妙心寺の塔頭 東林院の沙羅の花を愛でる会に 来ています。
着物で軒先に座っています。
今日の気温は30℃!
でも、心地よい風が吹いています。
(@^O^@)
以上、携帯よりお伝えしました。
詳細は後ほど。
なお、昨年の会の様子は【前ブログ】にて。
妙心寺の塔頭 東林院の沙羅の花を愛でる会に 来ています。
着物で軒先に座っています。
今日の気温は30℃!
でも、心地よい風が吹いています。
(@^O^@)
以上、携帯よりお伝えしました。
詳細は後ほど。
なお、昨年の会の様子は【前ブログ】にて。
先日、藤森神社【前ブログ】へ紫陽花を見に出かけた後、伏見で昼食【前ブログ】をとりました。その帰り道、長建寺へ寄りました。桜の名所として知られています。
辨財天長建寺 (べんざいてんちょうけんじ)は、真言宗醍醐派のお寺で「島の弁天さん」と親しまれています。元禄12年(1699)、伏見奉行の建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が中書島開発の際に、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離して創建したのがはじまりです。御本尊は平安中期の弁財天で、京都で弁財天を本尊とするお寺はここしかありません。
閼伽水(あかすい)といわれる伏見の地下水と同じ水脈の名水が湧き出ています。こちらも前述の伏水と同じく、やわらかくてまるい味がしました。(どんな味だ?)
お寺の前は江戸時代は参勤交代の御座船、三十石船、伏見船の発着点で、たいへんにぎやかなところでした。それ故、水の神様「弁財天」が淀川を行き来する廻船の信仰をあつめていたのです。また境内には、大きな鐘があり三十石船に時を知らせていましたが、太平洋戦争の際に、軍に供出され大砲の一部となりました。今は、その歴史を知らせるべく、建物のみを「みくじ舎」として保存されています。
この「みくじ舎」のおみくじは、おみくじ発祥の地比叡山延暦寺の流れをくみ、昔ながらのここだけにしかないおみくじとなっています。ためしにひいてみたら「吉」でした。由来、おみくじの中身が気になる方は、クリック拡大してご覧ください。
ところで、このお寺、あちこちに気になる看板が・・・。ランチのホワイトナイルで【前ブログ】、ふわーっと気持ちよく、まずは紫陽花の写真を・・・そして、ゆっくり腰をおろして・・・なんて考えていた私の心の中がお見通しのようでした。
いちばん右の看板・・・ジュディ・オング倩玉さんって、あの「魅せられて」の歌手の版画家としてのお名前だそうです。(@@)
昨夜、東福寺の塔頭(たっちゅう)、天得院(てんとくいん)の「桔梗を愛でる特別拝観」へまじくんと2人で出かけました。
天得院は、南北朝時代、東福寺30世の住持「無夢一清(むむいっせい)」が開創し、荒廃しています。その後、慶長19年(1614)に豊臣秀吉、秀頼の学僧として寵遇東福寺227世「文英清韓(ぶんえいせいかん)」が住持になります。清韓は、豊臣家を滅亡に導いた方広寺の鐘銘「国家安康、君臣豊楽」の撰文をしたとして、家康の怒りを招き、天得院は一度取り壊されています。現在の堂宇は、天明9年(1789)に再建されたものです。臨済宗東福寺派で山号は萬松山(ばんしゅうざん)です。写真左は、華頭窓から見える西庭です。
夕食後家を出て、JR東福寺駅へ着いたのは、午後7時近くでした。まだ明るいものの人影のない東福寺山内は、静かすぎて怖い感じが(^^;)東福寺の拝観は4時で終了なので、境内には入れません。なお紅葉の名所、通天橋【前ブログ】を眺めることのできる臥雲橋(写真右下)は渡れます。
