リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年3月~その2

2011年03月21日 | 昔語り(2006~2013)
日本よ、沈没するなかれ

3月11日。金曜日。咳き込みがひどくて、あまり眠れないままで起床。特に夢は見なかったけど、幼い頃からいろいろと経験した地震の記憶がじわじわと滲み出して来るようで、夢を見るほど深く眠れなかったということかな。東京周辺の親しい友達やクライアントの無事はかなり早くに確認できたけど、妹一家の状況がわからない。電話しようと思ったけど、ローカルの日本語掲示板をチェックしたら、国際電話の回線が込んでいて通じにくいいうことだったので、あきらめてメールで問い合わせ。でも、いつもすぐには返事が来ないし、夕食時間でもあるしと思って、返事が来る前にシャットダウンしてしまった。同業者のメーリングリストに日本在住の会員が自分たちの状況を投稿していて、同じ区に住む人が「棚のものが落ちて散らばっている」程度と書き込んでいたので、大丈夫だろうとは思ったけど、やっぱりどうしても気になったんだろうな。だって、遠く離れていてもたったひとりの肉親なんだもん。

起きて一番にメールをチェックして、妹一家の無事を確認。地震多発地帯で生まれ育った彼女が今まで経験したことのない揺れ方だったというから、ほんとにすごかったんだと、改めて実感。ずいぶん長いこと揺れたらしい。今日のテレビのニュースは日本の巨大地震と大津波の被害を伝えるのに相当な時間を割いている。地元の正午のニュースも1時間のうち15分くらい費やして、地元の日本人移民や語学留学生が日本の家族と連絡を取ろうとしている様子を流していた。春休みの時期ということもあって、「修学旅行」の高校生たちが地震発生直後で乗っていた飛行機が成田に着陸できず、札幌で立ち往生しているということだった。

朝食後からずっと1日。PCの前に張り付いて、ニュースサイトを行ったり来たり。太平洋プレートと北アメリカプレートがぶつかる境界で数百キロもの長さの断層が破壊されたらしいという話を読んで、昔ベストセラーになった小松左京の『日本沈没』を思い出した。最初のほうで、潜水艇に乗った学者たち?が崩壊する大陸棚を見て、日本列島は太平洋に沈むと予知していたと思う。もっとも、プレートの配置から見ると、本州の中央あたりで北アメリカプレートとユーラシアプレートに分かれているから、日本列島がそっくりひっくり返って沈没することはありえないように思うけどな。太平洋プレートとの境界でのことなら本州の東半分と北海道、フィリピン海プレートの境界でのことなら本州の西半分と九州が沈むんじゃないのかな。本州の真ん中には日本海側から太平洋側まで「フォッサマグナ」という巨大な断層が走っていると子供の頃の理科で習って、本州が二つに折れてしまわないのかなあと、つらつら考えていたんだけど。

津波警報が出ていたバンクーバー島西岸では1メートル弱の津波が観測されたそうな。カリフォルニア州北部では何人かが津波にさらわれて、1人が死亡、1人が行方不明だそうで、警報が出ていたのにわざわざ津波を見に行ったらしい。たぶん、押し寄せる津波を撮影してユーチューブにでも投稿しようと思ったんじゃないのかな。馬鹿につける薬はないというけど、インド洋の大津波の映像を見てなかったのかな。それとも、あの映像に刺激されて「オレも」ということだったのかなあ。命あっての物だねだってのに。

津波の惨状の画像だけでも胸が痛むのに、今度はひょっとしたら原子力発電所からの放射能汚染の可能性。日本のような地震大国になぜそんなに原子力発電所があるのかといつも思うけど、今回の地震は安全システムが想定した規模を大きく上回っていたと言われても、何だかなあ。たとえマグニチュード9の地震を想定して設計しても、それは「設計強度」であって、それを超える地震が起きないという保証は付いて来ないし、自然が相手ならなおさらのこと人間の想定通りには行動してくれないし・・・。これから原子力発電だけじゃなくて、エネルギー利用そのものを見直すようになるのかな。

少しは仕事をしなきゃと思って、ファイルを開いてみたけど、手をつけようという気分になれなくてやめた。だって、研究テーマはもろに「地震」。なぜかいろんな思いが交錯して揺らいでいる気持が静まるまで、あと1日。か2日。は実質的に開店休業ということかな・・・。

鎮魂、祈り、そして未来の希望

3月12日。土曜日。雨が降ってるなあ。安否が気になる人たちの無事を確認して、とにかくひと安心。おかげで咳き込みもなく、けっこうおyく眠れた。トレッドミルの運動もする気にならずにサボっていたのに、体重はちょっとだけダウン。こういう減り方はあまりいいとは言えないけど、やたらとおなかが空いて1日。4回くらい食べていてこの状況というのもあまりいいとは言えないかな。

