リタイア暮らしは風の吹くまま

古希を迎えて働く奥さんからリタイア。人生の新ステージで
目指すは悠々自適で遊びたくさんの極楽とんぼ的シニア暮らし

2011年8月~その3

2011年08月31日 | 昔語り(2006~2013)
豊かになるほど人はお金に飢えるもの?

8月21日。日曜日。暑い。午後1時にはもう25度に迫っている。郊外は30度を超える予報だそう。公式記録の測定地点が海風が通るバンクーバー空港ということもあって、内陸のフレーザーバレーでは公式記録よりだいたい5度~7度くらい夏は高く、冬は低い。そのバレーでやっときのうになってこの夏始めての30度を記録したというから、まさに今年は冷夏だ。

債務の限度を増やして支払不能を回避しようと議会でさんざんもめたアメリカのお手元不如意はどうやらかなり逼迫しているらしい。アメリカ国籍の人は海外に住んでいても毎年所得税の確定申告をする義務があるんだけど、IRS(内国歳入局)が申告をしていない海外居住者の摘発に乗り出したという話。アメリカに納める税金がなくても、居住国にある総額が1万ドルを超える銀行口座や不動産、信託などを報告しなければならないそうで、申告漏れがあると、口座1件につき罰金が未申告1年当たり1万ドル。自主的に申告すれば減額される時限措置が今月31日。で切れるということで、間に合わない人がたくさん出そうと言う話。まあ、外国に住んでいる人から罰金を取り立てられるのかどうかはわからない。

一番びっくりしたのはカナダとアメリカの二重国籍の人たち。アメリカ国籍を持っていても、カナダで生まれてカナダ人として育った人たちはそんな義務があるとはまったく知らずにいたケースがほとんど。普通に持ち家と銀行口座があるだけで破産しそうな罰金を取られることになる。さらにIRSが外国の銀行に客の「国籍」を記録させて、アメリカ人について報告させ、拒否したら罰則というという方針を決めているそうだけど、カナダではプライバシー保護法に触れるからそれはできないから、ややこしくなりそう。まあ、国際的には認められないだろうと言うのが専門家の意見だけど、ほんとにアメリカはよっぽどの金欠国なんだろうな。そんなの払えないからアメリカ国籍を返上すると言ったらどうなるのかな。

イギリスの新聞『The Telegraph』には、中国の大都市で女性が結婚相手に求める条件として持ち家をトップに掲げ、結婚相談所には高所得者との結婚を希望する女性が急増しているそうで、政府が「金目当ての結婚」を阻止しようとしているという記事があった。車を持っていればなお良いそうで、家なしの男性との結婚はリスキーな「素っ裸婚」として嫌われるらしい。「愛よりもお金」の結婚で離婚もうなぎ登りらしく、別れる夫婦の半分は財産分与でもめるとか。中国の最高裁判所は「離婚にあたっては、家は買った方またはその資金を出した親のものになる」という判決を出したという。いやあ、日本でも経済高度成長時代に適齢期の女性たちが「家付き、カー付き、ばばあ抜き」を結婚の条件にしていたもんだけどね。今の日本では男性の「年収が何百万以上」でないとリスキーな結婚と言うことになるらしい。中国の女性は「専業主婦」願望はないらしいけど、所詮は「お金」が条件であることには変わりないか。男はますます辛いなあ。

戸建ての平均価格が7~8千万円(新築はすべて1億円以上)もして、親の援助が期待できないバンクーバーだったら、若い男性が結婚できる確率はコンマ以下になってしまいそうだな。どうりで、離婚しても財産分与に家は含めないという「pre-nup」と呼ばれる婚前協定の締結を要求する男性が出てくるはずだな。日本人と結婚するのにそれを持ち出すケースもけっこうあるという話だけど、まあ、日本女性だって、3年間はスポンサーになった夫に扶養義務があるから働かなくてもいいと勘違いしている人が多いし、結婚する前から離婚後の慰謝料や財産分与について質問しているのを掲示板でよく見るから、どっちもどっちだとしても、世の中、世知辛いなあ。

愛し合った2人が結婚して、力を合わせて一から家庭と財産を築いて行く、というのはもうロマンチストが描く絵そらごとでしかなくなったのかなあ。まあ、昔はみんな今よりも貧乏だったから、愛しているいないに関わらず、「所帯を持つ」ということはそういうもんだったのかもしれないけど、それにしても、社会が豊かになればなるほど人はお金に飢えるもんなのかなあ・・・。

体の中からの冷えは冷房より怖いらしい

8月22日。月曜日。電話で目が覚めた。こんな朝っぱらからいったい誰なんだ!と、ベッド脇の時計を見たら午後12時17分。「営業時間」なのだった。これは失礼をば。ワタシのビジネスの代表番号でもある我が家の電話は、ボイスメールが「営業時間は午後12時から午前12時までです」というメッセージを流すもので、ワタシたちの超夜型の生活時間を知らない人たちはけっこうびっくりするらしい。でも、知っている人たちは正午を過ぎてからかけても返事がないと、「いつでもいいから、起きたら電話してくれ~」なんてメッセージを残してくれる。

