ワールドミュージック町十三番地

上海、香港、マカオと流れ、明日はチェニスかモロッコか。港々の歌謡曲をたずねる旅でございます。

若葉のトラッド

2010-05-18 01:33:18 | ヨーロッパ

 ”Dear Irish Boy”by Marianne Green

 今流行りの、ですかね、森の(笑)奥の岩陰にそっと腰を下ろし、静かな微笑を浮かべる貴婦人・・・みたいな仕込みになってますがちょっとぎこちないよ。それはそうです、彼女はまだ17歳の女の子、アイリッシュ・トラッド界のピカピカの新人歌手なのであります。
 そんな年齢の女の子が地味な民謡の世界に、どのような事情があって飛び込んだのか知りませんが、アイリッシュ・トラッド界ではちったあ知られた職人ニュージシャンのAndy Irvine が彼女の才能にほれ込んでしまって、このアルバム製作を全面的に面倒を見たようです。というか彼女とAndy Irvineの、ほとんど連名みたいな形で世に出ているのでした、このアルバム。

 音のほうはと言いますと、やはりマリアンヌの声は幼いです。普段、トラッドといえば大貫禄のお姉さまがたの渋い歌唱を聴き慣れているこちらとしては「こんなんでいいの?」と、いささか戸惑ってしまう。しまうんだけど、不快ではないです。むしろ、「あ、こんな行き方があったのか!」みたいな、一本とられたみたいな気分になりますな。
 それは確かに彼女の歌声は幼いんだけど、歌唱そのものはきちんとしたもので、唄の勘所は押さえている。それに、そもそもそのような、まあコドモが本格的トラッドを本気で歌ってしまう、というのが痛快じゃないですか。

 なんか、型に嵌ってしまっていた伝承音楽の世界に、雲間から柔らかな光が差して来た、みたいな感じで気持ちがいいのですね。
 それにしてもさすが職人のAndy Irvineの息がかかっただけのことはある、と受け取ったらいいんでしょうか、アルバムの作りに浮ついたところはないです。彼自身の奏でるブズーキやマンドリンを中心に、必要最小限の音が、これがまた実に地味な選曲を歌うマリアンヌをサポートします。これもすっきりして良いですね。

 Andy たちが切り取ったフレームの中で、若草の上の裸足の散歩、新鮮な果実丸齧り!みたいに素朴な新鮮さが麗しいマリアンヌが軽やかにステップを踏み、若い血が古い伝承唄に新しい命を吹き込みます。音の向こうから春の若草の匂いがします。

 なんと彼女の映像、You-tubeには一つもありませんでした。アイリッシュ・トラッドの新人なんてのは、そんなものでしょうか。しょうがないんで彼女のMyspaceのURLを下に貼っておきますんで、そこを覗いてマリアンヌの若草トラッド(?)をちょっと聴いてみてください。
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●Marianne Green My Space


その旗の下には立ちたくないと言う話

2010-05-17 02:56:17 | 奄美の音楽

 以前よりいろいろ想いを寄せている奄美の音楽の世界で、下のような音楽イベントがあります。

 <夜ネヤ、島ンチュ、リスペクチュ!>

 上に掲げたポスターをご覧になればお分かりのように、内容だけなら、そりゃ文句のつけようがない。私だって都合さえ付けば「それいけ!」ってなものですが。
 でもちょっと、引っかかるものがあるんですねえ。それについて、流行のツイッターに下のように呟いてみました。

 ”微妙な話ですが。奄美の地に憧れを持ち島唄を愛しているけれど、ヒップホップやレゲが大嫌いな私にとって、この「リスペクチュ!」って言葉、凄く複雑な気持ちになります。ヒップホップが嫌いな奴は奄美を愛しちゃいけませんか? ”

 「リスペクチュ」ってのは、要するにラップやらレゲやらが好きな連中が好んで口にする「リスペクト」でしょ?それを南島風に「くちゅ」と訛ってみた、というわけだ。
 まあ、小さな事と言えばその通りなんですがね。主催の人々は私みたいにヒップホップ嫌悪とかなくてむしろファンでおられるのでしょう。で、勢い一発でイベントのタイトルをそう決めてしまった。

 まあ、そう言うこともあるでしょう。ヒップホップの世界に共鳴している人には、さぞや楽しいジョークなんでしょう。
 けど私は、そんなヒップホップ印の旗の元に集まるわけには行かない。つまらない意地を張っているとお笑いでしょうが、嫌なものは嫌だ。それに、一言言わせていただければ、その場で奏でられる音楽のほとんどはレゲでもヒッポホップでもないんですよね?

