ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

国境の南には

2010-05-07 21:38:41 | 南アメリカ

 ”Cornelio Reyna”

 ライ・クーダーが編んだキューバ音楽祭発見のプロジェクト、”ブエナ・ヴィスタ・ソシアルクラブ”の映画版において、ひときわ心に残ったのが、ライがキューバの老歌手の一人を指して「彼こそキューバのナット・キング・コールだ」と言ったシーンだ。もちろん、”賞賛”の意味合いを込めて。
 そうだよなあ。ちょっとお洒落で甘く切ない”しがない歌謡曲”の歌い手こそが本当の大衆音楽のヒーローじゃないのか。60年代辺りから流行りの、正義の代弁者然として世の不正を追及する奴なんてのは裏になにやら紐付きの事情でもあるか、そうでなければ単なる目立ちたがりでしかない。大衆のヒーローなんかであるものか。そもそも戦争を始める奴と反戦歌を歌う奴とは人間性の深い部分で同じタグイの連中じゃないかと私は疑っているのだが。

 という訳で、とりいだしましたるコルネリオ・レイナである。こういうのをメキシコ音楽の中の”ムシカ・ノルティーニャ”というのだろうか。
 昔懐かしい”西部劇映画”でお尋ね者が馬を駆り、賞金稼ぎに追われてテキサスの砂漠を南に下り、ようやく追及の手の及ばない国境線の向こう、メキシコの地にたどり着いた際に街に流れている音楽、そいつがこんな感じだ。サボテンやらソンブレロやら陽に焼けた土壁の家々、なんて風景の中に早口のスペイン語が交わされている。

 リズミックなポルカなどより、甘いスローな恋歌が多い。アコーディオンやラテンアメリカ風ハープの響きも印象的だ。頼りないといっていいほどの優男ぶりでコルネリオは恋人に愛を乞うバラードを切々と歌い上げる。この甘さ、情けなさが美しいのだ。
 ナンパな歌手が、その切ない歌声によってまき散らす甘美な誘惑の痺れるような魅力と、その先に口を開けている魔境の深さを想え。歌手たちは、そんな魔境からやって来てオンナコドモの魂を虜にしては連れ去って行く、悪魔の使者なのだ。

 国境の南、眩い日差しに干し揚げられた風土には、けだるく甘いバラードが似合う。連れ去られた者たちの消息は遥として知れない。