今日の電話の主はトロントのデイヴィッド。ボストンの後でモントリオールに行くことで大枠がまとまったので、今日は飛行機の予定の話。ワタシたちのルートはどうやらバンクーバー→トロント→ボストン→トロント→モントリオール→バンクーバーということになるらしい。スケジュールを調べていたトラベルマネジャー(カレシ)によると、トロントへは火曜日に「Red eye」(寝不足で目が赤くなるから赤目)便と呼ばれる夜行便、トロントとボストンの往復は4人一緒、トロントからモントリオールへは鉄道で、4人で行くかどうかは未定、モントリオールで1泊してワタシたちは翌日トロント経由の深夜便で火曜日の丑三つ時のバンクーバーに帰ってくるという日程。まっ、それでいいでしょ。

今日は雨もよう。午後2時の気温は15度で、きのうとはエライ違い。さんざっぱらぐずぐずしておいて、やっと到来と思ったらもうへたれて「休み」なんて、だらしないよ、夏。他のところで猛暑を振りまいて調子に乗っていて、冷たいものを食べ過ぎたんじゃないだろうな。暑いからと言って冷たいものを食べ過ぎると、冷房病よりもたちの悪い「内臓冷え」になると、今日の産経に書いてあって、日本では若い人を中心に低体温化が進んでいるといるらしいという印象だったけど、それをさらに冷やしていいのかなと思った。体が中から冷えると臓器の血行が悪くなって、下痢や便秘を招き、免疫力が低下してアレルギーを引き起こしやすくなる。さらには血行不良によって肩こり、偏頭痛、不眠、食欲不振、低血圧を招くそうで、ガンやうつ、不妊の人には冷えが多いとか。

そういえば、伝統的な日本食にもけっこう冷たい食べ物が多いような感じがする。世界の暑い地域には香辛料をたっぷり使って汗を出す食べ物が多いのとは対照的に見えるけど、舌から涼感を得るという、「夏の風物詩」みたいな日本的感覚なのかもしれない。でも、その上に冷たい飲み物やアイスクリーム、甘いものなどをいつも飲んで食べてしていたら、体の方が冷えているのがあたりまえと思い込んでもしょうがないか。だからといって実際の生理機能はそう簡単に順応してくれないから健康リスクが出て来るんだろう。病原菌もがん細胞も体温が36度以下だと増殖が活発になるらしい。それに、血行(つまり血のめぐり)が悪くなれば、脳にも十分な血液が行かなくなって、何らかの悪影響が出てくるんじゃないという懸念がわいて来る。低体温の上に低血圧なんてことになったら、どんなことになることやら。

ワタシは冷たいものや甘いものをあまり食べないし、超夜型でも生活時間のサイクルはいたって規則的で、そのせいか体温もいたって普通に37度近くある。いつも血圧が低い!と騒いで(はしゃいで?)いるわりには、実際には上が100、下が60を切ることはそんなに多くないから、緩やかな「定義」によれば低血圧ということにならないそうな。トレッドミルで運動をした後に測ってみても、せいぜい5mmHgぐらいしか上がらないことが多い。60代前半の女性の平均値と比べても、一般に正常な血圧の目安といわれる「年令+90」と比べても、いかにも低すぎるような感じだけど、「平均」というのは魔法の数字だし、「目安」は所詮「目安」だから、健康で活動的でポジティブであれば何でもありだと思う。この年になっても熱い血の気が多すぎるということだったら、どうしよう。へたに冷やしたら、さらに血圧が下がって、病気になっちゃうかも・・・。

不倫事情は小説よりも奇なり

8月23日。火曜日。きのうの今日でまたちょっと夏が復活。ほんとに落ち着かない天気だな。

あさってはウィスラーへ出かけることになっているのに、そういうときに限って仕事がどさどさっと入って来るからいやになっちゃう。どうしてなんだろうな。ジンクスの一種かな。おかげでまたぎりぎりまで仕事、帰ってきてすぐに仕事。土木工事の話、不倫の話、企業案内、社会学の論文と、まるで今どきの空模様のようにテーマがあっちゃこっちゃと飛躍するから、こっちもきりきり舞い。そこが何でも屋の悩みであり、楽しみでもありなんだけど、とにかくがんばることにする。土木工事の話は参考資料をちょっと探して読めばイメージがつかめるから、用語がわかれば後は簡単。やりにくそうなのは次の不倫の話だな。

小町横町の井戸端会議でもしょっちゅう取りざたされているところを見ると、職場での不倫はもう日常茶飯事のことなのかという印象をつい持ってしまいそうなんだけど、原稿を読んでみたら、小町横町で話題になる話とそっくり。既婚者が独身の女性に不倫関係を持ちかけるときの定番のせりふまで同じ。この前は、北米でこんなことをしたら警察に告発されるなあというような状況で、「被害者」はちゃんと出勤して、一緒に仕事。それで気があると勘違いした男がさらにアタックして、やっと女性は「困った、どうしよう」という悠長な展開のものがあった。ほんと、自分の女性としての尊厳を傷つけられているにも関わらずはっきり「ノー」と言わないのはどうしてなんだろう。思うところがあって言わないのか、それとも何らかの縛りがあって言えないのか、わからないけど、「妻とうまく行っていなくて」なんて常套句につい母性をくすぐられるのかな。ほろっとしてして結んでしまう関係は「愛」とはほど遠いものだと思うんだけど、さびしい人たちが多いのかもしれないとしても、初めから不毛な関係はさびしすぎないかなあ。

