南斗屋のブログ

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寛政12年9月下旬・伊能忠敬測量日記・蝦夷地測量編

2022年10月03日 | 伊能忠敬測量日記
寛政12年9月下旬・伊能忠敬測量日記・蝦夷地測量編

寛政12年9月21日(1800年)
朝から曇天・小雨であり、夜も同じ。朝七つ半に平館を出立。平館の村々の役人の案内を受ける。蟹田、蓬田(同所では止宿の家がある)、油川を過ぎ、青森に七つ半過ぎに着。
出立した道中で疲労を覚え、少し病気のようであるので、青森に逗留することとし、追触を出す。この夜、津軽家の江戸屋敷松野茂右衛門殿から7月18日付書状を受け取った。
〈追触の内容〉
一 昨21日に青森に着いたところ、病気であるので、本日22日は青森に逗留し、23日に出立するので、そのように心得て、止宿及び人馬の手配を執り行ってください。 以上
 申9月22日     伊能勘解由
           青森から森岡まで
村々名主・問屋・年寄 中
(コメント)
本日の旅程は平館(平舘;外ヶ浜町)〜青森(青森市)。平館の村役人は親切でチーム伊能を案内してくれました。本日も約40キロ歩いており、さすがの忠敬も疲れを覚えたようです。青森にて逗留予定。

外ヶ浜町役場 平舘支所 to 青森駅

外ヶ浜町役場 平舘支所 to 青森駅


   
寛政12年9月22日(1800年)
前夜から朝飯後まで雨、四つ頃から止んで曇天、夜まで度々小雨。(青森に)逗留。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日は予定どおり青森で逗留。終日雨の降る日でしたので、休息には丁度良かったかもしれません。休日はこの一日だけで、明日からはまた江戸を目指して歩き続けます。
                       
寛政12年9月23日(1800年)
朝から晴天、暮より曇り、その後晴れ。朝七つ半青森を出立。野内を通り、小湊に九つ半に着。止宿。この夜晴れたので測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は青森(青森市)〜小湊(平内町)。地図上では約26 km。往路では野辺地〜青森まで一気に行っていますが、忠敬の疲れを考慮してか、野辺地より手前の小湊で一泊。

青森駅 to 小湊駅

青森駅 to 小湊駅



寛政12年9月24日(1800年)
朝から晴れ。朝六つに出立。太陽の南中を観測する。九つ前に野辺地に着き、止宿(小湊から五里廿九丁十三間)。夜曇ったが、雲間に測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は小湊(平内町)〜野辺地(野辺地町)。日記では五里廿九丁強(23km強)。野辺地は現在は青森県ですが、江戸時代は盛岡藩。北前船で賑わっていた湊町です。

小湊駅 to 野辺地町役場

小湊駅 to 野辺地町役場



寛政12年9月25日(1800年)
朝から晴天。朝六つに(野辺地を)出立。九つ半ころに七ノ戸に着き、止宿。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は野辺地(野辺地町)〜七ノ戸(七戸町)。往路では五戸〜野辺地まで約46キロを一日で行っていましたから、ここでも短く刻んでいます(地図上では15 km)。日記もごくごく短いです。

野辺地町役場 to 七戸町役場

野辺地町役場 to 七戸町役場



寛政12年9月26日(1800年)
朝五つ頃まで晴れ、その後曇る。朝七つ半(七ノ戸を)出立。藤嶋を経て、五ノ戸に九つ後に着き、止宿。夜晴れて測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント) 
本日の旅程は七ノ戸(七戸町)〜五ノ戸宿(五戸町)。地図上では31 km。忠敬も元気が出てきたのか、距離が伸びています。夜に測量(天体観測)も行っています。

七戸町役場 to 五戸町役場

七戸町役場 to 五戸町役場




寛政12年9月27日(1800年)
朝五つ後より風雨、朝六つ後に(五ノ戸を)出立。浅水を経て、三ノ戸に九つに着き、止宿。宿は山邊源兵衛方である。夜も風雨であったが、雲の中測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は五ノ戸(五戸町)〜三ノ戸(三戸町)。地図上では22 km。往路では三ノ戸はスルーしたのですが、帰路では三戸宿に泊まるからと宿の主人山辺源兵衛と約束をしており(5月6日条)、その約束を果たして三ノ戸に止宿しています。「宿は山邊源兵衛方である」とさりげなく書いていますが、約束は忘れていないとの忠敬なりの表現でしょう。

五戸町役場 to 三戸町役場

五戸町役場 to 三戸町役場



山辺源兵衛との約束(5月6日条)。



寛政12年9月28日(1800年)
朝六つ半(三ノ戸を)出立。五つ過ぎから雪降る。金田の市まで来ると雪はますます降り五六分まで積もった。ここで中食。雪はその後やんだが、(平山)宗平と(伊能)秀蔵は道を間違えたようで追いついてこない。
かなり待ったが来ないので、金田市の村役人に依頼して、門倉(隼太)氏と共に先に行く。福岡を経て、一ノ戸に七つ後に着く。ほどなくして、(平山)宗平と(伊能)秀蔵も一ノ戸に着いた。夜も雪が少々降ったが、雲の中を測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は三ノ戸(三戸町)〜一ノ戸(一戸町)。地図上では22 km。ついに雪が降ってきてしまいました。五六分といいますから、2センチ弱くらいでしょうか。雪のせいもあるのか、平山宗平と伊能秀蔵は道を間違えてしまい、途中別々になってしまいました。

三戸町役場 to 一戸町役場

三戸町役場 to 一戸町役場



寛政12年9月29日(1800年)
朝六つ後に(一ノ戸を)出立。五つ頃雪が降り、七つ頃また雪が降った。一ノ戸から三里程で小憩。ここで中食としたが、この時も雪。七つ半後沼宮内へ着いた(一ノ戸から八里強)。止宿。夜測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は一ノ戸(一戸町)〜沼宮内(岩手町)。八里強(32 km)。本日も雪が降り続く中での旅。夜も雪の中、天体観測(昨日もそうでした)。雪の中を30キロ以上歩き、夜に天体観測までしており、忠敬の体調は完全に戻ったようです。

一戸町役場 to 沼宮内代官所跡

一戸町役場 to 沼宮内代官所跡



寛政12年9月晦日(30日)(1800年)
朝から暮まで晴れ。朝七つ半出立。四里余りで渋民。ここで中食。そこから五里弱で盛岡城下(南部大膳太夫・十万石)に七つ頃着。夜測量。
#伊能忠敬 #測量日記
(コメント)
本日の旅程は沼宮内(岩手町)〜盛岡城下(盛岡市)。地図上では35キロ。当時盛岡は南部藩十万石の城下町です。南部氏は大膳太夫を名乗っていました。本日盛岡に到着で、江戸にはあと20日ほどで到着する予定です。

沼宮内代官所跡 to 盛岡城跡

沼宮内代官所跡 to 盛岡城跡



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