天得院は、東福寺の中門と日下門の間にあります。東福駅からのんびり歩いて10分ぐらいです。ちょうど日が暮れ出し、参拝者も増えてきました。(拝観料:300円)
まずは、南庭を眺めながら、お抹茶(500円)を頂きました。まじくんのあまりに落ち着いた態度に思わず・・・。(^m^)桔梗のお菓子は近くの鶴屋弦月さんのものでした。(駅から歩く途中にあります)
桔梗といえば秋の七草のひとつですが、今頃から開花するものなのですね。ちょうどいくつか開花し始めた頃で、満開はまだ先のようです。特別拝観は7月17日(木)まで行われています。9:30から20:30まで、日没後はライトアップしてます。なぜか気の早い虫の音(本物です)も聞こえます。寺宝を見たい場合は日中の拝観がおすすめです。
隣接している東福寺保育園の入口付近に、ホタルがいました。実は今回は、まじくんに本物のホタルを見せるためにここへ出かけたのです。実家のある富山県の八尾町のほたるの里【前ブログ】で模型や映像で見たことはありましたが、帰省の時期がホタルの季節にあわず、本物を見たことがなかったのです。今回は飛び交うほどの数ではないですが、本物のホタルが見れて大喜びのまじくんでした。私も京都で初めて見ました。
天得院は、街の中といっても、静かな住宅地に囲まれています。道中、暗い場所もあるので、気をつけてお出かけください。ひとりで出かけるのは少し怖いかも?私はまじくんの小さな手をぎゅっと握り締め、早足で駅まで戻りました。日中は暑くても夜は寒いです。1枚羽織るものをご持参くださいね。
なお、天得院は、秋の特別拝観の際に精進料理を頂いております。【前ブログ】
昨日、紫陽花が見ごろの「藤森神社」へ出かけました。自宅からバスに乗り、京阪電車「墨染駅」で下車し、徒歩7分です。藤森神社には「不二の水」という伏見の名水が湧いていますが、そのほかにも伏見には名水がたくさん湧いております。その名水を求め・・・京阪「墨染駅」から南下3つめの駅「中書島駅」へ移動しました。
駅から商店街をまっすぐ歩いて、まずは蓬莱橋を渡りました。今の季節は風に揺れる青柳がとてもきれいです。橋から、川岸へ下りることができます。
橋の下から再び、道へ戻り、左手に竜馬通り商店街がありました。気にはなるものの・・・今回は、目的があって歩いているので、再びまっすぐです。
ようやく、今回の目的地「黄桜カッパカントリー」に到着しました。駅から寄り道しなければ徒歩7分ぐらいです。ここには「伏水」・・・伏見の地名の由来となった名水を味わうことができます。伏見(京都)の地層は、花崗岩(かこうがん)でできており、この層からほどよい量のミネラル分が水に溶けだしてくるため、硬度60~80mg/Lの中硬水となっているそうです。口に含むと、甘い丸い味がしました。
レストラン(黄桜酒場かっぱ天国)で「日替わりランチ」と「ひと口ビール160ml」を頂きました。「ホワイトナイル」といわれる地ビールで、京都大学と早稲田大学の共同開発によるビールで、古代エジプトで栽培されていた小麦を蘇らせ、京都の伏水で仕込んだものです。
実は、先日、このビールがテレビで紹介されており「ホワイトナイル」という名前が懐かしくついつい、この名水?が目的で、ここへ来ちゃいました。懐かしいといっても、私、エジプトに住んでいたわけではなく、紅葉の頃に先斗町のお店で誰かと飲んだような記憶が・・・。(^^;)今回は車ではないし、もっと飲めそうな気がしましたが、お昼だし、一人じゃねぇ(-ε-)・・・次はご一緒しましょう・・・って、誰と?(^^?