いやあ、事実は小説より奇なりというけど、ガラス張りの瀟洒なビルの中で繰り広げられる恋愛もようは小町横町の井戸端よりも赤裸々な感じだな。まちがいなく現実に起こっている事実だからだろうな。浮気や不倫への誘いの定番ともいえる「餌」のせりふがずらりと出てきて、下手くそな小説を読んでいるような感じがする。(カレシが使ったせりふも出てきて笑ってしまうけど、このジャンルの男女関係は人種を問わない普遍的なものだということがわかる。)それにしても、何かにつけて登場する「飲み会」と言うやつは曲者だな。小町に流れる噂では「ノー」と言えないもので、しかたなく出席してその場の雰囲気になじまないでいると「空気の読めないやつ」と排斥されるらしい。まあ、酒の仲立ちがなければつながれない人間関係もさびしいなあと思うけど、それくらい「人見知り菌」が蔓延っているということなのかあ。

言葉は絶えず変化して行くもので、日本語もその例に漏れないわけだけど、こういうのを訳していると、非難や糾弾、拒否、蔑視といったネガティブな感情を薄いベールをかぶせて表現する手法?や婉曲表現は興味が尽きないし、いろいろと勉強にもなっておもしろい。常日頃、暇さえあれば小町横町を徘徊して、井戸端会議を岡目八目で野次馬見物してきた甲斐があったというものだけど、モラルや人間観の基軸を揺るがすようなテーマだけに、何だかなあとため息のひとつも出て来るというもの。いつからそんなに緩んだのか知らないけど、今にもずり落ちそうなそのたがをもうちょっと締めたらどうなんだろうと思う。でも、あんがい部外者の目には緩んでいるように見えるけど、たがの持ち主には緩んでいるような感じはしていないということもあるか。

でも、愛ってなんだろう、結婚ってなんだろう、倫理とはなんだろう、と深く考えをめぐらせ始めたところでいつもどどっと入って来るのが仕事。まあ、人生の毎日がこんなんだから、たぶん一生かかっても結論にたどり着けそうにないだろうな。じゃ、腕をまくって、次の仕事、するか・・・。

男のおひとり様は長生きしないと言う話

8月24日。水曜日。ん、今日は暑くなりそうだな。カレシがなぜか寝つきが悪かったと10時ごろに起きてしまったので、一緒に目が覚めてしまったワタシも、しばらくうとうとしてみたけど、結局は11時に起きた。ま、お出かけ前の今日中にやっておくことがいくつもあるから、たまの早起きもいいか。

朝食を済ませて、まず今日の郵便をチェック。ふむふむ、月初めだったか、テクニカルな問題でインターネット接続が1日。以上中断していたけど、プロバイダの電話会社から「お詫びのしるし」として10ドル割引のお知らせが来ている。インターネットのアカウントはカレシだけど、電話はワタシの名義になっているので、お知らせはワタシ宛。この10ドル、電話料金から引くのか、カレシのネット接続料金から引くのか、どっちなんだろう。どっちでも支払の出所は同じだからどうでもいいんだけど。

郵便のもうひとつはFolio Societyの新年度のカタログ。ここは1年に最低4冊の本を購入するのが条件になっていて、未発行の分もまとめて10月初めまでに注文しておくと、すごく高そうな本を2、3冊おまけにつけてくれる。在庫一掃の狙いもあるだろうけど、これでけっこう分厚い百科事典や、語源辞典、スラング辞典といった特殊の辞典をもらって重宝している。じっくりとカタログを見て、とりあえず新刊から、H.E.ベイツの『The Darling Buds of May』(イギリスのテレビシリーズになって、若き日のキャサリン・ゼタ・ジョーンズが出ていた)、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』、後は既刊のリストからどれか1冊ということにするか。毎日少しずつ本を読む習慣をつけておけば、老後に退屈することもないだろうしね。(カレシはいつもトイレに長々とこもって読書をするから、2人しかいない家なのにバスルームが2つ必要なんだけど。)

きのうやっておいたjuicyな(おいしい)仕事をもう一度見直してさっさと納品。このあとどういう展開になるか野次馬的な興味はあるけど、まっ、人生いろいろというところ。きのう寝ている間に「不在通知」が入っていた小包を取りに行く。スイス製の缶切り2個(カレシは黒、ワタシは赤)と人間工学的デザインのオレンジ/レモン絞り。新しく見つけたネットショップで、関税と売上税を源泉徴収してくれないから、その上にカナダポストに通関等手続き料として8ドル50セント取られた。(あれ、前は5ドルだったのに、いつから値上がりしたんだ?)郵便局の次は保険代理店。エコーの保険が今日の真夜中で切れる。排気ガスの検査なしで更新できるのは今年が最後。来年からは検査所にでかけて行って、検査をして、合格証をもらってからでないと保険を更新できなくなる。めんどうなだなあ。廃止されると聞いていたのに、2020年まで延長されたんだそうな。ふむ、それまでには電気自動車が主流になっていたりして。

次は酒屋へ行って在庫の補充。お気に入りのレミ(VSOP)は箱に「XOミニボトルつき」というステッカーが貼られていたので、念のために中をのぞいたら、ない。他の箱も開けてみたけど、ない。おまけのXOのミニボトルが入っていないではないか。レジでどの箱にもおまけが入っていなかったと言ったら、「納品されたときから入っていなかった」とのこと。化粧箱は封印されていないから、誰だって開けられる(現にワタシも開けて中を見たし)。製造元で入れ忘れたのでなければ、フランスから輸入されて、ここバンクーバーの酒屋に配達されるまでの間のどこかで誰かがくすねたということかなあ。エアラインサイズのミニボトルをどこかに横流しするつもりだったのかな。ま、ただのものはなくても損はしないんだけど、それにしても、おまけが入っていないのを承知でそのまま売ってしまう酒屋も酒屋で、さすが州政府のお役所商売というか・・・。

