そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、
その招きにふさわしく歩み、 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
エペソ人への手紙 4章 1~2
まず私たちの経験からして、どこの社会、あるいはどこかの団体に加入するときは、誰でもある定められた生活をしていく
責任を負わされます。 ( 何処においてもその所にはルールがあると言うことです。) もしその人が要求された生活が
できなければ、置かれた社会の目的をつまづかせ、その名に不信用を招いてしまいます。
私たちは神に選ばれ、神からの使命を与えられて、その使命を忠実に行うようにとこの世に遣わさたのです。
そのために必要なことは、神を待ち望むことだと神は私たちに語っています。自分自身の思いを優先し、失敗して自ら苦しみを
受け取ってしまう私たちですが、神は天から私たちのもとに来られ、救いの御手を動かしてくださいます。
何時どんな時も神の召しに相応しく歩む、( 歩くという行為は、人間の最も基本的な動作であり、生きていると言う証しでもありま
す。) そんな主と共に歩む人生をいつでもとっていきたいものです。
聖書から
「そよ風の吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主の声を聞いた。…。」 創世記 3:8
「わたしはあなたがたの間を歩もう。わたしはあなたがたの神となり、あなたがたはわたしの民となる。」 レビ 26:12
「人の道は主の目の前にあり、主はその道筋のすべてに心を配っておられる。」 箴言 5:21
神もあなたと共に歩むことを望まれているのです。
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