まじくんママのぷち旅ぶろぐ

トミーズツアー旅の編集人がつづる「四季の京都」周辺とたまに帰る「ふるさと富山」のお出かけぶろぐです。

京田辺「一休寺」へ行ってきました&薪能発祥の地「薪神社」

2016年07月13日 | 京都府(京都市・宇治市以外)

京都は暑い日が続いています。なんだかバテ気味~。今週、日曜日はいよいよ祇園祭の前祭(さきまつり)の山鉾巡行・・・しかし大雨の予報です。そういえば、昨年の前祭も日曜日で、大雨洪水警報が出てて・・・それでも催行したんですよね。今年はどうなるかな?昨年の様子は【前ぶろぐ

さて、先週のぶろぐで、南山城の寿宝寺のご本尊のお話をアップしました。続いて、そこから車で10分ほど移動したところにある「一休寺」をご紹介します。その名の通り、アニメでもおなじみの「一休さん」ゆかりのお寺です。お寺の創建は鎌倉時代、臨済宗の高僧大應国師が中国で禅を学び、帰朝後禅の道場を建てたのが始まりです。その後、元弘の乱(鎌倉幕府倒幕運動)で戦火に遇い、復興せずにいたものを、この寺の六代目の法孫にあたる一休禅師が再興しました。そして、寺号を師恩にむくいる意味で「酬恩庵(しゅうおんあん)」と命名しました。「一休寺」は通称名です。

 

一休禅師はここで後半の人生を送り、81歳で大徳寺【前ぶろぐ】住職となった時もこの寺から通われました。88歳にて示寂(じじゃく)され、遺骨はこの寺に葬られています。後小松天皇の皇子とされるため墓所の一角は宮内省の御陵墓として管理され、門扉には菊の御紋があしらわれています。

方丈は、江戸時代に加賀城主の前田利常が、大坂の陣の際に木津川に陣をしき、一休寺を参詣した際に再建したものです。方丈中央には一休禅師木像が安置されています。逝去した年に、等身大の像を創らせ頭髪と髭は自らのものを植え付けたものです。参拝の際に見ることができます。とてもリアルな像です。

 

方丈庭園は、江戸時代初期の禅院枯山水庭園です。たくさんの人がこの寺を訪ねる紅葉期と違い、この日はほぼ貸し切り状態。気温は30℃を軽く超えていましたが、時折吹き抜ける風を感じながら、軒先でのんびり庭を眺めることができました。

本堂は、足利六代将軍義教(よしのり)の帰依により建立されたものです。ちなみに、アニメ一休さんに出てくる将軍様は、三代将軍義満で義教は義満の五男です。

周辺には、一休禅師の石像があります。晩年?のものと、少年の頃と・・・。なんだかアニメ一休さんのかわいらしいイメージとは違いますが、方丈に安置されている等身大の木像と比べると、やはりこんなお姿だったのだな?って思います。

他に、新しいものですが、面白いものがいくつかあります。思ったより小さ目?「このはしわたるべからず」の橋もあります。(^m^)やはり、みんな真ん中歩いてる?跡がついてる・・・。

一休寺では、1月1日生まれの一休さんに因み「一休善哉の日」の行事が1月の最終日曜日に行われます。絵馬に今年一年の善き行いの誓を書いて奉納、善哉の接待があるそうです。願い事ではなく、誓を書くのはいいですね~。「今年は勉強を頑張ります」「毎日、ウォーキングします」とか、書いてありました。

酬恩庵 一休寺 http://www.ikkyuji.org/

拝観料:大人500円 小人250円 拝観所要時間:30分~ 参拝者用駐車場有

【おまけ】一休寺の総門前の一休坂をしばらく歩くと「薪(たきぎ)神社」があります。室町時代の能役者で、世阿弥の娘婿ある金春禅竹(こんぱる ぜんちく)が、一休禅師のために猿楽(のちの能楽)を演じたと伝えられる場所で、野外で演じたことから「薪能」が生まれたと伝わっています。

全国に能楽発祥の地というのはいくつかあるようです。能楽は奈良時代に大陸から渡ってきた芸能の散楽が起源です。当初、官制上の保護を受けていましたが、平安時代には保護がなくなり、役者たちが全国に散らばり集団を作り、寺社の保護を受け祭礼で芸を演じたり、巡業を続けます。のちに「猿楽」「田楽」「狂言」「能楽」に変化しています。そういえば、先日ご紹介した城南宮での芸能奉納【前ぶろぐ】も、この一つですね。



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