スーパーに回って、明日の夜のカレシの食料を調達。昔は1週間分ぐらい作り置きして出かけたものだったけど、今はカレシの自立のためにもやらないことにしている。カレシが選んだのは大好物の豆腐入り肉なしラザーニア。電子レンジで温めるだけだから、臨時おひとり様にはもってこい。ランチはどうするのかと聞いたら、「卵かカップヌードル。となりのパットを呼んで2人で飲むさ」。あ~あ、今回はひと晩だけだからいいけど、結婚しなかったか離婚や死別でおひとり様になった男は早死にするという統計数字がすごく現実的に見えて来る。いずれはどっちかが先に逝くのが自然の摂理ではあるけど、最愛?のカレシがこんなんだと、おんぶに抱っこのじいちゃんやもめになるカレシが心配で、おちおち先に逝けないじゃないの。逆に、おばあちゃん未亡人は生き生きとして来て、長生きするという話を聞いたけど・・・。

女子会の温泉旅行に出発

8月25日。木曜日。暑くなって来た。ウィスラーはもっと暑くて、明日は30度という予報。あそこは山の中の盆地だから夏は暑い。そのかわり空気が乾燥しているので、トースターでこんがりという焼け方をするけど。

着替え、日焼け止め、化粧品、サンダル、水着、カメラ・・・ぜ~んぶOKで、準備完了。10年前に買った水着がまだ着られた。(スパやホテルのジャクジーに入るには水着が必要。)12年前に半年で数キロも激減した体重が、この10年(特にこの2、3年)の間にじわじわと戻ってきて、今では昔の半分を「取り戻した」というところ。でも、10号から4号に下がった服のサイズはまだ変わっていないから不思議。まあ、ちょっときついかなあという感じはあるとしても、しばらくはかなかったデニムの短パンにもちゃんと納まって、ほっ。

女友達同士でつるんでのお出かけを今どきの日本では女子会というんだそうだけど、おばさん2人のカナダ版「温泉旅行」、いざ、出発!

天国の女子会から帰って来たら

8月26日。金曜日。いやあ、行って来ました。2人だけのおばさん女子会。家にこもっての毎日だからこそ、たまには家のことも仕事もほっぽりだして遊びほうけるのもいいもんだなあ、やっぱり。誘ってくれて、ありがとうね!

天気も良くて、ウィスラーまでのドライブもスムーズ。ホテルまで簡単に行き着いて、部屋に入って思わず「ええっ?」と言ってしまったのがこれ↓

[写真] 何だって部屋の中の、それもベッドのすぐそばにバスタブがあるんだろう?バスルームにはシャワーがあるけどバスタブはない。部屋の設計上、スペースが足りなくてバスルームには設置できなくて、やむを得ず部屋の中に置いたとか。それとも、気泡風呂だから、ゆったりとテレビでも見ながら入るためなのか・・・?

[写真] ちょっとふざけてベッドの上においてあった熊ちゃんといっしょに入ってみたけど、お2人さま用のサイズではないから、ラブラブのカップルのためというわけではないな。小さなキッチンが一応整っているから、ひとりがバスタブに背を向けてスナックか何かを作っている間に、風呂に入るというのもありかもしれないけど、それもどうも何だかなあ。カーテンも何もないから、うっかりハンドシャワーをベッドの方に向けたりしたら、びしょぬれで寝られなくなりそう。

それと、バスタブの後ろにある窓。バスルームの側にはブラインドがあるけど、何でバスルームに窓がいるんだろうなあ。なんとも不思議・・・。

ホテルから離れたところにあるスパは自然の中のアウトドア。まあ、日本の温泉で言えば「露天風呂」のようなもので、蒸し風呂とサウナ以外は露天プール。名前からして北欧式ということで、蒸し風呂やサウナでたっぷり汗を出しては、24度の水風呂と40度の熱い風呂で、滝に打たれたり、ジェット水流にマッサージをしてもらったりと、好きなだけ楽しめる。どこにいてもニューエイジ風のソフトな音楽が聞こえて、いたるところに「Silence(静かに)」の標識。あちこちの良く見えるところに時計があるのもおもしろい。シャワーをして、水着に着替えて、3時間ほど、あっちに入ったり、こっちに入ったり。クローバーのような形の風呂は体が軽くてジェット水流の中でいい運動になるけど、上がるときには体がやたらと重くて、地球の引力のすごさを思い知らされる。

スパで天国の気分で心身ともにたっぷりとほぐして、寄り道をしながら楽しく帰ってきたら、週明け一番(日曜日の夕方)が期限の仕事がどん。おまけに、いつの間にか家の外に路上駐車してあるトラックの後部のナンバープレートを盗まれて、カレシは盗難届けを出すやら、プレートのない車を路上駐車しておくと「違法放置車両」として引っ張っていかれるから、急遽エコーを外に出してガレージに入れるやらのひと騒動。あ~あ、下界は何かと騒々しいから、またスパへ行きたくなってしまった・・・。

男の子だ、留守番くらい何だ

8月27日。土曜日。起床は午前11時半。きのうは世間一般的な7時起床で、何となく普通時間の一日だったのに、どかっと置いていかれた仕事の算段をしているうちに午前3時半で、あっという間に元の「ふくろう標準時間」に戻ってしまった。まあ、1日。だけだから、体内時計はそれほど混乱しなかったんだろう。今日もまだ少し暑め。今日はとにかく徹底した仕事日・・・になるかな?