ビールは、工場直だし、この日の気温は30℃!とってもおいしかったです。ランチのご飯は大きな釜で炊いていて(写真:左上)、ふっくらしてました。価格が安いのもうれしいです。お子様ランチは600円、その他セットもいろいろあり、一番高いメニューが1,360円と、観光レストランというより地元の食堂っていう価格で、とってもお得でした。ちなみに今回の私のメニューは、日替わり(700円)+ビール(250円)+アフター珈琲(100円)で、1,050円でした。
レストランのほかにも、売店や記念館など見るところがいっぱいあります。黄桜といえば、カッパ!懐かしのカッパのCMも楽しめます。ご存知でしたか?カッパって一説によると身長が110~120センチぐらいで、体重は45キロぐらいあるそうです。身長はまじくんぐらいでも、体重は3倍ちかくです。重っ!!(@@)そして、性格は愚直なまでに律儀だそうです・・・。
黄桜カッパカントリー http://kizakura.co.jp/gen/chokuei/country/index.htm
今日は、紫陽花の名所「藤森神社(ふじのもりじんじゃ)」へ出かけました。毎月13日は「勝馬市」という手作り市が行われています。市といっても露店が5軒ほどでした。最近は、京都のあちこちで「手作り市」が開かれています。(大盛況の毎月15日開催の百万遍の手作り市【前ブログ】も、始まったころはこんなものだったのかもしれませんね。)
藤森神社は、約1800年前に神功皇后によって創建された古社で、菖蒲の節句の発祥の神社として知られ、現在は勝運と馬の神様として競馬関係者や競馬ファンの参拝者でにぎわっています。
紫陽花苑は境内に2箇所あり、約1,500坪に3,500株の紫陽花が咲いています。(入苑料2ヶ所共通300円)まずは「第一紫陽花苑」をご案内します。
そろそろ満開で、今が見頃です。第1紫陽花苑は、水が流れている場所もあり、蛍もいるそうです。場所によっては滑りやすい所もあるので、注意してくださいね。ぐるっとまわって20分ぐらいです。
続いて「第2紫陽花苑」 です。こちらのほうが日当たりが悪いためか、まだ蕾のものも多かったです。ぐるっとまわって10分ぐらいです。
本殿の東横には、「不二の水」とよばれる名水が湧き出ています。不二とは、二つとないおいしい水という意味で、勝運を授ける神水として信仰されています。地下約100メートルからくみ上げているそうです。遠方からも水を汲みに来る人がたくさんおられます。
藤森神社は、昨年の6月10日に訪ねています。【前ブログ】昨年のほうが開花進んでいたように思います。 なお、6月15日には紫陽花祭が行われます。
今回は、京阪本線の「墨染駅」から歩いていきました。(徒歩7分ぐらい)車の場合は無料駐車場もあります。
なお、足元が砂利だったり紫陽花苑内は、ぬかるんでいるところもありますので、着物でお出かけはやめた方がいいです。
藤森神社 http://www.fujinomorijinjya.or.jp/index.html
この後は、京阪で中書島(伏見)へ移動・・・おいしいランチをご紹介します。
最近、紫陽花や睡蓮が見頃というニュースが入ってきます。京都は梅雨入りしているものの、日中は降らない日が続いているので、今日こそ出かけようと張り切っておりました。なお、今年の京都の梅雨入りは6月2日、昨年より12日も早いです。
しかし、まじくんを保育園へ連れて行って・・・「今日が保護者参観日」であることに気づき、紫陽花は断念。ダメ母ですいません。σ(^^;)年長さんのまじくんのクラスは「工作」で紙相撲を作って遊んでいました。同じ紙型を使ってもお相撲さんの個性は様々です。
出かけれなかった代わりに・・・我が家の近所にある紫陽花を見てきました。嫁いだばかりの頃、家主から「三室戸寺」から株分けしてもらったと伺いました。見慣れた花でも、三室戸寺から・・・って聞くとなんだか一味違って見える気がします。
あじさいの原産地は日本で、もとは関東地方の海岸に自生していたがくあじさいが原種で、花が手毬状に咲くあじさいはその変形です。がくあじさいは中心の小さい両性花と、まわりの大きな装飾花からなっていて、装飾花だけが丸く手毬状になっているのが一般的な手毬型のあじさいです。手毬型あじさいの花びらだと思っているのは実は「がく」なのだそうです。
本当の花(両性花)は花びらが5枚、アップで見ると、とても可憐な花です。紙風船のような蕾もかわいいですね。あじさいは、土壌が酸性だと青、アルカリだと赤になり、日本の土壌は酸性のため日本古来のあじさいは青だそうです。「あじさい」の語源は「青い花が集まっている」ので、集めるの意の「あづ」に青の意の「さ藍」で「あづさあい」から「あじさい」となったという説があるそうです。
紫陽花の花・・・明日こそ!なお、過去ブログで京都の紫陽花の名所は、「岩船寺」「三室戸寺」「藤森神社」「善峯寺」を訪ねています。明日はどこへ行こう?
