「神よ、わたしの内に清い心を創造し/新しく確かな霊を授けてください。」
詩編 51篇 12節
罪の清めによって、主に仕える霊が回復できますようにと祈っています。
その清い心により霊が揺るぐことなく、御前に留まることができ、
救いの喜びに基づく神への奉仕ができます。
そうです、私たちの奉仕は、救いの喜びに支えられた、喜んで仕える霊です。
したがって、私たちは神に仕えるということについて真実に知りたかったら、
まずは罪の清めを知り、救いの喜びを知っているということです。
聖書は、痛みを伴ったおそれや、偽りの愛からではなく、心から神に仕える望みを人に与えます。
おそれの心から神に仕える人は、おそれが続く間しかその奉仕を続けないからです。
自分の意志によるのではなく、強制によって、神に仕える人は、刑罰がなく地獄が無くなれば、
仕えることをやめるでしょう。同じように、繁栄と報いを求めて神に仕える人も永続しません。
報いがなく、栄えることもないと知ったらなら、神を愛することをやめるからです
。これらすべての人たちは、神の救いの中に喜びをもちません。彼らはまことの霊も純粋な心も持たず、
神より自分を愛するのです。しかし、良いシッカリした意志によって神の仕える人々は、
物事がうまくいかなかっても、気持ちがよくても苦々しくても、主の奉仕に揺らぐことはありません。
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