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」
イザヤ 46章 4節
背負う神と、背負われる神。人が背負わなければならないのが世の神々であり、人の重荷を背負われるのが真の神。
人間の親は自分の子どもの乳児期、幼児期、少年期、青年期と面倒を見て育ててくれますが、最後まで面倒を見るということはできません。
むしろ反対にいつかは逆転して、親が子どもに面倒を見てもらわなければならなくなります。
しかし、神は「あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、
わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。」と約束しています。
何故なら神は愛だからです。それもあなた一人を目に入れても痛くないというほどにあなたを愛しておられます。
イエスは私たちが年老いて白髪頭になり歩みもおぼつかなくなっても私たちを背負い続けると言われました。
ただ、最後にこの愛は私たち自身には決してありません。
愛の神から供給されなければ私たちにはすぐ隣人さえ心から愛することはできないのです。
あなたはこの愛に出会いなさいましたか。もしまだと言われるのなら、どうぞ聖書を読み近くの教会へ足を運んでいただきたい。
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