京都のお土産といえば「八ツ橋」ですよねー。メーカーも味も様々で、過去にいろいろご紹介していますが、定番の「つぶあん」が一番おいしいように思います。
でもでも、季節ごとにいろんな味が出てくるのも気になります。こちらは、本家八ツ橋西尾さんの「ラムネ」と「もも」です。過去ブログで、塩味、マンゴー味、さくら味をご紹介しています。
味は・・・個人的には「もも」よりも「ラムネ」の方がおいしいかな?って思いました。ラムネといっても、口に入れるとシュワーってするわけじゃないですよ・・・。炭酸を抜いた味です。(>m<)
なお、このパッケージ(250円)は、京都駅の場合、伊勢丹地下では買えません。(詰め合わせは買えます)駅の売店、The CUBE駅ビル専門店街や、八条側のASTY ROAD【前ブログ】で買えます。ちょこっと買って食べたり、気軽なお土産にするのにはこのパッケージが便利です。小さなバックに入れてくれます。なお、日持ちは1週間ほどです。
本家八ツ橋西尾株式会社 http://www.8284.co.jp/index.html
ところで、先日帰省した富山で知人から「“京都出身なのに八ツ橋を食べたことがなく、就職先の富山の人に頼まれて、帰省した際に初めて八ッ橋を買い、職場で初めて食べた人”がいるけど・・・そんなのあり?」と聞かれました。
これは、よくある話だと思います。我が家でも、たまにブログネタにと八ッ橋や京都の名物を買ってくると、姑が「珍しい・・・初めて・・・」などといいます。富山県人が、普段「ます寿司」を食べる人が少ないのと同じで、京都の人も「八ッ橋」を食べる人は少ないと思います。なお、富山のスーパーに「ます寿司」が置いてあるのと同じように、京都のスーパーにも、おみやげ用ではなく、普段使いの「生八ッ橋」が置いてあったりします。買ったことないけど。(^^;)
そういえば、私、富山で過ごした「ん十年」よりも、京都へ嫁いでからの「8年ぐらい」の方が、「ます寿司」を買ったり食べたりする量がはるかに多いです。(^^)v
昨日、富山から京都へ戻りました。昼過ぎに出発して、夕方には京都へ到着です。車で、正味約3時間30分!何度も帰省しているうちにずいぶん運転が上手になりました。今回びっくりしたのは、やはりガソリン代!軽なのに、満タンにしたら5,000円を超えました。ひょえー。(@@)それでも、ガソリン代は京都より富山の方が安いような気がします・・・。
さて、もう少し帰省した富山のことを綴ります。前日ブログで富山城のことを書きましたが、今回はその周辺の「城址公園」です。平成26年の完成をめざして、ものすごーく変わっています。
松川のあたりは、以前とあまり変わらないですが、明るい感じになっていますね。残念なのは人が少ないこと・・・前述の商店街同様、貸切なのがうれしいようなさみしいような・・・。
茶店は、お花見シーズンは毎日、それ以外は土日祝にやっているそうです。ポテチ(70円)、ジュース(120円)、三色団子(140円)と、良心的なお値段でした。
庭園?でも遊びました。小川も立ち入り禁止じゃないと思います・・・。京都の庭園じゃ・・・うっかり立ち入ると、大変ですからね。(^^;)そういえば、まじくんが4歳の時、東福寺の枯山水庭園の白砂の上をじゃりじゃり歩いて、心臓が止まりそうになったことありました・・・。【前ブログ】重要文化財なのに・・・。
そして、大きく変わったな~と訪ねるたびに思うのが、全日空ホテル側です。以前は、暗い感じだったのが、とっても開放的になりました。