まだ仕事をするに気になれないから、今日も休み。カレシは「向こうで少し落ち着くまでは商売はヒマかもしれないねえ」とのんきなご託宣。それでもいいんだけど、希望的観測にならないともいえないな。阪神大震災のときもそういって言っていたけど、よく考えてみたら、仕事量が殺人的なレベルに増えたのはあの後だった。それと一緒にワタシの収入も(税金もだけど)うなぎ上りに増えて、ピークにはカレシの3倍近くにもなって、ワタシの人生がこんがらがって、とうとう燃え尽きてしまった。今さらまたあの頃のワーカホリックは戻りたくないよね。「アナタの年金で養ってよね」と言ったら、「う~ん・・・」。おい、こらっ。

まあ、あの頃とは仕事の様相がかなり変わっているから、また仕事量が増えるのか、あるいは逆にこのまま先細りになるのか、そのあたりは神のみぞ知る。電力不足で「輪番停電」というのを実施するらしいから、少なくともここしばらくは低空飛行かもしれないな。もう10年くらい前かな、カリフォルニア州でエンロンなどの投機やら詐欺商法やらの狂騒の挙句、ひどい電力不足に陥って「rolling blackout」が盛んだった。電力料金も急騰して、会議で泊まったホテルの請求書には、航空会社がやっている燃料サーチャージと同じように「電力サーチャージ」なるものが上乗せされていた。まあ、もしも21年のキャリアで最低だった2003年のレベルまで落ちたら、そのときはまた「劇作家の卵志望の夢」を追えばいいんだし、下手の横好きの絵を描けばいいんだし、あと2年と1ヵ月とちょっとになった「年金受給開始」までゆるゆると下降していけたらめっけものかも・・・。

今夜はバンクーバー交響楽団のMusically Speakingシリーズ第4回目で、テーマはスペイン。メインはロドリゴのギター協奏曲『アランフエス』。美しいアランフエスを描写した第1楽章、死んで生まれた子への鎮魂と重症の病の床に着いた妻への祈りの第2楽章、そして未来の希望を前向きに思い描く軽やかな第3楽章。ゲスト指揮者のジョン・ラッセルと若いギタリストのダニエル・ボルショイが登場して、「この曲を甚大な悲劇に見舞われた日本の人たちに捧げます」とアナウンス。ポピュラー音楽としてもよく知られている第2楽章は切な過ぎるくらいに美しい。自然と目頭が熱くなってきて、涙がこぼれそうになる。日本の人たちに鎮魂と祈りと、未来の希望・・・。

休憩時間にギフトショップをのぞいたら、前回のコンサートのときにもう少しで買いそうになった黒のオペラジャケットがまだあったので、今回は迷わずにいただき。ちょっと毛皮っぽい光沢のある地に襟から裾までぐるりと黒いレースの縁取り。支払をしていたら、二人連れのおばさまが「まあ、うらやましい。それ、欲しかったのに着られなかったの」と言い出した。先月のコンサートで見てから忘れられなくて~と言ったら、しまいに「着ているところを見せて」と言うから、着てみたら、「あなにはすごくお似合い。うらやましいわ~」と、お世辞なんだか、羨望なんだか。60年の人生でこんなにべたべたにうらやましがられたのは初めてだな。なんだかちょっぴり付け焼刃のセレブ気分。でも、サイズが合わないんでは「ど~ぞ」と譲るわけにも行かない。下がっていた札のサイズは「S」。たぶんそのせいで売れないでいたのかもしれない。

コンサートの第2部はマヌエル・デ・ファーリャの『三角帽子』組曲の第1と第2を通しで聞き、最後はシャブリエの『エスパーニャ』。第1部で聞いたリムスキー・コルサコフの『カプリチオ・エスパニョール』がリオハの赤ワインなら、こっちは白ワインというところかな。最後はみんなすっかりスペインの気分になって、マエストロが盛大にバトンを振り切ったところであちこちから「オーレ!」の声がかかった。やっぱり、ちょっと気持ちが塞ぎがちなときには、いい音楽は効果てきめんの特効薬だなあ。さて、明日あたりからぼちぼちと仕事にかかろうかな・・・。

たとえば不要不急を見直して・・・

3月13日。日曜日。今日から「夏時間」。いつもながら、公式の春である春分の日までまだ1週間もあるのにサマータイムもへったくれもあるか~と思う。コンピュータも含めて切り替えが自動設定されているキカイ類は午前1時59分からいきなり午前3時になる。就寝は午前4時。まあ、表面的には普通の時間だけど本当は1時間早い。それでも起床は正午過ぎだったから睡眠8時間を確保したということかな。切り替え時間を日曜日の午前2時にしたのは、日曜日1日。あれば体内時計を調節できて、月曜日の労働には支障はないはず、ということだったんだろうけど、夜も眠らぬ24時間体制の21世紀にはちょっと時代遅れかもしれない。標準時がたったの4ヵ月で、特別の夏時間が8ヵ月も続くなんてアホくさ。いっそこのままにしてくれるといいのになあ。

