南斗屋のブログ

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茂原市の近世の名主 高師村宇佐美家と立木村高橋家

2022年10月10日 | 歴史を振り返る
令和4年度 第1回テーマ展 「近世の名主 高師村宇佐美家(たかしむら うさみけ)と立木村高橋家(たちきむら たかはしけ)」に行ってきました。
展示期間
 令和4年9月17日(土曜日)~12月18日(日曜日)

茂原市の郷土資料館の正式名称は、「茂原市立美術館・郷土資料館 」で、美術館と郷土資料館が同じ建物内にあります。企画展ではなく、テーマ展と名付けているのは、常設の部屋の中の一角の展示スペースを使っているからのようです。常設展の展示コーナー替えという感じ。料金は無料です。

さて今回のテーマ展では、茂原市にあった村の名主を務めた二つの家がピックアップされています。高師村(現茂原市高師)の宇佐美家及び立木村(現茂原市立木)の高橋家です。

立木村の高橋家はこれまで同資料館でもしばしば取り上げられており、2000年には〈立木村名主高橋家文書にみる領主・名主と村〉という企画展が行われ、同名の図録が出版されています。また、2018年度には〈鶴枝の豪農 高橋家の人々〉というテーマ展も行われています。これらの企画・立案は、岸本洋岳学芸員が行っています。

もう一方の名主である高師村の宇佐美家ですが、初めて聞きました。「高師村の宇佐美家」でネット検索しても、あまり出てこないので、やはりこれまであまり注目されなかったのかもしれません。
大西洋を横断したリンドバーグが来日して、宇佐美家で撮影した写真が展示されていたりしたので、江戸時代だけでなくその後もかなりの有力な家だったようです。

宇佐美家出身者が茂原町長を務めたことがあったことも今回展示されていました。宇佐美平吉郎が、第4代茂原町長を1893〜1895年に務めています。この方、その後北海道に開拓に行ったと説明がされていたのですが、町長を務めた後になぜ北海道なのかや、どんな開拓をしたのかという説明がなく、謎が残りました。

そういえば、歴代の茂原町長について全く知らなかったなと思い、ググってみましたが、歴代茂原町長の一覧は残念ながら出てこない。安川寛三郎という方が1892年4月から1893年10月まで茂原町長を務めたとウィキペディアにありました。宇佐美平吉郎の任期から考えると、安川寛三郎が第3代茂原町長なのかもしれません。
 安川寛三郎はその後衆議院議員に当選。政界を引退後は北海道で開拓事業したとあり、ここでもまた北海道開拓事業が出てきました。どうやら茂原市の有力者層にこの時期北海道開拓ブームがあったのかもしれません。



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