ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

路面電車去って後

2010-05-27 04:57:55 | 60~70年代音楽

 昨夜は作詞家・松本隆に関する特集番組のようなものをやっていたらしい。それについて書かれた感傷的なWEB日記をさっき読んだ。まあ、彼に対する一般的評価と言うのがあれなのだろう。

 あれは70年代、松本がかって属していたバンド、”はっぴいえんど”がアメリカでレコーディングしてきた、彼らとしては最後のオリジナル・アルバムであるところの「さようならアメリカ・さようならニッポン」がリリースされた直後のこと。
 私はある女性ロック評論家(彼女の名前が思い出せたら、と思うのだが)が書いたアルバム評を読み、いわゆる目から鱗の落ちる経験をさせられたのだった。
 彼女は書いていた。「松本隆の作る歌詞は、すでに腐臭を放ち始めている」と。
 とりあえず、その一年前になるのか2年前になるのか、短い間ではあったがバイトで”はっぴいえんど”のアンプ運びなどやっていて、それは得がたい体験だったなあなどと日に日に重く思えてきていたし、なによりまだ”はっぴいえんど”の信奉者であった私は、彼女のその文章にドキリとさせられた。

 そうなのだ。その時の私も「さようならアメリカ・・・」に収録されている松本隆の作詞には、なんだか物足りないものを感じてはいたのだった。1stアルバムにおける、やや山師めいたものも感じさせる迷宮的な言葉の積み重ねや、2ndにおける”風都市”なる空想をモチーフにして繰り広げられたイメージの世界に比べると、3rdである「さようなら・・・」で見られる歌詞は、なんだかつかみ所がないと感じてはいた。
 が、”腐臭”とは。激烈な表現に驚いたのだが、しかし反発は感じず、「ああそうだったのか」とむしろ納得してしまったのは、すでに私も心の奥では似たような感想を持ってはいたのだろう。「今回の歌詞はパッとしないな」と。

 言われて見ればそのとおり。かってあれほど共感をさせられた松本隆の詞の世界の煌きは失われてしまっていたのだった。
 それからは。それをきっかけに、といいたいほどのタイミングでさまざまな変化がやって来た。それまで愛好していたシンガー・ソングライターやアメリカのルーツ・ロックの世界が、まるでつまらないものに思えてきてしまったこと。かっての仲間たちが、それぞれに新しい生き方を求め、歩む道筋を変えて行ったこと。ある者は髪を切ってマトモな会社に就職を決め、ある者は家業を継ぐために故郷に帰っていった。
 それまで信じていたことすべてが揺らぎ、だが私は新しい価値観も見つけられずにいた。親しかった友人の下宿を訪ねれば、いつの間にか彼は引越しをしていて、空っぽの部屋に風だけが吹き抜けていた。

 まあ、これらはすべて、かって荒木一郎が歌った、「それは誰にもきっとあるような、ただの季節の変わり目の頃」となるんだろうけれど。
 その後、作詞家・松本隆の詞業はさらに濃い腐臭を漂わせながら歌謡曲の世界にも進出して行った。そして人々はその腐臭を愛しむように競って飲み干し、松本隆の歌謡界における活躍が始まった。
 その後の話は話せば長いがすべて省略する。今、”大御所”としてテレビで特集番組を組まれるベテラン作詞家の松本隆がいて、その現実にいまだに納得の出来ない、かってのファンとしての私がいる。それだけのこと。
 多分私は一生、納得する道は見つけられないだろう。あれこれ言っても仕方がないのだけれど。ただの季節の変わり目だったのだから、あれは。




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