東京圏では電力不足で今日から「計画停電」を実施することにしていたそうだけど、どたんばになって需要が供給を下回っているとか何とかで停電はしないことにしたけど、後で場合によってはするかもということになったらしい。ひょっとして停電しないと聞いた人たちが「なあんだ」といっせいに電源を入れたんじゃないだろな。ぎりぎりまで決定ができなかったり、発表に間違いがありすぎたりで、首都圏のラッシュアワーの交通は大混乱したというから、計画性のなさ過ぎもはなはだしい。できるだけ客に不便をかけたくない、できることならしないで済ませたい、という企業心理はわかるんだけど、この「ぎりぎり思考」を何とかできないものかなあと思う。事故原発で海水注入に踏み切るまでに無駄に過ぎた時間と同様に、ぎりぎりまでぐずぐずして問題を増幅してしまっているんじゃないかと思う。現代の都会人はマニュアル化に慣れているだろうから、いっそのこと「今週の停電時間割」みたいなのを決めて、後は電力供給に余力があろうがなかろうが予定表通りに停電を実行するほうがうまく行きそうに思えるけど。

それにしても、大都市というのは見かけによらず脆いもんだと思う。一極集中といわれて来た東京圏の場合は、物資やエネルギーといったその原動力を本質的に「地方」の人たちによる生産に依存しているのにもかかわらず、その生活の豊かさに驕って地方(いなか)を下に見て来たことは否定できないだろうな。今その物質的な繁栄を支えて来た「地方」が壊滅的な状態になって、大都会の依存体質のようなものが露呈したということかもしれない。人間の場合は、他人への依存志向が強い人ほど、実際に依存している相手を貶めようとする傾向があると思う。世の中はあらゆるものがどこかでつながっていて、そこでは貴賎も優劣もなく、一方が存在しなければ他方の存在意義がなくなる。地方がエネルギーや物資を生産していたから、大都市では電車が時刻表通りに走り、スーパーには食品が溢れ、華やかな都会生活があったということで、一種の「Day of reckoning」として考えてみる機会になるんじゃないかと思うけど、ま、喉もと過ぎれば何とかというから、果たしてどうかなあ・・・。

菅さんは第二次世界大戦以来の国難だと言っているそうだけど、戦争があったのは平成っ子に「ダサい」と鼻先で笑われる昭和時代のそれも前世紀の前半のこと。戦争中と戦後の窮乏生活を体験した人口もかなり少なくなっているだろうから、あの頃の暮らしの知恵を伝授できる人たちがいったいどれだけいるのか。よく考えたら、便利さを追求してきたのが人間だけど、便利すぎて「非日常」への適応力を失いつつあるとしたら、知らないうちに過去60年間のどこかの時点で「最大限」を通り過ぎてしまったのかもしれないな。戦後まもなくの窮乏ぶりを実際に体験した親の世代から聞いたり、読んだりして育ったワタシだって、いざというときにそういう生活にどれだけ耐えられるのか見当もつかない。それだけ日常の便利さと豊かさに慣れ切って、流されつつあるということか。まずは、日常に「不要不急」なことがどれだけあるかを見直すところから始めてみようかな。それでも、無駄をしないことが習慣になるには時間がかかりそう・・・。

天罰の下しどころが違っている

3月14日。月曜日。ちょっとまだ時差ぼけ風の気分。飛行機で太平洋を9時間くらい飛んで、時間が16、7時間違ってもそれほどひどい影響はないのに、見慣れた時計がたった1時間変わっただけでしばらくもやもやするのは不思議だけど、あんがい「見慣れた」時計、見慣れた景色だからかもしれない。いきなり1日。の長さが、それも1日。だけ23時間になってしまうんだから、体内時計が混乱してもおかしくないな。まあ、失われた1時間は晩秋の11月に取り戻せるんだけど・・・。

今日もニュース番組は日本の巨大地震、大津波、原子力発電所の危機の報道でいっぱい。太平洋の反対側にあるバンクーバーは特に原発問題に関心が高くて当然だろうな。もしも大気中に放射性物質が大量に放出される事態になったら、約10日。でここまで届くという話だった。(カナダのメディアがこういうことを言うと、ダウンタウンあたりにたむろしている「海外在住日本人」がカナダ人は自分たちのことしか考えていない、身勝手だと言い出すからおかしい。カナダ政府が日本からの要請がまだ来ていないからと救援チームの派遣を控えているのに、カナダは何もしていない、ケチ云々と来るからつい失笑してしまう。貧乏だとかダサいとかぐうたらだとかさんざっぱらこき下ろしておいて今さら何なんだろうね。最近はこういうにいちゃんねる的な手合いが多いような気がする。まじめな人たちには迷惑なことだろうけど、そういう非生産的な同胞ニートの吹き溜まりになっているのかもしれないな。ま、これは余談・・・)

