ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

世界音楽腐敗の兆候?

2010-05-20 03:44:32 | 音楽論など
 昨日の記事に関して言い忘れたこと。あそこに貼り付けたプルーデンス・ラウの音と映像は一作前、彼女のデビュー・アルバムのもので、”Why”に含まれる曲ではありません。どうも失礼。
 いや、驚いたんだけど、彼女の2ndの映像って一曲もYou-tubeには上がっていなかったの。プルーデンスのあのアルバムって、文中にも書いたけどヒットチャートの一位になっているのであってね。それが映像一つない。仕方がないから前作のものを貼ってしまいました。

 そういえば以前、同じ香港のステファニー・ライっていう私のお気に入りだった歌手の映像を探した時も一つも残っていなくて、それどころじゃない、ネット上に彼女に関する記録自体、ほとんど残っていない、これにも驚いたものでした。
 この辺、過去の出来事などどんどん捨て去り、現在だけを見据えて逞しく進んで行く中国人社会の爆走するエネルギーなど感じて、空恐ろしい気分になってみたりするのだけれど。

 ところで。ネットをウロウロしていたら、バイリ・ファンキって言うの?なんか知らないが、そういうモノを見ちゃいました。あれはちょっとひどいね。
 信奉者の連中はあれこれ理屈をつけているみたいだけど、要するブラジル人による愚劣なアメリカのラップ・ミュージックの物真似。それだけしかないと断ずるよ、あの音楽。それ以外の何がある。
 下に貼ったYuo-tubeを見てもらえば分るが(あんまりお勧めできないけど。「ブラジルよ、お前はそこまで腐り果てたか!」と、情けなさに涙が出てくる内容だ)ひたすら、頭の軽いブラジルの若者による、アメリカ合衆国の、それもひときわ愚劣な部分に対する無条件の賛美と言う、ほとんど宗教上の儀式の様子が捉えられている。

 支持者はブラジル音楽の要素も加えられた混合音楽と認識したがっているようだけど、この映像と音楽を見れば、事のベクトルはアメリカ賛美にしか向いていない。支持者の言う「ブラジル的要素」なんてモノは単なるアリバイ作りでしかないだろう。
 だってあの映像と音楽においてブラジルの若者たちは、「アメリカの黒人ってカッコいいよなあ。俺らもこんな田舎じゃなくてアメリカに生まれたかったよなあ」としか言ってないでしょ?
 いつぞやは同じくYou-tubeで、かっては”アフリカン・ポップスの総本山”とまで言われた、あのコンゴはキンシャサの通りにおいて同じようにラップ真似っ子に興ずるアフリカ人たちを見て、暗澹たる気持ちにさせられたんだけど、つまりは世界はもう腐り果てる方向に転げ落ちて行くばかりなんだろうか?

 それでもどうやらラップの支持者ってのは、ともかくラップが広まればそれでいい、みたな価値観でいるらしく、そんなのを見て「カッコいい!」とか喝采を叫んでいるようだ。世界中の街角で、黒い奴が白い奴が赤い奴が緑色の奴がニューヨークの黒人を気取ってラップするのさ、なんてイカしてるんだろう!と。
 かって、「世界中がもう一つのアメリカのようになる。おお、なんと美しいことだろう」と苦い哄笑を”ポリティカル・サイエンス”という唄に込めたランディ・ニューマンだったらこのような状況、どんな歌にするのだろうか。

 あのような状況は一過性のもので社会の一部で流行っているだけ、どんな世界にも心ある人々はいると信じたいが、その一方、このところアフリカン・ポップスの生きの良い新作にお目にかかれないのは、その種の音楽を奏でる筈の若者たちがラップ化してしまっているからだ、との話もあり、やはり楽観は出来ない。




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