 ・・・という、まあそれだけのお話です。




FIN.K.Lに想う

2010-05-16 02:53:52 | アジア

 ”Fin Kl 3 -Now”by FIN.K.L

 いまやブーム真っ盛り、なんでしょうか、現地では百花繚乱、様々個性を誇るグループが続々と誕生して覇を競っているという話を聞きました、韓国のセクシー・アイドル・グループ世界。韓国において、そのジャンルへの道を切り開いたグループの一つである”FIN.K.L”が2000年に発表した彼女らの3rdアルバムであります。
 もはやこの時点で、”韓国風R&Bなセクシーアイドル”路線は出来上がっていたようですな。ビシバシと打ち込まれるファンクなリズムに乗って、ウッフンアッハンとセクシーなコーラスが炸裂。早口コトバみたいなハングル・ラップやらが駆け抜ける。日本のこの種のグループとは本気度が違うと言えるんではないでしょうか。

 わが国のそれはアイドル性やセックス・シンボル性に流れてしまうんだが、韓国では質実剛健、むやみに愛嬌振りまくよりは、完成されたエンターティメントを志向する。オトナのエッチさを込めた流し目で画面を睨み、もともとが日本人よりぶっとい声帯を生かして、吠え立てるボーカル。
 でもねえ・・・日本人たる私は、あまり”本気一本”でやられると、なんかちょっと恥ずかしくなってしまうところがあるんですな。この辺、韓流好きな人とは違憲の異なるところとなるかも知れないけど。
 むしろ、このアルバムの中でも時々うかがえる初期の雰囲気といいますか、スィートなアイドル・ポップを歌っていた頃が懐かしく感じられたりする。

 アイドルの場合、歌なんて下手くそなほうがむしろ好ましい、なんて感じ、あるじゃないですか。やっぱりねえ、日本の”モーニング娘”や”AKB”みたいな、たわいないところがあるものを求めてしまう心が私なんかにはある。この辺、”芸能のあり方”なんて方向で突っ込んでみたら面白いかと思うんですが。
 いやまあ、こうしてCDを集めてるんだから、”FIN.K.L”だって好きには違いないんですがね。(CDどころじゃない、メンバー中のセクシー・リーダーのイ・ヒョリの写真集まで持っている)(笑)



フィンランドの森の歌

2010-05-13 00:50:49 | ヨーロッパ

 ”Kaenkukuntayat”by Riikka

 フィンランドの民謡をはじめとする、かの国の民俗というのには興味を惹かれて、90年代の始め頃だったか、かの地のトラッドのCDなど買い集めて夢中になって聴いていたものだった。
 ハンガリーと同じく”ヨーロッパ大陸に紛れ込んだアジアの血の一滴”という民族的出自がファンタスティックに思えた。他の欧州の言語とまるで関連のないみたいな不思議な響きのフィンランド語に憧れ、大衆音楽の事を「カンサンムジク」、”お前、ぶっ飛ばしたろか”を「ヨコハマフナウタ!」と言う、なんて事を知って妙に嬉しかったりした。

 そしてフィンランド音楽の、アジア的な濁りを孕む歌声に血の騒ぎを感じ、丸太を大地に突き立てるようなワイルドなリズム感に撃たれ、はるか東方の響きを予感させる歌謡性を帯びたメロディラインに、フィンランドの人々が旅した道のりへの空想を喚起された。
 そもそもフィンランドの人々の祖先はアラル山脈のふもとあたりに住まいしていて、古代のある時期、スカンジナヴィア半島に侵入、彼らの国家を築いたとの事。
 と言うわけで、そんな遠い国の妄想に酔い痴れていた日々を思い起こさせるような、刺激的なフィンランド盤に出会えたので、ここに取り上げる次第。

 はじめて名を聞く人だが、まるきりの新人とはとても思えない音楽的底力を感じる。解説に拠ればヴァルティナ等、名のあるグループに在籍してきた実力派のようだ。
 このアルバムのテーマとしては、フィンランドの民俗音楽の様々なエッセンスを分解&再構成して、新しい”郷の音楽”を作り出そうという試みなのだろう。
 アコーディオンやニッケルアルパといった民族系の楽器と打ち込みの電子音が地味にブレンドしあったバックトラックの上に、まるで森の小動物が鳴き交わすようにリッカの一人多重録音の歌声はリズミカルに広がり、人間には意味の聞き取れない秘密のネットワークが木々の間に張り巡らされて行く、そんな幻想が経ち現われる。