東京ではかの知識人知事氏が「天罰だと」とのたまわって撤回、謝罪するはめになったとか。こういう手合いもどこにでもいるんだよなあ。まあ、大地震津波が我欲を戒めるための天罰だったのなら、日本の我欲の中心みたいな「東京」に下るのが妥当だと思うんだけど、人間というのは非日常のときにこそ、その本性が言動に露呈しがちだから、知事氏の発言もそういう類だろうと方をすくめてやり過ごすのが一番だろうな。東京ではあちこちで買いだめによる品不足が起きていて、「売り惜しみ」の懸念さえ出ているらしいけど、それも人間の本性の表れ。ひとりや二人がやっているなら個人が顰蹙を買うくらいのことだけど、たくさんの人が我勝ちに走り出したら問題になる。品行方正な日本人はスーパーを襲って略奪するようなことはしないかもしれないけど、買いだめだって、代金を払っているから合法というだけのことで、その身勝手さにおいては略奪とあまり差がないように見える。ま、誰だって生き延びたいという本能があるのも確かで、最終的にはそれぞれの「我欲」の発露ということになるのかあ。

今日は家族や友達から「日本にいる妹さんは、お友達は大丈夫だった?」というメールや電話が次々に来た。みんな週末中ニュースを見ていて、ワタシが生まれ育った国で大変なことが起こったことをよく理解して、「日本の人たちに」と哀悼の意を表してくれている。そうやって心配してくれて、ありがたい。さっそく「みんな大丈夫だったよ。ありがとうね」と返事を出した。義捐金の募金運動も盛んで、カナダ赤十字だけでもすでに100万ドル以上が集まったそうだし、その他にもいろんな団体が募金活動をしている。電話会社は特別の番号を設けて、そこに電話をすると一定額の募金を自動的に電話料金に加算するしくみを作ったそうだし、同様にあちこちの店で買い物をするとレジで募金するかどうか聞かれるようになるだろうな。「イエス」と言えば、1ドルなり2ドルなりが買い物の合計金額に加算される。ハイチの大地震のときにもスーパーでそういうのをやっていた。カナダ人だってみんな心を痛めて、犠牲者に祈りを捧げて、これからの再建を応援してるんだってば。

買い置き、買いだめ、買占めはどう違う?

3月15日。火曜日。雨模様。正午過ぎまで、寝すぎ。今日も日本の状況を心配してくれている友達や家族から電話がちょこちょこと来る。みんな日本の地理(というよりも日本のこと)には疎いもので、東京のすぐ隣町で原発が爆発したのかと思ってしまうらしい。もっとも、ワタシもあの辺(というよりも津軽海峡以南)の地理には結構疎いもので、手首を捻挫しそうなくらいに重い大世界地図帳を開いて、拡大鏡で見て初めて東京っと茨城、福島の位置関係がわかったので、人様のことは言えないな。ま、モントリオール五輪のときに、日本の人にまるでバンクーバーの隣でやっているような質問をされて面食らったから、知らないことではお互い様ってところだけど。

朝食後すぐに洗濯機を回し始め、トラックで遠いほうのスーパーへ野菜と魚の買出し。山積みになっている野菜類や隙間のない商品棚を見ながら、「買い置き」と「買いだめ」、「買占め」はどう違うんだろうと考えた。「買い置き」というのは誰でも日常的にやっていることだと思う。要するに「備蓄」というやつで、それだったら、どこの政府も非常時に備えて貯め込んでいる石油やら小麦やら米やらはれっきとした「買い置き」ということになる。昔から「備えあれば憂いなし」と言うし、カナダでも災害に備えて72時間生き残るための非常用パッケージを用意しろと言われているから、「買い置き」は美徳なのかもしれないな。電球が切れたらすぐ取り替えられるように予備の電球を買っておいて、切れて取り替えたら使った分を補充して次に備える。あるいは、週に1回しか買い物に行けないから、常に1週間分の必需品を買っておく。こういうのは人間の日常生活における世界共通の知恵だと思う。

