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沈まぬ太陽

2009-12-16 23:09:57 | 文化・芸術・映画
御巣高山航空機事故を背景にJALの経営体質をきびしく告発し、働くものの立場と事故被害者の立場で奮闘する主人公を描いた山崎豊子原作の「沈まぬ太陽」を見てきました。
航空会社の労働組合委員長として「空の安全」を求め会社とたたかったがために、カラチ、テヘラン、ナイロビと職場をたらいまわしにされる主人公を描く『アフリカ篇』。520人の犠牲者を出した「史上最悪のジャンボ機墜落事故」に綿密な取材で迫り、犠牲者の無念の思い、遺族の悲しみを、ドキュメント的な小説手法で描く『御巣鷹山篇』。航空会社の不正と乱脈、政官財のゆ着、利権をめぐる争いを描く『会長室篇』。全編を通して、まともな労働組合の存在がどんなに大切なものか痛感させられます。



主役の渡辺謙さんが初日の舞台あいさつで「監督やプロデューサーの方と最初にお話をした時は、「本当にこの映画は最後まで撮影できるのだろうか」とか「この映画はきちっと皆さんの手に届くように公開が出来るのだろうか」、そんな事まで危ぶまれるような、そんな状況でした。



でも途中から、リーマンショックがあったり、経済や社会情勢がどんどん変化をして、こういう大きな時代の変革を迎える、そういう年に公開するという事になりました。政権交代もありました。そういう中で、やはり過去を風化してはならないんだという思い、もう一回日本を見つめ直さなければいけないんだという思いなのだと思います。皆が「もう一回前を向こうよ」「その前に一度、後ろを振り返ろうよ」という思いになっていただけた、そんな時代にこの映画が公開されます。」
このあいさつは実感がこもって受け止めました。



沈まぬ太陽をみてから、山崎豊子さんがなぜ、この小説を書いたのかインタビューをされているサイトを見つけました。
ちょっと紹介します。
「前作の『大地の子』を書きあげてから、主人公の陸一心さんが私の胸の中に座ってしまって何も考えられなくなっていました。学生のころからキリマンジャロを見ながら死にたいというロマンチックな気持ちを持っていた私は、自分の気持ちをなんとか動かさなければとアフリカへ行くことにしたのです。私は未知の国に行くときは、時間をムダにしないように、その国をよく知っている人を探すことにしています。そのとき後に小説の主人公の恩地元さんの原型ともいうべき人に出会いました。



 ナイロビの空港に降りたつと、古武士のような東洋人が立っていて、それが「恩地さん」でした。翌日から四輪駆動の自動車でサバンナを案内してもらい、動物の生態やアフリカの歴史を聞きました。穏やかで何をたずねても造けいが深く、ご自身の見識を持っておられ、単なるアフリカ通ではないことが感じられました。あれこれお聞きしていると、元航空会社の社員としての経歴を、ポツリポツリと話してくださいました。
 私は、アフリカの自然を見にきたのに、アフリカの大地で今の日本ではなかなか会うことができない日本人に出会えたと感慨を持って帰ってきました。
 それからあらためて、あなたをモデルに小説を書かせていただきたいとお願いにいったのですが、最初は「私の人生は、他人にわかるはずがありませんので、ご辞退します」と拒絶されました。それでも何度かお願いし了解を得て小説に書かせていただきました。
 取材を始めますと、まさに現代の「流刑の徒」だと思いました。航空会社の労働組合委員長として、「空の安全」を守るために利益優先の会社とたたかい懲罰人事で10年間も中東、アフリカへ左遷させられ、国内の組合員も一般社員から隔離され、差別される。名前を「恩地元」としたのは、大地の恩を知り、物事の始めを大切にするという意味を込めたものです。」と語っています。