モニュメントの周りの足もとのタイルには、子供たちの夢などが描かれています。「ほいくえんのせんせいになってえばりたい」というタイルを見つけ「確かにえらそうにしてはるわ・・・」と、まじくんがつぶやいてました。(^m^)
ところで、本日6月10日は時の記念日・・・以前、ここに茶色の四角い時計塔があったのを思い出しました。高さ12メートル、幅2メートル角で、昭和37年に(社)富山青年会議所が創立10周年記念事業で建てたものです。36年間、富山の時を刻んでいましたが、平成10年に老朽化などの理由で撤去されました。現在は青年会議所のプレートが残っています。
学生時代のことですが、ここの近くの諏訪川原という場所で下宿しており、夜間、桜木町のお寿司屋さんでアルバイトをしていたことがありました。週に6回、ここにあった時計塔の前を通ってお店に通いました。当時は、全日空ホテルでなく富山市公会堂がありましたが、コンサートやイベントのない時は、この辺りは人影もなくとても怖かったです。暗いお濠のそばを早足で歩き、時計塔の文字盤の灯を見上げて、ほっと一息ついた事が何度もありました。懐かしい思い出です。
今は、ずいぶん明るい雰囲気になりましたね。公園の完成が楽しみです。
以上、帰省先の富山のお話でした。明日からは、再び京都のことを綴ります。
現在、富山に帰省中です。(今日帰りますけど・・・)週末、同窓会があり、ANAクラウンプラザ富山に宿泊しました。チェックインの時間を調べようと、サイトを見たら・・・あれ?ホテル全景の写真のアングルが、どこから撮ったんだろうと?すこし疑問でした。
実際に現地へ行ってみてびっくり!!!あれ?隣接の城址公園がなんだか変わっています。ちなみにホテルのお部屋から見下ろすと・・・映画村のセットのようなお城が(@@)(写真左)上から見ると、屋根がピカピカ光ってました!
なんだかお城が気になるので、昨日、実家に預けていたまじくんと合流し、探検に出かけました!
天文12年(1543)、神保長職(じんぼながもと)によって築かれた富山城は、一向一揆や上杉謙信、武田信玄らの戦国武将に攻められます。やがて、織田信長の家臣佐々成政が入城し、天正13年(1585)には豊臣秀吉の征討をうけます。その後、明治時代まで、富山前田家13代の居城となり、明治6年(1873)に廃城、解体となっています。
昭和29年、戦災復興事業の完了を機に、富山城址公園一帯で富山産業大博覧会が開催され、その際、記念の恒久建築物として建設されたのが富山城天守閣です。博覧会終了後は、富山市立郷土博物館として開館し、平成17年にリニューアルオープンしました。現在は、国の登録有形文化財です。(入館料 大人200円 小中100円)
天守閣の展望台に登ることができます。見た目はお城ですが、内部はリニューアルで耐震工事がしっかりされているので、全く新しい造りです。エレベーターはありませんが、他のお城の天守閣のような急で狭い階段ではありません。
博物館内には、富山城の築城から400年以上にわたる歴史を紹介しています。展示の仕方はとても近代的で、わかりやすいです。すべてじっくり見た後は、PCゲームで歴史クイズに挑戦できます。(無料)
質問に15秒以内に答えなければなりません。PCの操作は簡単ですが、問題にふりがながないので、まじくんは半分ぐらい意味が分からなかったようです。でも、何度も挑戦し、ご褒美をもらいました。(画面上だけですけど・・・)
ご褒美は、3問正解で小判、2問で米俵、1問でお団子でした。全部正解なら何がもらえるのでしょう?お城?