その知恵のある人間が何らかの非日常に遭遇したときに走るのが「買いだめ」。アメリカだって、ハリケーンが接近すれば、スーパーに水や非常食を大量に買おうとする客の行列ができる。買い物ができない状況や不足が一定以上続くと予想されるから、それに合わせて今必要な量を貯めておこうというもので、この場合は「不安」という共通要素があるから、みんながいっせいに同じことを考える。おかげで、早い者勝ち、お金のある者勝ちの、極端な表現では「弱肉強食」に近い状況が生まれることもあるだろうな。今の日本で言うなら、被災地では輸送や暖房の燃料が足りなくて困っているのに、「いざということに(自分が)逃げ出せるように」と、あちこちを走り回って行列してとにかく満タンにしようとする光景がそうかもしれない。北米でもガソリンの価格が急騰すると少しでも安いところを求めて車を走らせる人たちが出てくるけど、それだけ余分に貴重なガソリンを燃やしている、たとえば50円安く買うためにわざわざ遠くまで走らせて50円分のガソリンをよけいに消費しているかもしれないということには思い及ばないらしい。「安物買いの銭失い」の一種なんだろうな。

それでも人間はなくなるかもしれない、買えなくなるかもしれないという状況になると買いだめをする。日常生活に必要なものであれば、使ってなくなったらおしまいなんだけど、「ある」ということに安心感を覚えるんだろうな。人によっては「他人が手に入れられないもの」を手に入れたという優越感を覚えることだってあるかもしれない。日本では新型インフルエンザでパニック状態になった人たちがいっせいにマスクを買いに走って今と同じ品不足が起きた。そのときに、ネットのあちこちにマスクが相当な価格で出回ったという。必要以上に買って儲けを出そうというわけで、ここまで来たられっきとした「買占め」、いわば経済的な略奪ということになるだろうな。かってのトイレットペーパー騒動のときも、どこかで大きな倉庫に買い占めたペーパーを隠していたのが発覚したケースがあったけど、天井までぎっしり詰め込まれた段ボール箱の映像は壮観で、ただただ唖然としたっけ。

今は空っぽの商品棚の映像に煽られてパニックになっている人が多いんだろうけど、非日常の環境ではその人の本性がつい現れがちだから、長引けばみんな互いに疑心暗鬼になってくるかもしれない。小町の投稿にあった「懐中電灯を50個くらい買ったおじさん」、いくらたくさん懐中電灯を買い占めたところで人間性はちっとも明るくならないんじゃないかと思うけど・・・。

うまく欲を張るのはけっこう難しい

3月16日。水曜日。どよんと疲れて眠い。時間が変わったせいばかりでもないのかな。それでも、シーラとヴァルが掃除に来る前に間に合って起きて、朝食。(まあ、シーラは鍵を持っているから、寝過ごしても勝手に入ってきてアラームを解除してくれるから別に問題はないんだけど。)今日は二人とも開口一番に「みんな、大丈夫だった?」うん、大丈夫、大丈夫。で、ひとしきり原子力発電の話になって、どうして大地震が起きる日本に原発を作ったのかと聞かれても困るんだけど、最後は「あんな危ないものいらない」という結論になった。たしかに、世界で唯一核兵器の惨禍を経験して、あれだけ核実験反対、核兵器廃絶を訴えて来た日本が今度は自家製の「核」の危機に晒されているというのは皮肉な気がしないではない。(テレビではオンタリオ州にある原発でごくごく微少な放射能漏れがあったと報道していた。ついでにケベック州とオンタリオ州にわたってちょっとした地震があって、首都オタワでも揺れたという。ピリピリしていることは確かだ。)

放射能が振ってくるかもということで、このあたりでもよう素系のサプリなどを買いに走る人がかなりいるらしい。アメリカ西岸でもそういう現象があるらしい。要するに、こういうときの人間の反応や行動は人種も何もなくて、合理性も何もすっかり忘れて、ほんとに条件反射としか言えないレベルにリセット?されるのかもしれないな。よう素剤なんか差し迫った必要もないのに服用していたらかえって健康に良くないのに。きのうのガソリン代を50円節約するために50円分世敬意に使うのと同じようなことだろうと思う。木を見て森を見ていないというか、視野狭窄的だと思うけど、それが二十一世紀の人間空間なのかもしれない。

小町に立っている「買占め」のトピックの書込みを読んでいると人間心理の観察になる。300本以上の書込みでやっと誰かが「メディアが煽っているのでは」とコメントしていたけど、当たっているだろうな。画面いっぱいに「商品棚が空っぽです!店が空っぽです!モノがありません!みんな何かを買おうとして押しかけています!」とキイキイ声でやられたら、世のチキンリトルたちは「お空が落ちてくる~」と騒ぐのも当然だろうに。何でも「断捨離」とかいうブームでモノを持たないのが流行っていて、それで非常用の買い置きさえない人が多いという人もいる。(そういえば、彼氏を「断捨離」したいというトピックもあったなあ・・・。)つまりは、物欲(我欲)を断ち、捨て、離れることで運が向いてくるとか言うご託宣があったんだろうけど、モノを貯め込まずに、必要なときに必要なものを(即ゲット!)というのはご立派だけど、非常f時の備えは「オンデマンド」というわけにはいかないと思うけどなあ。

そんなことを斜めに構えてつらつら考えていたら、円レートが急上昇。ついでにバカ高くなっていたカナダドルの対米ドルレートも下がって来た。しめしめ、日本の銀行に払い込まれて、かなり貯まっている翻訳料を生活通貨のカナダドル口座に移動する絶好のチャンスと(ワタシなりに我欲を発揮して)張り切ったら、口座のある銀行がシステム不具合でダウン。おまけにアメリカドルで送金してくる客先も同じ銀行を使っているもので、支払日の送金がまだ処理されていないと連絡して来た。外国為替の取引はまだ処理できないでいるらしい。あはは、こんなときにヘンな欲を出したから、神様に見られちゃったんだ、きっと。幸い今日明日に入金しなければすぐにどうこうというわけじゃないからいいけど、うん、欲張りってなかなかうまく行かないもんだなあ・・・。

断捨離の後は昭和の暮らしはどう?

3月17日。木曜日。いい天気。いい気持ちで眠っていたら、先に起き出していたカレシにこちょこちょとくすぐられて、「昼だぞ~」と起こされた。あ~あ。

昼のテレビニュースを見たら、今日はカナダドルが上昇。日本円は各国政府の介入がありそうだから、こっちはまた下がりそう。投機的なことで儲けようとしたら、夜も寝ないで相場を監視していないとダメってことだけど、ワタシはそんなことをやっているヒマはないな。たまたま機会があって、たまたま運良くいくらか想定外の利潤が上がったらそれでハッピー。(宝くじで大当たりしたら、そのお金を管理するだけでもフルタイムの仕事になるという話があった。)株式や外国為替市場は当面かなりの乱高下だろうから、ヘンな欲は出さないほうが無難・・・。

午後はやっぱり気になるからニュースサイトを巡回。ふむ、外国メディアのサイトには「大災害に瀕してなおストイックで冷静な日本人」みたいな記事がけっこうある。まあ、たしかに商店の略奪なんて光景はない。今の日本にはお金があるからモノがあれば買えるけど、災害や内乱のたびに略奪が起こったり、難民がどっと移動するところでは買いだめや買い置きをしたくても先立つお金を持っていない人が多い。それで払わずに持ち出すわけで、個人がやれば万引き、みんなでやれば略奪。やっぱり首都圏の買いだめなんかも経済的な略奪に匹敵するような気がするな。でも、日本だって江戸時代には飢えた庶民が米問屋を襲って略奪した歴史があるから、できないわけじゃないし、極限の状態になればやると思う。西洋人が自分たちの目を通して見た日本人の美徳を持ち上げてくれるのはいいんだけど、日本側のニュースサイトを見ると、震災にかこつけた詐欺や窃盗が頻発しているそうな。学校の非常備品を盗んだり、他人の車からガソリンを抜き取ったり、被災者を思う心情に付け込んで振り込め詐欺や募金詐欺をやったり、みんながみんな法を守って粛々と災害に立ち向かっているとうわけではない。外国メディアは彼らの目に見えること、つまりは「建前」だけしか報道していないということでもあるかな。

それにしても、被災地でもないのにカップラーメンや麺類やパスタを大量に買い込んでいる人たちは、いざ自分のところで災害が起きて電気もガスも水道も止まってしまったら、それをどうやって食べるんだろうな。パスタ類はゆでるのに大量のお湯を沸かさなければならないし、即席めんだって同じことじゃないのかな。冷凍食品だって、冷蔵庫についている冷凍室では溶けるのが早そうだし、貯蔵用の強力なフリーザーでもせいぜい3日。か4日。。我が家は魚がどっさり入っているから、カレシは非常事態になったら「サシミを食いつなげばいい」とのんきなことを言っているけど、ふむ、夏の乾燥した時期なら塩を振って日干しにすれば少しは長く持つかな・・・?

災害による大規模停電となると、これからエコカーとして普及しそうなプラグイン充電型の電気自動車も困ったことになるかもしれないなあ。そのまま走っていて電池が切れたらどうすればいいんだろうな。自家発電式の給電ステーションみたいなものを作ることを考えなければならないだろうと思う。エコ運動そのものが「電気」というエネルギーが常にあるという前提で進んできたのかもしれないけど、水や食糧は汲み置き、買い置きができるけど、電気ばかりは大型化、強力化する家電や機器を動かせるだけを家庭で蓄える手段が普及しているとは言えない。目には見えないものだから、ないという感覚がつかめないのかもしれない。まあ、最後にはいろんなことが手動で操作ということになりそうで、電気のありがたさが身にしみてきた。(でも、原子力発電はやめとこうね。)

もっとも、ワタシが子供だった昭和半ば過ぎの(大)昔は、庶民の毎日の生活がおおむねそんなもんだったと思うな。自家用車なんて金持でさえ持っているとは限らなかったし、電話もどの家にもあるものじゃなかったし、冷蔵庫だって我が家に登場したのは1960年前後だった。今流行の「断捨離」とやらを実践したくても、元から不用品があまりなかったのがあの時代。だけど、あの頃の「昭和」の人は特に不便な生活だとは思っていなかった。ま、50年後の「便利さ」を知る由もないから当然なんだけど、便利になりつつあることは肌で感じていても、みんなけっこうあれやこれやと工夫をしていたと思う。

まあ、高度経済成長時代より前の、「昭和の暮らし」も悪くないだろうと思うから、断捨離が一段落したら、ちょっとやってみる?

