マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

比較

2014年11月14日 | 聖書


「 なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」

                                    ルカの福音書 14章 11節

ギリシャの無敵の英雄アキレスにも、弱点がありました。彼は敵のパリスにかかとを射られて死にました。信仰生活の致命的アキレス腱は、自分を高くすると言うことです。ここを狙われると信仰は崩れます。何故でしょうか。

まず第一に、神にゆだねることができなくなります。人生には、自分の思いどおりに恵まれる時があり、恵みも喜びも感じられないときもあります。信仰とはこのようなときにも神に自分の身をゆだねますが、高ぶる者はこれが出来ません。次に悔い改めが出来なくなります。自分を高くしている時は、確かに悪いのは他人、正しいのは自分という態度を取っています。

ではこの高ぶりから解放されて謙遜になる方法とは。

・ 事実を認めることによって謙遜を与えられます。

それには新約聖書のローマ人への手紙 7章を読み、そこに自分を見つけるということが自分の本当の姿であることを知るようになります。

・ 完全なものとの比較によって謙遜を与えられます。

このことも、ローマ7章を体験して初めて知ることができる恵みの箇所、そうローマ 8章 で神の賜物によって高ぶりからの解放を体験できるのです。

もし私たちがあらゆる善き生を備えられた主の生涯に、自分の人生を並べてみるなら、おごりは消え失せ、自己満足は干からびてしまうことでしょう。

 

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