 伝承音楽の響きを中心に残しつつ、全体の手触りはまるでポップであり、そこが良い。
 北国特有の哀感の滲むメロディに乗せて、”アイヤ~アイヤ~イヤ~アイヤ~♪”なんて意味のない掛け声を繰り返しながら、古代の祭祀の幻想の中に入り込んで行く、その足取りの軽さが良い。重苦しい”民俗芸術”ではないのだ。
 あくまでもそのノリは軽く、楽しげにハミングしながら森の中へ、太古の時間にスキップしながら入って行きそうな心安さがこのアルバムの勝因だろう。
 さあ、我々もおいて行かれないように森を目指さねば。




鳥は今、どこを飛ぶか?

2010-05-12 04:57:14 | その他の日本の音楽

 呼吸”by ビューティフルハミングバード

 このグループの歌声を初めて聴いたのは、なにかのテレビCMでだった。まるで60年代末のアメリカの女性フォークシンガーみたいな独特のクセのある発声法で歌われていたので私は、誰かその辺の歌手が公演で訪れた日本が気に入ってしまい、そのまま日本に住み、歌手活動を行なっていて、このCMソングはそんな彼女の営業の一つなのだろう、と思い込んでいた。
 後日、あれは日本のビューティフルハミングバードなるフォークグループの仕事であり、歌っているのはメンバーである普通の日本人の女性であると知り、何だか化かされたような気になったものだ。だって、日本語の発音も、何だか怪しげに聴こえたぜ。

 などという出会い方をして以来、なんだかこのグループが気になってきてしまった。まったく、何かのファンになるのは、出会い頭に見知らぬ車と交通事故を起こすのと似ている。
 ともかくそうなってはしょうがない、CDを買って来てじっくりその”ビューティフルハミングバード ”なるグループの音楽に対面する。やはり耳に付くのは、ヴォーカルの小池光子嬢の独特のボーカルである。ジョニ・ミッチェルあたりにでも傾斜をしたのだろうか。その、ユラユラと裏返りつつメロディを織りなして行く様子には独特の美学があり、このグループの魅力の勘所だろう。

 サウンドは瞑想的といっていいだろうか、物静かなアコースティックな様子で、雨上がりの日曜の朝というか、梅雨の終わりの晴れ間とか、モップをあてた後の乾きかけの渡り廊下の匂い、そんな”乾燥途上系”の爽やかさを感じさせる。
 現実からポコッとはみ出た 物静かな幻想味が漂う歌詞世界であり、よく磨かれたガラス窓の中で差し入る日差しの中のうたた寝の夢見に通ずる。

 いずれにしても、その、かってのアメリカン・フォークっぽい音楽の形式自体が、70年代のブームの頃にシンガー・ソングライターたちの音楽に夢中になっていた世代には、もう”過去のもの”と判定を下されて久しいはずの音楽である。そして歌い手の視界の前に広がっている”生まれたばかりの世界の眩さ”も、老いたる身にはトキメキようのない遠いもの。
 なのに。なのに、もう誰も来るはずのない出会いの約束の場所になど、こうして足を運んでしまうのはなぜか。そんな具合に我ながらいぶかしく思いつつ、買って来てしまったCDをふと鳴らしてみる春の夜更けだったりするのである。




タガログ諸島へ

2010-05-10 01:54:30 | アジア

 ”Kahit Na Ilang Umaga”by Jessa Zaragosa

 なんか気になるフィリピンのタガログ語ポップスであります。その世界では大物、とのことです、ヘッサ・サラゴサ女史。スローバラード中心にじっくりと美しいメロディを歌い上げます。
 この辺の音楽に出会うと、嬉しくなってしまう私です。インドネシアの洗練されたポップスを、本来は泥臭い音が好きな自分であるくせに妙に好んで聴いているのと、事情は同じなんですが。

 その響きの向こうに、昔ヨーロッパ人が植民地支配のついでに置き忘れて行ったラテンの血の騒ぎが聞き取れるところに、妙に心が騒いでしまう。そして、そこから炙りだされてくるアジア的歌謡性の貌の鮮やかさに魅せられてしまう、というところでしょうか。この両者のブレンド具合の微妙な心地良さ、ですよ。

