リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

意味があるのかどうか今ひとつよくわからない休日

2023年10月01日 | 日々の風の吹くまま
9月30日(土曜日)。☀。朝、フレーザー川に沿って低く霧がかかり、無風状態で工場の湯気はまっすぐ昇って、ほんとにそういう季節になったんだなあと実感。日が高く昇った頃には、山沿いの地平線に白い雲が浮き沈みしている以外はどこまでも抜けるような青空で、ほんとに「天高く」と言う表現がぴったり。

今日は去年?だかにトルドー君の思いつきで作られたみたいな法定休日で、たまたま土曜日なので月曜日が振替えで三連休。次の週末は月曜日が感謝祭でまた三連休。何だか日本の9月みたいだな。この休日、ざっと訳すと「真実と和解の日」。つまり、植民地時代の先住民の扱いの真相を知り、反省して和解を目指そうという日だそうで、特に家族から引き離されて寄宿学校で同化教育を強制されて、病気や虐待で死んでそのまま学校周辺の土地に墓標もなしで埋葬された子供たちを偲ぶためにオレンジ色のシャツを着ようという運動もあって、かなり政治色が濃厚。歴史上の事実を受け入れて人権意識や人種差別撤廃を啓蒙しようと言う趣旨には異論はないけど、ミレニアル族の活動家が主導権を握るとどうしてもその日限りの「集客イベント」になってしまいつつあるような感じがするな。

いつもかけっぱなしのハードロック専門のラジオ局でも、今日は1日中(もろに植民者文化の産物である)懐メロロックの合間に「話を聞く日」と称して先住民の人たちの談話が流れているんだけど、環境や人権運動の活動家でもあった(ワタシは好きじゃなかった)ロック歌手の死後に作られた財団が企画したらしく、全国のラジオ局が参加しているということだった。でも、聞くともなしに聞いていると、先住民の話を聞いてもらおうと言うよりは、自分たちのウェブアドレスを連呼しては意識高い私という、若い活動家たちにありがちな鼻もちのならない驕りを感じられて、なんだ、アーティストを標榜する連中の自己表現の場だったのかとちょっと失望してしまった。まあ、それがソーシャルメディアの世界で注目されることで自己肯定感を高めようとするのが21世紀の社会の潮流なんだろうけど、どれだけの人が耳を傾けていたかは甚だ疑問だな。三連休だし、天気はいいしで、みんなどこかに遊びに行ってるんじゃないかな。結局はメディア主導のイベントの日で、主役であるはずの先住民の人たちには恩恵と言えるものはあまりないだろうという気がする。

日本でもアイヌ民族を先住民と認めるのに1世紀半もかかったし、未だにいろいろな差別問題があるのは事実。アイヌ民族の音楽や舞踊にBC州の先住民との遠い遠いつながりを感じるしね。だから、「平治郎」を翻訳した上でカナダのステージに合うように脚色して、先住民の演劇グループに上演してもらいたいと考えているわけで、こっちの先住民グループの作品を日本語訳してアイヌ人のグループに上演してもらえたらなおすばらしいと思う。アイヌ人は縄文人の遺伝子を強く受け継いでいるそうで、ワタシ自身も縄文人の遺伝子を平均的日本人より多く持っていると感じるからそういう気持になるのかもしれない。人類はみんな同じ祖先から枝分かれして来たんだから、互いに違うところをあげつらって分別するよりも、多様性の中に互いの共通点を見つけ合った方が世の中のためになるんじゃないかと思うんだけど、どうも近ごろは自分にも他人にもラベルを付けて細かく分類して、ラベルが同じ同士で固まって外と敵対し、内では「同じ」を維持するために互いに圧力をかけて、結局は孤立化を進めているような観がある。ワタシにはわざわざ生きづらくしているとしか見えないんだけど、「違い」ってそんなに怖いものなのかな。人類、二本足で立って、頭でっかちになったのがそもそもの間違いだったのか・・・。


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