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松本清張が小説を書いた東京駅のホテル

2010-08-10 21:10:42 | 観光・旅行
東京民報に紹介されていた東京ステーションホテル物語が面白かったので紹介することにしました。
 東京駅が誕生したのは1914年(大正3年)のことである。設計したのは佐賀県唐津出身の建築家・辰野金吾。東京帝国大学工科大学造家学科の主任教授であり、現在も残っている日本銀行本店をはじめ数々の明治建築の代表的なものを設計した人物である。


改修前の東京駅

 東京駅が誕生する前は、「新橋~横浜間」に我が国初の鉄道が1872年(明治5年)に開業。北へ向かう鉄道は1882年(明治15年)に「上野上荷続開」、そして都内では1885年(明治18年)に現在の山手線にあたる「品川~渋谷~新宿~赤羽」が開通している。国としてはこれらを結ぶ中心となる中央停車場が必要として、1914年に開業したときに「東京駅」と改称した。以後、停車場の名称が「駅」の名に統一されるようになったといいます。



さらに東京ステーションホテルは数多くの作家が常宿とし、名作を生み出している。209号室は「清張の部屋」と呼ばれていたそうで『点と線』単行本作を生み出しているとのこと。
昭和30年代、東京駅は1番線から15番線まで、間に列車が入らないで見渡せる時間帯が一日4分間だけあった。この4分間をつかったトリックによって生み出されたのが推理小説の名作『点と線』である。



他には、216号室と218号室は「江戸川乱歩の部屋」と呼ばれ『怪人二十面相』の中にホテルが登場する。317号室は「川端康成の部屋」で川端は1ケ月滞在し、朝日新聞に連載小説『女であること』を書き上げた。



東京ステーションホテルは現在、復元工事中だが2012年には再開する。そのときは、どんなドラマが展開するだろうか。今から心が騒いでいる。 (フリー編集者 山田歩)

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