館内は、撮影禁止かと思ったら、フラッシュをたかなければOKだと後からわかったので、とりあえず、9代藩主の前田利幹(としつよ)が着用したといわれる甲冑の写真を撮ってきました。江戸中期のものなので、実用より装飾重視で、細工がとても素晴らしかったです。(企画展:館蔵武具展)
この博物館は子供の頃、遠足で1回ぐらい訪ねたのみでしたが、今回改めて訪ねてみると、初めて知ることばかりでした。富山城の歴史も・・・ほとんど知らず(^^;)機会があれば、また訪ねてみたいと思います。
この後は、周辺の城址公園の様子をご案内します。平成26年度末の完成を目指して、大きく変化しています。
富山市郷土博物館 http://www.city.toyama.toyama.jp/shisetu/bunka/html/index.html
とりあえず、今から京都へ戻ります。夕方にはつくと思いますが・・・。では、また(^^)/
木曜日から、京都から富山に帰省中です。ちょうど帰る前にタイミングよく「富山都市伝説」のブログ【前ブログ】にコメントを頂いたので、今回もその伝説の場へ行ってきました。
富山の新名所!グランドプラザの天井に、ハートマークをちりばめ、それを見つけると幸せになれるかも?という都市伝説・・・頂いたコメントによると天井に赤いハートがあるということで、さっそく上を見上げてみました。
どこにあるんだろう???と、上を見上げたもののわからず、エスカレーターに乗って上にあがって見つけました!やったー!前回の新聞の記事で「ビーズ」みたいなものかと思ってたのですが、シールだったんですねー。
ちなみに、まじくんは、このガラスで囲まれたグランドプラザのことを「氷の国」といいます。青いガラスが製氷機の氷みたいに見えるからだそうです。なるほどねー。
ところで、商店街へ行くと、必ず行きたがる場所があります。中央通りの「北陸銀行本店」です。ここのからくり時計が大好きで、いつも30分ぐらい遊んでいます。
広いスペースで、貸切で遊べるなんて、京都じゃ考えられないことです。私もここで椅子に腰かけて、のんびり動くからくり人形を見てるのが好きです。この時計、私が独身の頃からありましたが、その時、無駄なスペースだなぁって思ってたんですけど(^^;)
なお、大きな時計は、1時間毎にオルゴールが流れ、かわいい人形が踊りだします。
時折、親子連れが通りますが、みなさん人形に目をやるものの、足早に立ち去ります。まじくんは「なんで、とやまの子は、遊ばへんの?」と不思議そうです。「みんな、忙しいのよ。」と、答えたものの、なんででしょう?もちろん帰省中で気楽な私とちがい、みなさんお買いものなどで忙しいのだと思いますが・・・。
日曜日、親子3人で鞍馬山へ出かけました。今回は、鞍馬山に登って、貴船まで行くのが目的です。鞍馬から貴船までの様子は、前のブログでどうそ。
ようやく貴船に到着したものの、問題は、鞍馬に置いてきた車です。選択枝は2つです。
ひとつめは、再び山越えです。最初は、パパが「自分だけ戻って車とって来てもかまわへんで・・・」などと言っておりましたが、どう考えても無理(^^;)です。それに、あの木の根の坂道を考えると、鞍馬から貴船へ行くより、貴船から鞍馬へ行く方が、倍ぐらいきつそうです。ちなみに所要時間は鞍馬から貴船は休憩せず歩いて1時間ぐらいです。我が家は2時間ほどかかりました。
もうひとつは、貴船口駅まで行き、叡山電鉄で鞍馬へ行くというものです。貴船神社のあたりから貴船口までは歩くと20分です。下りなので比較的楽です。ただし、車が通るので気をつけて歩かないといけません。京都バスも出ています。バスに乗ると4分ぐらいです。歩こうかと思いましたが、いい具合にバスが来たので、バスで貴船口まで行きました。(大人160円)
貴船口から鞍馬までは、叡山電鉄の隣同士の駅で、3分ぐらいで着きます。(大人200円)緑がきれいでとても気持ちのいい電車でした。山越えして鞍馬に戻っていたら・・・考えただけでも恐ろしい。(^^;)
鞍馬駅は、雰囲気のある落ち着いた駅でした。駅舎には、鞍馬山の歴史絵巻が展示されていました。絵本で見るようなかわいい牛若丸ではなく、迫力の牛若丸が少し気に入らない様子のまじくんでした。
駅を出たところでは牛若丸や天狗がお出迎えしてくれました。
駅から今回の旅のスタート地点「仁王門」までは歩いてすぐです。がんばって歩いた記念に「牛若丸キューピー」の根付を買いました。(380円)なお、いっしょに写っているのは、ケーブルの切符です。今回の、旅はこれにてお仕舞いです。お疲れ様でした!ちなみに駐車場代は800円でした。(約5時間分かな?)