いつの間にか仕事のファイルが3つになっていたもので、ちょっぴり焦る気分で朝食後に直ちに勤務開始。宣伝文書はおもしろいけど、日本語と英語の感性がかけ離れているので、そのすり合わせがちょっとめんどうくさい。宣伝だから、格調が高そうに聞こえる言葉を並べたいのは理解できるとしても、すんなりと英語にならない語句がきら星のごとく並んでいるし、お堅い業界の印象としっくりしないようなセンチメンタルな表現が多いなあ。まあ、こういうテーマをやるたびに、日本語や日本文化のいわゆる「感性」というのは、「もののあはれ」に代表されるように根本的にセンチメンタルなんだと思う。要は、日本語と英語では感じどころのツボが違うということか。

ワタシが仕事にかじりついている間に、カレシはひとりで盗まれたトラックのナンバープレートを再発行してもらいに行った。ほんとは同伴してもらいたそうだったけど、なにしろ仕事があるもので、再発行料(18ドル)の20ドル札を渡して、行ってらっしゃ~い。10分もしないうちに保険代理店から「盗難届の受理番号を忘れた」と電話。メモした紙をマグネットで冷蔵庫に止めておいて、そのまま忘れて行ってしまったと。この番号がなければ新しいナンバープレートを発行してもらえない。しばらくして新しいプレートと、ついでに買って来たという盗難防止の止めねじと六角レンチのセットを持って帰って来たと思ったら、いつの間にかお昼寝。カレシのような性格だと、こういう事件はストレスが大きくて、ど~っと疲れた気分になるんだろうな。

夕食後もワタシは仕事、仕事。納期までの時間がちょっときついから、使い始めてまだ6ヵ月足らずで文字が半分近く消えてしまったキーボードをばんばんと叩く。近頃のキーボードは、キーの文字は移し絵でくっつけたようなものだから、1年もしたらほとんどが爪で削り取られて、タッチタイピングの練習用にしかならなくなってしまう。それでも昔取った杵柄でそれほど不便はないけど、なんとかならないのかなあ、これ・・・。

いつの間にか後ろに忍び寄っていたカレシ曰く、「やっぱりキミがいるほうが気分が落ち着くなあ。ひとりでいると家中の空間が広すぎていけない。ベッドに入っても何だか寒いし・・・」。あ、そう。それ、ひょっとして「ひとりでさびしかったよ」という意味なのかな?男の子でしょ?ひとりで(電子レンジでチンだけど)ちゃんとご飯を食べたし、お皿もちゃんと洗ったし、しっかりお留守番ができてえらいと思うけどなあ。留守番、ありがとうね。まあ、スパ通いに味を占めて、たぶんまた遊びに行っちゃいそうだけど、ワタシも「家」という空間にはアナタと2人でいて幸せだと思うよ。

死せる政治家、死せる政治

8月28日。日曜日。ああ、8月も後ちょっとでもう終わりかあ。のんびりした気分で起きて、あっ、きのうねじり鉢巻で奮戦していた仕事は今日の夕方が期限だった。ついでにもうひとつの小さいのも同じ時刻が期限。まるでオーバーブッキングした航空会社みたい。何やってんだろうなあ、ワタシ。これではのんびりなんかしていられないじゃないの。

朝食もそこそこにさっそく仕事にかかって、午後いっぱいキーを叩く。右手は中指の付け根とその上の関節と、親指の関節と、左手の親指の関節と・・・う~ん、痛くない関節ってあるのかな。いわゆる変形性関節症で一種の老化現象。左利きなのに右手の方が痛い指が多いのがちょっと不思議だけど、キーボードは両手利きだからかもしれない。まあ、花も恥らう18のときにタイプライターのキーを叩き始めて45年。社会人になってから何度か転職したどの職業にはタイプライターやコンピュータが付いて回って来たから、一種の職業病とも言えるのかな。それでも、スパのプールでふわふわと運動して来たおかげで、傷めていた膝の靭帯の方はトレッドミルに戻れそうなくらいに回復したようだから、この次は手指の「湯治」に行こうかなあ。

金曜日のうちに例の統合売上税の是非を問う住民投票の結果が発表されて、連邦税と州税を元の通りに分離する「復古派」が勝った。2本立てに戻るのは2013年の春ということらしいけど、カレシがかっていた州の消費税部はとっくに解散して、みんなどこかへ配転か転職してしまっているそうだから、改めて募集をかけて部署を再設置しなければならないだろうな。えらいこっちゃ。州の売上税は付加価値税のように取引の流れの中で順繰りに控除するしくみになっていないので払いっぱなし。ワタシも四半期ごとの申告業務が15分ですんで、しかも12%そっくり還付されてホクホクしていたのに、また1時間もかけて連邦税だけを抽出して申告するようになる。それで還付されるのも5%の邦税の分だけで、何か損な気がしないでもない。まっ、レストランの食事や継続教育の受講料には州税7%がかからなくなるから、いいのかな。最終的にはろくな根回しもなく導入されたことに怒っていて、そんな理由でめんどうくさい2本立て制度を復活させるのは経済の観点からは愚かだと思うけど、政治が経済に勝ったというところか。

