#色川三中
文政11年11月下旬・色川三中「家事志」
土浦市史史料『家事志 色川三中日記』第三巻をもとに、一部の大意を現代語にしたものです。
文政11年11月21日(1828年) 晴
小田の宝鏡山(宝篋山)付近で、土浦藩軍師大久保要様とによる軍事調練あり。見物数万人という。
#色川三中 #家事志
(コメント)
大久保要は土浦藩士。このとき満28歳で土浦藩調練軍師に任命。この後、天保8年(1837年)藩校郁文館新設に伴い館頭に就任。嘉永3年(1850年)藩主土屋寅直が大坂城代に任命に伴い随従。安政元年(1854年)、ロシア船の大坂来航では折衝に当たっています。
昨年の軍事調練も大賑わい
1827年閏6月29日(文政10年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) October 2, 2022
先ごろ、鹿嶋御固め御調練軍師荒木様が御役御免となり、大久保要様が御役に着いた。御城内で調練があり、見物しても構わぬとのことで、市が立ったときのような賑わいであった。#色川三中 #家事志
文政11年11月22日(1828年)晴
江戸崎の田中忠兵衛殿から金300両を借入れるための証文を取り交す。
借用人:色川三郎兵衛、請人:横田権右衛門、親類:いせや庄三郎、世話人:いせや伊兵衛
#色川三中 #家事志
(コメント)
11月8日に醤油事業について、300両の事業資金を借入れようとしていましたので、いよいよ実行に移すようです。「請人」は連帯保証人。親類、世話人も署名するのですが、この方たちも返済できないときは債務を負うのでしょうか。
文政11年11月23日(1828年)
本日、三中先生ご休筆です。
#色川三中 #家事志
文政11年11月24日(1828年)
庚申
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中先生、昨日はご休筆。本日も一言「庚申」のみ。お忙しさからでしょうか。
文政11年11月25日(1828年)晴
隠居(祖父)が21日から江戸に出府している。迎えに従業員の市右衛門を遣わした。
#色川三中 #家事志
(コメント)
三中の祖父はちょいちょい江戸に行ってます。丁度昨年の11月25日も江戸に出府。対して三中は全然江戸に行きません。周囲の人は割りと江戸に行っているのですが。債務の支払いでそれどころではないのか、それとも三中自身の気質からでしょうか。
昨年の祖父の江戸出府
文政10年11月25日(1827年)晴
— 断感ろーれんす (@tk23956) November 24, 2022
朝五つ過ぎ、伊勢屋が伊兵衛と共に、江戸崎鍋屋との公事の件で、川口の隠居(祖父)を訪ねてこられた。御隠居は江戸に行って留守であり、晦日にならなければ帰ってこない旨申し上げた。「では改めて参ります。御隠居によろしく。」といって帰られた。#色川三中 #家事志
文政11年11月26日(1828年)
「11月26日の月が晴れてよく見えると、翌年は豊作だ」と古くからいわれているという。そろそろ年貢の話し合いもしなければいけないときだ。
#色川三中 #家事志
(コメント)
この間中高津地区の年貢を収めていましたから(11月19日条)、今度する年貢の話合いは別の地区のものでしょうか。耕作はしていなくても豊作となるかは気になる。それが高持百姓というものなのでしょう。
文政11年11月19日(1828年)
— 断感ろーれんす (@tk23956) November 18, 2023
・本日も暖かい。
・明日中に中高津の年貢として米十俵、餅米一俵を納めなければならず、川口の藤七を頼む。#色川三中 #家事志
文政11年11月27日(1828年)晴
朝、夢を見た。大霜降る。
#色川三中 #家事志
(コメント)
今日の日記はこれだけ。いつもは記事が長くてカットすることの方が多いのですが、最近三中先生の日記はホントに短い。気になる夢を見たようですが、夢の内容が書いてない。まあ、あくまでも日記ですから。
文政11年11月28日(1828年)晴
甲子 天社日
昨日の夢の応えあり(日記には内容は書かない)。
#色川三中 #家事志
(コメント)
天社日(天赦日)。最上の大吉日とされている日。昨年は様々なものを出してきては祭っていたのですが、今年それをしたかどうか不明。昨日見た夢と呼応することがあったようですが、その内容も教えてくれません。
文政10年9月21日 甲子 天社
— 断感ろーれんす (@tk23956) September 20, 2022
夜、大黒天、五条の天及び庚申を出し祭る。天道大黒天も。大黒天の画は有徳院吉宗公のときに、画家に命じて描いたものと言われており、何枚と残っていないであろう。この画と五条の天神の御影は川口の蔵にあって、子年の火事から焼け残ったものである#色川三中 #家事志
文政11年11月29日(1828年)晴
ひものやとの件で何の連絡もない。間に入っている久松時右衛門に催促の書状を出した。
#色川三中 #家事志
(コメント)
ひものやとのトラブルは一度解決したものの、再燃。ひものやが訳のわからぬことを言っているので、間に入っている久松氏も打つ手がないのでしょう。
文政11年9月12日(1828年)雨
— 断感ろーれんす (@tk23956) September 11, 2023
トラブルとなっていた件は、ひものやから証文の差し入れをする方向で話しが動いている。久松時右衛門殿や組合(五人組)の丸屋重兵衛殿が間に入って話しを進めてくれている。#色川三中 #家事志
文政11年11月晦日(30日)(1828年)
板橋青木へ行く。従業員の市右衛門を供とする。今日晴天、寒気甚だし。
#色川三中 #家事志
(コメント)
「板橋」は当時の板橋村。現在はつくばみらい市板橋。三中の居所(土浦)からは片道20キロ、往復で40キロありますが、日帰りのようです。この時代、一日40キロはデフォルト。