京都には、このように観光地から観光地に抜ける隠れた山道がいくつもあります。次回は、稲荷神社から東福寺へ抜ける道を探検してみたいと思っております。しばらく、私のみ(^^;)筋肉痛で苦しんでおりましたので・・・いつのことになるやらお楽しみに!【先ぶろぐ:行ってきました】
交通アクセスに関しては貴船のサイト内の交通アクセスをご覧ください。http://kibune.jp/
日曜日、親子3人で鞍馬山へ出かけました。今回は、鞍馬山に登って、貴船まで行くのが目的です。鞍馬を出発し、山越えをしようやく貴船に到着しました。途中の様子は前のブログにて。写真が見苦しいですが、クリックアップしていただくと多少ましです。
ようやく着いた貴船は、ちょうど「貴船祭」のお神輿巡幸が始まった所でした。このお祭りは、観光というよりは地元の人が中心のお祭りで、思ったより静かでした。【前ブログ】
貴船といえば「川床(かわどこ)」です。たくさんの人が床を楽しんでいました。ランチは3,500円ぐらいから12,000円ぐらいまで、いろいろです。以前【前ブログ】、まじくんと頂いていますが、すこしお高いのよねぇ(^^;)
貴船の川床は、GWぐらいからあちこちで設けられ、街の中の川床(かわゆか)とちがい、貴船は暑くなっても川床でランチを楽しむことができます。ところで、「かわどこ」「かわゆか」違いはなんでしょう?過去にも書いていますが、貴船の「かわどこ」と、高雄そして二条大橋から五条大橋の辺りまで連なる「かわゆか」の違いは床の組み方の違いです。貴船は、川面から低い位置に床が組まれ、床の間のようなところから「かわどこ」と呼ばれ、高雄や鴨川は川面から高い位置に床を組み、高床式なので「かわゆか」と呼ばれるようになったそうです。最近は「納涼床」という言い方もあります。
お安いところで、流しソーメン(写真左上:1,050円)というのもあります。どのくらいの量なんでしょう?できれば「川上」に座りたいと思うのは、私だけでしょうか?(^m^;)この日は、少し肌寒かったし、床での食事は最初から予定にないので、少し散策して、途中喫茶店で一服しただけで、貴船を後にしました。貴船神社は以前紹介しています。【前ブログ】
さて、問題は鞍馬の駐車場に置いてきた車です!どうしましょう?再び山越え?次のブログにて。
日曜日、親子3人で鞍馬山へ出かけました。今回は、鞍馬山に登って、貴船まで行くのが目的です。まずは、鞍馬寺の「仁王門」から「本殿」までと「鞍馬寺の由来」は、前ブログ(1)にて、「本殿」から「息つぎの水」までは前ブログ(2)をどうぞ。写真が見苦しいですが、クリックアップしていただくと多少ましです。
「息つぎの水」を過ぎたところから、道がどんどん険しくなります。「木の根道」といわれる杉の根があちこちにみられます。岩盤が固く、地下に根を張れない杉の根がアラベスク模様を描いています。牛若丸が兵法の稽古をしたといわれています。
「木の根道」の近くに、奥州に下がる牛若丸が名残を惜しんで背丈を比べたといわれる「背比べ石」(写真左下)があります。鞍馬寺を出たのは16歳の時といわれています。ちなみに、まじくんの身長は110センチで、石の高さは120センチぐらいでした。
「背比べ石」あたりから、下りが続きます。もし?引き返すなら、背比べ石までが無難かもしれません。このあたりから「参拝」というより「登山」という雰囲気で、行き交う人とも「こんにちわ」「おつかれさん」などと声を掛け合うことが多くなってきました。
しばらくすると「大杉権現」「義経堂」があります。やったー!奥の院!と思ったら、まだまだでした。(T0T)杉は、千年近い樹齢だそうです。義経堂は、幼名「遮那王」にちなんで「遮那王尊」として義経公を祀っています。
再び、木の根道が続きます。下りなので、歩くのがけっこう大変です。
そして、やっと「奥の院魔王殿」へ到着です。650万年前、金星より地球の霊王として天降り地上の創造と破壊を司る護法魔王尊が祀られています。奥の柵内にある石灰岩には刀の切り傷かも?と思えるような傷がいくつもあります。修行の跡?
「奥の院魔王殿」から貴船までは、あと一息です。またまた下り坂がつづきます。まじくんは、駆け足で降りて行きました。
途中「なんだこれ?」って思うおもしろい木があります。あとから、まじくんに写真を見せたら「気がつかへんかった・・・」だそうです。あんなに駆け足なら仕方ないですね。
貴船が近づいてくると、祭りばやしが聞こえ始めました。この日は貴船祭【前ブログ】で、お神輿が出ていたのです。お囃子に心は躍るものの、足がついていかず・・・。
この後は、ようやく到着した貴船の様子をご案内します。次のブログにて。
日曜日、親子3人で鞍馬山へ出かけました。今回は、鞍馬山に登って、貴船まで行くのが目的です。まずは、鞍馬寺の仁王門から本殿までの様子と鞍馬寺の由来は、前ブログ(1)にてどうぞ。
やっとたどり着いた本殿には、ゆっくり参拝されている人がたくさんおられました。どこかの施設の遠足の団体さんもいて、とても賑やかでした。ここで一服・・・と思いましたが、まじくんが「もう嫌や!疲れたぁ・・・帰りたい・・・」と、ゴネはじめました。そこで、リュックから秘密兵器?のおやつを出し、なんとかごまかして、さっさと奥の院へ向かいました。でも、本当は、私が帰りたかったりして・・・。(^^;)
本殿から奥の院への案内の階段を登りきると、参道からはずれて鐘楼への階段があります。(写真右上)以前訪ねた時【前ブログ】、鐘を撞いたのを思い出したまじくんは、大喜びで鐘楼への階段を駆け上がりました。鐘は、お賽銭をして自由に撞くことができます。やわらかでやさしい音がします。ここの鐘は、大みそかには除夜の鐘を撞くための行列ができるそうです。
再び参道へ戻り、しばらく歩くと「霊宝殿」(写真左下)があります。(小・中:100円 高校生以上:200円)自然科学博物館苑展示や寺宝、仏像が展示されています。前回もそうなのですが、見たいと思いつつ見ておりません。なんせ、気力が・・・。また、すぐそばに東京にあった与謝野晶子氏の書斎「冬柏亭」(写真右下)が移築されています。鞍馬弘教を開宗した信楽香雲が、与謝野門下の歌人であった縁で、霊宝館内にも与謝野鉄幹・晶子氏の遺品が展示されているそうです。
仁王門から霊宝殿までの間、眺めのよいところがいくつかあり霊宝殿の前からは、比叡山山頂を遠くに眺めることができます。双眼鏡で覗くと、山頂の建物などもよく見えます。「よー見えるわ!」と、まじくんが言ってましたけど、目線がちょうど欄干の位置で、見えないのでは?本当に見えたのかな?(^m^)
ここで、気持ちよい眺めを楽しんで一服した後は、いよいよ「奥の院」のようですが・・・まだまだ階段が続きます。この辺りから、まじくんが階段をぴょうぴょん飛んで上がるので、全く写真のピントが合いません。すいません。
そして、気がつけば、私ひとりが置いて行かれてしまいました。ようやく前回折り返した牛若丸が修行の際に飲んだ「息つぎの水」にたどり着くと、まじくんとパパの姿はなく・・・はるか上の方を歩いていたのでした。待ってぇー。(T0T)/
さて、ここから先は、下るだけ!すぐに追いつくはず!と、思っていた私ですが、ここから先が、とーっても大変なのでした。(++;)次のブログにて。