行動力はあるのに決断できない人たち

3月19日。土曜日。どうしても睡眠時間の半分くらいのところで咳の発作が始まって目が覚める。ひとしきり咳をしていると気管が充血でもして潤うのか、水っぽいタンがたくさん出てやっと治まる。そこで改めて眠りについて、短いながらもなんとか熟睡。精神的になかなか集中できなくて進まない仕事が終わって疲れていたのか、今日の目覚めは午後12時50分。春らしい好天。道路向かいの桜は2分咲きくらいかな。東の方へ見える限り続く桜の並木もぼやっとピンクにかすんで見えるし、前庭と裏庭のレンギョウも黄色い花をたくさんつけている。ああ、春・・・。

リビアでの空爆作戦が始まって、テレビの原発関連のニュースはかなり減った。それにしてもフランス空軍機が一番乗りというのはちょっと皮肉に聞こえるな。きのう、イギリス政府の最高科学顧問(というのかな)がフランス政府が放射線を浴びる危険があるからと日本にいるフランス人によう素剤を配ったり、東京からの退避させることを決めたのは「科学的根拠に基づいていない」と言っていて、同じサイトに誰かが載せた「白旗を持ったフレンチプードル」を思い出して笑ってしまったのだった。サルコジはメンツ挽回を狙ったのかな。それにしても、世界が福島の原発危機に釘付けになっているうちに、いつの間にかリビア空爆に国連のOKまで取り付けたのは誰なんだろう。

野菜や水道の水から放射性物質が検出されたと大々的に報道されている。カリフォルニアでも放射性の粒子が飛んで来たといって騒いでいた。ドラッグストアや健康食の店の棚からよう素入りのサプリが消えたそうな。保健当局がよう素の摂りすぎは健康上危険だと注意しても、まあ、すぐに「怖い!」と反応するような人は元から聞く耳は持っていないかもしれないけど。テレビに映る顔はけっこう若い。ということは、大国がこぞって大気中で核実験をやっていた頃にはまだ生まれていなかった人たちか。アメリカとソ連は自国の上空でやったけど、太平洋に散らばる環礁などはアメリカもフランスもイギリスも核実験場にしていた。

あの頃も大気中核実験があるたびに放射能が降って来ると大騒ぎしていた。セシウムとかストロンチウムとか小学生でも怖いものを代表する言葉のような感じで使っていたな。大気中に拡散した放射性物質の量は相当なものだったろうから、子供だったワタシが浴びていた1年間あたりの放射線の量も今の国の基準をずっと超えていたんじゃないかな。(だいたい安全基準なんてものがあったかどうか知らないけど。)ちょっと調べてみたら、セシウムが1㎡あたり2500ベクレルくらい降った年もあるらしい。それに比べたら、グラフの離れたところにあるチェルノブイリ事故の降下量はごく微量。(こうやって数字を挙げても理解できる人は少ないと思う。ワタシも危険な量だったのかどうかわからない。)だけど、チェルノブイリ関連でガンになった人たちは放射線を浴びたためというよりも、何も知らされないままに汚染された土壌で栽培した食料を食べたり、汚染された牧草を食べた家畜の乳を飲んでいたためだと言われる。それでも、茨城のほうれん草の放射能は1年食べ続けても1回のCTスキャンの放射線量の半分にもならないそうな。日本の医療ではけっこう簡単にスキャンをしてもらえるという印象だけど、判断に不可欠のデータを隠されてはたまったもんじゃない。それでも、むやみに不安を煽るような発表や報道もどうかと思う。みんながピリピリしている今、「基準値を超える放射能」と聞いただけでパニックになって、後に「健康に害はない」と続いていても、誰もそこまでは聞かないんだから。

まあ、ある状況でどうするかを決断するにはその状況やデータを分析するそれなりの力が必要だと思う。日本人はいったんこうと決めたらびっくりするような行動に出られるんだから、決断力も行動力もちゃんとある。日本政府も企業もマスコミも頼りにならない印象なのは、どうも情報や状況を分析する能力が足りなくて、なかなか決断に踏み切れないからじゃないかと思う。自分の頭で考えなくても、稟議みたいに「みんな、どう思う?」とぐるりと意見を聞き回して、批判されなくてすみそうな、責任を問われずにすみそうな、とにかく無難そうな決断をする心地よい習慣ができているからかもしれないけど、秒単位で情勢が変わる今の世の中で、それでずっとやっていけるのかなあ・・・。

