先日、祇園祭の前祭(さきまつり)、山鉾巡行を見てきました。先に1番目から12番目の山鉾の巡行をご報告しました。続いて、13番目からです。
⑬鶏鉾(にわとりほこ)・・・堯(中国神話に出てくる名君)が治めた時代には平和が続き、訴訟に用いる太鼓はこけむし鶏が巣をつくるほどだったという故事にちなんでいます。稚児人形は幕末ごろの作で、名前はついていません。大人びた面長顔です。
トロイの王子ヘクトールと妻子との別れの場面を描いた、ベルギー製の見送が見事です。重要文化財指定に指定されています。後祭に巡行する鯉山の前掛とセットだったといわれています。左下写真:たくさんの曳き手がいますが鉾の下にも人が入っています。
⑭木賊山(とくさやま)・・・世阿弥作の謡曲「木賊」を題材にした山です。等身大の老翁像は、我が子と生き別れた悲しみのうちに木賊を刈ります。木賊は造花ですが、翁が左手にもつ木賊は本物だそうです。
今年の巡行は、前と後に分かれ、山鉾が減ったにもかかわらず、のんびりです。途中、なかなか山鉾が来ず・・・。日の照る場所に長時間立っているのはしんどいので、時折日陰に入って腰を下ろし、見知らぬ人とお話したり、水分補給したりとのんびりしていました。(場所を離れても大丈夫なくらいの人出でした)
日陰で休んでいると、賑やかなお囃子が聞こえてきました。祇園囃子との重なりを防ぐため、前後には音のない山が巡行する工夫をしています。⑮四条傘鉾(しじょうかさほこ)です。先に巡行した綾傘鉾と同じく鉾の古い形態です。傘そのものが御神体です。地域の小学生たちが踊り方として参加しています。
お囃子の動画を撮ってきました。
⑯蟷螂山(とうろうやま)・・・かまきりやまとも呼ばれます。旗には「かまきりやま」のルビがあります。大きな敵に鎌を振り下ろして戦う勇気いっぱいの蟷螂です。今年は羽根を新調したそうです。拍手をたくさんすると愛嬌よく動いてくれます。ちょうど、このあたりでお昼頃になったため、有料を立つ人や帰る人が多かったです。
⑰月鉾(つきほこ)・・・鉾頭に三日月をつけています。「動く美術館」の異名をもつ絢爛豪華な鉾です。明治までは生稚児が乗っていた記録がありますが、明治45年から稚児人形「於菟麿(おとまろ)」が乗っています。
⑱白楽天山(はくらくてんやま)・・・他の山に比べ大きな真松を立てています。御神体の白楽天と道林禅師が問答する姿です。青い衣が道林禅師で常に松の大枝に座っていたそうです。
前懸、胴懸は、ベルギー製毛綴、フランス製のコブラン織、中国の風景・・・エキゾチックな雰囲気の装飾です。
⑲保昌山(ほうしょうやま)・・・平井保昌が、後に妻となる和泉式部のために、紫宸殿に忍び込んで、紅梅を手折ってくる姿を現しています。手折ったぐらいの量じゃ、ありませんねぇ(^m^)
⑳郭巨山(かっきょやま)・・・昨年は2年続けて1番くじを引いたラッキーな山でしたが、今年は後ろの方です。屋根がある事、欄縁下の「乳(ち)かくし」という板絵に前懸・胴懸を吊るしているのが特徴です。
後漢時代の説話で、郭巨が家が貧しく親に孝行すると子供が養えない、子供は再び得る事ができるが親は再び得る事ができないと、子を捨てる決意をして山中に入ったところ黄金を得たという話がもとになっています。(なんか、すごい話だ・・・)見送りは平成6年に新調された万葉美人図です。鮮やかな赤が目をひきます。
21.放火鉾(ほうかほこ)・・・昭和4年まで生稚児がのっていましたが、今は三光丸という稚児人形がのっています。関節が動く人形で、鉾上で稚児舞を演じます。
見送は、昭和58年に寄贈された皆川泰蔵作のろうけつ染めの「バクダッド」。2羽のフクロウが印象的です。
22、岩戸山(いわとやま)・・・天岩戸を題材にした曳山です。曳き手にはたくさんの外国人の方も参加されてるそうです。形は鉾のようですが、金属製の鉾ではなく、真松を立てるため山と呼びます。
鉾と同じく祇園囃子を奉じています。以前は真松の前に立っていたイザナギノミコト像は、現在は大屋根の上にのっています。
23、船鉾(ふねほこ)・・・前祭の最後を行く鉾です。やっと来ました。(^^;)日本書紀の神功皇后の新羅出船を題材にした鉾です。前の岩戸山と同じく、金属製の鉾は立っていませんが、鉾に属します。
風に強く鵜に似ているという鷁(げき)という瑞鳥が船首に安置されています。両翼長2.7mの大きな鳥です。
以上、23基の山鉾です。船鉾が烏丸御池を過ぎたのは13:00を回っていました。
この後は、解体の様子とランチをご報告します。次のぶろぐにて。
祇園祭 http://www.gionmatsuri.jp/
昨年の祇園祭の様子は前ぶろぐにて。2013山鉾町散策 2013山鉾巡行 2013花傘巡行