 タガログ・ポップスの、どこか燦々と陽が差す感じが好きですね。で、先に述べましたように、ちょっぴり漂う南欧っぽいお洒落さ、気だるさ。
 明るい昼下がりなんかにゆっくり聴いていると、地中海のどこか、イタリアの隣なんかにフィリピンやインドネシアの島々が浮んでいるような、へんちくりんな幻想が浮んで来もしますな。

 それにしてもこのヘッサ・サラゴサ女史、女優も兼ねていると言うくらいで見た目は可憐な人なのに、結構声域が低く、歌声にドスが効いているのも面白いです。数少ないアップテンポの曲では、とぐろを巻くように蠢くファンク・ビートに乗って、意外なほどパワフルな唸り声で凄みを効かせます。
 かなり根性座ってます、気位高くて機嫌をそこねると大変です、素顔は。とか勝手な推測をしてみては、「へへ、ヤバいヤバい」とかニヤニヤしてみたり。いや、気色悪くてすまん。



遠い砦の歌

2010-05-09 01:32:08 | 北アメリカ

 イギリスの歌手、ドノバンが”メルヘンの使者”と化す以前、ディランとかに憧れて普通のフォークシンガーをやっていた60年代、これはアメリカ製のコンテンポラリィ・フォークなんでしょうね、「アラモ」って曲をレパートリーに入れていた。
 これがなかなか勇壮にしてちょっぴり感傷の混じる良い感じのメロディでね、初心者がギターを弾きながら歌うにはちょうど良かったから、私はコードを取り、好んでこの歌を歌っていたものです。

 アラモの話は、子供の頃にジョン・ウエインなどが出た映画で知ってはいた。アメリカの領土であるテキサスを横取りしようと迫ってくる悪辣なメキシコ軍を迎え撃つために要衝アラモ砦に立てこもり、抵抗を試み全滅させられた、ディヴィ・クロケットをはじめとするアメリカ建国史のヒーローたちの悲劇の物語として。
 そして”リメンバー・アラモ”の合言葉と共にアメリカ勢は怒りの反撃に移り、ついにテキサスはアメリカの手に戻った。貴重な犠牲を無駄にすることなく、正義は守られたのだ、なんて具合に話は締めくくられ、こちらは何となくそれでいいものと納得していたんだが。

 現実の歴史は以下のようです。
 問題の、現在のアメリカ合衆国テキサス州は、1821年にメキシコがスペインから独立する際、メキシコを構成するテハス州の一部だった。メキシコ政府はこの地方の開発のためにアメリカからの移民を受け入れ、テハス週にアメリカ合衆国からの入植者が増えて行った。それと同時にこれはお定まり、メキシコの社会とアメリカ人入植者との間に問題が起こるようになる。仲でもアメリカからの入植者が気に入らなかったのはメキシコが奴隷制を認めないことだったようで。頻発する騒動に手を焼いたメキシコ政府は、アメリカ人入植者のテハス州へのそれ以上の入植を禁じた。けどもう遅かったようです。

 アメリカ人入植者たちは1835年、メキシコからの分離独立を求めて反乱を起こし、翌年、テキサス共和国として勝手に独立を宣言する。その”暴動”を平定するために出動したメキシコ政府軍と、砦に立てこもったアメリカからの入植者たちの反乱勢力との交戦の次第がつまり、”アラモの戦い”だったって訳で。なんだ、どっちに正義があったのやら、ですな。
 そして1845年、この内戦に勝ったアメリカ入植者勢力は再度テキサス共和国の独立を宣言する。その後、テキサス共和国はアメリカ合衆国に編入されたためにアメリカとメキシコの間で米墨戦争が起こり、それの敗戦によってメキシコはもとの領土の半分を失うことになるのでした。

 それ以後も、「リメンバー・パールハーバー」といい「リメンバー・9/11」といい、アメリカ人は世界中で同じような事をやり続けて来た訳ですが。
 とりあえず、アメリカが「リメンバー」と言い出すと死人の山が出来てその結果、世界がアメリカに都合の良い方向に捻じ曲がる、という法則があるようです。
 そしてその源流となるのがこの「アラモ」の出来事であると思えば、この「リメンバー・アラモ」なんて曲は大嫌いになったって良さそうなもの。だけど。

 あの歌は今も我が胸で、青春の日々の甘酸っぱい記憶と共に澄んだ感傷を湛えて、「好ましいもの」として鳴り続けているのでした。まあ、始末の悪いと言うか罪深いものです、音楽と言うのも。ドノバンは今、この歌をどう思っているんでしょうかねえ?