私は満月に向かって吼える狼

3月20日。日曜日。ゆうべはすごく大きな満月だった。月の軌道が地球に最も接近する18年ぶりの「スーパームーン」だそうで、ふつうの満月よりも14%大きく、30%も明るく見えるとか。二階では窓から差し込む月明かりだけで本の扉の大きな活字のタイトルが読めたからすごい。西洋には満月の夜に月の光に当たると気が狂うという言い伝えがあって、「lunacy(狂気)」という言葉の語源にもなっている。天体観測にこっていた20代の頃、望遠鏡に広角レンズをつけて昇ってくる満月を見たことがあって、視界から溢れそうな月面を見ているうちに叫びたい衝動に駆られて怖くなった。ひょっとしたら、あのときにワタシの思考経路の配線が少々狂ったのかもしれない。でも、ゆうべのスーパームーンはすごく明るくて、きれいだった。

先週の仕事はテーマがタイムリーすぎて気乗りがしなかったけど、今日からはまたごくふつうのビジネスの仕事。東京では福島の原発危機の影響で商談などがストップしたために、通訳の案件が軒並みキャンセルになっているらしい。通訳はその場にいなければならないから、人が動かなくなると商売にならない。1991年にイラクのクウェート侵攻がきっかけで湾岸戦争が勃発したときは、決まっていた同時通訳の仕事がドタキャンになった。日本からの参加者がみんな旅行を取りやめたためで、フリーになってまだ11ヵ月しか経っていなかったワタシはお先真っ暗の気分。それでも経済活動は続くから、翻訳の仕事はあった。人間の営みはどんな時でもコミュニケーションを絶やすことができないから、the show must go on。

大地震から10日。で、テレビのニュースはリビア情勢がトップ、次いで日本の地震。原発の冷却作業は毎日ほぼ同じ光景だからか、あまり時間を割かなくなった。そのほぼ同じ光景の中で、最初に見たときからワタシの記憶に焼き付いているのが、原子炉の建屋の外壁の模様。青空に白いひつじ雲がふわふわと浮いている(としか見えない)。クリーンでエコなエネルギーを生産している工場というイメージのつもりだったのかもしれないけど、爆発で骨格だけになった部分との対照がすごく印象に残った。原発のニュースが減った代わり、津波の被災地の様子や救援・復旧活動の「ストーリー」が増えて来た。日本のマスコミはなぜかあまり外国からの救援隊の活動を報道しないので、海外にいて日本の情報を日本のマスコミに頼っている日本人たちの中には、滞在国の政府が自国の人間の安全ばかり考えて日本の被災者のために何もしてくれていないと不満をもらす向きもあるらしい。どこの国も自国民を優先するのは当然だと思うし、あまりにも次々と災害が起きている日本のマスコミだって日本人のことで手一杯なんだろうけど。

原発と放射能にばかり集中している(ように見える)日本のマスコミの報道姿勢についてちょっと思ったことを言ったら、日本のテレビを1日。見てみろと言われてしまった。そう言われても日本にいないワタシには見られるわけがないんだけど。見られないからネットで日本の「有力」新聞のサイトに頼るほかないんだけど。でもまあ、落ち着いて考えたら、ネットの新聞は日本国内で小さな携帯の画面で新聞を読む人たちのためにああいうたった何行かの短い記事になっているのかもしれない。そこに有意義な情報を求めること自体が無理ってことかもしれない。海外にいて滞在国に不満たらたらな日本人たちも、頼りにしている日本のソースから欲しい情報を得られないことに苛立っているのかもしれない。

まあ、そういうのはいつも世界のどこに行っても不満だらけの一部の若い日本人だろうと想像はつくんだけど、ワタシはまたぞろ自分のアイデンティティを揺さぶられているような気分になって、生まれ育った国の激甚な災害に胸が痛み、だけど被災者とはまったく無関係なひと昔も前のトラウマが蘇って来て胸が痛み、しまいにはカレシにけんか腰になったりして、この1週間というものワタシの心は揺れっぱなしだった。幼いときの大地震で大揺れする家の中に取り残されて泣き叫んだ記憶が今も鮮明に残っているように、自分のアイデンティティを土台から激しく揺さぶられたトラウマも10年くらいの年月ではすっかり癒えていなくて、まだときどき余震が来るのかもしれない。でも、こんなことを言えばまた2万人を超える人たちが犠牲になった大災害につまらない個人のトラウマを重ねるのは不謹慎だと言われるかもしれないな。

ゆうべの大きな満月が明るすぎたのかな、やっぱり。ひょっとしたら「満月に向かって吼える狼」がワタシのアイデンティティなのかも・・・。