きのうはガンで急死した新民主党のレイトン党首の国葬があった。在任中に亡くなったとは言え、野党の党首を国葬にするのは異例のことだそうな。先の総選挙で万年第3野党だった新民主党を第一党に躍進させた功績は大きいと思うし、ハーパー首相も一目置いてはいたようだから、これから議会で野党の先陣に立って政治手腕を発揮しただろうと思う。ワタシは新民主党は嫌いだけど、レイトンはたぶんリーダーとしても人間としても真摯に自分の信念に尽くした人だったんだろう。道半ばにして倒れた闘士というところかもしれない。それはそうとしても、一般市民が支持政党に関わりなく吐露する悲嘆の感情をテレビで見ていて、漠然とした怖さを感じた。何かにつけて悲嘆が群集心理になって怒涛のように街に溢れる現象が、この10年かそこいらの間にそういう文化を持たなかった社会にも広がりつつあるような気がする。人間が激情化して来ているのか、負の感情が心の深層に鬱積しているのか、そのあたりはよくわからないけど。

ほお、日本はまた総理大臣のすげ替えか。年令が54歳というのは日本のものさしではすごく若いうちに入るんだろうけど、写真を見るとずいぶん老け込んで見えるなあ。ま、総理大臣はルックスで決めるもんじゃないからどうでもいいとしても第1回投票で主意だった海江田が小沢色が強くなったために結局は負けたということだけど、鳩山グループとか菅グループとか小沢グループとか、昔の自民党の「派閥」とどう違うんだろうな。まあ、日本の政治って国を治める「国政」よりも党を治める「党政」の方が重要らしいから、総理大臣が交代しても国政の方はあまり期待されていないかもしれない。東京市場の株価は結果が出たとたんに伸び悩んでしまったそうだし、わずか20数年前には肩で風を切る勢いだった日本という国の先行きは「依然として不透明」ということか。さて、新しい首相はいつまで首相でいられるのか・・・。

夫婦は同床、別床、別室のどれがいいの?

8月29日。月曜日。起きてみたら、ん、空は高曇りで、ちょっと涼しいような。8月もあさってでもう幕だもんな。9月になってレイバーデイの三連休が終わったら、新学年が始まって、秋、秋、秋・・・。

きのうはかなりがんばったから、今日はかなりダラ~ン。目が覚めたのが午後12時12分。カレシが「あと10分」と言うので、2人してでダラダラ。カレシはまだひとりでは寒かったと言っている。そりゃあ、クイーンサイズのベッドにひとりで寝たら広すぎて温まらないだろうと思うよ。ホテルの大きなベッドだって同じことで、ワタシだってひとりで寝るとなんか寒い感じがする。まあ、36年も一緒のベッドだから、互いの体温があるのがあたりまえの感覚になっていて、それで「寒い」と感じるのかもしれないけど。時計が12時22分になって、「起きるぞ~」とカレシ。ふむ、女子会から帰ってきて以来、なんだかべたべたモードって感じだなあ。

のんきにベーコンとポテトを炒めて、カレシが目玉焼きを焼いて、朝食が終わったらとっくに1時半を過ぎていた。秋間近の8月の午後はつるべ落としとまでは行かないけど、どんどん短くなる。(その分もっと早く起きればいいんだけど。)ゆっくりと本を読んでいたら、新しいナンバープレートをトラックに取り付けるから手伝えというので、ガレージへ。仰向けになってトラックの下に潜り込んだカレシがプライヤーでナットを押さえて、ワタシは外から六角レンチでねじを締める。たまたまサイズが合うレンチを持った泥棒がいても盗まれないように、止めねじの頭の六角穴にシリコーンを入れたらと提案したら、「このねじでも盗まれたらそうする」と。ふむ、東京電力は福島原発で15メートルの津波を想定したシミュレーションをやっていたそうだけど、「もしもそういうのが来たら対策を実施しよう」なんて言わなかっただろうなあ。アナタの危機管理は大丈夫?

小町横町をのぞいていたら、国際結婚妻が寝室を別にしたいと言って夫に「それは夫婦が離婚の危機にあるということだ」と却下され、夫婦が寝室を共にすることが「そんなに重要なことなのか」と聞いている。ワタシの両親は同じ部屋に2つ布団を敷いていたような記憶があるけど、日本ではそんなに普通に別々の部屋で寝るのかなあ。カレシの両親も80代に近づいて、一軒家からタウンハウスに引っ越したときに初めて別室になった。早寝早起きのママと夜更かし朝寝坊のパパでは生活時間が違いすぎたんだろうと思う。我が家は別室にしにくい設計になっていることもあるけど、もめていたときでさえ別々に寝たいと思ったことはなかったな。同床異夢を承知で意地でも同じベッドで寝るというのではなくて、漠然とベッドを別にしたら2人の関係は二度と元に戻れなくなりそうな気がしていたということなんだけど、たまたま結婚指輪を外していただけでも「離婚か?」とパニックになったカレシだから、もしも別々に寝ると言ったら大変な修羅場になったかもしれない。

アメリカの1950年代から1960年代のホームドラマを見ていると、夫婦の寝室には必ずツインベッドがある。それがその時代の流行だったのかとカレシに聞いてみたら、「あの頃はHayes Code(ヘイズ規範)というのがあって、テレビでも映画でも男女が同じベッドで寝ているところを見せられなかったんだよ。たとえ夫婦でも」という意外な答が返ってきた。ヘイズ規範は1930年代後半にハリウッド映画の倫理規定として作られて、少しずつ緩められながら(あるいは緩みながら)も1960年代の終わりまで映画やテレビでせりふの言葉やラブシーンの描写を細かく規制していたとか。自由の国アメリカにもそういう窮屈な時代があったということで、テレビの影響なのかどうかはわからないけど、実際に同じ寝室でツインベッドで寝る夫婦も多かったらしい。たぶん、50センチくらい離れた2つのベッドをくっつける夫婦が出てきて、だったらひとつのベッドの方がいいじゃないかということになって、そこから夫婦同衾の観念ができたのかもしれない。もっとも、年を取ってからいろんな理由でベッドを分ける夫婦もかなりいるらしい。