国境の南には

2010-05-07 21:38:41 | 南アメリカ

 ”Cornelio Reyna”

 ライ・クーダーが編んだキューバ音楽祭発見のプロジェクト、”ブエナ・ヴィスタ・ソシアルクラブ”の映画版において、ひときわ心に残ったのが、ライがキューバの老歌手の一人を指して「彼こそキューバのナット・キング・コールだ」と言ったシーンだ。もちろん、”賞賛”の意味合いを込めて。
 そうだよなあ。ちょっとお洒落で甘く切ない”しがない歌謡曲”の歌い手こそが本当の大衆音楽のヒーローじゃないのか。60年代辺りから流行りの、正義の代弁者然として世の不正を追及する奴なんてのは裏になにやら紐付きの事情でもあるか、そうでなければ単なる目立ちたがりでしかない。大衆のヒーローなんかであるものか。そもそも戦争を始める奴と反戦歌を歌う奴とは人間性の深い部分で同じタグイの連中じゃないかと私は疑っているのだが。

 という訳で、とりいだしましたるコルネリオ・レイナである。こういうのをメキシコ音楽の中の”ムシカ・ノルティーニャ”というのだろうか。
 昔懐かしい”西部劇映画”でお尋ね者が馬を駆り、賞金稼ぎに追われてテキサスの砂漠を南に下り、ようやく追及の手の及ばない国境線の向こう、メキシコの地にたどり着いた際に街に流れている音楽、そいつがこんな感じだ。サボテンやらソンブレロやら陽に焼けた土壁の家々、なんて風景の中に早口のスペイン語が交わされている。

 リズミックなポルカなどより、甘いスローな恋歌が多い。アコーディオンやラテンアメリカ風ハープの響きも印象的だ。頼りないといっていいほどの優男ぶりでコルネリオは恋人に愛を乞うバラードを切々と歌い上げる。この甘さ、情けなさが美しいのだ。
 ナンパな歌手が、その切ない歌声によってまき散らす甘美な誘惑の痺れるような魅力と、その先に口を開けている魔境の深さを想え。歌手たちは、そんな魔境からやって来てオンナコドモの魂を虜にしては連れ去って行く、悪魔の使者なのだ。

 国境の南、眩い日差しに干し揚げられた風土には、けだるく甘いバラードが似合う。連れ去られた者たちの消息は遥として知れない。




ハァ~あの日カリブで眺めた月も~♪

2010-05-05 02:13:52 | 南アメリカ

 ”Bahamian Ballads ・The Songs Of Andre Toussaint”

 ジャズ・ギタリストが使うような分厚いフル・アコースティックのギターを抱えてゲハハと豪快に笑っているジャケ写真が良い。
 アンドレ・トゥーサンはカリブ海のハイチに生まれ、バハマで育った人である。生年は分らず。歌手を志し、地元のホテル所属のクラブにいわゆる”ハコ”で入りギター片手に歌ううち、1950年から60年にかけて起こった、バハマにおけるナイトクラブのブーム(観光ブームの副産物のようなものか?)に乗って人気者となる。81年死去。と、そっけない経歴しか手元にはないが、その芸風はなかなかに嬉しくなる人なのだった。

 ギター弾き語りのミュージシャン、と呼ぶよりエンターティナーと呼ぶほうが納得できるような気がする。とりあえずジャンル分けで言えばカリプソ歌手なのだろうが、そいつがメインの歌手たちのように濃厚なピコンを効かせたどぎつい歌い方はしない。元々の美声を生かした自然な歌いくち。しかも、手元にあるアルバムを見る限り、レパートリーにはカリプソ以外の音楽のほうが明らかに多いのである。
 セシボン。パーフィディア。ククルクク・パロマ。チャオチャオ・バンビーナ。なんの脈絡もなし。要するに当時流行ったラテン系のヒット曲はすべて手を出している、と考えていいくらいのノリである。ハイチ生まれでフランス語はお手のもの、というのも大きいのだろう。その他、イタリア語の歌詞が、スペイン語の歌詞が、ホイホイと飛び出す。

