南斗屋のブログ

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江戸時代の解雇の際の書付・色川三中「家事志」より

2022年10月27日 | 色川三中
〈はじめに〉
土浦に住んでいた薬種商色川三中は、日記「家事志」で、様々なことを書いています。経営者であるだけに、従業員についての記事も多いです。ここでは無断欠勤をして解雇となった吉兵衛の精算のための書付をご紹介します(文政10年10月27日付)。

【現代語訳】
差入れ申す一札の事
吉兵衛は、私どもが人主、請人となりましてご奉公をさせておりましたが、この度吉兵衛が不埒なことをしでかし、奉公ができないことになりました。身代の借用分は全てお返しすべきところでありますが、日割をもってご勘弁下されるとのことで、金額は2両2朱43文をお支払い致します。金策をいたしましたが、用立てることができませんので、極月(12月)15日限りきっとお支払いいたします。念のために一札差し入れます。
文政十年十月
戸崎村 人主 利兵衛
同村  請人 弥治兵衛
同村  組合総代 <字欠>
田中  町請 勘兵衛
色川三郎兵衛殿


〈コメント〉
・現代であれば、示談書を締結すべきところですが、債務を負担する方から書面を差し入れるという形式をとっています。双方了解の上であれば、合意書と同様ですので合理的です。
・「この度吉兵衛が不埒なことをしでかし」というのは定型的な文言なのでしょう。吉兵衛は無断欠勤をして解雇となったのですが、事実を指摘するよりは「不埒」という一言で括ってしまった方が双方にとって都合が良かったのでしょう。
・奉公を始める際に一括して相当金額を受領するのは「身代の借用分」と認識されていました。給料の一括払いではなく、給料相当金額の前借りという理解です。
 中途解約となればその分返金しなければなりません。「身代の借用分は全てお返しすべきところでありますが」と書いていますが、ある程度働いたのであれば、日割りにするのが合理的であり、書付でもそのように合意されています。


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