南斗屋のブログ

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太田金次郎弁護士と阿部定

2021年03月29日 | 歴史を振り返る
(戦前の弁護士活動への興味)
戦前の弁護士がどんなことやってたかに、興味あるのです。特に、刑事弁護というのはどんなことやってたのか。今の刑訴法と戦前の刑訴法とだいぶ違うし。刑事弁護の考え方もだいぶ変わったんではないかと思うのです。

(太田金次郎弁護士の「阿部定と語る」)
それで、まず太田金次郎弁護士という方を見つけました。阿部定の予審調書を読もうと「
阿部定伝説」という本を手にとったのですが、この本の中には太田金次郎弁護士の「阿部定と語る」という文章が掲載されているのです。その名のとおり、太田弁護士が阿部定と接見したときのことを書いてあるのです。これ、今であれば大変なことになりますが(懲戒処分は免れないでしょう)、当時はそれほどでもなかったのかもしれません。そういうこと自体、結構衝撃的です。

(予審中の接見)
以下、太田弁護士の接見について見て行きますが、当時の制度が本当にそうだったかまで裏付けを取っていません。ですので、あくまでも太田弁護士が認識として見ていきます。
①予審判事の許可を得て接見
太田弁護士は、予審の審理中に阿部定と接見してるのですが、接見禁止中であったので正田光治予審判事に接見許可の申請をして、許可を得て接見したとあります。
今は、弁護人(又は弁護人になろうとする者)は、接見禁止決定があっても、裁判官の許可など不要で、接見できますので、この点は違ってます。
②看守の立会いがある
 接見も、自由にはできなかったようです。男女両看守部長立会いのもとに接見したと書いてあります。
今は、弁護人は看守の立会いなしで接見できます。
③予審段階だから事件の話しができない!
 「目下予審中で、法律上事件の内容につきお話ができないのは甚だ遺憾ですが、事実を隠蔽することなく赤裸々に心中を打ち明けて判事さんにはありのまを率直に申し上げなさい」と言ってまして、予審段階だから事件の話しができないとされています。
弁護人の予審段階での役割は何なのでしょうか…。
④接見の場所は、「市ヶ谷刑務所女囚接見所」
市ヶ谷刑務所は、1937年(昭和12年) 閉鎖(豊島区西巣鴨へ移転し、東京拘置所と改称)とのことなので、阿部定事件(1936年)のときはまだ市ヶ谷刑務所だったのですね。
⑤予審における被告人の最終陳述
 太田金次郎弁護士は、阿部定に最終陳述の機会について説明しています。予審における被告人の最終陳述というのはこのようなものだったのでしょうか。
・予審判事が被告人の尋問、証拠調べの全てを終了したときに行われるものである。
・被告人の最終陳述を聞いた後、予審終結決定が出される。予審終結決定は、公判に付する決定、免訴決定がありうる。
・予審判事は、予審のまとめを行う。即ち、被告人に対する公訴事実はかくかくで、これに対する被告人の供述はかようである、証拠調べをしたところこの証人はかく証言している、またあの証人は被告人の供述と相違してかように述べている、物的証拠というのはこれである、今日をもっていよいよ証拠の取り調べを終了するが、最後に被告人として何か言うことはないか、証人の証言に意見はないか、利益な証拠があれば提出もできるがどうかと言われる。
・これに対し、被告人より最終的に今までの申し立てに訂正を加えるとか、証人の証言が相違しているとか、なおこういう利益な証拠を調べてもらいたいという陳述ができる。これを法律上、被告人の最終陳述という。


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