日本の場合は、布団そのものが基本的にシングルサイズだから、「ひとり寝」があたりまえの生理感覚になっているということも考えられる。子供が生まれれば、子供が両親の間に割って入る「親子川の字」が円満な家族の理想像とされているところもあるし、結婚することが「最終目的」になっているような印象からしても、昔の家族制度の観念が未だに潜在意識に残っているのかもしれない。要するに、ひとつ屋根の下で生活を共にする単位は「夫婦」ではなくて「家族」ということなんだろうな。それで、国際結婚の日本人妻たちが寝室を別にしたいと言い出して、夫婦がは同室、同じベッドがあたりまえで、別室は離婚の前兆と思っている外国人夫たちを慌てさせているのかもしれない。書き込みを見る限りでは、夫に「ノー」と言われてしぶしぶながら同じベッドで寝ている妻が多いようで、ま、夫婦は今のところ安泰ということか。ごちそうさま。

時空間を越えたなんちゃらテイストの悲喜劇

8月30日。火曜日。1時間おきくらいに目が覚めたもので、ぐっすり眠った気がしない。寝つきが悪かったのかな、寝る頃にかなりの空きっ腹状態だったのを無視してそのままベッドに入ったからかな。満腹で寝るのは良くないという話を聞いたことがあるけど、空腹を抱えて寝るのは良くないという話も聞いたことがあるなあ。北米には「寝しなに温かいミルクとクッキー」という都市伝説みたいな話もある。どこかで幼い頃の記憶につながっているのかもしれないけど、温かいミルクが体を中からリラックスさせてくれるらしい。もっとも、クッキーをひと袋全部食べてしまったら効果は落ちるかもしれないな。

朝食は普通に食べて、コーヒーマグを片手に読書。E・F・ベンソンの『Queen Lucia』。ルチアことエメライン・ルーカス夫人は教養と芸術の薫り高いライゾームという村に君臨する金持ちマダム。夫君とは(知っている範囲の)イタリア語を混ぜて会話をし、近所の有閑マダムたちの動静にレーダーを張り巡らし、エレガントなガーデンパーティを催したり、パーティに集まったお客に『月光のソナタ』の第1楽章(だけ)を披露したりして、村の教養文化をリードしている(と思っている)。古い長屋を何戸かぶち抜いて改造した家は、徹底的にシェイクスピアが活躍したエリザベス朝様式なのが自慢の種らしい。たまにおでかけになるロンドンは「せわしなくて品がない」。ルチアが住む村のライゾーム(Riseholme)という名前は「地下茎」(rhizome)に引っ掛けて、噂好きなマダムたちが村中に張り巡らせている詮索の触手を象徴しているんだろう。

読みながら、小町横町にときどき登場する、「カントリーテイスト」とか「ナチュラルテイスト」とか言う「おうち」で、珪藻土の壁がどうの、アイアンがどうの、アンティーク雑貨がどうの、オーガニックがどうのと、リネンのドレスにお団子ヘアでなんちゃって風の「ていねいな暮らし」をしているマダムを想像してしまった。度を越した模倣や形へのこだわりは普遍的にこっけいだから、どこでも悲喜劇のネタになるんだろうな。ルチアの舞台は第一次大戦前のイギリスの有産階級で、お団子ヘアのフレンチカントリーマダムの舞台は二十一世紀の東京郊外のなんちゃらセレブ階級という違いはあるけど、その見栄っ張りで「頭の中がお花畑」的な似非教養人ぶりになんだか時空間を超越した共通性が感じられておもしろい。今、ルチアの関心の的はスピリチュアルに凝っているマクォントック夫人の家に来た住み込みのインド人のヨガの師匠。マンネリ化した村の文化活動に新風を吹きむ主導権を取ろうと画策するルチア。さて、どんな展開になるか。

今日は仕事がないので、午後いっぱいは「カレシサービスデイ」。庭仕事に欠かせないiPodが壊れたということで、新しいのを買うことにした。ブロードウェイまで車で行って、Whole Foodsのある地下駐車場に止めて、まずは2ブロックほど先のBest Buy。いいのが見つからなければ、Whole FoodsのとなりにLondon Drugsがある。ダウンタウンから橋を渡って南側のこのあたりはいつの間にかコンドミニアムや大きな商業施設が建て込んで、そのうち次代のダウンタウンになりかねないような盛況になっている。これから開発前線はキャンビーの坂を南へまっしぐらに進んで行くんだろうな。南端のマリンドライブでは駅を取り込んだ大規模な総合開発の承認が下りたばかり。どうやら、交通機関の駅と商業施設やコンドミニアムを直結させることの将来的価値がわかってきたらしい。日本のように「駅まで徒歩5分」が一番のセールスポイントになる時代が来るのかな。

結局、iPodは壊れたのと同じClassicの第5世代というのがあって、それで決まり。Whole Foodsに戻って、シリアルや魚の買出し。ランチにする魚バーガーも、マグロ、サケ、マヒマヒの3種を揃えて、野菜もオーガニックは高いけどめんどうだからここで最低限の仕入れ。郊外のチリワック特産のとうもろこしが1本89セント(70円)。先まできっちり実が入っているのを2本買って、今日の夕食はここで必ず買うカニのケーキと、オーブンのブロイラーで焼いたとうもろこしと、海草ヌードルと野菜のポン酢和え。ちょっとところてん風の海草ヌードルはカレシがコリコリした歯ざわりをいたく気に入ったということで、あんがい実験メニューの定番になるかもしれない。それよりも、思いつき買いした「玄米もち」の方はどうしたものか。お雑煮風にしてみるとか・・・。

ほんとに近頃はおもしろそうな食材にどんどん遭遇するようになって、食道楽にとってはまさに極楽の天国。それなのに空きっ腹でベッドに入って睡眠不足なんてヘンじゃない?

