リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

目の前に開けつつあるドアに体当たりしない手はない

2024年06月11日 | 日々の風の吹くまま
6月9日(日曜日)。⛅🌤。きのうの最高気温はニューウェストミンスターで27度だったそうで、うん、たしかに暑かった。今日はきのうほどにはならないようで、天気サイトを見たら、平均的な気温から週末にはまた少し低めになるという予報。このサイトのは外れる方が多いから、これも外れだといいんだけど、このところマザーネイチャーもほんっとに落ち着きがないね。

金曜日にウォーキングを休んだ分、休むことになっている今日行くのかと思ったら、「後でガーデニングで運動するから今日は休み」とカレシ。日曜日の掃除と洗濯を急がなくてもいいから賛成。もう夜間の気温も上がったことだし、今日は冬の間一番上にかけていた半毛布を外して収納。冬用の温かいフランネルのシーツを夏用の肌に涼しいパーケールのに取り替えるのはまだちょっと早いかな。今週末はまたぞろ最低気温がひと桁なんて予報が出ているから、次の週末あたりかな。その後はドイツからエスターが遊びに来るまで1週間だから、レクルームを客室に変えて、客用の寝具を出しておかないとね。ガラクタを集めて回収業者に来てもらわないとならないし、また忙しくなりそう。今日は両手の甲が何となくしびれているようなヘンな感じだけど、自律神経のカリカリは収まって来たようで、きのうあった口の渇きもなくなって気分は軽快。つらつら考えたら、この自律神経失調症(の疑い)はだいぶ昔からあったような気がする。ま、家事の日の日曜日はいつものように洗濯と掃除に勤しむとしましょ。

少しゆっくり念を入れて掃除をして、終わったら11時。ウォーキングがないのをいいことに、のんびりメールをチェックしていたら、あら、久しぶりにドロシーからメール。ドロシーは去年カナダの文化賞の最高峰である総督文学賞(戯曲部門)を獲得してからあちこちで上演されている『The Piano Teacher』の作者。ワタシが日本語訳して(ワタシが付けた日本題は『ピアノ教師』)、日本で上演するチャンスを探っていて、東京の先生の健康回復を待っているところ。ドロシーはこれからアラスカクルーズに行くんだそうで、去年コロナにかかってから年が明けるまで後遺症に悩まされていたのが、旅行できるまで回復したのはうれしいね。今はバンクーバー市内で彼女が書いた青少年向けのミュージカル『When We Were Singing』が上演中で、9月には『The Piano Teacher』がバンクーバー島のシュメイナスというちょっと有名な芸術の町で上演されるんだって。オープニングは9月27日。あは、ワタシが乗るクルーズ船がアラスカを回った後で日付変更線を超えて、生まれ故郷の釧路に入港する日じゃないの。これも何かのご縁と言うべきかなあ。

ドロシーに返事を書かなくちゃと思いつつ、午後は英語訳した脚本の書き直しに没頭。幕間をつぶして一幕ものに仕立て直して、原作の第2幕を前半に置き換えたので、後半に入ってからはワタシが書き足す場が多くなって、それだけ悶々としながらの作業の連続。原作は主人公に起こった悲劇の記憶を風化させないために書かれたドラマだから、事件の調査報告書のようになってしまうのはごく自然な成り行きだと思うけど、そもそも「記憶」が存在しない外国ではまったくアピールしないのが難点(劇作ワークショップでの指摘)。でも、社会的環境を背景にして主人公の人となりや思いを前面に出すことで、文化や民族の壁を超える人間としての共感を呼ぶことができると思うし、組み立て直すことでその方向性が見えて来たから、あともう一歩のがんばりというところ。でも、今の「まったくの無名」のままではどうにもならないから、指導してくれた人たちに紹介された団体やドラマとつながりのあるイベントをカナダでの突破口にして、そっち方面から働きかければ日本でも何らかの「話題性」を加えることができて、ドロシーの作品を上演する道が開けるんじゃないかな。うん、ドロシーに長いメールを書かなくちゃ。


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