ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

遠い砦の歌

2010-05-09 01:32:08 | 北アメリカ

 イギリスの歌手、ドノバンが”メルヘンの使者”と化す以前、ディランとかに憧れて普通のフォークシンガーをやっていた60年代、これはアメリカ製のコンテンポラリィ・フォークなんでしょうね、「アラモ」って曲をレパートリーに入れていた。
 これがなかなか勇壮にしてちょっぴり感傷の混じる良い感じのメロディでね、初心者がギターを弾きながら歌うにはちょうど良かったから、私はコードを取り、好んでこの歌を歌っていたものです。

 アラモの話は、子供の頃にジョン・ウエインなどが出た映画で知ってはいた。アメリカの領土であるテキサスを横取りしようと迫ってくる悪辣なメキシコ軍を迎え撃つために要衝アラモ砦に立てこもり、抵抗を試み全滅させられた、ディヴィ・クロケットをはじめとするアメリカ建国史のヒーローたちの悲劇の物語として。
 そして”リメンバー・アラモ”の合言葉と共にアメリカ勢は怒りの反撃に移り、ついにテキサスはアメリカの手に戻った。貴重な犠牲を無駄にすることなく、正義は守られたのだ、なんて具合に話は締めくくられ、こちらは何となくそれでいいものと納得していたんだが。

 現実の歴史は以下のようです。
 問題の、現在のアメリカ合衆国テキサス州は、1821年にメキシコがスペインから独立する際、メキシコを構成するテハス州の一部だった。メキシコ政府はこの地方の開発のためにアメリカからの移民を受け入れ、テハス週にアメリカ合衆国からの入植者が増えて行った。それと同時にこれはお定まり、メキシコの社会とアメリカ人入植者との間に問題が起こるようになる。仲でもアメリカからの入植者が気に入らなかったのはメキシコが奴隷制を認めないことだったようで。頻発する騒動に手を焼いたメキシコ政府は、アメリカ人入植者のテハス州へのそれ以上の入植を禁じた。けどもう遅かったようです。

 アメリカ人入植者たちは1835年、メキシコからの分離独立を求めて反乱を起こし、翌年、テキサス共和国として勝手に独立を宣言する。その”暴動”を平定するために出動したメキシコ政府軍と、砦に立てこもったアメリカからの入植者たちの反乱勢力との交戦の次第がつまり、”アラモの戦い”だったって訳で。なんだ、どっちに正義があったのやら、ですな。
 そして1845年、この内戦に勝ったアメリカ入植者勢力は再度テキサス共和国の独立を宣言する。その後、テキサス共和国はアメリカ合衆国に編入されたためにアメリカとメキシコの間で米墨戦争が起こり、それの敗戦によってメキシコはもとの領土の半分を失うことになるのでした。

 それ以後も、「リメンバー・パールハーバー」といい「リメンバー・9/11」といい、アメリカ人は世界中で同じような事をやり続けて来た訳ですが。
 とりあえず、アメリカが「リメンバー」と言い出すと死人の山が出来てその結果、世界がアメリカに都合の良い方向に捻じ曲がる、という法則があるようです。
 そしてその源流となるのがこの「アラモ」の出来事であると思えば、この「リメンバー・アラモ」なんて曲は大嫌いになったって良さそうなもの。だけど。

 あの歌は今も我が胸で、青春の日々の甘酸っぱい記憶と共に澄んだ感傷を湛えて、「好ましいもの」として鳴り続けているのでした。まあ、始末の悪いと言うか罪深いものです、音楽と言うのも。ドノバンは今、この歌をどう思っているんでしょうかねえ?