南斗屋のブログ

基本、月曜と木曜に更新します

土浦藩の軍事調練は大賑わい 文政11年11月下旬・色川三中「家事志」

2023年12月04日 | 色川三中

#色川三中

文政11年11月下旬・色川三中「家事志」


土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、一部の大意を現代語にしたものです。


文政11年11月21日(1828年) 晴

小田の宝鏡山(宝篋山)付近で、土浦藩軍師大久保要様とによる軍事調練あり。見物数万人という。

#色川三中 #家事志

(コメント)

大久保要は土浦藩士。このとき満28歳で土浦藩調練軍師に任命。この後、天保8年(1837年)藩校郁文館新設に伴い館頭に就任。嘉永3年(1850年)藩主土屋寅直が大坂城代に任命に伴い随従。安政元年(1854年)、ロシア船の大坂来航では折衝に当たっています。

昨年の軍事調練も大賑わい





文政11年11月22日(1828年)晴

江戸崎の田中忠兵衛殿から金300両を借入れるための証文を取り交す。

借用人:色川三郎兵衛、請人:横田権右衛門、親類:いせや庄三郎、世話人:いせや伊兵衛

#色川三中 #家事志

(コメント)

11月8日に醤油事業について、300両の事業資金を借入れようとしていましたので、いよいよ実行に移すようです。「請人」は連帯保証人。親類、世話人も署名するのですが、この方たちも返済できないときは債務を負うのでしょうか。



文政11年11月23日(1828年)

本日、三中先生ご休筆です。

#色川三中 #家事志


文政11年11月24日(1828年)

庚申

#色川三中 #家事志

(コメント)

三中先生、昨日はご休筆。本日も一言「庚申」のみ。お忙しさからでしょうか。



文政11年11月25日(1828年)晴

隠居(祖父)が21日から江戸に出府している。迎えに従業員の市右衛門を遣わした。

#色川三中 #家事志

(コメント)

三中の祖父はちょいちょい江戸に行ってます。丁度昨年の11月25日も江戸に出府。対して三中は全然江戸に行きません。周囲の人は割りと江戸に行っているのですが。債務の支払いでそれどころではないのか、それとも三中自身の気質からでしょうか。

昨年の祖父の江戸出府



文政11年11月26日(1828年)

「11月26日の月が晴れてよく見えると、翌年は豊作だ」と古くからいわれているという。そろそろ年貢の話し合いもしなければいけないときだ。

#色川三中 #家事志

(コメント)

この間中高津地区の年貢を収めていましたから(11月19日条)、今度する年貢の話合いは別の地区のものでしょうか。耕作はしていなくても豊作となるかは気になる。それが高持百姓というものなのでしょう。




文政11年11月27日(1828年)晴

朝、夢を見た。大霜降る。

#色川三中 #家事志

(コメント)

今日の日記はこれだけ。いつもは記事が長くてカットすることの方が多いのですが、最近三中先生の日記はホントに短い。気になる夢を見たようですが、夢の内容が書いてない。まあ、あくまでも日記ですから。


文政11年11月28日(1828年)晴

甲子 天社日

昨日の夢の応えあり(日記には内容は書かない)。

#色川三中 #家事志

(コメント)

天社日(天赦日)。最上の大吉日とされている日。昨年は様々なものを出してきては祭っていたのですが、今年それをしたかどうか不明。昨日見た夢と呼応することがあったようですが、その内容も教えてくれません。




文政11年11月29日(1828年)晴

ひものやとの件で何の連絡もない。間に入っている久松時右衛門に催促の書状を出した。

#色川三中 #家事志

(コメント)

ひものやとのトラブルは一度解決したものの、再燃。ひものやが訳のわからぬことを言っているので、間に入っている久松氏も打つ手がないのでしょう。





文政11年11月晦日(30日)(1828年)

板橋青木へ行く。従業員の市右衛門を供とする。今日晴天、寒気甚だし。

#色川三中 #家事志

(コメント)

「板橋」は当時の板橋村。現在はつくばみらい市板橋。三中の居所(土浦)からは片道20キロ、往復で40キロありますが、日帰りのようです。この時代、一日40キロはデフォルト。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする