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第5回あだち多喜二のつどいのご案内

2010-09-15 22:55:31 | 日本共産党・後援会
小林多喜二生誕107周年・没後77周年のつどいが開かれます。10月17日(日)竹ノ塚センターで午後1時より開催されます。

企画内容は
■合唱 足立ピースフラワー合唱団
     組曲 「蟹工船」 詩・門倉聡/曲 丸山征四郎
     多喜二へのレクイエム 詩/曲 kEI sUGAR
■講演1 伊勢崎・多喜二奪還事件
     講演 長谷田 直之/伊勢崎・多喜二祭 実行委員会事務局長
■講演2 反戦活動に先駆する多喜二 
     講演 藤田寛登 当日 講演内容と関連のパネルを展示
■資料代 1000円

伊勢崎事件って知ってますか?

治安維持法下の珍事 多喜二を釈放しろと伊勢崎署を包囲した民衆の怒りの声。警官たちは逃げ出した。警察署は空っぽ 小林多喜二は一時釈放されました。
この事件を作家、脚本家の村山知義さんが語っておりましたので講演のネタばれにならない程度で紹介します。



一九三一年の春か秋だったろう。左翼劇場の芝居を前橋、高崎地方へ持っていくことになり、朝、一同上野駅から立った。
芝居の幕開き前に講演する筈の多喜二と中野重治も同行した。ところが上野を出て暫くすると、或る駅から主催者の農民組合の人が乗り込んで来て、前橋の駅には警官が出ていて全員逮捕する手筈になっているから、途中でおりてくれ、という。途中の或る駅でおりて、組合員の可成り大きな農家に行き、仕方ないからそこで芝居をやる、ということになり、組合員を召集し初めたところへ、早くも察知した警官隊が襲ってきて、全員つかまえられてしまい、劇団員はそのまま上野へ追い返されたが、小林、中野と私は前橋につれていかれ、警察の留置場へほうり込まれた。


当時の伊勢崎署(1931年)

コンクリートの地下室に丸太で囲んだ、猿の檻のような所だ。既に夕方である。多喜二は一刻も黙っていない。
「署長を出せ!何で俺たちをこんな所に入れた?」
「署長はもう官舎へ帰った。」と巡査がいう。
「それなら官舎へ行って連れて来い。そんな無責任なことがあるか?」
と、多喜二は丸太を叩き、床を踏み鳴らし、あばれる。中野と私もやるが、到底多喜二には及ばない。とうとう、一時間あまりで、巡査も持てあまして、署長に相談して、私たちを釈放してしまった。


文芸講演会会場の「共栄館」の全景です。丸一酒店所蔵の貴重な写真だそうです。

あだち多喜二のつどいを企画して事務局は西伊興3-10-4 嶋 圭さんです。
連絡先は03-3897-2565