 しかもそいつを実に楽しげに歌っているのである、カラオケ屋でマイクを放さない困ったオヤジの如くに。またその歌声が、CDの解説文にナット・キング・コールを引き合いに出しているが、いわゆるクルーナーボイスの伝統に連なると言いたいソフトな美声なのである。そいつで朗々と歌い上げる、ヒット曲の数々。
 そのギターの腕前がまた、相当に聴かせるのである。大別すればチェット・アトキンスのようなカントリーっぽいタッチのフィンガー・ピッキングで、タカタカとベース音を打ち出しつつ、カリカリとメロディを弾きコードをかき鳴らす。ホテルのクラブの実践で鍛えた”一人オーケストラ”のテクニックなんだろうけど、涼しい顔でこれを弾きこなしてしまうあたりも相当な芸人ぶりだ。

 各種文化の交錯するカリブ世界に生まれ、ハイチからバハマへと渡り歩いて生きて来た。その生き様も確かにトゥーサンのユニークな個性を形成する大きな要因だった、それはそうなんだろうけど・・・
 何だか私、彼のCDを繰り返し聴いているうちに、彼が故・三波春夫先生に見えてきちゃったのね。どんなものであろうと、それが大衆の支持を受けているものなら大きな心で受け入れ、時下薬籠中のものとしてしまい、朗々と賛歌を奏でてしまう。
 こういう”音頭系”の福々しい音楽観のミュージシャンもいるんだなあ、とここは素直に脱帽しておきたい。「複雑に積み重なるカリブの文化に翻弄された感性」、なんて理解するには明る過ぎる個性だものね。



サーフボードとユッケジャン

2010-05-04 00:22:50 | アジア

 ”BEST-1&2”by 김현식(キム・ヒョンシク)

 先月の中頃に、夭折した韓国のバラードシンガー、キム・ヒョンシクの話を書いた。
 今日、隆盛を誇る韓国R&Bの先駈けとなる作品を世に送り出しながら、その性格の弱さからまずドラッグ、その次は酒に耽溺した。そしてついには、30歳を越えたばかりの若い命を大量の飲酒による肝臓障害で散らしてしまったシンガー・ソングライター。亡くなって、もう20年になるわけだが。
 そんな彼の死の直後にリリースされた、まるで自分の死期を悟っていたかのような鬼気迫る絶唱を聴かせる「俺の愛、俺のそばに」は忘れられない作品となっていたのだが、今回、そんなキム・ヒョンシクの2枚組のベストアルバムが手に入った。これで、これまで伝説ばかりが耳に入ってきていた彼のミュージシャンとしての全体像を見渡せるわけだ。

 ジャケ写真には、もう秋風が立ってしまって訪れる人もいない海岸があり、そこにポツンと一人立つ人影。空にドでかくキム・ヒョンシクの武骨な顔がトリミングされているが、これはちょっとくどい演出と言えるだろう。人気のない海岸と逝ってしまったヒョンシクを偲ぶかのように立ち尽くす人影、これで十分。などといちいち文句をつけるのもくどさではいい勝負だろうが。

 さっそく聴いてみる。やっぱり凄いのはそのガラガラに割れた声だ。黒人ぽいとかいうんではなく、この木枯しに吹きさらしにされて甘い涙は乾き切ってしまった、みたいな実もフタもない響きは、やはり韓国人ならではの剛直な感情の表出というべきだろう。
 その一方、ヒョンシクの書くメロディと作り出すサウンドは、黒人音楽の影響を大いに受けたミディアム・テンポやスローバラードの都会調ポップス、という形を取りながら、失われた恋の思い出を甘く切なく歌い上げる。季節で言えば夏の終わり、秋のはじめ。埋めようのない心の隙間を、うそ寒い風が吹き抜ける頃。
 もし彼が早死にしなかったら、ひょっとしてサザンの桑田の韓国版たりえたのではないかとも思えてくる。

 考えてみれば、ヒョンシクのガラガラ声というのも良いツールと言えるのかも知れない。どんなに感傷でベタベタの歌を作ろうと、その水分をすべて搾り取ってしまったようなシワガレ声で歌われれば、熱唱の割には胃にもたれるしつこさはなくなるし、サザンの桑田のような脂っこさにも無縁だ。その代りにあらかじめ失われているものもあるんだろうけど。たとえば、集中力を欠くとすべて怒号に終わる可能性、とか。
 
 (日本なら湘南サウンドと呼び名があるんだが、韓国ではその種のものをなんと呼ぶ仕組みだろう?寒風吹きすさぶ日本海のそのまた向こうの土地に住む人々は?)