他人のまねをすること、たまたま同じになること

8月31日。水曜日。目が覚めたのは午前11時53分。今日はシーラとヴァルが掃除に来るので目覚ましを11時55分にセットしてあったんだけど、なぜかこういうときはアラームが鳴り出す何分前かに目を覚ますことが多い。せっかくわけのわからない夢を見ながらよく眠っていたのに・・・。

家の掃除が終わったのと入れ替わりに、日本暮らしから戻って来た友だちが子供を連れて遊びに来てくれた。前回会ったのは何年も前の子供が生まれる前のことだから、ほんとに久しぶり。日本で震災と原発事故があって以来、家族をまとめてカナダに戻って来た人たちはかなり多いらしい。夫の国への移住に難色を示す日本人妻たちも多いだろうけど、まだ幼い子供がいれば日本での将来に対する不安は大きいだろうし、「帰るところ」があれば帰ろうと思うのも自然な流れだと思う。片言を話し始めた子供は、初めはちょっと人見知りがちだったけど、慣れたら子供らしいエネルギーを全開。世界のどこでも、誰の子供であっても、2歳、3歳の頃は文句なしにかわいいよなあ。(子供には恵まれなかったワタシがふと「こんな子供を抱いてみたかった」と思う瞬間でもある。)

イギリスの『エコノミスト』誌が恒例の「世界の最も住みやすい都市ランキング」を発表したのはいいけど、ずっとトップにあったバンクーバーがメルボルンとウィーンに抜かれて3位に転落。なんでもインフラや交通の便の項目で「マラハット・ハイウェイの工事による頻繁な通行止めの不便さ」がスコアを下げた原因ということで、それを聞いたバンクーバーのメディアが一斉にニュースで取り上げた。というのも、「マラハット・ハイウェイ」は海峡を隔てたバンクーバー「島」にあって、渋滞しようが通行止めになろうが、バンクーバー「市」の住民にはちっとも不便はないのだ。(バンクーバー市民でさえこのハイウェイがどこにあるかを正確に知っている人は少ない。)ワタシが愛用している権威ある英和辞典の旧版にはバンクーバーは「同名の島にある港湾都市」と書いてあって仰天したけど、第6版が発行されたときには訂正されていた。『エコノミスト』の担当者はなんか苦しい言い訳をしていたけど、あの由緒も権威もあるはずの『エコノミスト』誌がのこ体たらくでは、いったい何を信じたら良いやら・・・。

ブログの編集ページにいつもあるgooランキングのリストに「身近な知人にマネされたくないもの」のランキングがあって、小町の井戸端でも「マネされた」という愚痴が登場するから、いったいどういうことを真似するとい嫌がられるのかなと思ってのぞいてみたら、「マネされたくないもの」ランキングの第1位は「ファッション」だった。ええ?身近な知人(友だちのこと?)にマネされたくないって、みんなが真似するからファッションなんだと思ってたけどな。去年東京の繁華街を歩いていて、何でみんな同じようなファッションなの?と思ったけどな。本屋に入ってみれば、華やかな女性雑誌にはそれを立ち読みしている人たちと同じようなファッションが満載、というよりは立ち読みしている人たちがファッション情報を仕入れて、「真似」しているんだと思ったけどな。知人だか友だちだかが同じような格好をしているからって、自分のファッションを真似されたと思うのはちょっと自意識過剰じゃないかと思うけどな。

ランキング第2位は「持ち物」、第3位以下は、「口癖」、「髪型」、「香水」、「行きつけの店」、「休日の行動」、「音楽の趣味」、「習い事」、そして「字」。持ち物にしても、ブランド品だって中国での大量生産だし、口癖にしてもみんなが何気なく口にする「流行語」のようなものがあるし、「髪型」だってその時々の流行があるし。6位以下の項目だって、要するに、たまたま行きつけの店が同じだったり、音楽の趣味が同じだったり、同じ習い事をしているのがわかって、うれしくなってついうっかり「アタシもそうなの」と言ったら、真似していると思われて、嫌われたり、疎遠にされたりする危険があるということかな。人が真似をしてくれないと流行にはならないんだから、真似されたなんて怒るよりも、真似されるようなものを創造した自分を褒めてあげるべきだと思うけど。

それにしても、他人には「みんな同じ」を求めたがるのに、他人には真似されたくない(他人と同じになりたくない)と思うのは、目立ちたがり屋が増えたのか、あるいは自分が「特別な存在」でありたいという願望なのか。自分は固有の存在だという認識に立っているのであれば、個性尊重の意識の芽生えと考えられないこともないけど、他人の自己決定権を否定し、個性を排除しなければ自分の個性(自己)を主張できないとしたら、個性尊重もへったくれもあったもんじゃないと思うけどな。人生は「たまたま」の絡み合いの連続なんだし。