北足立9条の会が第3回戦跡めぐりツアーを開催します。11月19日(木)午前9時出発のバスツアーです。連絡先は西竹ノ塚1-7-1「おじゃんせ」です。
連絡先 03-3853-5636 池田三郎
今回は「東京大空襲・戦災資料センター」と「第五福竜丸」です。
東京大空襲・戦災資料センターは西伊興在住の早乙女勝元さんが館長です。
1945年(昭和20年)3月10日の未明、約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、人口過密地帯は火炎地獄と化し、罹災者は100万人をこえて、推定10万人もの尊い命が失われました。
「東京空襲を記録する会」は1970年より、この空襲・戦災の文献や物品を広く収集してきましたが、1999年に東京都の「平和祈念館」建設計画が凍結となりました。そこで、「記録する会」と財団法人 政治経済研究所は、やむにやまれぬ思いで民間募金を呼びかけ、4000名をこえる方々の協力によって、2002年3月9日、戦禍のもっとも大きかった地に当センターを完成させることができました。用地は一篤志家から無償提供されたものです。
「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。
木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。
「第五福竜丸」は、昭和22年(1947年)に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、昭和42年(1967年)に廃船になったものです。
戦跡ツアーのご案内は池田三郎さんにご連絡ください。
連絡先 03-3853-5636 池田三郎
今回は「東京大空襲・戦災資料センター」と「第五福竜丸」です。
東京大空襲・戦災資料センターは西伊興在住の早乙女勝元さんが館長です。
1945年(昭和20年)3月10日の未明、約300機のアメリカ軍爆撃機B29による東京下町地区を目標にした無差別爆撃で、人口過密地帯は火炎地獄と化し、罹災者は100万人をこえて、推定10万人もの尊い命が失われました。
「東京空襲を記録する会」は1970年より、この空襲・戦災の文献や物品を広く収集してきましたが、1999年に東京都の「平和祈念館」建設計画が凍結となりました。そこで、「記録する会」と財団法人 政治経済研究所は、やむにやまれぬ思いで民間募金を呼びかけ、4000名をこえる方々の協力によって、2002年3月9日、戦禍のもっとも大きかった地に当センターを完成させることができました。用地は一篤志家から無償提供されたものです。
「第五福竜丸」は、昭和29年(1954年)3月1日に太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被害を受けました。
木造漁船での近海漁業は現在も行われていますが、当時はこのような木造船で遠くの海まで魚を求めて行ったのです。
「第五福竜丸」は、昭和22年(1947年)に和歌山県で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に出ていました。水爆実験での被爆後は、練習船に改造されて東京水産大学で使われていましたが、昭和42年(1967年)に廃船になったものです。
戦跡ツアーのご案内は池田三郎さんにご連絡ください。