マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

平和を思う

2013年12月31日 | 日記
思うのですが、
平和への基準の違いが争いを引き起こすのです。それは個人にはその方の平和と言う基準があり、国には国家としての基準があります。それらはあくまでも、自分中心的な平和だと思うのです。相手の方または国が平和な心でやってくるならも私たちも平和な心でお迎えしますといった条件付きの平和なのです。(現実は親切を仇で返すと言うこともありそうですが。) 人の頑張りではこの恒久的な平和は望みえないかもしれませんね。

聖書には。
ピリピ人への手紙 2章3節~4節でこう言っています。
「 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。」
                   
 
ローマ人への手紙 12:10 には 「 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。」

また、ルカ福音書 6:31 でも。「 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」
 
とあります。このような思いがこの世界に満たされれば平和は実現するのではないでしょうか。        
                                    老婆心と余計なことを書きました。お許しください。
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