”點解(Why)”by 劉美君(Prudence Lau )
毎度、香港ネタでは同じ話を繰り返して恐縮だが、香港返還の直前、数年間の香港ポップスを私は、特別の思い入れを持って聴いていたものだった。それらの盤の中には、ほどなく確実に失われてしまう”借り物の土地・借り物の時間”と英国の作家が表現した不思議な時を過ごして来た幻想都市・香港と、そこに生まれ生きて来た人々の胸に息つく行き所のない焦燥感が厚く渦巻いている、そんな風に感じられたから。
もちろんそれはこちらのセンチメンタルな思い込みで、香港人自身に言わせればなんて事のない一個の時流に過ぎないのかも知れないが。いや。そう割り切ってしまうにはやっぱり納得の行かない不思議な情熱が、”返還”を目前とした香港で生み出された音楽には封じ込められていた。自らの感性に賭けて、そう断言する。
ともかく確実に、あの時代の香港ポップスは世界の先端に立っていた。それが何の先端であったのか、いまだに分らないのではあるが。
そんな”香港の忘れがたい一瞬”に生み出された鮮烈な作品群の、これは一枚である。香港のあの時代を過激に生きた女、プルーデンス・ラウが1988年にリリースした、彼女としてはセカンドアルバムである”Why”である。タイトルナンバーは香港において、その年の初めのヒットチャートの一位に輝いたりもしている。
香港の夜の闇を体現するようなモノクロームな印象のエレクトリック・ポップが流れ出す。ブツブツと無機質な呟きを繰り返すベースの音に導かれ、プルーデンスの、いかにも”都会のいいオンナ”っぽいクールな歌声が響く。
この歌声がちょっと異色の手触りである。音程が外れているようないないような、微妙なところで揺れ動く歌声。私はこれを、有名な北京語の四声に比べて九声もあるという広東語の複雑なアクセントが西欧風なメロディとぶつかり、独特の効果を生み出しているのではないかと想定している(カントニーズ・ブルーノートとか言っちゃって)のだが、まあ、確証はない。そもそもその現象がプルーデンスの歌声だけに起こる、というあたり、なんの説得力もない。
プルーデンス・ラウを眩しい存在と私が感じてしまうのは彼女の生き様であって、なにしろ彼女は22歳で歌手としてデビューしているのだが、その時点ですでに彼女は結婚していて子供までいた。奔放な話じゃありませんか、子連れアイドル歌手なんて。
どのような事情があったのか、詳しいことは知りませんが、そんな彼女の生き方と、いかにもアンニュイな翳のある都会風のいい女を想起させる彼女の歌声のイメージとが相まって、私の想像力が勝手に”香港最前線を生きた女”なんてストーリーを、彼女を主人公に作り上げてしまうのだ。
プルーデンス・ラウはその後、10枚ほどのアルバムを出して人気歌手家業に精を出す一方で映画女優としてもいくつかの作品に出演している。が、1995年、突然アメリカに移住してしまう。香港返還を2年後にひかえて、である。関係あるのかどうか知らないが。そして同時期、離婚もしている。激動の年であったようだ。
その後のことはよく知らない。しばらくの沈黙の後、カムバックしたとの話も聞いたが、私自身が香港の音楽シーンに興味を失ってしまっているので、彼女のその後も追えていないのだ。いやあ、なんか返還後の香港の音楽って、ガツンと来るものがないみたいな気がするんですなあ。
香港の街の灯りは何も変わりはないように見えるのだが、さて、その灯りの下ではどのような人生が繰り広げられているのだろう。